第30話 黒宮家の朝
早朝の聖天学園は夏休みに入っても警備員が暑苦しい制服姿で施設内を巡回し、寮に残っている生徒は少しでも課題を減らすために部屋や図書館で勉学に勤しんでいた。
外にいるサラリーマンや夏休みを謳歌する子供達が三〇度超えの暑い日差しを浴びている中、本校舎地下五階にあるセキュリティルームを寝床にしている管理者は、冷房がガンガンに効いた室内でくつろいでいた。
丸テーブルの上には警備員に買ってこさせたのか、ファーストフードチェーン店の朝セットが置かれている。
三枚重ねのホットケーキには一枚一枚丁寧にバターとメープルシロップをたっぷり塗っており、ハッシュドポテトは揚げたてなのか白い湯気が出ている。
蓋つきのカップにはレタスミックスサラダが入っており、カップをしゃかしゃか振ったおかげでドレッシングが全体に染み渡っている。
オレンジジュースが入ったLサイズのジュースボトルには氷がぎっしり入っており、ただでさえ涼しいを通り越して寒い部屋の中でストローを使って飲む。
一口サイズに切ったホットケーキをプラスチックフォークで三枚重ねるとまとめて口の中へ押し込んだ。
(さて、豊崎くんのお仕事もちゃんとしないとなぁ)
口の中に入っていたホットケーキをしっかり噛んで飲み込むと、今度はハッシュドポテトに齧りつきながらキーボートを操作する。
管理者は今、終業式当日に『黒宮家の内情を探れ』という陽の突然の依頼を引き受けている。理由は様々だが管理者的には『面白そうだから』の一言で了承。通常業務をやる片手間にこうして依頼もこなしている。
「それにしてもこの時期に『七色会議』とはね……」
『七色会議』は、七色家本家の現当主および次期当主候補もしくは次期当主に選ばれた子息息女を同席させて行う会議だ。年に一、二回しかないその会議は七色家のどれかが子供に代を譲ることを発表するか、IMFでは一存できない事案を決める時などに使われる。
七色会議を主催するのは毎回違う家の現当主で、今回は黒宮家の現当主が主催者になると陽が日向から聞いた情報ではそうなっている。
「内容は黒宮くんを次期当主にするかと妹ちゃんのことかな?」
七色家の次期当主を選ぶ時期は特に決まりはないがほとんどが聖天学園に在籍する間で、次期当主候補の悠護が次期当主になるかを今回の会議で決めるのだろう。
それに無魔法の使い手である日向をこのまま黒宮家の一員にすることは、他の家にとっても面白くないと考える者が多いだろう。その処遇についても会議の議題に入っているはずだ。
シャキシャキと音を鳴らしながらサラダを頬張る管理者は、キーボートを打つ手を止めないまま呟く。
「それにしても妹ちゃんも大変だねー。こんな面倒事に巻き込まれて」
汚い欲が渦巻く魔導界に一切関わらないまま一般人として生きていれば、あの少女はどれだけ楽な人生を過ごせていたのだろうか。
たとえそう思っても全ては結果論だと思いながら、溶けた氷のせいで若干薄くなったオレンジジュースを飲む。
するとディスプレイの端で、管理者が作成したアバターであるコウモリが四角いファイルを咥えながら中央へ向かって飛んで来た。
「ん? 何これ、『墨守家』の通信履歴?」
墨守家は、桃瀬家と同じ黒宮家の分家一つで、墨守家の当主である
倫理委員会は人道的行為から道を踏み外した魔導士を尋問し、その処遇を決めるいわば魔導士専用の裁判所みたいなものだ。
だがその仕事内容はあまり良くなく、尋問のためにはあらゆる手で肉体的にも精神的にも衰弱さえ、追い詰められた時に言質を取るという汚れ仕事だ。
そのせいか世界各国のIMFでもこの委員会の仕事はどの魔導士からも嫌われている。
「ま、あんな汚れ仕事されてるんだから、向こうが反感を持ってるのは別段おかしくないと思うけど……」
そもそもこの銀コオモリには黒宮家に関する黒い情報を集めるように送り出したはずだ。なのに墨守家の通信履歴の情報を持って来たとなると、白の情報ではない可能性が出てきた。
「……一応調べておこうかな」
念のため外部の人間にも聞けないようにワイヤレルヘッドホンを装着し、ファイルをクリックする。音声電話と電子メールの二種類しかないそれを一つずつ聞き、読んでいく。
数時間をかけてファイルを確認した管理者は、無表情のままヘッドホンを外し白衣のポケットからスマホを取り出し、陽に電話をかけた。
