第134話 潜入と敵の遭遇
『
『サングラン・ドルチェ』の本拠地であるその建築物は、ほとんどの材料がお菓子でできた荘厳な居城だ。
チョコレートのとんがり屋根、バタークッキーの壁、マカロンのタイル廊下、赤白の縞模様のキャンディの柱。街と違って甘い匂いがあまりしない。
女の子なら誰もが夢見るだろうが、今の状況を考えると素直に喜んでいられない。
壁に貼り付けられているキャンディに手を伸ばし、口に含む。
コロコロと舌の上で転がすと、甘ったるい味が口いっぱいに広がる。
「あっま……」
砂糖と合成着色料の味が味覚をダイレクトに刺激し、怜哉の無表情が嫌そうに歪んだ。
元々食材本来の甘さを好む彼にとって、キャンディを含む洋菓子があまり好きではない。あの街にいた時に胸やけで吐きそうになるのを我慢したことは自分で自分を褒めたくなった。
あのネズミの魔物によって城内に入った後、突如巨大な扉が閉まり、中が粘土みたいに歪んだ。
突然の出来事だったせいで陽すらも反応が遅れ、全員バラバラの位置まで飛ばされてしまった。
今、怜哉がいるのは巨大なチョコレートの扉が目立つ回廊。扉の上にはビスケットのプレートで『とうぎじょー』と彫られている。
「そこは漢字で書きなよ」
思わず一人ツッコミをしながら、チョコレートの扉を開ける。
見た目とは裏腹に重々しい音を立てながら開く。薄暗い室内は訓練場でよく見るフィールドや観客席があり、それらはビスケットでできていた。
興味本位でフィールドまで近づくと、パッと天井のライトが点き、視界が一気に明るくなる。
思わず片腕で視界を守ると、カツンと靴音が響いた。
徐々に光に慣れた視界の先から、赤いコートを身に纏った青年が現れる。
赤と黒を基調とした格好は、どこかの物語に出てくるような騎士そのもの。腰に携えた剣は怜哉の持つ《白鷹》と同じ専用魔導具であることくらい判別がついた。
「やあ、俺は【ハートの騎士】レオポルド・シャーロットだ。君は?」
「……白石怜哉」
「へえ! 君が白石家の次期当主なんだ。ははっ、俺は運がいいなぁ。ご希望の相手と出会えるなんて」
レオポルドはニコニコと嬉しそうに笑う。
今まで凶悪な魔導犯罪者を相手にしてきた怜哉の目には、その笑顔が本物だと確信した。
自身が強者だと思い込んでいる魔導犯罪者達は、みな総じて余裕ある笑みを浮かべる。
それは己が〝強者である〟という事実を自我に刷り込ませるためで、実際にはプラシーボ効果――俗にいう思い込みに近い。
怜哉はそういった勘違いをした連中は、怜哉の力を前にしたらジェンガの如く呆気なく崩れて命乞いをする。
だが、この目の前にいるレオポルドは違う。
思い込みで自分を強者だと思っていない――いや、それどころかそうすることすらしていない。
それはつまり、彼自身だけでなく周囲すらも強者である事実を伝える。
(僕はなんて運がいいんだ)
敵の本拠地に乗り込んですぐ、こんなにも強そうな相手と遭遇するのは奇跡に等しい。
在学中も夜に学校を抜け出して〝仕事〟をしているが、陽や悠護のような強者はいなかった。
でも、やっと会えた。怜哉が望む強者が。
「それは、僕も同じだよ。レオポルド・シャーロット」
すらっと自然と《白鷹》を抜く。
白銀の刀身が凶暴輝くのを見て、レオポルドは笑いながら剣を抜いた。
レオポルドの専用魔導具は両刃のロングソード、見た目とは裏腹に金属特有の重量感が一目見るだけで伝わってくる。
「じゃあ、始めようぜ。殺し合いを」
「いいよ、殺ろう」
強者を望む戦闘狂と、笑顔で敵を屠る赤き騎士。
対照的な二人の戦いは、焼き菓子の戦場で静かに行われた。
「くっそ、一体どんだ広いんだよ……」
「樹くん、お菓子食べながら喋っちゃダメ。お行儀悪いよ?」
