第93話 冬風は嵐の前触れの合図

 熱した鉄板の上でジュージューと音を立てて焼かれる肉と野菜。

 あらゆる部位の牛肉、豚肉、鶏肉達は肉汁を溢れ出させ、表面や皮に食欲のそそる焦げ目を作る。


 じっくり焼かれた玉ねぎとかぼちゃとニンジンは甘みを増し、ピーマンは焼いても独特の味と香りを残している。

 しいたけとナスは肉に負けないジューシーさで、もやしは肉汁を吸ってもなおしゃきしゃきとした食感がある。


 特に牛肉は最高級の仙台牛で、海外でも高い支持を得ている肉だけあって味も格別だ。

 まろやかな風味と豊かな肉汁が口の中に広がるそれは、既製品のタレをつけないで塩コショウだけで頂くほうがずっと味がしていい。


「~~~~~っ」


 初めて味わう高級肉を、日向はむぐむぐと噛みしめるように身悶えながら咀嚼する。


「ははっ、そんだけ気に入ってもらえたんなら、この肉も本望だろうな」


 今度は自家製タレをつけて食べようとしていると、隣で手羽先を齧っていた日向のパートナーである悠護が彼女の緩みきった顔を見て小さく笑う。

 いい家に育った彼の食べ方はとても綺麗で、本来食べにくい小さい部分も肉が残ってない。


「やっぱいい肉ってのはどんだけ食べても食べ飽きないよなー。お、これもーらいっ!」

「樹くん! 行儀悪いよ、まだお皿に一杯あるんだから」


 悠護の目の前の席に座る彼のルームメイトで親友の樹は、焼けたばかりの豚バラを遠慮なく自身の皿に盛りつける。

 その樹の隣で彼のパートナーで日向の親友の心菜が、手癖の悪い子供みたいなパートナーを叱った。


 彼女の言う通り、樹の皿には肉と野菜がこれでもかって言わんばかりに盛られている。

 作法のテストならば、今の樹の姿は確実に不合格だ。


「それにしても、焼き肉とはいいものだ。鍋もそうだがこうやって一枚の鉄板を共有するのは楽しいな」


 日向から見て左端の席に座るのは、イギリス王室第一王子であり今日向達がいる部屋の主であるギルベルトだ。

 笑顔を浮かべる彼は綺麗な箸使いで肉を食べており、こうやって大人数で食事するのが楽しくて仕方ないようだ。


 一二月二二日、今日は聖天学園二学期終業式前日。無事二学期を終えた慰労会として、日向達は唯一一人部屋を宛がわれたギルベルトの自室で焼き肉パーティーを開いていた。

 普通なら中々買うことができない高級牛肉は、悠護の家である黒宮家から送られたものだ。


 悠護は日本最強魔導士集団『七色家』の一つである黒宮家出身で、次期当主になることを今年の夏に決まっていた。

 そんな彼や家に取り入ろうとする遠縁達からお歳暮など様々な贈り物を本家に送られており、少しでも解消するようにこうして悠護に送られることがある。

 送られてくる品々は最高級ばかりで、消耗品ならまだしも生物なまものは扱いが難しいし、賞味期限もある。


 さすがに悠護と樹の二人だけで消費するのは難しく、こうして全員を呼んで食卓を囲むのが当たり前になっていった。


「でも悠護、本当にあたし達が全部食べちゃっていいの?」

「いいんだよ、つかこれでも結構減ったほうなんだぞ? それに食いきれなかったら明日学園出る時に土産として持って行ってもいいぜ」

「お、マジで? じゃあ残ったら後で貰うな」


 悠護の言葉に樹は嬉しそうな顔をしながら、山のように盛ってある皿の上のご飯を消費していく。

 台所には桐の箱がまだ五段残っており、今食べている仙台牛は三段目、しかも他の肉を入れるとかなりの量を日向達は全て胃の中に収めている。


 魔導士が魔力を精製するために必要な精神エネルギーは、時間が経てば元に戻るような代物ではない。魔導士達は魔力を精製して消費した精神エネルギーを、こうして食事で補っているのだ。

