第31話 少女はまだ恋がわからない

 パタパタと軽い足音。仕立てのいいフォーマルスーツを着た六歳の少年が、手に数本の白い花を持って廊下を走っていた。

 少年の手は土で汚れていて、通りすがりのメイドは少年の姿にギョッと目を見開く。手を洗ってくれと頼むメイドの声を無視し、少年はある部屋に入る。


「母さん!」

「――ゆうくん、どうしたの?」


 少年――悠護はふっくらとした頬を赤くしながら、ベッドの上で本を読んでいた母の千咲に声をかける。

 艶やかな黒髪を首元辺りでゆるめでひとつに結んでいる千咲はワンピースタイプの寝間着の上にガウンをかけていて、下半身は綿がぎっしり入った布団に覆われている。


 今の時期は千咲の体調を崩しやすいため、一日の半分以上をベッドの上で過ごしている。

それを知る悠護は中々外に出られない母のために摘んできた花を渡す。


「母さん、これ庭で咲いてた花! すごく綺麗だから摘んできたんだ!」

「うん、すっごく綺麗ね。ありがとうゆうくん、じゃあこれは花瓶に挿しておこっか」


 土まみれの手を気にせず花を受け取った千咲は、ベッドの上から降りようとするのを見て、悠護は慌てて止めに入る。


「ダメだよ母さん、俺がやるから母さんは寝てて!」

「大丈夫よ、これくらい。それにずっとベッドの中にいるとお母さんブタになっちゃうもの。まったく徹一くんったら、ちょっと心配症すぎなのよ。今日は体調がいいのに絶対安静だなんて。まぁそんなところも好きなんだけどさぁ……」


 ブツブツと文句を言いながら千咲は、窓際に置かれている花瓶に息子が持ってきてくれた花を挿す。

 父の徹一は仕事が多忙で中々会えない悠護にとっては怖い存在だが、それでもこうして定期的に主治医を家に呼んで母の健康に気を遣っているのを考えると、あの父でもちゃんと母のことが大好きなのだと、幼い自分でもなんとなくわかっていた。


 千咲は汚れた手をサイドテーブルに置いてあるノンアルコールタイプのウエットシートの容器から一枚取り出すと、悠護の手を丁寧に拭いた。

 久しぶりに感じる母の手のぬくもりに悠護がくすぐったさを覚えていると、千咲は息子の綺麗になった手を見て満足そうに頷くと使い終わったそれをゴミ箱に捨てる。


 次に新しいウエットシートを取り出して自分の手も同じように拭き、使い終わると同じようにゴミ箱に捨てる。

 千咲は布団に潜らずベッドの上に座ると、悠護に向かって大きく両腕を広げる。


「ゆうくん、こっちおいで。抱っこしてあげる」

「っ、うん!」


 母の言葉に悠護は笑顔で頷くと、飛びつくように千咲に抱き着いた。

 普段は部屋で寝込むことが多い母の久しぶりのぬくもりを感じ、悠護は嬉しそうに頬を緩ませながら頬ずりする。

 満面の笑みを浮かべる息子の頭を撫でながら、千咲は静かに語る。


「ねぇゆうくん、お母さんとひとつ約束してほしいことがあるの」

「約束?」

「そう、約束」


 そこで悠護はいつも病人とは思えない明るい笑顔を浮かべる母が、今日は少し悲しそうな笑顔を浮かべていることに気づく。

 何故母がこんな笑顔を浮かべるのかわからなかった。だがそれが嫌な予感を感じさせた。


「もしゆうくんが、将来ゆうくんにとって大切な子が現れたら、その子を守ってしてほしいの」

「守る?」

「そうよ。私はね、ゆうくん。いつかゆうくんの周りにはひどいことをしようとする人がいっぱい現れると思うの。もしかしたらその人たちがゆうくんの大切な子にもひどいことするかもしれない」


 優しく頭を撫でながら、千咲は結婚する前までの聖天学園での記憶を思い出す。

 学年問わず多くの女子生徒が夫の隣に立ちたいがために、パートナーであった千咲にいじめていた。その大半は徹一や親友が守ってくれたが、卒業するまでずっとそのいじめに耐えていた。


