第37話 七色会議【後編】

 八王子市郊外に位置するバイオ燃料廃工場。

 数十年前まで使われた燃料を多く生産していたこの工場は、二〇〇〇年代初期になると多くの工場が潰れてしまった。理由としては太陽光発電の普及によってバイオ燃料を利用する数が激減してしまったためである。


 太いパイプが建物の半分以上を覆うその工場内にある吹き抜けでは、鎖で雁字搦めになっている一体の異形が床に打ちつけられた太い杭を引き抜こうと全身を震わせていた。


 上半身はツギハギのような縫合跡が目立つ女性の体、下半身は緑の体毛で覆われている。足は鷲の爪をもつ黄色い鳥の足。臀部にはガラスが割れた窓から覗く光でうっすらと輝く黒い鱗をしたトカゲの尻尾が生えている。

 両腕は緑色の翼に変わっていて、ぼさぼさの金髪をした女の顔には黒革の眼帯が両目を覆っている。キメラは自身の戒めを解こうと抗うも、鎖は緩むどころかさらにキメラの体に食い込んでいく。


 鎖が食い込むたびに悲痛な声を上げるキメラを、墨守は汚らわしいものを見る目を傍らにいる青年に向ける。


「おい、本当にこんなのが戦力として使えるのか?」

「ええ、もちろん。このキメラの素体となったメリア・バードは腕のいい魔導士ですが、魔法と実験の影響で脳の七割が『概念』に浸食されています。ですが私の力があれば、このキメラは私達の命令に従う忠実な下僕しもべとなります」

「ふん、そうか。私は帰らせてもらう。これ以上獣と燃料臭い場所にはいたくない」

「どうぞご自由に」


 脂肪だらけの体と反して枝みたいに細い足を動かして工場の外へ向かう墨守。

 ドスドスと足音を鳴らしながら脂肪の塊が出て行く様子を冷ややかに見送った青年は、こちらに歯を向けているキメラに視線を向ける。

 眼帯で覆っているせいで目は見えないが、恐らくこの縛りを施した青年を睨んでいるのだろう。敵意丸出しのキメラを見て、青年はそっとキメラの頬に手を添えた。


『キュィイイイイイ……』

「そんなに睨むな。憎むならお前をそんな風にさせた奴らにしろ」

『キェ、キュエエエ』

「ん? ああ、お前をどうするかって? そんなことは考えなくていい。お前は俺に使われればそれでいい」


 青年はキメラのもう片方の頬にも手を添える。まるで恋人同士がキスを交わし合う前のような姿だが、片方は異形と化した女。甘さが微塵もない雰囲気の中、青年は詠唱を唱える。


「――『服従の声スビエクティオネ・ヴォイケ』」


 まるで歌を歌うように紡がれる詠唱。

 意思が少しずつ青年に奪われていく中、キメラ――いや『人間部分』が残ったメリアは音なき声で叫んだ。


 ――ダ レ カ タ ス ケ テ



☆★☆★☆



「……?」

「どうしたの、日向?」

「いや、なんか聞こえたような気がして……」


 樹が持ってきてくれた菓子の山にあったスコーンにルバーブジャムを塗っていた日向は、微かに聞こえてきた声に反応し辺りを見回す。

 だが心菜には聞こえなかったらしく、気のせいだと思い込むとそのままスコーンに齧りつく。甘すぎずほどよい酸味がスコーンとの相性が良く、砂糖もミルクも入っていないストレートティーを一口飲んでほっと息を吐く。


