第277話 決戦前夜Ⅲ
豊崎家のリビングで、陽とジークは静かな晩酌をしていた。
土鍋を使ってお手製の燻製料理とミックナッツが盛られたお皿がテーブルの上に並び、手の中にあるロックグラスには丸い氷が浮かぶ琥珀色のウィスキー。
茶色くなったチーズを齧り、ウィスキーを飲む。前世にはなかった美食を味わったジークは、小さく感嘆のため息を漏らす。
「燻製とウィスキーがこんなに合うとはな……」
「ビールでもええんやけど、やっぱ蒸留酒の方がええなぁ。親父がよくこれ飲んでた理由が分かるわ」
「父親?」
まさかの話題に入り、ジークはグラスを傾けた手をピタリと止めた。
豊崎
写真と文字でしか知らないが、少なくともこの兄妹を育てた立派な人達だったということは分かっている。
「ビールより蒸留酒を好んでな、酒を片手に本を読んだり、テレビを見たり……一見やってることは普通やのに、親父やとやけにカッコよく見えたんや」
「それは……父親がお前と違ってダンティな男だからじゃないか?」
「あー、やっぱり? ワイ体毛薄いから、髭とか全然生えへんのや。あと顔の線も細いし」
自分の顔を触る陽を見て、ジークは改めて友の容姿をじっくりと見つめる。
ベネディクトは麗しい貴公子として社交界に名を馳せ、多くの令嬢を虜にした美丈夫。その生まれ変わりである陽は、前世と変わらずその美貌がそのまま受け継がれている。
焦げ茶色の髪は手入れを怠っていないから艶やかで、頬の輪郭から顎の形まで圧倒的な造形美を象っている。その顔のパーツもすっとした鼻筋、薄い唇
こんな優男が蒸留酒という渋いモノを飲む姿は……正直なところ、あまり似合ってない。
(どちらかというと、白ワインとか飲んでいる方が合っている)
少なくとも、こうしてウィスキーを飲む友人の姿に違和感があるのは事実だ。
「親父は寡黙やったけど、その代わりに周りをよく見る人やった。……きっと、ワイの変化にも気付とったはずや」
「…………そうか」
暁人が元から察しのいいだけでなく、父親だからこそ陽の変化に気付いていた。
だが、それをあえて追及するような真似はしなかった。
息子がいつの日か秘密を打ち明けるまで、何も言わず黙って待っていてくれた。
だが、その父親も妻と一緒に先立ってしまった。
秘密を聞けないまま、大事な子供達を残して。
「ほんっと、あの人はズルいで。普段無表情のくせして、肝心なことはずっと黙っとるんやから。ほんと……卑怯やで……」
「……陽?」
ぐったりとした様子でソファーの肘置きにもたれかかる陽を見て、ジークは訝しげにその様子を見守る。
手にしていたグラスがそのまま絨毯の上に落ちようとするのを浮遊魔法でキャッチし、中から飛び出た残りのウィスキーを戻してテーブルの上に置く。
そのまま顔を覗くとひどく穏やかな寝息が聞こえ、陽の赤くなった頬を見て理解する。
「珍しいな。こいつが酒に酔って眠るなんて……」
普段はいつも酔わない程度の量しか飲まない。だがウィスキーの瓶は半分以上も減っており、ジークはまだ一杯しか飲んでいない。
そう考えると、陽は自分が気付かない内にすでに三杯分も飲んでいることになる。普段の酒より度数も高い酒を飲んでいるとはいえ、今の状況は本当に珍しい。
「まったく、相変わらず息抜きの下手な男だな……」
亜空間から取り出した毛布をそっと陽にかけた後、ジークは空になったグラスにウィスキーを注ぐ。
琥珀色の液体が注がれる度に、中の氷がカランと涼しげな音を奏でる。
それを見つめながら一口飲み、息を吐く。
従者だった頃、酔い潰れないよう度数の高い酒を慣らしたこともあり、二日酔いになったアリナ達の面倒をみるのはジークの役割だった。
アリナとクロウは頭痛に悩まされ、ローゼンは吐き気、ベネディクトは何度起こしても起きないくらい深い眠りに落ちていた。