 七色家というの名は、たとえ分不相応の身分でも喉から手が出るほど欲してしまうブランド。たとえどんな手段を使っても手に入れる人間など腐るほどいるのだと痛感した。


 だからこそ伝えたかった。自分が死ぬ前に、この優しい息子に。

 そう遠くない未来、悠護の花嫁になるだろう少女を影に潜む敵から守ってやれるように。


「だからね、ゆうくん。もし大切な子が傷つけられたり、悲しい目に遭っていたらちゃんと守ってあげてね。これが、お母さんとの約束」

「…………うん、わかった。俺、ちゃんと約束する。だから……笑ってよ。俺は母さんの笑顔が大好きだから」


 そっと頬に触れる悠護の手の上から、自分の手を重ねる。

 今にも泣きそうな悠護のために、千咲はニコッと笑う。息子も恥ずかしがり屋な夫も好きだと言ってくれる笑顔を。


「もっちろん! お母さんはゆうくんのためならたくさん笑っちゃうんだから!」

「やったぁ! 俺、母さんが大好き!」

「私も大好きよ。徹一くんと同じくらい大切で、大好きな、私の愛しいゆうくん」


 母の笑顔に泣きそうだった顔を消した悠護が千咲に抱き着くと、千咲は笑顔に戻った息子の小さく柔らかい体を抱きしめた。

 隙間という隙間を無くすほどの抱擁と楽しそうな笑い声は、部屋の中を温かな気持ちで満たしていた――。



☆★☆★☆



「……また見ちゃった」


 夢を見た。パートナーの記憶の夢を。最初の悲しい記憶ではなく、母の愛に包まれた温かな記憶を。

 ベッドから起き上がり、枕元に置いていたスマホの画面を見ると『11:29』と表示されており、クローゼットルームでの出来事からまだ一時間しか経っていないのを確認するとベッドから起き上がる。


(さっきの夢、前の時の悠護より小さかったなぁ。それにあの女の人が悠護の本当のお母さんなんだ)


 悠護の実母は病弱というイメージからかけ離れた女性だった。明るくて優しい、思わず自分の母を思い出してしまうほど印象が強かった。

 朱美からは前の奥さんとは恋愛結婚をしたと言っていたが、あれはどうやら嘘ではなかった。そうじゃなかったら、徹一に文句を言いながらもあんな愛おしそうな顔はしないはずだ。


「だとしても、やっぱり納得できないな」


 過保護になるほど大切にしていたのに、何故再婚をしたのだろうか。

 それにクローゼットルームで話した朱美もどこか悲しみを堪えるような顔をしていた。


(もしかして再婚の件になにか秘密があるのかな?)