 あれから心菜と樹でこの東屋で他愛のない話をしていたが、途中で朱美の招待で来た少女達とも軽く挨拶を交わしていた。

 だが少女達は頭のてっぺんから爪先まで日向を見渡すと様々な反応を示した。ある者は怪訝な顔をされたり、ある者は生温かく笑われたり、ある者は冷たい目で見下した。


 なんとなく理由が察しているため何も言わないが、日向が悠護のパートナーかつ第一婚約者候補であることが信じられないようだ。

 今も遠巻きから見ている少女達に気まずさを感じていると、タマゴサンドを頬張っていた樹に頭を小突かれる。


「いたっ」

「あんなの気にすんなよ。そもそも顔は良くても性格がブスな女なんてあいつは眼中にもないだろ。気にするだけムダだって」


 樹の聞えよがしの言葉に少女達はキッと睨んだが、当の本人は涼しい顔でBLTサンドにかぶりつく。心菜はシラーッとしているパートナーに苦笑しながらも、花形のクッキーを齧る。

 樹の失言で少女達からの視線がさらに鋭くなるのを感じながら紅茶を一気に飲むと、サクサクと芝生を踏む音を鳴らしながら走る鈴花の姿を捉える。


「あ、鈴花ちゃん。挨拶終わった?」

「はい、終わりました。お待たせしてごめんなさい」

「いいよ、ちゃんと挨拶してきて偉いね」


 よしよしと頭を撫でると、鈴花は嬉しそうに頬を赤く染める。

 隣で樹が大皿クッキーやサンドイッチを別の皿に盛りつけると、それをずいっと鈴花の前に突きつけた。


「腹減っただろ? コイツでも食って話そうぜ」

「鈴花ちゃん、美味しい紅茶もあるよ。お砂糖とミルクはいる?」

「あ、えっと……はい、いただきます……。あと、お砂糖とミルクは欲しいです……」


 おずおずと樹の持っていた皿を受け取りながら、心菜に砂糖とミルクの入った紅茶を頼む鈴花。その様子を後ろで見ていた朱美は微笑ましそうに見ている。


「ごめんなさい、少し遅くなったわね」

「いいえ、大丈夫です。すぐに紅茶を淹れますね。ストレートでいいですか?」

「ええ」


 朱美の好みを聞いた日向は、ティーポットを持ってカップに紅茶を注ぐ。

 湯気と香りが立つそれを渡すと、受け取った朱美はそのまま口つける。一口飲んだ後、ほぅっと息を吐いた。


「お疲れ様です。やっぱり人が多いと挨拶するだけで大変そうですね」

「そうなのよ。これでも少なめにしたのだけどね」


 堅苦しい空気から抜け出せた開放感からか、家にいた時と同じ態度になる朱美。隣ではちびちびと紅茶を飲む鈴花を樹と心菜が微笑ましい顔で見ている。

 自然体で接する日向達を少女達が遠巻きで見ている中、一人だけその中に入ってきた。


「――あら、楽しいそうね。私も入っていいかしら?」


 嫌という聞き覚えのある声に、樹と心菜は軽く顔を強張らせ、朱美は目をぱちくりする。鈴花は声の主を見るや否や日向の後ろへ隠れてしまった。


「……桃瀬さん」


 白いボレロを羽織った藍色のドレスを身に包んでいる声の主――希美は日向を冷たい目で睨んでいた。



 東屋の一角で、日向は希美と向き合うように座る。心菜達は希美が「二人きりで話したいがらどこか行ってちょうだい」と追い払ったせいで今はいない。

 最初は樹が反論しようとしたが、それを日向が止めた。ここで騒ぎを起こすのは問題だし、何より日向自身も彼女に聞きたいことがあった。


 だが二人きりだとまた魔法で攻撃される可能性があると言ったことで、心菜が契約している魔物である白百合の修道女・リリウムをそばに置くことを条件にした。

 希美は特に何も言わずその条件を呑んだ。


 向かい合って座る希美の姿じゃやはりというべきか、紅茶を飲む姿勢や仕草にはどれも気品があり、もし魔導士との関りがなければ誰もが羨むご令嬢として社交界の注目の的だっただろう。

