第133話 魔の手と黒い剣

「なんだこれ……?」


 開口一番、悠護は目の前の光景を見てそう呟いた。

『サングラン・ドルチェ』の拠点がある異界の『扉』に入った彼らは、悠護と同じく驚愕と困惑が混じった顔で眼前に広がる景色に言葉を失う。

 薄紫色の夜空、お菓子でできた建造物、のっぺりとした人形やおもちゃのような姿をした動く何か。まるで子供の夢を詰め込んだような光景に思わず思考が停止する。


「ここがスイートワンダーランドか。……なんというか、感想に困る世界だな」

「同感。……おっ、これマジでチョコだ。うめぇ」

「何食ってんだよお前は!?」

「え? だって、この街灯を食ってもいい的な内容の看板が立ってたから。ほら」


 平然とした顔で街灯の形をしたチョコレートの一部をくり抜いて食べている親友の姿を見て悠護がツッコむと、樹が指先についたチョコを舐めとりながら街灯の根本を指さした。

 クッキーで出来た看板にはチョコの文字で『こちらは賞味期限間近の建築物です。お早めにお召し上がりください』と綴られている。


「現実と同じでここの菓子達にも賞味期限があるんだろ。で、定期的にこうして食って壊して新しいのを立ててるんだよ」

「ますます分からねぇな。そんなめんどくさい真似しないで普通の作ればいいのによ」

「単純にボスの趣味やろ。お菓子の家とか子供なら誰もが夢見るもんやしな」


 さっきの樹と同じくチョコレートの街灯の一部を食べる陽を尻目に、悠護はこの街を歩く何かに視線を向ける。

 ブリキ人形、ぬいぐるみ、陶器人形など見たことのある玩具の姿をしていて、微弱だが魔力を感じた。

 恐らく疑似魔物――ホミエスというものだろう。


 ホミエスは召喚魔法の一種で、一個の媒体と術者の魔力をほんの少しだけ分け与えることで疑似魔物として活動することができる。

 だがホミエス自身にはなんの力はなく、術者の命令で妨害等をすることだけで、正規に召喚された魔物のような攻撃力も防御力は皆無だ。

 このホミエス達はこの世界で暮らす住人として『サングラン・ドルチェ』のボスが用意したのだろう。


(――本当に子供の夢そのものの世界だな、ここは)