 日向は探偵になれるほどの頭脳を持っていないからなんとも言えないが、少なくとも一族ぐるみの策略のせいとは言えなくなる。

 寝たはずなのに頭の中がぐちゃぐちゃになる感覚に不快感で眉をしかめていると、ドアからリズミカルなノックがした。


「どうぞ」

「失礼します」


 入室許可を出すと、入ってきたのは朝と変わらずうさぎのぬいぐるみを持った鈴花だった。


「どうしたの?」

「えっと、お昼ごはんの時間になるので呼びに来ました」

「あ、そうなの? わざわざありがとう」

「いえ、あの、その……」

「どうしたの?」


 もごもごと口を動かす鈴花に首を傾げると、彼女はどこか緊張した面立ちで口を開く。


「あの、日向お姉ちゃん……午後に魔法指導があることは知ってますよね?」

「うん、知ってるよ。それがどうしたの?」

「それで、その……もしよければ日向お姉ちゃんが魔法を教えてくれませんか?」

「魔法を? あたしが?」


 自身に向けて指を指しながら答えると、鈴花は頭部が取れそうなほどの勢いで首を縦に動かす。それを見て日向は腕を組んで悩み始める。

 普段は周りに教えてもらっている立場だが、初級魔法くらいなら教えることはできる。だが、黒宮家ならそれ以上の指導力を持った人が教師として教えてくれるはずだ。


 ならわざわざ自分に頼む理由はないはずだと日向は思った。


「でも鈴花ちゃん、先生は他にいるでしょ? 別にあたしじゃなくてもいいと思うよ」

「……いつもなら先生に頼むのですが……その、今日の先生には希美お姉様がいるんです……」

「桃瀬さんが?」

「はい……」


 黒宮家の分家である桃瀬家の娘である希美が、黒宮家の魔法指導に教師として参加するのはおかしくない。

 それに鈴花と希美は親戚関係にあたるはずだ。だが鈴花は困ったような顔をしている。

 まるで、天敵と遭遇してしまったかのような小動物の顔だ。


「えっと……もしかして鈴花ちゃん、桃瀬さんのこと苦手なの?」

「それはっ……、……はい、そうです」


 日向の指摘に鈴花は一瞬だけ否定しようとするが、落ち込んだ様子で肯定した。


「希美お姉様は私と悠護お兄ちゃんとの仲を良くしてあげると言ってくれてるのですが……結果はあんまりよくないし、それに希美お姉様がちょっと怖いってのもあるっていうか……」

「あー、そういうことね」


 鈴花が言葉を濁すのを見て、日向はがりがりと頭を掻きながら納得した。

 要は二人の仲を取り持つことで自身の株を上げ、そのまま黒宮家に気に入られるようにするという魂胆だったのだろう。


 幼い鈴花がそんな顔をするほどわかりやすかったのか、それとも彼女に対する悠護の態度で察したのか。どちらも正解なような気がしてならない。


「……わかった、いいよ。でもその代わりどんな理由があっても危ないことは絶対にやっちゃダメだよ。その約束が守れるなら教えてあげる」

「! ……はい、わかりました。私、約束を守ります!」

「よっし、いい子だね鈴花ちゃんは。じゃあまずはお昼ごはん食べに行こっか」

「はい!」


 咲き誇った花のような笑みを浮かべる鈴花の頭を撫で、彼女の小さくも柔らかい手を繋いで食堂に向かった。



 昼食の半熟卵が乗った厚切りベーコン入りカルボナーラを完食した後、日向は自室に戻って持って来た教材の用意をしていた。

 持って来た教材は百科事典並に分厚い『魔法全集』と一年生用の魔法学の教科書、『魔法全集』と同じ厚みをした『魔法事故のすべて』という本だ。


 文字通りこの本はこれまで起こった魔法事故をまとめた本で、本として残るほどの魔法事故を起こした魔導士と魔法、その原因が事細かに記されている。

 この本は魔導士になって入院してしばらくした頃、陽が「必要やから」と言って無理矢理渡したのだ。


(……これは、必要だよね。絶対)


 何故陽がこの本を渡したのか、魔導士に目覚めたばかりの頃はわからなかったが今ならわかる。

 魔法という全能ではないが万能な力が、毒にも薬にもなるものだと。そしてその〝毒〟が時として災厄を生み出すとわかってほしいことに。

 魔法を教わってその重要性が理解できるようになったおかげか、日向はこの本も持っていくことを決めると、机の引き出しから上下にベルトがついたホルスターと《アウローラ》を取り出す。


 このレッグタイプのホルスターは、樹が試作品としてくれたものだ。ちなみにその試作品の中にはショルダータイプもある。


(それにしても、前に学園からもらったホルスターを見せただけで同じように作れるなんて……樹って本当にただの学生なの?)