 希美は中身が半分ほど減ったカップをソーサーに置くと、相変わらず憎悪を孕んだ瞳で日向を見た。


「……さて、せっかくだしここではっきりしましょう」

「何を?」

「決まってるでしょ。ゆうちゃんのことよ」


 やはりその話か、と予想していただけに思わず呆れが顔に出てしまった。

 それを見て希美は一層目つきを鋭くさせるが、気を取り直すように咳払いした。


「最初に言っておくけど、私はあんたのことが大っ嫌いなの」

「……なんで?」

「決まってるでしょ、あんたがゆうちゃんにつきまとう一番汚いゴミだからよ」


 まさかのゴミ呼ばわりに、さすがの日向も眉を顰める。

 今まで『ぶりっ子』とか『偽善者』とは呼ばれてきたが、さすがに『ゴミ』と呼ばれたことはない。

 これまで接してきた女子とはベクトルが違う希美に、日向はなんとか平静を保ちながら紅茶を一口飲んだ。


「桃瀬さん、さすがにゴミ呼ばわりは言いすぎだと思うよ」

「いいえ、的を射た言葉よ。私が会ってきた人間は、どいつもこいつもゆうちゃんにへばりつく汚いゴミ。その中でもあんたは一番汚いわ」

「……まあ、あたしは桃瀬さんの感性に文句を言う筋合いはないから何も言わないけどさ……。一つ、質問していい?」

「何よ」

「桃瀬さん、あなたは本当に悠護のことが好きなの?」


 日向の突拍子もない質問に希美はきょとんと目を瞬かせるが、すぐに口元に笑みを浮かべる。

 頬を薔薇色に染め、目を潤ませるその姿は、まさに恋する乙女そのものだ。


「ええ、もちろんよ。私はね、ずっと昔からゆうちゃんが好きなの。周りにはゆうちゃんに取り入ろうとするゴミがいっぱいいて、でもゆうちゃんは優しいからそれを邪険にすることはできない。だから、私が代わりに掃除をしてあげてるの」

「掃除……?」

「ええ、そうよ。勉学、スポーツ、美貌、魔法……あらゆる分野に相手より少し秀でれば向こうは諦めてくれる。でもね……私に負けたくせに、ゆうちゃんとは釣り合わないくせにそれでもしつこいゴミは、実力行使で全部片づけたの」


 希美が目の前に置かれているイチゴのミルフィーユをフォークで突き刺す。サクッと音を立てて切れたパイから、カスタードクリームがとろりと溢れ出る。

 だが希美は苛立たしげにフォークを何度もミルフィーユに突き刺した。フォークが突き刺すたびに、パイもイチゴもぐちゃぐちゃになっていく。


「全部全部全部、ゴミは私が片づけてきた。これがゆうちゃんのためになるって信じて。でも……ゆうちゃんは何度も私に言ったわ、『やり過ぎだ』『もうやめろ』って。

 ……どうして? だってそうしないとゆうちゃんの周りにまたゴミがやってくるのに。そのために私、いっぱいいっぱい頑張ったのに。どうしてゆうちゃんはありがとうって言ってくれないの?」


 もはや原形を留めていないミルフィーユにフォークを突き刺すたびに、先が皿に当たってガヂガヂと不快な音が鳴る。

 一つの芸術品のように作られたはずのミルフィーユは、パイは粉になるまで砕かれ、イチゴは果汁が出るほど潰れ、それらがカスタードクリームと一緒に混ざっている。

 無残になったミルフィーユを見て、日向はそれがまるで希美の心情そのものに見えた。


 不穏な空気が漂い始め、その空気に素早く気づいた非物質化中のリリウムが数センチだけ仕込み杖から刃を出すのを横目に、希美はギラギラと光る桃色の瞳を向ける。

 心なしか、瞳の中にある憎悪が一層強くなった気がした。


「なのに……なのに、どうして? どうしてゆうちゃんはあんたにありがとうを言ったの? 小さい頃からずぅっと一緒にいた私じゃなくて」


 ガヂンッと甲高い音がした。よく見るとミルフィーユを乗せていた皿が真っ二つに割れていた。

 フォークを握る希美の手から桃色の魔力が溢れ出る。


「黒宮家が私を第一婚約者候補に選んだ時、私はとても嬉しかった。神様が私の行いの褒美としてくれたものだって本気で思っていた。……それなのに……何よ、パートナー制度って。