「もしもし豊崎くん、なるはやでセキュリティルームに来てよ。君がお望みのヤバい情報見つけたからさ」
☆★☆★☆
「んん……もう朝……?」
いつもとは違う布団の上で目を覚ました日向は、ベッドから降りて窓を開ける。
自然の多いこの場所に居を構えているおかげか、深呼吸すると地元や学園では味わえない自然の空気が肺いっぱいに入ってくる。
ふぁあーっとあくびをしながら背伸びをし、着ているパジャマを脱ぐとすぐ綺麗に畳む。クローゼットから下着を身につけると、今日着る服を用意する。
選んだ服は白いブラウスに腰に大きなリボンがついた青いスカート。青のリボンタイを緩く結び、靴下はふろはぎまである黒い靴下で靴は昨日と同じブーツにした。
昨日の応接室での対面後は、特に何も起こらないままだった。
夕食は食事をする時間が個人で違うのか、日向だけ広い食堂で豪華なフレンチを食べる羽目になった。素材や調理にこだわった料理でも、一人だと味気ないものに変わる。
悠護も自室に篭ったせいで、結局案内された客室で夏休みの宿題をこなし、風呂やトイレ以外に外に出ないまま一日を過ぎた。
さすがに朝食は全員揃っているだろうと淡い期待を抱きながら、一階の洗面所で顔を洗った後、食堂に向かいドアを少し開けて中を覗くと、ちょうどメイドが朝食の準備をしている真っ最中だった。
真っ白なテーブルクロスが敷かれた長テーブルの乗せられている皿には半熟のスクランブルエッグにカリカリに焼かれたベーコンとソーセージ。別の小皿に盛りつけられたサラダにはドレッシングはかかっていないが、これは食べる相手の好みを考えたものによるだろう。
カゴには焼いて焦げ目があるスライスしたトーストとバケット、クロワッサンが大量に入っており、バターや三種類のジャム、それにフレンチや和風のドレッシングにケチャップが用意されている。
まだ入るのには早いため終わるまで待っていようと思いながら食堂のドアを閉めると、日向は自分の顔の下からじーっとこちらを見る少女に気づいた。
「わっ」
「?」
思わず声を出して一歩後ろに下がると、少女はこてんと首を傾げる。ひとまず心を落ち着かせた日向は、どうして驚いたのか分からない顔をしている少女の恰好を改めて見る。
白いフリルをあしらった赤いワンピースを着た少女は日向と同じ長さをした黒髪を二つにし、白いリボンで結んでいる。手には白いウサギのぬいぐるみを持っており、首には赤いリボンをしてある。
今もじーっと顔を見てくる瞳は悠護と同じ真紅色をした少女を見て、日向はその場でしゃがみ込んで目線を合わせる。
「えっと、こんにちは。あたしは豊崎日向って言うの。悠護……お兄ちゃんのパートナーなの」
「……悠護お兄ちゃんの?」
「そう。あなたのお名前は?」
「……。……私は、鈴花。黒宮鈴花、小学二年生です」
少女――鈴花は両腕でぬいぐるみを抱きしめながらぺこりと頭を下げた。
見た目からして彼女が悠護の異母妹だと理解すると、日向は笑顔で話しかける。
「鈴花ちゃんって言ったんだ。よろしくね」
「はい、よろしくです」
「…………」
「…………」
会話終了。向こうから話す気配がない状態に日向は笑顔のまま固まる。
(えっと、もしかしてこの子シャイとか人見知りの類なのかな? でもこの沈黙が続くのはちょっと……)
なんとか話題を作ろうと考えていると、鈴花はぎゅっとぬいぐるみを抱きしめる力を強くした。
「あの……」
「あっ、はい?」
「日向お姉ちゃんは、悠護お兄ちゃんと仲がいいんですか?」
「えっ? うーん、パートナーやってるからそれなりにかな?」
「そうですか……」
悲しそうに目を伏せる鈴花に、日向は少し考え込むとなるべく優しい口調で訊いた。
「もしかして……悠護と仲良くなりないの?」
「っ……」
ビクッと体を震わせて顔を俯かせる鈴花だったが、しばらくするとコクンと小さく頷いた。
いくら母親が違くても兄妹なのだ。兄と仲良くなりたいという彼女の気持ちは分かる。
暗い顔をする鈴花の頭を、日向は優しく撫でる。突然撫でられてきょとんとする鈴花に日向は笑ながら言った。
「そっか。よし、じゃああたしが二人を仲良しになるよう協力してあげるよ」
「本当?」
「ほんとだよ。あたしも悠護には家族と仲良くなって欲しいもん」