 もし本当にただの学生ならこの器用さは異常過ぎる。友人の一面に疑問を持ちながら、右太腿にホルスターを取りつけ、教材を持って部屋を出る。

 廊下の窓から下を覗くと高価そうな服を着た数人の子供が集まっており、その集団の中央にいる鈴花は日向に気づくと手を振る。


 日向も手を振り返すと、そのすぐそばにいる希美の姿に気づく。

 希美も日向に気づいたのかせっかくの綺麗な桃色の目を鋭くさせる。それを見て日向は内心ため息を吐きながら会釈をして、そのまま外へ出るために廊下を歩き始めた。


 外に出ると冷房が効いた室内とは違う蒸し暑い空気が襲い、強い日差しを浴びせる太陽の光に目を細める。

 熱中症にならないようにメイドたちが子供や教師役の大人たちにスポーツドリングを渡している中、鈴花が二本のスポーツドリンクを持って日向に駆け寄った。


「日向お姉ちゃん、どうぞ」

「ありがと。生徒って結構いるんだね」

「はい、でも今日は少ない方です。それと先生たちには日向お姉ちゃんも参加することは伝えてあります」

「そっか、色々とありがとね」

「いえ」


 よしよしと頭を撫でると、鈴花は照れ臭そうに笑う。だが大人たちが日向を教師役として参加することには難色を示すが、鈴花直々のお願いとなると断れなかったようだ。

 鈴花から受け取ったスポーツドリンクを数口飲んでいると、腕を組んだ希美が芝生を踏む音を出しながら日向に近づいた。


「あら豊崎さん、一昨日ぶりね」

「そうだね。桃瀬さんも教師役で来たの?」

「当然よ、中学から何度も参加してるのだから。鈴花ちゃんもお久しぶりね。元気にしてたかしら?」

「……はい、希美お姉様」


 日向に対しては刺々しい口調だったが、鈴花の前だと優しい口調になり、人当たりのいい笑顔を浮かべる希美。

 だが鈴花は彼女に会釈するとすぐさま日向の後ろへ隠れてしまう。それを見て希美が微かに眉をひそめるのを日向は見逃さなかった。


 日向たちの空気が他とは違う空気をしていると、暑いのにカッチリした黒いスーツ姿の右目にモノクルをした男性がプリントを持ってこっちに向かって来る。男性も日向たちの空気を察したのか、若干顔色が悪い。


「あ、あの……これが今日の指導内容です。お目通ししてください」

「……ありがとう」

「ありがとうございます」


 男から鈴が二つついた腕輪をした右手に持つプリントを素っ気なく返事する希美が奪うように受け取り、日向はなるべく優しい口調で返事をしながら受け取ると、すぐさまプリントを確認した。

 プリントに書かれた内容には『指導内容:初級自然魔法』の大文字が目立ち、その下には順番で使う自然魔法が小文字で書かれている。


 最初は土、次は水、その次が火と使う自然魔法の種類と詠唱文が事細かに書かれている。


(へぇ、ここの魔法指導って学園と似たようなやり方を取ってるんだ。これならなんとかなりそうだけど……)


 だからといって事故が起きないわけではない。簡単な内容だからこそ細心の注意が必要のはずだ。

 日向はプリントを持ってきてくれた男性に『魔法事故について』の本を突き出すように渡す。


「すみません、これも使ってもらっても構いませんか?」

「えっと、これは……」

「魔法事故をまとめた本です。いくら内容が簡単だからといって、事故が起きないわけではありません。ですので、指導前にこれを話した方がいいとおススメします」

「はあ? バッカじゃないの。魔法事故なんてそうそう起きるものじゃないんだし、そんなのいらないわよ」


 日向の提案に鼻で笑う希美だが、男性は日向の言いたいことが理解できたらしい。


「……そうですね。最近では一〇代未満の魔導士の子供が魔法を使って事故が起きる事件が多発しています。大事なお子さんを預かっている以上、注意も必要です。豊崎さん、そちらの本を貸していただけないでしょうか。説明が終わったらすぐ返しますので」

「どうぞ」


 日向が本を渡すと、受け取った男性はそれを持って子供たちを集め始める。

 子供たちは男性の持っている本に興味があるのか、目を好奇心で光らせている。


「本日魔法指導を担当します右藤英明うどうひであきです。みなさんには魔法を使っていただく前に魔法事故についての話をしようと思います」

「え~、そんなのいいから魔法教えてよぉ~」


 右藤の言葉に子供たちがブーイングをあげるが、右藤はニコニコと笑ったまま話を続ける。


「いいえ、ちゃんと知っておかないと大怪我しますよぉ? 実際、私の友人も油断して全治一〇ヶ月の大怪我をしました。しかも複雑骨折をした左腕は切断を余儀なくされるほどのものでした」


 骨折という知識をおぼろげだが理解しているのか、右藤の話を聞いた子供たちはシンと静まり返った。


「魔法というのは便利なものです。ですが、ほんのちょっとの油断や慢心で制御を誤り、最悪命を落としてしまうものです。私はみなさんがそうならなってほしくないのです。というわけで、魔法事故について少しお話ししましょう。しっかり聞いてくださいね?」