 どうしてそんな制度のせいでせっかく手に入れた地位が奪われなくちゃいけないの? なんで制度だけで選ばれた人間が第一婚約者候補になるのよ? あんたには分かる? やっと好きな相手のお嫁さんになれると思っていたのに、それを奪われた時の私の屈辱と絶望がッ!!」


 希美の体から冷気が溢れ出し、東屋周辺を凍らせていく。

 事態に気づいた招待客が騒ぎだす中、そっと彼女の手に触れる。無魔法の自動発動オートモードによって魔法が無効化され、冷気も芝生や東屋の柱を凍らせていた氷が粒子となって消える。


 一瞬呆けた顔を見せる希美だったが、日向に触れられている手を見ると勢いよく振り払う。

 日向が触れた部分をまるでしつこい汚れを取るようにしきりでハンカチで拭う希美の様子を見ながら、日向は真剣な顔で言った。


「桃瀬さん、あなたが悠護のことがどれだけ好きで、彼のために汚れ役を買ったのは分かった。でもね、悠護がそれであなたを好きになるのは別問題だよ」


 静かに、冷静に言葉を紡ぐ日向。それを聞く希美の眉間にしわが刻み込まれる。


「確かに悠護の周りには彼に害を与えようとする者がいたかもしれない。でも中にはただ純粋に彼と友達になりたい人も好きだった人もいたと思う。それを桃瀬さんが排除してしまったから、悠護はさらに孤立してしまった。一緒にくだらない話で笑い合えて、自分の悩みを聞いてくれる人を、あなたは敵として排除してしまった」

「何言っているのよ。ゆうちゃんに近づくゴミはみんな、ゆうちゃんにひどいことを……」

「それは桃瀬さんの中では、でしょ? 悠護の中では違うはずだったよ」


 冷たい言葉で遮られ、希美は息を詰めた。


「仮にそうだったとしても、あなたは自分の想いのために関係のない人も傷つけた。悠護はそれが嫌だった、だからやめるように言った。なのにあなたは、彼が本当は優しい人だって知っていたはずなのにやめなかった」

「そ、れは……」

「あたしのせいで第一婚約者候補の座が奪われたことは謝るよ。でもね、あなたが彼に嫌われた理由はあたしのせいじゃない。全部桃瀬さんの自業自得だよ。本当に悠護のことが好きなら、これ以上彼が嫌がることをしない方がいいよ。ここで踏み止まらないと、いつか後悔するよ」


 日向の言ったことは正論だ。

 好きな相手に対する過度な愛情表現は、相手にとってはただ重たいものになり、それに嫌気を差してしまう。相手を想うからこそ、尽くそうと思う感情が強くなり、重くなってしまう。


 希美は、重すぎたのだ。愛する人のためにやってきた行いが。愛する人に好かれようとした努力が。愛する人を奪われないようにした想いが。

 悠護に好かれないのは、それのツケが全部返ってしまった。ただそれだけのことなのだ。


 日向の言葉に反論も何もできない希美は、悔しさで顔を俯かせるとスカートにしわができるほど握りしめ、唇を皮膚が破られるかと思うくらい強く噛む。

 するとおもむろに顔を上げ、キッと日向を睨みつけながら言った。


「なら……あんたはどうなのよ。ゆうちゃんのことが好きなの?」


 突然の質問に日向はピクッと肩を震わせる。日向は脳裏に悠護の姿を思い浮かべながら答える。


「……正直に言うとね、あたしが悠護に抱いている感情が異性としての好きなのかそうじゃないのかまだ分からない。でも、あたしは悠護のことは大切なパートナーと思っている。世界の誰よりも幸せになってほしくて、幸せにしてあげたい……できることなら、ずっと隣にいたいって思ってる」