家族というのは日向の中では大切な存在だ。いくら事情があるとはいえ、ずっと不仲のままでいていいはずがない。
本人が向き合おうと努力している以上、パートナーである自分がその背中を押すのが役目だ。
鈴花は日向の言葉が本心だと思うと、再びぎゅっとぬいぐるみを抱きしめる力を込める。
「でも……仲良くなれますか?」
「なれるよ。そうなるように頑張らないと。いつまでも逃げてちゃダメだよ」
「うん……」
「よし、ひとまずこの話は終わり。朝ごはん食べたあとに一緒に色々考えよう。ね?」
日向の言葉に鈴花はコクリと頷くと、日向の手を掴んできた。
小さくて柔らかい手の感触に驚いて鈴花を見ると、彼女は頬を紅潮させてそっぽを向いていた。
彼女なりの懐き方が微笑ましくて日向はくすりと笑いながら、食堂のドアを開けた。
食堂に入ると日向の期待通り、黒宮家全員が揃った。
中央の席には徹一、窓際の席には朱美と鈴花、ドアが近い席には悠護と日向が座る。日向がフォークで掬ったスクランブルエッグをナイフを使って皿の端にかけたケチャップにつけていると、コーヒーを飲んでいた徹一がカップをソーサーに置くと悠護に顔を向けた。
「悠護、明日の午後一時に七色会議を行うことが決まった。場所はグランドホテル『ローズガーデン』の最上階だ。正装を準備しておけ」
「……何を議題に出すんだ」
「それは当日まで明かせない」
再びコーヒーに口つける徹一に悠護は忌々しそうに舌打ちする。
一瞬で空気が悪くなり、鈴花が気まずそうにフォークに刺したプチトマトを口の中に入れる。日向はこの空気についていけず戸惑っていると、パンッと朱美が手を叩いた。
「そうだわ。ねぇあなた、明日の七色会議って私達は参加できないでしょ?」
「? ああ、そうだな」
「だったら、その間だけお茶会を開いていいかしら? せっかくこんなに可愛い子も来たんだもの。他の家の方々も呼んで盛大にやりましょうよ」
「そんなの悠護の誕生パーティーで事足りるだろ」
「いいえ、あんな堅っ苦しいパーティーじゃ満足に食事も会話もできないわ。招待する人数もなるべく最小限で済ませるし、騒ぎも起こさないと約束するわ。だから、お願い」
両手を合わせて頼み込む朱美に徹一は眉根を寄せるも、大きなため息を一つ吐きながら「好きにしろ」と投げやりな口調で許可した。
それを聞いた朱美は嬉しそう微笑むと、日向の方へ顔を向ける。
「そういうわけだから日向ちゃん、あなたも明日のお茶会に参加してもらっていいかしら? お友達も呼んでいいから」
「あ、はい。喜んで参加させてもらいます」
「ありがとう。食事が終わったらクローゼットルームでドレスを選びましょうか。やっぱりドレスを着ないと盛り上がらないものね」
ドレス。普段聞き慣れない単語を耳にした日向は、慌てて首を横に振った。
わざわざドレスを用意してもらう手間をかけたくないからだ。
「え、ドレスなんていいですよ。自前の服があるので大丈夫です」
「ダメよ。それに誕生パーティーで着るドレスも選ぶから、今じゃないと仕立て直す時間があまりないの。多少面倒だろうけど、お願いできるかしら?」
「……そういうことでしたら」
「分かってくれてありがとう。そういうことだから鈴花、後で一緒にドレスを選びましょ。午後から魔法のお勉強もあるからちゃんと準備してね」
「はい、分かりました」
母の言葉に鈴花が返事をすると、朱美は満足して食事を再開する。
その横で悠護が苛立たしげにソーセージを噛みしめるのを見て、日向は内心ため息を吐く。
(これは結構難しいかも……)
この家の人間から信用を得るのも、家族関係を修復するのも一筋縄ではいかない予感を感じながら、ケチャップをつけたスクランブルエッグを口に運んだ。
☆★☆★☆
朝食を済ませた後、日向は朱美と鈴花に連れられてクローゼットルームに来ていた。
クローゼットルームには豪華かつ色とりどりのドレスやかっちりとした正装がハンガーにかかっており、あまりの光景に呆然としていると朱美が一着のドレスを手にした。
「七色家の誰かの誕生パーティーでは家の名にと同じ色の服装をするのが決まりだから、黒のドレスを着るのは必須なの。でもお茶会ではそんなの気にしないで好きなのを選べるわ」
「そうなんですか……」
説明を聞きながらドレスを眺めていると、朱美がおもむろに手にしたドレスを日向に近づけさせると難しそうな顔をする。
