第276話 決戦前夜Ⅱ
豊崎家で現地解散した後、悠護は表参道にあるフレンチレストランに来ていた。
今日はここで徹一と昼食を取ることになっており、わざわざ個室を用意してくれたのだ。
平日だが一車両に二、三人しか乗っていない電車の中で、悠護は外の風景を眺める。
(そういえば、親父と二人だけでメシ食うのって初めてだな……)
パーティーなどで食事をすることはあるが、基本立食式で椅子に座って落ち着いて食べる機会はそうそうない。
徹一も忙しい時は食事しないでそのまま帰る時があるし、自宅で夜食を食べることもあるが食堂ではなく執務室で済ませている。
そう考えると、親と二人きりで食事は悠護にとって初めての経験だ。
(今日行くレストランって、確か前に母さんと行ったことがあるって言ってたな)
今日行くレストランは、実母・千咲と共に訪れたことがあるらしいが、残念だが悠護にその時の記憶はない。
徹一の話では小さな子供でも食べやすいフレンチ料理を作ってくれると評判で、悠護が三歳の誕生日に訪れたらしい。
スマホで調べたらレストランは駅から離れた住宅街の中にあり、外観は赤煉瓦の塀で囲まれた一軒家だが、クリーム色の壁や黒の瓦屋根のおかげで落ち着いた雰囲気をしている。
口コミでは地元の人しか知らない穴場で、予約さえ取れば二階にある個室を利用できると書かれてあった。
口コミを見ている間に目的の駅に着き、がらんとしているホームを通り抜けてマップアプリの指示に従い歩く。
住宅街に入ると家の中から子供達がはしゃぐ声や、昼食の準備をする音も聴こえ、明日には世界の危機が訪れるとは思えないほどの平穏さだ。
(……いや、むしろこれが普通なんだ。そして、俺達はこの普通を守らないといけない)
この世界をカロンの好き勝手にさせるわけにはいかない。
ようやく手に入れた幸せすら奪われるのは、前世での体験で十分だ。
今も聞こえる日常の声に耳を澄ませながら、悠護は一歩一歩ゆっくりと踏みしめるように歩き、ようやく目的のレストランに辿り着く。
「いらっしゃいませ」
「二名で予約していた黒宮です」
「黒宮様ですね。すでにお連れ様が到着しましたので、二階へどうぞ」
「はい」
十何年ぶりに入るレストランの一階はカウンター席四つと四人掛けテーブルセットが三つあり、元がリビングなのか吹き抜けになっている。
壁の周りには渡り廊下があり、天井ではシーリングファンがくるくる回っている。
厨房とトイレの間にある階段を上り、ドアが開かれている部屋に入ると、そこには中央にテーブル席が一つだけぽつんと置かれていて、壁側の席に徹一が座っていた。
「悪い、遅くなった」
「構わない。私も今来たばかりだ。料理は適当に頼んだが、他に食べたいものがあったら注文していい」
「ああ」
ウェイトレスから水を貰い、ちびちびと飲んでいると、徹一が注文した料理が順番に運ばれ始める。
最初はアミューズでムール貝の洋風茶碗蒸し。普通の茶碗蒸しと比べてつるんとした食感ではなく、ムースみたいなしっとりとした舌触りをしている。
サラダは生ハムとサーモンのサラダで、レタスやトマトもガラスの皿にこんもり盛られていて、半熟卵やエビとアボカドのカナッペもつけられていた。
恩前菜でズワイガニと三つ葉のキッシュとハチノスと豚耳のトマト煮の二つ。キッシュは具たくさんでボリュームもあり、トマトにはハチノスと豚耳のコリコリとした食感が堪らない。
追加で頼んだバケットにトマト煮をかけて食べると、トマトの酸味が小麦の甘味と見事にマッチした。
そしてメインで頼んだのは、ウズラのロースト。
中には肉汁をたっぷり閉じ込めたご飯が詰め込んでいて、それを特製ソースで絡めて食べる。米の甘味とソースの深い味わいが舌で転がり、肉も皮がパリパリでとてもジューシーだ。
こんな住宅街にあるのが惜しいと思うほどの美食の数々に、悠護が夢中になって食べていると、いつの間にか赤ワインを飲んでいた徹一がグラスをテーブルの上に置いた。
「……いよいよ明日か」