 甘いお菓子でできた家や森、動くおもちゃやぬいぐるみが暮らす街。

 ガミガミ叱る親もいなければ、宿題をちゃんとするようしつこく言う先生もいない。

 子供の理想を、夢を、願いを、この世界は丸ごと叶えている。


 だが、現実はこんなに甘い世界ではないことを知っている悠護達にとっては、この世界は酷く癇に障る。

 まるで現実で抗いながら生きる者達を侮辱しているようで、全身を纏わりつくような甘い匂いが苛立たしい。

 さっさと日向を奪還させて出ようと考えた直後、シャーンッ!! とシンバルが叩く音が街中に響いた。


 音のした方を見ると、シンバルを持ったサルが楽しそうにステップを踏みながら街の中心を歩き、その横を色んなホミエス達がわちゃわちゃと動き回る。

 持っていた風船を空に飛ばし、一輪車や竹馬に乗っているホミエスは軽やかに回り、美しい歌声を披露する。


「結婚だ~♪ 結婚だ~♪ フェリクス様が結婚だ~♪」

「お相手は琥珀の綺麗な姫♪ 無魔法を使う愛らしい少女♪」

「めでたいわ! めでたいわ! こんな素敵なお知らせははじめて!」

「さあみんな! お祝いのケーキを焼きましょう! 甘いジュースとワインをグラスに注いで乾杯だ!!」


 歌うようにホミエスは、きゃははっと笑いながら街を去る。

 傍で聞いていた悠護達のことなんて視界に入れず、笑い声を上げ続ける。

 賑やかな周りに反して、ホミエスの会話を聞いて目が完全に据わっている悠護から絶対零度のブリザードが吹き荒れているような気がした。


 ……本当に雰囲気的になのだが、心なしか気温が下がっているような気がして仕方がない。


「……今、結婚って言ったか?」

「言ったな」

「……誰が、誰と?」

「恐らく……日向と、フェリクスって奴と――」


 瞬間、悠護の近くにあったお菓子の家がなます切りにされた。


「「「「「!!?」」」」」


 これには怜哉だけでなく陽さえ反応できなった。

 悠護の左手には腕輪状態の《ノクティス》を大剣に変化しており、心なしか剣に纏っている魔力の色が濃い。

 魔力を注ぐ量によって色の濃度が変わるが、これは明らかに濃すぎる。


「そっか……薬の幻聴じゃなかったのか……、俺はてっきりそうだと思ってたぜ……。いや、むしろそうであってほしかったつーか……」

「ゆ、悠護さん……?」


 ふふふふふ……と不気味に笑う親友の姿に、樹は顔を引きつらせながら後ずさりした。

 まあ片想いしている相手が、得体の知れない相手に結婚されそうになってると考えると気が気じゃないだろうが、だからってこの反応はない。

 と言うかお前、いつの間に変化させやがった? というレベルの魔力操作には素直に驚いたけど。


「あー……まあ、なんや……。とりあえず拠点に突入くか?」

「なんスかその『とりあえずラーメン食いに行くか?』的なノリは!? アンタも実は結構パニくってんだろ!?」


 悠護以上に日向が大切過ぎるこのシスコン教師が動揺していないはずがない。

 普段は穂先を外している《銀翼》の先に鋭い刃がついてのを見る限り、このまま本気で突入する。いや、本気で。

 とりあえずパニくってる二人を落ち着かせていると、ふとギルベルトがぴくりと目を動かして背後を振り返った。


「――誰だ? 正体を見せろ」


 殺気を滲ませた声音に反応し、さっきまで絶賛動揺中だった二人も持っていた武器を構える。

 ギルベルトの視線の先――胸やけするほどのお菓子の家からひょこっりとその人物は姿を現した。


 袖口がふっくらとした黒いジャケット、その下にはスカート部分が三段フリルになっている深緑色の襟付きワンピース。頭には黒いリボンのカチューシャをつけている鼠色の髪の女性。

 彼女はごしごしと眠そうに目をこすりながら、悠護達を見つめる。一見普通そうに見えるが、彼女と自分達の距離はおよそ数メートル。この距離に来るまでじゃないと気づかない隠蔽能力を目の前の女は持っている。

 警戒心を強めていると、女性は眠たそうな声で言った。


「むにゃ……よーこそー、スイートワンダーランドへ~……。わたしは【眠りネズミ】ジャクリーヌ・シャーロット……君たちを――殺しにきた」


 直後、女性――ジャクリーヌの気配ががらりと変わり、肌を指す殺気と魔力が体から溢れ出す。

 すぐさま反応して戦闘態勢に入った悠護達を前に、ジャクリーヌは眠たそうな表情のまま金色の指輪をしている中指に親指を置いた。


「おいで、ムス」


 そのままパチンッと指を鳴らした瞬間、ジャクリーヌの背後から背中に大きなゼンマイがついたつぎはぎの巨大ネズミの魔物が現れた。



「おー、ジャクリーヌ奴やってるなー」

「それくらいしてもらわないとこっちが困ります」


 少し離れた尖塔の屋根の上で、レオポルドの言葉にモーリスが冷たく返していた。

 ジャクリーヌを含む三人は外にいる彼らを城へ誘導させ、その中で自分達兄弟が相手するというものだ。マドレーヌは戦闘向きの魔法は使えないし、フェリクスはママの命令で動けない。


 街中で戦ってもいいのだが、被害などを考えると修復には数ヶ月かかってしまう。そう考えると、修復魔法の魔導具が設置されている城内で済ませた方がいい。


「それにしても変だよなー」

「何がです?」

「いや、豊崎日向の仲間が来るのは予想してたけど……肝心の『レベリス』が現れないのがおかしいっていうか」


 レオポルドの疑問にモーリスはぴくりと眦を動かした。

 言われてみれば、『レベリス』は日向に大層執着している。彼女を狙うのは自分達と同じ目的のためだろうが、目的を第一とするなら日向が攫われる前に『サングラン・ドルチェ自分達』を始末するはずだ。