 真っ直ぐに、自分が抱く感情を言葉として紡いだ日向。その姿が希美の知っている人と重なって見えてしまった。

 バカみたいに真っ直ぐで、バカみたいに相手を想う人を――。


「あんた――」


 希美が口を開き、何かを言おうとした瞬間――耳をつんざく轟音が庭園を襲った。



☆★☆★☆



 時は少し遡る。悠護の怒りが完全に沈静したのを見計らい、徹一は場の空気を改めるように咳を一つする。


「では、豊崎日向の処遇は今後他の魔導士同様に扱われるということでよろしいでしょうか?」


 徹一の言葉に他家は静かに頷いた。

 無魔法を犯罪目的で使わないことはほぼ一〇〇パーセント間違いないし、生活態度も申し分ない。むしろ善人の鑑と言っていいほどだ。

 徹一も幼少期から多くの我欲を持つ人間と接してきたが、日向のようにあそこまで芯の強い人間は手の指の数しか会ったことがない。だからといって、彼女を正式な婚約者にするかは別だ。


「……それでは七色会議の決定により、IMFが豊崎日向につけていた監視は翌日を以て終了させるようお伝えしましょう。今後は一般の魔導士候補生の扱いになるでしょう」


 父の口から出される決定に、暮葉は内心息をついた。

 緑山家は知識と情報の収集・管理を役割としている。魔法や魔導具、魔導士の偉業を後世に残す仕事上、誰よりも早く最新の情報が入ってくる。日向の情報が入ってきたのは、一月に生徒会長としての仕事が始まった頃だ。

 世界で唯一の無魔法使いで、あの【五星】豊崎陽の妹。そんな経歴を持った少女がどんなものなのか内心不安を抱いていたが、それは杞憂に終わった。


 暮葉から見た豊崎日向は、本当にごく普通の少女だった。

 悠護の件で一部の女子に敵愾心を抱かれているが、それ以外は規則正しい学園生活を送るどこにでもいる少女。でも、魔導士嫌いであるはずのあの悠護を変えてくれた。

 昔から悠護を知っている暮葉にとっても、彼の変化は目を見張るものがあり、これまでの日向の不安定な立場には気が気ではなかったが、この会議で普通として扱われるのは素直に安心した。


「さて、次の議題に入りたいと思います」


 徹一の進行が始まり、暮葉はさっさと終わらせる姿勢で次の議題に耳を傾けながら、手元にある水を飲む。


「議題は私の息子の悠護を次期当主候補から次期当主の昇格」


 それを聞いた瞬間、暮葉は飲んでいた水を吹き出した。

 ゲホッゲホッと咳をしながら咽る自分の背中を父が擦るのを感じながら、暮葉は視線だけ悠護に向ける。

 悠護も隣にいる父を目玉が飛び出すほど見ており、本人もまさかこの話が議題として出るとは思っていなかっただろう。


「えー、悠護くん次期当主なるの? ボクは大賛成だよ!」

「アリス……あなた、少しは考えなさい。次期当主の昇格はそう簡単に決めてはいけないことよ」


 紗香の言っていることは事実だ。

 七色家本家の次期当主候補は、本家の他に分家にも何人かおり、七色家の現当主はその中から次期当主になる相手を選ぶ。

 今まで次期当主に選ばれた子供は現当主の子供だが、たまに分家から次期当主に選ばれる場合がある。だが七色会議で議題としてあげるのは稀だ。


「失礼ですが黒宮さん、息子さんの次期当主になることは他の分家からの許可を頂いているのですか?」

「もちろんです。まあ一部はうるさかったですが、理由をお話したら納得しました」


 真希の質問に答えた徹一を見て、真希は険しい顔になる。

 分家の許可を得たのは本当だが、理由を聞いて納得としたという話は疑わしい。真希が徹一を睨みつけている横で、暮葉は小さめの声で林太郎に耳打ちをする。


「親父、今の話どう思う?」

「これまでの七色会議で次期当主の件を議題に出すのはあまりなかったが、前例がないわけではない。……だが、あの様子を見るに息子にも伝えていないようだな。徹一の奴、一体何を考えている」