城内の別の廊下では、廊下のクッキーをむしり取りながら食べる樹と、食べながら喋るパートナーに小言を言う心菜が肩を並べながら歩いていた。
運よく二人で行動はできているが、ここは敵の本拠地。油断は禁物だが、さっきから樹が城内のお菓子を食べているせいで緊張感がない。
「いやさ、小腹が空いてて……どうせすぐに戻通りになるんだから、ちょっとくらい食っても平気だろ」
「それはそうかもしれないけど……」
「ほら、食ってみろって。このチョコとジャムが一緒に挟んだクッキーとか最高だぜ」
「むぐっ」
樹が持っていたお菓子の一つを無理矢理口に押し込まれ、一瞬反応が遅れたがすぐにきた味覚の刺激に目を見開く。
チョコは甘さ控えめで、ジャムは甘酸っぱいマーマレード。クッキーはバターをふんだんに使っているからかサクサクで、チョコと同じで甘さ控えめにしているおかげで小麦粉の風味が強く感じられる。
純粋に美味しいと思えるお菓子に、心菜はリスみたいにもぐもぐと無言で食べる。
「な? ウマいだろ」
樹の言葉に今度は素直に頷いた。
現実世界ではすでに深夜を回っており、いくら時間の流れをあまり感じさせない異界にいてもそれなりに空腹を感じられる。
空腹は人間にとっても魔導士にとっても敵だ、なら別に樹がここのお菓子に手をつけるのはおかしくない――。
(もしかして……樹くんはここのお菓子を食べて魔力を溜めている……?)
魔力の源である精神エネルギーは、俗にいう精神力だ。
精神力というのはコップに入れる水みたいに溜まるものではなく、溜めるにはかなりのカロリーを消費する。
魔力回復に食事が最適なのはそのためであると、第一次世界大戦後の研究で結論付けられた。
もし樹がただ意味もなくお菓子を食べているわけでないのなら、可能性としてならそれしかない。
そう考える間もなくぽいぽいといくつもお菓子を渡されるから、心菜も魔力補給としてそのお菓子を食べ始めた。
ミニドーナツにマカロン、ビスケットにチョコレートと女の子的に気になる高カロリーなお菓子が次々に胃の中に消費される。
魔力補給もひと段落して再び廊下を歩く二人は、なるべく走らずゆっくりとした歩調で進む。
カツン、カツンとお菓子の廊下に響き渡る靴音。自分達ではなく、背後からもう一人分の靴音をしたのを二人の耳は聞き逃さなかった。
「……心菜」
「うん」
目線だけ合わせただけの、言葉に出さないやり取り。
樹の言葉に隠された意味は『今から攻撃しよう』という許可申請、そして心菜の意味は『了解』だ。
つまり、この流れから察する意味はただ一つ。
「『
「『
問答無用の攻撃。
振り返った直後に爆発音と共に起きた紫電と火を纏った黒煙が周囲を満たす。
正規の魔導士ならばストップ間違いなしの攻撃を繰り出した二人が息を呑むと、「ごほごほっ」と咳払いが聴こえた。
「ひっどいなぁ、普通後ろを気にして振り返るだろ。いきなり攻撃とか鬼か!」
黒煙から現れたのは、一人の男。
指揮者が着るような燕尾服を基調としており、手には金色に輝くトランペットを持っている。
樹の精霊眼には、そのトランペットから魔力がビリビリと感じられた。
「心菜、逃げるぞ! あのトランペットは魔導具だ!」
「う、うん!」
一体どれだけの実力は知らないが、あの男が油断ならないことくらい本能で察した。
一目散で逃げようとする二人に、ヴィクトルは頭をガリガリ掻いた。
「えー、逃げるのかよ。ま、獲物は逃げるからこそ狩り甲斐があるよな♪」
嬉しそうに笑いながら、ヴィクトルはトランペットのマウスピースに口を当てると、息を吹き込みながらピストンを押す。
奏でられるのは『結婚行進曲』を模した曲。ヴィクトルにとって魔法を発動させる詠唱。
高らかな音色と共に、周囲が霧で満たされる。