「ああ」
「本当に行くのか?」
「行かなきゃダメなんだ。解ってるだろ?」
「…………」
息子の口から出る強い口調に、徹一は何も言えなくなる。それは悠護、いや日向達の前世について知っているからこそ、それ以上言葉を紡ぐことができないからだ。
IMF日本支部襲撃事件の余韻がようやく落ち着いた頃、いきなり執務室にやってきた悠護は開口一番に切り出した。
『……………親父。俺、実は四大魔導士の一人の生まれ変わりなんだ』
もちろんそんな突拍子もない発言に、さすがの徹一も脳内の処理がフリーズした。多分、いや絶対に宇宙猫になっていたかもしれない。
落ち着かせるためにハーブティーを三杯も飲んで、もう一度聞き返したが返ってきたのは同じ言葉。これには今すぐ精神科医を呼ぼうと本気で思った。
しかし、執務室の本棚にあった歴史書や数々の歴史家が書いた四大魔法士の人物象について記された論文と照合させたところ、概ね本や論文の内容通りもあれば、本人しか知らないような情報もすらすらと答えた。
話を聞いて徹一も息子の話を信じせざるを得なくなり、何故それを知ったのか事情を話すことにした。
自分が四大魔導士の一人、【想像の魔導士】クロウ・カルブンクルスであることは『叛逆の礼拝』が起こる前、より正確に言うとアイリス・ターラントの『継承の儀』の時らしい。
その後は『
なんとか今の人格を保ったまま記憶を取り戻した後、『叛逆の礼拝』で本当の斃すべき敵を知った。
その敵の名は、カロン・アルマンディン。
かつてのイングランド王国国王であり、『落陽の血戦』の真の首謀者。
そして【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルムのかけた呪いによって何度も転生を繰り返し、『烏羽志紀』と生まれた後に前世の記憶を取り戻し、『ノヴァエ・テッラエ』のボスとなった男。
話を聞いた直後、何故烏羽家が皆殺しされたのかひどく納得した。
あの男は自分についての痕跡を残さないために、口封じのために烏羽家の関係者を殺したのだ。
もしかしたら、これまで虐げてきたことへの私怨もあったかもしれないが、どちらにせよ知りたくもない。
その後もカロンが転生を繰り返して『
しかし、同時に納得もいった。
敵の目的も正体も分かり、一〇月三一日で全てが終わることも、徹一にとっては吉報と同然。
しかし同時に、この問題を息子達にしか任せられないという事実を突きつけられた。
本来ならプロの魔導軍隊や各国の政府が解決しなくてはならないのに、どこも消極的かつ面倒事の押し付け合いをしている。
当人達もそれを察しているのか、敵地に乗り込むことを自分達から買って出た。
……正直、情けないと思った。
大人である自分達が対処するはずの問題を、まだ魔導士免許証を与えていない学生に任せることに。
たとえ社会で地位と権力を持っていても、肝心な時に役に立たないようでは、持っている意味すら分からなくなる。
(だが……現状、悠護達に頼むしか道がない)
いつの間にかデザートが来ていて、悠護がクルミのミルフィーユをもくもくと食べているのを見ながら、徹一はフォンダンショコラを一口食べる。
フォンダンショコのケーキ部分は甘いがガナッシュがビターになっているおかげで食べやすく、食後の一杯として出てきたコーヒーと飲むと格別だ。
しばらく無言のままデザートを食べ終えようとした時、おもむろに悠護が口を開いた。
「……親父。俺は別に誰かに強要されたから行くんじゃない、俺の意志で行くんだ。だから、そんなに気に病まないでくれ。ただ俺達の無事を祈ってくれるだけでいいんだ」
それだけ言って悠護はコーヒーを飲んで、そのまま個室を出て行く。
ご丁寧にテーブルには一万円札が置かれていて、今日は自分の奢りだと言ったはずなのに何故と首を傾げたところで、その意味を察して苦笑を漏らす。
この一万円札は、息子なりの約束。
つまり――生きて帰るから、置いていった金を返すまで預かっておいてくれ、という意味。