 そのため世間では『魔導士は大食い』というイメージがあるが、それにはちゃんとした理由があるのだと世間に言いたい気持ちになる。


「それにしても樹の腕が治ってよかったよ。リハビリ大丈夫だった?」

「ああ、なんとかな。俺両手利きだからメシの時は平気だったけど、風呂は難しかったな。片手じゃ洗いたいところが届かねぇから」


 そう言って樹は右腕をぐるぐると回す。

 彼の右腕は先月の学園祭で起きた事件で、敵に自爆攻撃を仕掛けたせいで右腕が肩まで消失してしまった。

 幸い部位欠損を完治させるほどの高度な生魔法を使う医者がいたおかげで事なきを得たが、正常に戻るまで右腕をギプスで固定したままだった。

 それが昨日、ようやくギプスが外れたのだ。すっかり元に戻った樹の腕を見て、ひどく安心した。


「治ったのはいいが、くれぐれもまたあの自爆攻撃をするなよ。その時オレは今度こそ貴様の頭上に雷を落とすぞ、文字通りな」

「ちょっ、お前がそういうと笑えねぇよ! そこまで言われなくても、俺ももうあんな真似はしねぇよ」


『雷竜』を『概念』とする概念干渉魔法使いであるギルベルトは、自身の左手に雷を纏わせるのを見せると、樹は慌てたように首を横に振る。

 現に事件後、ギルベルトから雷の如く説教をしたのだ。それほどまで樹のした行動は危険なものだった。


 ちゃんと反省した樹を見て満足したギルベルトは、綺麗に焦げ目のついたしいたけを頬張る。

 このメンバーの中で二番目に怒らせてはいけないのはギルベルトだと再確認した日向達は、改めて焼き肉を満喫することを専念するのだった。



 悠護の仙台牛や寮の冷蔵庫にあった食材を使った焼き肉パーティーが終わり、全員で片づけをした後、ギルベルトが街に出て買ってきたアイスクリームを食べていた。

 そこらのコンビニ売っているものではない、学園からそう遠くない百貨店内にあるフルーツパーラーで買った高級品だ。

 ピーチ、マンゴー、レモン、ストロベリー、メロンの五種類あり、それぞれじゃんけんで決める。じゃんけんの結果、日向はピーチ、悠護はメロン、心菜はストロベリー、樹はレモン、ギルベルトはマンゴーを選んだ。