他の面々も似たり寄ったりで、ジークを筆頭に使用人達が介抱して、そしていつも「あrがとう」と言うのだ。
『レベリス』のボスになってからは賑やかな酒盛りはなくなり、日々の億劫を無くすように一夜で何本もの酒を飲んではノエルに叱られていた。
それが今、こうして生まれ変わり達と酒を飲み交わし、かつての平穏な生活を取り戻した。たとえ一時の夢だったとしても、ジークにはそれだけで十分だった。
「……陽。明日、私がお前達を勝利に導いてやろう。そのためならばこの命、いくらでも使ってやる」
そのために、自分はここにいるのだから。
魔導士養成教育機関・国立聖天学園高等学校。
七月の事件から立ち入り禁止になっている母校を、日向は一人で歩いていた。
政府の通達によって一部の企業以外はリモートワークになっており、この学園の警備は全て管理者一人に任せている状態だ。
本人がこの学園で暮らしているのと、セキュリティシステムを全部担っていることもあり、この学園は開校するまで誰も入れない。
だけど魔法で校門を飛び越えたことができたことを考えるに、本人の気まぐれかそれとも察しているのか、不法侵入を知らせるサイレンは鳴らなかった。
(でも、せっかく見逃してくれてるんだから、久しぶりに校内を歩こうかな)
一都市並に広い校内を全部回るのは大変だが、それでもこうして学園をゆっくり見れるのは今日しかない。
ふんすっと活き込んだ日向は、そのまま校内を歩き始める。
魔法を上手く使えるためにいつも使っていた訓練場、溜まり場として毎日通っていた学習棟、意外と蔵書量があった図書館、何度もお世話になった医療院。
そして、第二の家である寮の部屋と一日の大半を過ごした教室。
寮の部屋は冷蔵庫の中が空であること以外は全部当時のままで、教室は清掃ロボットを使っているのか埃が一つもない。
いつも座っていた席に座り、教室全体を見渡す。
朝この教室に来るとクラスメイト達が挨拶してくれて、午前中の授業ではみんな真面目に授業を聞いていた。お昼は教室でお弁当か食堂でランチを食べて、お腹が膨れて眠くなるのを毎日我慢していた。
実技では時々誤って暴走させたのを陽とジークが止めて、放課後は学習棟に行くか門限まで天川で遊ぶ。
そんな平和な日常の繰り返し。
今の日向達が取り戻すべき、大切なもの。
そっと机を撫でながら、席から立ち、窓際まで近寄った。
薄墨色の夜空に浮かぶ空中要塞の存在は圧巻で、遠目でも威圧感がある。
今は何もせず浮いているだけでも、やがて世界に牙を剥く巨大な兵器。
その兵器が悪魔の望む通りに動くかは、全て明日になれば分かる。
「……カロン、明日で全てが終わる」
今もあの要塞にいるだろう男の名を呼びながら、ぎゅっと拳を強く握りしめる。
体内で変換された魔力に反応して、琥珀色の瞳を輝かせながら上空を睥睨した。
☆★☆★☆
(ああ、またこの夢か)
今日も見ることになった夢。
内容はいつもと同じで、懐かしい王宮の中庭でアリナが自分に問いかける。
いつものように王宮の廊下を歩くも、ふと風景がいつもと違うことに気付いた。
今まで白黒の風景だったのに、自分の記憶の中と同じ配色が施されており、空気も今はもう感じられないイングランド王国と同じもの。
何故、今になってリアルに近づいてきたのか知らないが、気にせず中庭へ向かう。
辿り着いた中庭も同じように色が付いており、土や芝生の匂いも当時のまま。
肌を撫でる風を感じながら、カロンはアリナと対面する。
彼女の服装もドレスではなく、自分を殺した時と同じあの白い騎士服。頭にはかつて自分が贈呈した白銀のティアラが輝いており、今のカロンにとってはそれすら眩しく見えた。
『……やはり、お気持ちは変わりませんか?』