 ――それなのに、『レベリス』の人形だけでなく幹部さえ一向に現れない。


「…………」

「ま、俺は難しいことは分からないけどさ。注意しておいた方がいいんじゃない?」

「……悔しいですが、そこは同意します」


 普段は脳筋な兄だが、野生の勘というべきか、他の兄弟が見逃すところをちゃんと拾ってくれる。その点に関してはモーリス自身認めたくないが彼の長所と言える。

 望遠鏡で街の様子を見ると、ジャクリーヌが出したムスがハリネズミみたいにゴロゴロ転がって悠護達を誘導していた。


 ムスは術者であるジャクリーヌの起床時間を媒体にしたせいで、彼女は一日のほとんどを睡眠に宛がわれている。

 だが彼女がムスを出している間、今までの睡眠時間――つまりおよそ数千万時間分だけ一切眠らず活動することができる。


 敵には休む時間も眠る時間も与えず、じわじわと体も精神も極限まで追い詰める追跡者ストーカー

 それが、【眠りネズミ】ジャクリーヌ・シャーロットの魔法。


 ムスに追いかけられた悠護達は、必死に足を動かして城の城門の中へと入っていく。

 城は街の間にある城門――チョコレートの跳ね橋を渡らなければ入れない。手筈通り、悠護達はモーリス達の思惑通り跳ね橋を渡る。


「これもお菓子かよ! どんだけお菓子好きなんだよここの連中はぁ!」「言ってる場合か! 走れ!」と騒いでいるが、その辺りはどうでもいい。

 跳ね橋が上がり、重々しい音を立てて閉じられた。

 ジャクリーヌはそれを確認するとムスを消し、そのまま寝ころんで寝息を立て始める。


「ありゃりゃ、寝ちゃった」

「レオポルド、ジャクリーヌを回収してください。僕はこれから戦闘に入ります」

「りょーかいっ」


 モーリスの指示に返事をしながら、跳ね橋の前で眠るジャクリーヌの元へ駆け寄る兄を見送りながら、モーリスは懐中時計を見ながら呟く。


「彼らのデータは既に把握済み。これなら一時間弱で制圧できるでしょう。……全く、つまらない仕事だ」



☆★☆★☆



(結婚、か……)


 パーティールームから眠らされていた部屋に戻った日向は、あの堅苦しいドレスを脱ぎ捨ててラフなラベンダー色のワンピースに着替えた。

 リリアーヌの言葉が頭から離れず、外で空気を吸おうとしても、お菓子の匂いで胸やけしかけた。この城内は特殊な魔法でもかけているのか、匂いはあまりしない。


 とにかく、相手の目的が分かった以上、ここに長居するつもりはない。

 さっさと脱出して、学園に帰らなくてはいけない。


「……そもそもさぁ、勝手に誘拐して結婚しろとか勝手すぎるし、なんで初対面の人としなくちゃならないわけ? 頭おかしくない?」


 まだ学生である自分には結婚というのは遠いようなものに見えて、意外と近いものだ。

 魔導士の大半は聖天学園卒業して数ヶ月で結婚している。これは政府が魔導士同士の早婚を推奨しているためで、陽のような王星祭レクス出場選手は選手特権として結婚を遅くすることができる。


「でも……そっか、よくよく考えららあたしもこのまま悠護と結婚する可能性もあるのか……」


 思わずそう呟くと、無意識に頬に熱がこもった。

 未だ告白はしていないが、悠護のことが好きなのは確かだ。だからこそ、彼と結婚してもなんの問題もない。


(でも……ちゃんと告白してから結婚したいなぁ)