 さっそく口に運ぶと、果肉が入っているおかげで桃の爽やかな果汁と甘みが見事に調和し、焼き肉を食べた後のすっきりとした後味を残す。

 コンビニに売っている高めのアイスクリームを買ったことのない日向や樹の庶民にとっては、このアイスクリームは贅沢の極みと言っていいほどの品だ。

 中々味わうことのないそれをゆっくりかつ溶ける前に食べていると、隣に座る悠護が重苦しいため息を吐いた。


「なんだ、辛気臭いため息を吐いて。何があったのか?」

「あ? ああいや、そうじゃなくて……明後日のクリスマスパーティーが憂鬱なだけだ」

「あー、なるほどな……」


 悠護のため息の原因を聞いて、樹は気の毒そうな顔をする。

 七色家の一人である悠護は、国際魔導士連盟だけでなく魔法の恩恵にたかる様々な機関が主催で開くパーティーに出席しなければならない。

 もちろんそのパーティーがただ楽しむものではなく、七色家に媚びを売る非常に息苦しいものだ。


「そのパーティーはIMFのお偉いさんがくるの?」

「いいや、違う。七色家本家とその分家を集めた、毎年やってる身内だけのパーティーだ」


 七色家は、『黒宮』の他に『白石』、『赤城』、『青島』、『緑山』、『黄倉』、『紫原』がある。

 それぞれまったく異なる役割を持ち、今も日本を守護している。

 どの家にも多くの分家が存在し、都内にいる分家の他に地方に散り散りとなっている分家も少なくない。


「ただ、地方にいる連中は毎年飽きずに本家の文句をオブラートに包んでネチネチ言ってくるんだ。そういうのは俺じゃなくて親父に言えっての」

「なるほどね。……あれ? でもあたしのところにはその招待状来てないよ?」


 悠護のパートナーである日向は、事実上七色家関係者だ。

 ならばその彼女に招待状が届いてもおかしくないのだが、記憶にある限り届いていない。


「このパーティーだけは、たとえパートナーでも部外者扱いになって招待状が送られないんだ。あくまで身内だけのパーティーだからな」


 その説明に納得していると、ギルベルトはニヤリと挑発的な笑みを浮かべ、そのまま席を立ち日向に近づく。

 あまりにも自然な流れで彼女の右手を取ると、その手の平に唇を寄せた。


「ほう……では、その日だけオレは日向を独占できるというわけだな?」

「ギ、ギル……!」


 チュッとリップ音を鳴らしながら口づけられ、日向の頬はほんのり赤く染まる。

 そもそも魔導大国イギリスの王子である彼が聖天学園に転入してきたのは、一目惚れした日向を妃にするためだ。

 今のこの状況は彼にとって大きなチャンスで、それを理解すると悠護は口元を引きつらせるが、何か思い出したのか頭を掻いた。


「あ~……でも鈴花が日向に会いたいって最近うるさいんだよな……」

「そっか、鈴花ちゃんと最後に会ったの夏休み以来だっけ」


 鈴花は義母の黒宮朱美と父の黒宮徹一の娘で、八歳年下の悠護の異母妹である。

 七月に悠護の実家に行った時、一緒に遊んだり魔法を学んだりしている内に懐かれ、仲良くなったのだ。

 だが実家に遊びに行って以来、中々時間が取れず、学園祭もちょうど通っていた小学校が運動会と被ってしまい、結局会えずじまいなのだ。


「そうそう。この前の学園祭の時も『運動会行きたくない』って駄々こねてたって義母かあさんから電話あってよ、その時にパーティーの前に日向に会いたいってお願いしてきたんだよ」

「ははっ、随分と可愛らしいお願いじゃねぇか。健気で愛らしい小さい淑女リトルレディのお願いはちゃんと聞いてあげなきゃいけねぇよなぁ。お前もそう思うだろ? 紳士の国イギリス出身の王子様」


 樹はアイスクリームを食べながらニヤニヤと意地悪な笑顔をギルベルトに見せると、彼は苦虫を噛み潰したよう表情で唸る。


「むぅう……確かに、レディの願いを蔑ろにするのは褒められた行為ではない。だが、それではせっかく考えたデートプランが……」

「もう樹くん、意地悪しないの」

「悪ぃ悪ぃ、ついからかっちまった。ギルにはせっかくのデートがなくなっちまうのは悪いが、パーティーが始まるまで俺達と遊べばいいじゃねぇか。それならどうだ?」

「む? ふむ……まあ、それならば……」

「あたしもそれでいいよ」


 樹の出した妥協案にギルベルトはしばし思考を巡回させたが頷き、日向も特に文句がなかったため同意する。


「んじゃ、明後日のクリスマスイヴは鈴花ちゃんと一緒に遊びに行くに決定な」


 いつの間にか残った仙台牛が入った桐の箱を藤色の風呂敷に包んでいた樹は、有無を言わせない口調で締めくくった。



☆★☆★☆



「はぁ~~~あったまった~~」

「そりゃあんだけ長風呂してればな」


 外では冬風がぴゅーぴゅー吹く中、暖かい風呂から上がってベッドに寝転ぶ樹を、悠護はテレビの前で座ってコーラを飲みながら苦笑を浮かべる。

 部屋は普段通りきっちりとしているが、冷蔵庫の中はさっきのパーティーで痛む食材はほとんど使い切り、お風呂場は樹が上がる前に排水溝まで綺麗に掃除されている。


 理由としては、聖天学園は明日から三が日までの間は敷地内の出入りは完全禁止されてしまう。理由としては、校舎や寮の部屋などを魔導人形達が二四時間態勢で警備・清掃するためだ。

 普段は学生や教師、学園が契約している清掃会社が掃除をしているが、冬休みの間は代わりに学園内にある魔導人形が清掃することになっている。


 理由としては敷地内に散らばる学生達の毛髪が、清掃会社員に扮した海外のスパイによって外部に持ち込まれかけるという事件が三〇年前に起きたからだ。

 世界各国から優秀な魔導士候補生が集まるこの学園は、彼らの遺伝子を利用してクローンを作る輩にとっては最高の狩り場。

 どんな手を使っても遺伝子を入手したいがために、試行錯誤で学園に潜入するスパイが毎年飽きずに現れるのだ。


 学園には日向の兄であり最強の魔導士の一角である豊崎陽と、学園内ならば倒せる者はいない年齢不詳の魔導士・管理者がいるため、彼らの前ではスパイなんてあっという間にボロ雑巾と化す。

 だからといって警戒を怠ることはできず、三〇年前の事件があったその日から一二月二三日から一月三日までの間は、魔導人形による警備・清掃が行われるようになった。


 明日は朝からドタバタした日になるだろうと思い、いつもより早く就寝しようと思ったが、ふとテレビを点けているのに軽く眉間にシワを寄せている悠護の顔を見て、樹は自然と目が細められる。