「うーん、こっちは微妙ね……こっちも髪と色が合わないわ。どうしましょう……」
「お母さん、あっちの方見てきていい?」
「いいわよ。気に入ったのがあったら持ってきてね」
「うん」
母の了承を得た鈴花はパタパタと走りながら別の衣装がある方へ行ってしまう。
日向も自分が好きな色のドレスを手にとっていると、隣でドレスを選んでいた朱美が口を開く。
「……ごめんなさいね、こんなことに巻き込んでしまって」
「えっ、いえそんなことは……」
「あの人、幼い頃から家の責務を全うするよう育てられてきたから、家族としての関り方が下手なのよ。千咲……前の奥さんとはちゃんと恋愛結婚したんだけど、亡くなった後はいろんな事情のせいで私と再婚しちゃって。そのせいで悠護くんとの仲が悪くなったのよ。……でも、普通に考えたら知らない女が新しいお母さんになったって言われても納得する子供なんていないわよね」
悲しい口調で語る朱美に、日向は黙り込む。
彼女自身も再婚したことをずっと後悔していた。いくら家のためとはいえ、徹一自身だって本当は愛する妻の死を悲しみたいはずだった。
(でも……この家にはそれすら許されない)
愛する人を悲しむ時間を与えない。一族の繁栄のためには不要と切り捨てる。その結果が今の冷たい家庭環境を作っている。
一人の人間として立場を尊重されないこの家には、それを犠牲にするだけの価値があるのだろうか?
今はまだ答えを出す時ではない。だが、これだけは今を憂いているこの優しい
「……悠護は、今はまだ無理でもちゃんと家族と向き合おうと頑張ってます。ですから、朱美さんも諦めないでください。変えたいと思っているなら、あなた自身が変える努力をしなくてはいけません。そんなの、何もできずに家族を失うよりずっとマシだと思います」
日向の言葉に、朱美は衝撃を受けた顔をする。
冷たい言い方をしたことくらい自覚している。だが弱音ばかり吐いても現実は変わらない。諦めたくないのに動けないのなら、誰かが立ち直さなければならない。
恐らく日向の経歴については事前に知っているのだろう。朱美は申しわけなさそうに顔を俯かせると、すぐに顔をあげて微笑んだ。
「……そうね、そっちよりずっとマシね」
「そうですよ。だから頑張りましょう、お互いのために」
「ええ」
さっきと比べて明るい顔になった朱美にほっとすると、パタパタと忙しない足音が聞こえてきた。
音のした方を見ると、鈴花が薄いピンクのドレスと黒のドレスを持って走って来た。
「お母さん。私、これがいい」
「あら、可愛いドレスね。じゃあ試着しておいで。変なところがあったら教えてね」
「うん」
そう言って試着室へ向かう娘を見送ると、朱美は別の方から二着のドレスを取り出すとそれを日向に渡す。
「よく考えたけどこれが一番似合いそうね。どうかしら?」
「そうですね……」
朱美の手には持っているドレスに、日向はじっと観察する。
一着目のドレスは、オレンジ色のアフタヌーンドレス。上が総レースのトップスになっていて、スカートには切り返しでリボンベルトがついている。
二着目のドレスは、スカートの裾と胸周りに細やかな白い刺繍がされた黒のカクテルドレス。こっちは袖がなく、胸元と肩、それに背中を大胆に見せているデザインをしている。
こういったものを着たことがない日向にとっても、このシンプルだが華やかさがある二着のドレスは日向の好みで、目を奪われてしまう。
無意識に目を輝かせているのを目敏く見つけた朱美は、ニコニコと笑いながら日向にドレスを持たせるとそのまま体を方向転換させて背中を押した。
「そんなに気に入ってくれて嬉しいわ。さ、さっそく着てみましょ。着つけくらい手伝ってあげるわ」
「え、あの、ちょっ、そんなに押さないでください! 逃げませんからっ! というか目が怖いです!?」
朱美の目が中学時代にやたら勧誘してきた演劇部員と同じだと気づき、思わず情けない悲鳴をあげる。
だが日向の抵抗むなしく、試着室へ放り込まれて合わないと知ると否や一から採寸され、自分に合う化粧を探すのに体力を七割方奪われてしまい、午前中はベッドの上で何もしないまま時間を過ごす羽目になった。
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