 初めて好きになった人なのだ、それくらいしないと日向自身が許せない。一層やる気が出たおかげで、後腐れなくこのまま脱出できそうだ。

 そう息を巻いた直後、フェリクスがノックをしないまま部屋の中に入ってきた。

 朴訥な男の顔を見て、日向は顔を歪めながら言った。


「ちょっと、ノックして入って」

「ああ、すまない。お前に用があってな」

「用……?」


 フェリクスの言葉に首を傾げている日向の目の前でフェリクスはおもむろに日向の腕を掴むと、そのまま力づくでベッドへと投げた。

「うわっ!?」と色気のない悲鳴を上げながらふかふかの布団に寝転んだ日向の上に乗りかかり、両手首を片手で掴んで頭上へ持ち上げた。


「痛っ……ちょっと、いきなに何!?」

「見て分からないのか? これからお前を抱くんだ」

「は……はぁああっ!?」


 フェリクスの口から出た言葉に、日向は眉を顰めながら声を上げた。

 日向はそういった経験はないが、知識としてならば知っている。だがこれは、明らかに犯罪。たとえ相手が魔導犯罪者であろうとも、これだけは絶対にいけない。


「あ、あたしはあなたと結婚する気はないって!」

「ああ、言ったな。だが、これもママの命令なんだ。ママの命令には従わなければならない。大人しくしていろ」

「あんなこと言われて大人しくする人なんていないよ! そもそもママ、ママって……母親の言いなり通りに動くとか、あなたにはプライドとかそういうのはないのっ!?」

「黙れ」


 日向の言葉に勘が障ったのか、フェリクスは低い声で言うとそのまま日向が着ているワンピースの胸元を掴んで力任せで引きちぎった。

 白い襟と首元の三つのボタンがついた部分があっけない布切れになり、服の下に隠されていた胸元が露わになる。

 控え目のレースがあしらわれた白い下着がフェリクスの視界に入ったことに気づくと、かあっと日向の頬が赤く染まった。


「い、いや……っ、放して……!」


 足をジタバタと動かして抵抗するも、体が捩じ込まれてせいで思ったように動かせない。

 そうこうしているうちにフェリクスは日向の首筋を舌で舐め、両手首を拘束している手とは反対の手で足のふくろはぎをゆっくりと撫で上げる。

 首筋に感じるねっとりとした感触と足を撫でる手が気持ち悪くて、全身がぞわぞわと粟立つ。


 これから起こる最悪の未来は、きっと日向が想像している通りだろう。

 どれだけ抵抗しても動きを封じられ、声が枯れるほど泣き叫んでもやめてくれなくて、日向のプライドも純潔を汚す。

 そんな未来がもうすぐ来るのだと考えるとおぞましくて、目尻から涙が流れる。


「っ……助け、て……悠護っ……!」


 脳裏に浮かんだのは大切で大好きなパートナー。

 でもここは敵の拠点で、助けに来てくれると信じているけど、間に合うかどうかなんて分からない。せめて変な声を出さないようにぐっと唇を強く噛んだ。

 フェリクスの手が日向の太腿まで触れると、ふと首筋から見える紐が視界に入る。


「……? なんだこれは」


 足に触れていた手を首筋に持っていきくいっと紐を引っ張ると、先に縫い目の荒い巾着が通してあった。

 あまりにも場違いなそれにフェリクスがそれに触れた。

 瞬間、日向の周囲が真っ白な煙に覆われた。


「!!」

「え……!?」


 突然の出来事に二人が息を呑む中、煙の中から何かが飛び出してきた。

 自分の顔に向けられたそれを横に回避すると、飛び出してきた『それ』はビスケットの壁に刺さる。

『それ』の正体が投擲用の小さいナイフだと確認すると、徐々に煙が晴れていく。


「――ああ……これは、少し予想外だったな」


 さっきまでいなかった第三者の声に、日向だけでなくフェリクスも目を見張る。

 煙が晴れた場所にいるのは、ふかふかの布団の上に土足で立つ男。白いレースがあしらわれた紅いローブを着て、フードを目深く被っていた。

 そして、フードからこぼれるように出ている


「あなたは……!」

「ちゃんと持っていたようで安心した。……まったく、私がいなかったらどうなっていたが理解してるのか?」


 男――『レベリス』のボスで、『主』と呼ばれている人物は、日向の姿を見てここで何が起きたのか察したようだ。

 彼の纏う気配が悪くなるのを感じながら、フェリクスは空間干渉魔法で己の専用魔導具である三叉槍を取り出し構える。


「まさか『レベリス』の長が直々とはな。それほどまでにその女が大切か?」

「ああ、そうだ。少なくともお前達にやる気は一ミリもない」


 主がそう言うと、彼は虚空から一振りの剣を取り出す。

 悠護の《ノクティス》と同じ黒い剣だが、光の反射で紫色に輝いている。鍔の中心には六芒星型にカットされたタンザナイトが埋め込まれている。

 その剣を見て、日向は見覚えの形をしていることに気づいた。


「あの剣……あの時持っていた剣と同じ……?」


 去年の一二月、『灰雪の聖夜』で日向が持っていた銀色の剣。

 あの事件後すぐに粒子となって消えたが、剣の刃の細さや鍔や持ち手の形は寸分違わずそっくりだ。

 違うところがあるとすれば、色と石だけだ。

 その黒い剣を構えた主は、絶対零度にも負けない冷たさを滲ませていた声で言った。


「こいつに手を出したこと、その身で味わって後悔するがいい。フェリクス・シャーロット」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る