発動した魔法は、上級精神魔法『
狙った標的を半永久的に霧に包まれ続ける死の迷宮が、樹と心菜を捕らえた。
☆★☆★☆
「はぐれてもうたか……」
陽は一人、廊下を歩いていた。
大事な教え子とはぐれたことにやや危機感を持つが、彼らなら大丈夫だろうという信頼感もあるおかげか意外と落ち着いていた。
途中で城内のお菓子をむしり取っては食べて、魔力補給する。
チョコがかけられたドーナツをむしゃむしゃ食べながら、周囲を見渡す。
甘ったるい、子供の夢を詰め込んだお菓子の城。
実年齢が七〇歳越えのくせに、どうしてこんなものを作ったのかと一瞬考えたが、ここに来る前に読んだリリアーヌの経歴を思い出した。
リリアーヌ・シャーロットは、親に捨てられた孤児だ。
フランスの片田舎で生まれた彼女は、故郷で唯一の魔導士として生を受けた。だが当時五歳だった彼女にはあまりにも強大する魔力を保有しており、故郷の人々は彼女の存在を畏れた。
第二次世界大戦終戦直後ということもあって、備蓄があまりなく、人々は森で狩った獣の肉や革や木材を首都に売るなどしてその日の暮らしを生きていた。
そんなある日、国がリリアーヌの存在に気づき、故郷の人々にある提案をした。
『リリアーヌを国に渡すなら、この村全員の腹が満足する十分な食料を定期的に渡そう。首都で働きに出たいならば、その際は国の推薦として良い職場を紹介しよう』
その提案はまさに困窮にあえぐ村にとって、まさに魅力的だった。
それからの行動は早かった。村の決定として従った両親は、嫌がるリリアーヌを豪奢な馬車に無理矢理乗せ、彼女の泣き叫ぶ声を無視してそのまま家に引きこもった。
馬車の周囲にいた村人もリリアーヌのことを『救世主』と呼んで諸手を上げたが、内心では恐怖の対象がいなくなったことに清々していた。
状況も理解も追いつけなかったリリアーヌは、馬車の中で何時間も泣き続け、泣き疲れて眠っている間に首都にたどり着いた。
そして、彼女の第二の家となる洋館――その地下で地獄の日々が始まった。
村にいた頃よりもボロボロな服を着せられ、食事は一日に一回。食事と睡眠と排泄以外の時間は、全て彼女の魔導士としての実力を調べるために捧げられた。
毎日毎日実験の日々で、心身共に衰弱し始めたリリアーヌはいつしか絵本の世界にのめり込むようになった。
お菓子でできた街と城、喋る動物や玩具、嫌なことをさせる大人がいない理想郷。
そんな世界を夢見たリリアーヌは、わずか六歳で洋館にいた十数名の研究員達を
それが後の『リリアーヌの消失』と呼ばれる事件だ。
それからのリリアーヌは、六歳の少女がするべきではない悪行をなした。
手始めに自分を地獄へ突き落した故郷を潰し、村人も両親すらもこの手で殺した。さらにはその周辺の村や小国を襲い、己の存在の恐ろしさを国に伝えさせた。
もちろん国も彼女の抹殺を心がけるも、彼女に付き従う者達の登場によって混戦状態になった。
彼女は貪欲な略奪を行い続け、好きなお菓子を毎日腹一杯になるまで食べた。
綺麗なお洋服もたくさん奪って、光り輝く宝石を夢見心地で眺め続けた。
今までしてきた我慢を晴らすように、欲しいものは全て略奪していった。
やがて美しい女へと成長したリリアーヌは、次第に子供を欲するようになった。
誰よりも強く美しい子供、それをこの手で育てたい欲求が生まれていたのだ。
リリアーヌは魔力値が高い男を攫い、己の目的のためだけに昼夜問わず色んな男達と交り合った。
中には婚約者がいると言って拒んだ男もいたが、強引に四肢を縛って逆に襲ってやった。
そんな狂った睦み合いを経て、彼女のお腹に七人の命が宿った。
リリアーヌは子供ができるとすぐさま攫った男達を各地に放り出して、そのまま二度と会うことはしなかった。