 いつも聡明で荒事はあまり立てない父でも、この議題には難色を示している。

 ちらりと他家の様子を見ると、黄倉父娘はこの件に興味がないのか平然としており、怜哉は「へぇ……」と言いながら話の展開を待っているが、雪政の方は厳しい顔をする。

 青島母娘は徹一の真意を探るような目で見ており、赤城母娘は昇格の件に文句がないどころかむしろ喜んでいる。


「徹一さん、私はこの件は議題にあげるべきではないと思います」


 そんな中、唯一口を挟んだのは紫原八雲だ。息子の方は父の反応を特に気にせず話に耳を傾けていた。


「何故でしょうか」

「理由はただ一つだ。四月の新入生実技試験であなたの息子は魔導士嫌いだと自ら証言しました。その事実はいずれ襲いかかる障害に立ち向かうには、あまりにも重すぎるハンデ。昇格の件は見直すべきだと思います」


 八雲の言う通り、本来『魔導士嫌い』というものは魔導士に対して反感を持つ一般人が持つ傾向がある感情だ。

 魔導士でありながら魔導士嫌いというのは、それだけでその魔導士にとってはマイナスでしかない。新入生実技試験での出来事は裏にいる情報屋から金さえ払えば売れる代物だ。恐らく黒宮家の分家はそのことを知っているはずだ。でなければ当主の決まりに反対を示すことはあまりない。

 八雲の話を聞いた徹一は、小さく息を漏らす。


「……確かに紫原さんの言う通りです。息子の魔導士嫌いはこれからの人生においてもそれは重い楔になる。言い逃れできない事実です」

「なら――」

「ですが、今の魔導士の質があまりにも悪いのも事実です」


 徹一の発言に、暮葉どこか他の七色家の言葉を失った。

 国際魔導士連盟日本支部長であり黒宮家現当主であるこの男は、今の魔導士の質を『悪い』と言った。それは、日本どころか全世界の魔導士が反感を買う言葉だ。


「……徹一。貴様、今何を言ったのか分かっているのか?」

「ええ、重々承知しています。今の魔導士の質は、これまでの魔導士と比べていても例年徐々に低下しています。魔導犯罪組織の増加の中、魔導士の死亡率は例年と比べて一〇パーセント近く高くなっている。これは月に五人の内二人が正規の教育を受けたはずの魔導士が魔導士崩れに殺される計算になります。私は国際魔導士連盟日本支部長としても見過ごせない事態だと思っています」

「だからといって、それが息子の次期当主の昇格の件となんの関係がある」

「関係ならあります」


 八雲の言葉に徹一は否定する。


「魔導士嫌いというのは魔導士に対して悪感情を抱いていると思われがちですが、逆に言えば魔導士の欠点や本質を見抜く力でもあるのです」

「欠点や本質を見抜く……?」

「そうです。魔導士と言ったのはその力を持つことから常人では理解できない思考や目的を持ちます。悪く言ってしまえば相手を欺くことに長けている。

 ですが息子はそういった本質や欠点を見抜いたからこそ、魔導士嫌いになったと考えられます。そして、もしその魔導士嫌いで本質を見破られた魔導士はさらに自身の腕を磨くでしょう。魔導士は良くも悪くも向上心が強い生き物ですからね」