 はーいっ! と子供たちの元気な返事に右藤が満足そうに頷くと、本を開いて子供たちのためにわかりやすく話し始める。

 右藤の話の効果もあったのか、子供たちは真剣な面立ちで彼の話を聴いていた。


(あの右藤さんって人、結構話し上手だな。彼の言葉を聞くと不思議と耳に入ってくる)


 そう思いながら日向本を読む右藤をじっと見る。

 左のこめかみの髪の一部をひとつにした癖のあるサフランイエローの髪、髪と同じ色をした瞳は知的な印象を与える。線が細く、穏やかな雰囲気をしているおかげで人当たりのいい人に見える。


(あ、そうだ。ちょっと復習しとこ)


 魔法事故についての話に入って時間ができたため、今のうちに自然魔法について復習しようとしたが、


「あんまり調子に乗ってんじゃないわよ」


 小声で話しかけてきた希美の言葉に教科書を捲る手が止まった。

 少しだけ顔を横に動かすと、近くにいる日向にしか聞こえない歯軋りをする希美がこちらを睨みつけていた。


「別に調子を乗ってるつもりはないけど?」

「じゃあどういうつもりなの? そもそもあなたが教師役として参加することすら初耳なのだけど」

「それはお昼に鈴花ちゃんに頼まれて受けただけだよ。あたしから名乗ったわけじゃない」

「ふぅん、そう。ゆうちゃんの妹を使って気に入られようとするなんて、やっぱり卑しい人間は考え方も卑しいのね」

「桃瀬さんこそ、二人の仲を利用してたくせに揚げ足を取るの?」


 日向の指摘に、ただでさえ鋭い希美の目がさらに鋭くなる。


「アンタと一緒にしないでよ。私はゆうちゃんの未来のお嫁さんとして当然のことをしたまでよ」

「その割には上手くいってないじゃない。それでお嫁さん気取りって正直痛いよ」


 間髪入れずに反論する日向に気が触ったのか、希美の白い顔が徐々に赤くなっていく。

 だが一度深呼吸すると冷静さを取り戻したのか、余裕な態度で髪をかきあげる仕草を取る。


「……まあいいわ。どうせ容姿も家柄も魔法の腕も遥に劣ってるアンタの言葉なんて、所詮今までのゴミと同じ戯言よ。徹一おじ様だってゆうちゃんのお嫁さんには私が相応しいってちゃんと分かってるはずだもの」

「……あっそ」


 その徹一おじ様から信用を得たらあたしを悠護の婚約者にさせるって言ってたけどね、という言葉を呑み込む。

 これを言ったら彼女が逆上する可能性が高かったのもあるが、日向自身も正直この話にはあまり気乗りしていない。そもそも徹一が何故あんな提案をしたのかさえわからないのだ。


 日向の答えに溜飲が下がったのか、少しだけご機嫌になった希美を横に日向は開いた教科書を持ったまま考え込んだ。


(あたしが無魔法を使えるのは既に知っているはず。なのに悠護の婚約者にさせるとか……一体なにを考えてるんだろ? そもそもあたし、悠護のことをどう思ってるのかな……?)


 日向にとって悠護は信頼できるパートナーだ。

 クールな常識人だが意外と意地っ張りで、普通の学生がする食べ歩きも買い食いも知らなかった。一度もしたこのない家事は樹に仕込まれて徐々に腕があがっていて、最近は料理が楽しく感じたのか、休日になると試作品を部屋に持ってきて、自分たちに味の感想を聞きに来るのだ。


 何事にも真剣に取り組み、色んなことに興味を持つ姿はまるで子供の成長を見守っているような感覚になる。

 だが、その悠護を異性として見られるか見られないかと訊かれると上手く答えられない。


 今まで陽の代わりに家を任された日向は誰かに恋をする機会がなかったため、あまりよくわからない。けれど、何故か悠護の隣を誰かに取られたくない気持ちはある。

 なのに好きか嫌いかと問われると、はっきりと答えられない。


(あたしって、意外と優柔不断なんだ……)


 知りたくなかった自分の隠された側面に、日向は小さくため息を吐いた。

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