 こういう時の顔をしている悠護は、決まって自分だけで解決しようと思っている問題を考えているのだと、ルームメイトとしての経験が告げていた。


「……悠護、なんか悩みでもあんのか?」

「あ? なんだよいきなり」

「眉間にしわ寄ってんぞ」


 右手の人差し指と左手の人差し指を使って眉間にしわを作る樹を見て、悠護は気まずい顔をするがため息を吐く。


「はぁ……別に悩みってわけじゃねぇんだけど……、ちょっと気になることがあってな……」

「気になること?」

「……希美だ。ここ最近あいつ見かけねぇだろ?」


 悠護に言われて、樹は「そういえば……」と思い出したように呟く。

 ルームメイトのことを狂気的なまでに愛している幼馴染みの美少女は、たまに校舎内で通り過ぎると悠護には甘く蕩けた笑みを見せるのだが、隣にいる樹達には仇を見るような目で睨みつけてくる。特に日向には憎悪が溢れ出るところか氾濫するんじゃないかっって言わんくらいの感情を向けている。


 それがここ一ヶ月以上、彼女が学校に来ているかさえ疑わしいほど見かけていない。

 最初は気のせいかと思ったが、悠護に指摘されるとおかしいと思えてくる。


「確かに……俺も桃瀬の姿は全然見てねぇな。なんかあったのか?」


 悠護の手にあった飲みかけのコーラを奪ってそのまま飲み始めた樹の横で、悠護は「うーん」と唸りながら理由を思い出そうと頭を捻る。

 だがすぐに心当たりがあったのか、目を瞬かせた。


「……もしかして、前に俺があいつをフッたのが原因か?」

「ぶっ!!?」


 突然のカミングアウトに樹は思いっきり吹き出した。

 幸いコーラは全部飲んだから噴き出すことはなかったが、器官に息を詰まらせてしまい咽てしまう。


「大丈夫か?」

「だっ……大丈夫じゃねぇよ! いつだよ、いつ桃瀬のことフッたんだよお前!?」

「日向のプレゼントをみんなで買いに行った日」

「二ヶ月も前じゃねぇか!!」


 まさか自分の知らない場所でそんなことが起きているとは思っていなかった樹は、つい半分キレ気味で怒鳴った。

 だが、悠護は頭を掻きながら懺悔するかのように語る。


「……言わなかったことは謝る。でも、あいつのことは俺一人で解決したかった。ずっとこの関係を引きずるより、いっそ思い切って断ち切っちまったほうが互いのためなんだと思ったんだ」


 確かに、悠護の言ったことには一理ある。

 二人の関係は、幼馴染みというには複雑化している。恋人でもないのに一方的に好意を向ける希美の執着ぶりは常軌を逸しており、そんな彼女を悠護はどう接すればいいのか分からなくなってしまった。


 そもそも自身の恋心が気づく以前の自分でも分かるほど、希美の悠護に向ける愛は異常だ。

 砂糖よりも甘く、岩よりも重く、太陽よりも熱の篭ったあの瞳の中には、愛や恋なんて言葉で片づけられないほどのドロドロした感情があるのは明白だろう。

 仮に自分がそんな瞳を向けられたら、樹は一秒もしない内に激しい拒絶反応を見せると確信する。


「……まあ、一概にもそれが原因だって言えねぇけどよ、桃瀬を見かけない理由の一つとして入れてもいいだろ」


 けど、と一度言葉を区切る。


「もしかしたら、今度のパーティーで何かしてくる可能性が高い。その時は……」

「――ああ、分かってる」


 さすがに希美が日向の予定を全部把握していると思えないが、彼女のパートナーへの憎しみは想像以上に強い。

 もしかしたら、樹達だけでなく鈴花も巻き込んででも日向を殺しにくるだろう。


 これまでも彼女によって半殺しされた者達を嫌というほど見てきた悠護にとって、それだけはなんとしても避けたい。


(希美……もしお前が日向を殺すできるなら……。俺は、絶対お前を止めてやる。たとえそれで、お前に一生残る傷を残しても)


 本人が聞けばむしろ嬉々として喜びそうな決意を悠護は心の中で静かに誓う中、窓の外では冬風が轟々と先ほどより強く吹き荒れるのだった。

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