「当然だ。明日、全て終わらせる」
アリナへの問いに、カロンは顔色を一つも変えないまま即答する。
かつての自分だった者達は、呪いを克服できないまま夢半ばで命を終えていった。運よく呪いの根源を思い出し、魔導士として生まれたことは運がよかったとしか言えない。
呪いに侵される日々の中で、狂うほどの生への執着が強まり、次第に死にたくない願望が生まれた。
もっと生きたい。この一方的な呪いから解放されたい。こんな醜い世界ではない世界で自由になりたい。
その思いが日を経つにつれて募ったからこそ、たとえ多くの人間を犠牲にしても、自分が望む世界を手に入れると決めた。
――それがたとえ、一度は欲望のまま手に入れようとした女の生まれ変わりが、物言わぬ人形になろうとも。
『そう、ですか……』
己の思考を読んだかのように、アリナが悲しげな顔をしながら俯く。
そしてそのまま背を向けると、トーンを落とした声で言った。
『……………なら、フィリエを解放することをお勧めします』
「は……?」
突然出てきたフィリエの名を聞いて、カロンは理解できず眉根を寄せる。
理解できていない様子の彼に、アリナは背を向けたまままくしたてる。
『あの子は見た目に反してとても一途な子です。そんな彼女を数百年も利用した……明日の我が身がどうなるか分からないあなたのそばにいさせるより、今の内に他国へやった方がまだマシです』
「え、なっ?」
『そもそも、彼女はあなたには勿体なさすぎる良い
「お、おい待て。何故そこでフィリエの話になるっ?」
かつて多くの臣下と国民から
困惑する自分の気配を察したのか、アリナはこちらを振り返る。
その時見た、アリナの顔は――
『――――本当に、あなたは鈍い人ですね』
――初めて見る、心底呆れた顔だった。
「……ま、……ロン様……カロン様!」
「!」
肩を揺さぶられ、意識が夢から現実に戻る。
そばにはフィリエが心配そうに顔を覗きこんでおり、何度も瞬きして周囲を見渡す。
ここは王の間。背後には今も稼働を続ける『
「はぁ…………すまない、また寝ていたようだ」
「ですが、ひどい汗ですわ……今すぐお湯を張りますので、しばしお待ちを」
真紅の生地に黄金の薔薇が刺繍された着物ドレスを翻すフィリエを見て、カロンは思わず裾から伸びた手首を掴んだ。
自分のより細く、白い柔肌の感触に無意識に喉を鳴らす。
「カロン、様……?」
「あ、ああ、すまない。なんでもない。気にするな」
「……はい」
フィリエは何か物言いたげな顔をするも、そっぽを向いた自分を見てそのまま頭を垂れて王の間を後にする。
バタン、と樫の扉が重々しく閉じる音を聴きながら、カロンは額に手を当てて項垂れる。
「……クソ、一体どうしたんだ」
朝日が昇ったことで、世界と己の運命が決まる戦いがあと十数時間で始まる。
今の自分はそれだけに集中しなければならないのに、何故か脳裏にあの金の髪がちらついて仕方がない。
……いいや、髪だけでない。何度も貪った唇の感触も、腕の中で掻き抱いた体の柔らかさも、熱を孕んだ萌黄色の瞳も、フィリエ・クリスティアを構築するモノが頭の中を支配する。
(余計なことを考えるな。私の目的を思い出せ。今はそれにだけ集中するんだ)
関係のない邪念など戦場に持ち込むものではない。
必死に脳裏に浮かぶフィリエの存在を消し潰そうとするも、
『――――本当に、あなたは鈍い人ですね』
あの夢の中で言われたアリナの言葉を思い出してしまう。
今も蝕む呪いと同じように、何度も何度も。
「…………クソったれが……!!」
夢でも厄介な
先ほど昇った太陽は、薄墨色の空を水色と青が混じった色と変えていた。
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