攫った男の中には純粋に彼女に惹かれた者もいたが、リリアーヌが欲したのは子供であって伴侶ではない。
泣きながら懇願する哀れな男の声を無視し、リリアーヌは七つ子を出産した。
どれも魔力値が高く、優秀な我が子。生まれた子供達を見て、彼女は歓喜の涙を流した。
そこから先は、IMFが残した資料通りだ。
何百、何千を超える犯罪を犯し、『サングラン・ドルチェ』は第一級魔導犯罪組織となった。
(記録じゃ、『サングラン・ドルチェ』は『レベリス』と一回ドンパチしとったってあったな……)
『サングラン・ドルチェ』は、一度だけ『レベリス』と交戦したことがある。
場所はロシアの広大な土地で、数百キロも行かなきゃ街さえない場所だった。一体何が原因で戦ったかは知らないが、事件当時はクレーターが大小問わず数百もあり、地盤は歩くだけで落とし穴ができるほどボロボロになっていた。
それ以降は両者共に関りがないが、今回は日向の存在によって再び対立しようとしている。
「ま、そうなる前にさっさと日向を取り戻さんとな――っと」
独り言を呟いた直後、ロッククッキーが豪速球で飛んでくる。
《銀翼》で危なげなく弾き、ステップを踏みながら体ごと動かしながら振り返った。
「なんや、ワイの相手はあんさんか?」
「ええ、そうですよ」
モーリスは丸眼鏡をくいっと上げながら、観察するように陽を見つめた。
そうしている間にもモーリスの周りを浮遊するロッククッキーは、残像さえ捉えられないスピードで陽に襲い掛かる。
それでも陽は特に気負いしないまま次々とロッククッキーを弾き落とした。
「……物理干渉……いや、時間干渉魔法と風魔法の融合技か」
「お見事です。大半の相手は僕の魔法を見ると必ず物理干渉魔法だと決めつけるのに」
陽の推測を聞いてモーリスは嘆息した。
今まで自分の魔法を見破る相手はおらず、それだけが密かな自慢だった。
己の魔法の手を見破られたというのに、モーリスの心は凪のように穏やかだ。恐らく自分と張り合える相手と出会ったという歓喜からくるものなのだろう。
「なら、賞賛の意を込めてこちらも全力で相手をしましょう」
「ええで。かかってきぃ」
モーリスの宣言に、陽はニヤリと挑発的な笑みを浮かべた。
「はぁっ……はぁっ……」
別のお菓子の回廊では、悠護は一人走っていた。
今のところ敵と遭遇していないが、今の悠護には好都合だ。薬の副作用が徐々に出始めた影響でさっきから耳鳴りがして、目も少し霞む。
こんな状態で戦闘になったら、確実に自分の命が危ない。
そうなる前に日向を見つけ、こんな世界から脱出する。
今の悠護のとって、それが一番の最善策だ。
「ぐっ……」
ずきり、と頭が痛んだ。視界が白の面積が多くなっているのを見て、副作用が本格的に顔を出したのだと嫌でも伝えてくる。
ふと視界の端で、黒い何かが揺れる。まさか、敵か?
いつでも《ノクティス》を展開させられるように構えるが、そこにいたのは黒いマントを羽織った一人の少年。
あの日、悠護に力を使えるための知恵を授けてくれた人物。
その少年の顔は白い靄のせいで見えなくて、僅かに口元が見える。
少年はゆっくりと左腕を持ち上げると、そのまま向こうの廊下に指さす。
……このまま真っ直ぐ進め、という意味なのだろうか?
(だけど、俺には索敵に使える魔法はない)
たとえ幻覚だろうと、今の自分には日向を見つける手段は何もない。
今はこの幻の少年に賭けるしかない。
なんも確証もないまま、悠護は少年が指さした道を進む。
走る悠護の後ろ姿を、少年は口元を緩く綻ばせながら見つめていた。
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