なんとも遠回しすぎるやり方に、徹一はくつくつと笑いを漏らしながら、窓の外から見える悠護の姿を見て微笑む。
「お前の思い通り、これは預かっておこう。だから――必ず生きて戻ってこい」
☆★☆★☆
都内にあるカフェで、樹と心菜はお茶をしていた。
このご時世で経営している店は自営業か一部のチェーン店しかなく、客足は日に日に減っているもそれでも営業しているのは普通にすごいと思った。
二人分の紅茶とケーキを頼んで、人通りが少ない街並みを眺める。
今や東京だけでなくほとんどの国がロックダウン状態で、中には政府によって食料や日用品を一週間ごとに配達されている国もあるらしいが、それも明日になれば終わる。
まさか世界を賭けて戦う日が来るとは思っていなかった。一年生になる前の自分は、無難な学園生活を送って魔導具技師の資格を手に入れて、大好きな魔導具に囲まれる人生を送るのだと思った。
それがなんの因果か、こんな波乱万丈な学園生活を送るようになった。
もちろんそれが悪いとは思っていないし、むしろ今までの生活はどんなに月日が経っても色褪せないほどの強烈な思い出だ。
それができたのは、樹にとって大きな幸運だ。
「どうしたの、樹くん?」
「いや……なんか、色々と濃い高校生活だったなーって思ってさ」
「ふふっ、そうだね。大変なこともあったけど、どれも楽しくて、大切な思い出だよ」
「ああ、そうだな」
だからこそ、明日は必ず守り通さなければならない。
この静かな街の賑やかさを取り戻し、目の前の愛する少女と共に生きる未来を手に入れるために。
ギルベルトはスカイツリーにいた。
運営自粛のせいでどの店も展望台も閉まっているが、魔法を使えば展望台の天井に上がることなど簡単だ。
眼前に広がる東京の街並みを見下ろしながら、ガーネット色の瞳は今も空を飛ぶ空中要塞に向けられる。
まるでバビロンの空中庭園のように、荘厳で美麗な造りをしているが、あそこに君臨するのは世界を支配しようとする恐るべき王。
かつて、ローゼンが止めを刺すことができず、大切な友によって呪い殺された男。
誰よりも聡明で、それでいて誰よりも孤独だった
「ついに明日、か……」
明日、この戦いが前世から続く因縁の終焉。ようやくローゼンの時から抱く無念が晴らせる。そう理解してしまうと、自然と手が震えていく。
思わず苦笑して震えを止めるようにぎゅっと握り締めると、タンッと背後で足音が聞こえた。
「あ、ここにいたんだ。探したよ」
「怜哉」
現れた先輩を見て、ギルベルトは軽く目を丸くする。
「何故ここにいる。どうやって来た」
「魔法で外周を登ってきた。あー疲れた」
あっさりと吐いた怜哉は、そのまま展望台の上に腰かけてギルベルトに小瓶を投げ渡す。
難なくキャッチしてラベルを見ると、それは故郷のイギリスでよく見たものだった。
「ペールエール、か。懐かしいな」
「前祝いで飲もうと思って持ってきた」
「気が早すぎないか?」
「いいじゃん。どうせ勝つのは僕らなんだから」
歯で器用に王冠を外した怜哉に、ギルベルトはくっと笑いを零す。
戦闘狂で恐怖を完全に失くした男は、どうやら明日の最終決戦で自分達が負けることを微塵も思っていない。
だが、それはギルベルトも同じだ。
明日の戦いは、勝てば幸福の未来、負ければカロンによる支配が待っている。
たとえ片腕が無くなろうが、絶対に負けることは許されない。
怜哉自身もそれを理解しているからこそ、遠回しな願掛けをしてきたのだ。
「そういうことなら、オレも付き合おう。構わないか?」
「もちろん」
ギルベルトは怜哉の隣に腰かけると、同じように歯で王冠を外した。
王冠が外れた瓶からは
「では――明日の我らの勝利に」
「乾杯」
キン、と瓶の口同士が合う。
橙色に染まる空と自分の目より濃く鮮やかな夕日を眺めながら、ギルベルトと怜哉はエールを呷った。
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