「そうしていけば魔導士の質も向上する……と?」

「ええ、上手くいけばの話ですがね」


 徹一から語られる理論に他家は頭を抱えてしまう。

 まさか彼が魔導士嫌いの長所をそこまで考えていたと思っておらず、苦言を呈した八雲も押し黙っている。

 彼自身も近年の魔導士の質が落ちているのは分かっていたし、もし徹一の言う通り魔導士嫌いがそのような効果が得られるのなら反対する材料がなくなる。

 他家の無言を肯定と受け取ったのか、徹一は手元の資料をまとめた。


「では、悠護の次期当主の昇格は賛成ということで。これにて七色会議は終了――」


 徹一が会議終了の宣言をしようとした直後、強く机が叩く音が部屋を木霊した。

 遅れて椅子が倒れる音もしてその方向を見ると、悠護が席から立ち上がって右手を机の上に置いていた。


 机を叩いたのも、椅子を倒したのも彼の仕業だと認識すると、悠護はギラついた真紅の瞳を徹一に向ける。


「さっきから黙って聞いてれば……何勝手に決めてんだよ」

「勝手とはなんだ。お前は黒宮家の当主となるべく生まれた男だ。これは正しい道だ」

「正しい? 正しいだと? ロクに俺と接しなかったクセによくそんな口が利けるな」

「それはこっちの台詞だ。口を慎め、悠護」

「それこそこっちの台詞だクソ親父ッ!!」


 激昂する悠護は両手で徹一の胸倉を掴むと、そのまま自分の方へ引き寄せた。

 意外と力が強いのか、徹一の体が椅子から離れた。


「あんたっていっつもそうだよな! 仕事を理由に家庭を顧みず、俺や母さんとも一線を引いて、なのにこういった有事には父親面しやがって! 親父が仕事ばかりしている間、俺や母さんがどんな気持ちだったか分かるか!?

 母さんがベッドで寝込んでる時も一度も見舞いには来なくて、テストでいい点とって褒めてもらおう部屋に来ても『それくらい当然だ』って言って話を終わらせて問答無用で部屋に追い出される! そんなヤツを父親として見れるか? いいや見れねぇよ!!」


 悠護の口から溢れ出る言葉は、これまで彼が父に向けられなかった怒り。

 それを顔色一つ変えずに聞く徹一にさらに怒りが増したのか、胸倉を掴む手に力が込める。


「なあ、俺がどんだけ親父と話したいと思ったか知ってるか? 学校であったことも家で見つけた綺麗な花のことも色々と話したかった。でも……あんたはいつも家にいなかった。いたとしてもずっと執務室に篭っていた。部屋に行っても用件がないと『出て行け』と言って、それを聞いて俺がどれだけ悲しくて泣きたかったか……あんたにはそれが分かるか?」


 徐々に声を涸らし始めた悠護に、徹一は前髪で隠れた息子の瞳を見た。

 いつも自分に嫌悪感ばかり向けていたジト目の真紅の瞳は、まるで泣き出す前の子供のように歪んでいた。


「しまいには俺には何も言わずに勝手に再婚しやがって! あの時、俺がどんだけ傷ついたか……ッ!」

「勝手に……?」


 悠護の発言に訝しげな表情を浮かべた徹一は、しばし黙り込むと普段あまり見ない困惑した面立ちで言った。


「ちょっと待て、悠護。再婚の件はお前も了承したはずだろう? なのに何故、私の独断で再婚した話になっている」

「…………はあ?」 


 徹一の言葉に、悠護は眉を顰める。

 自分が再婚を了承した? そんなわけない。もしそうならこうなっていない。


「何言ってんだよ、俺はそんな話聞いた覚えも了承した覚えもないぞ」

「なんだと……?」


 悠護の言葉に今度は徹一が眉を顰めた瞬間、地上で轟音と振動が襲ってきた。


「っ!?」

「な、なんだ!?」


 他家が騒ぎ始めた瞬間、悠護は徹一の胸倉を離すとすぐさま窓の方へ駆け寄る。

 窓の下を見ると、庭園の方で土煙が起きているのと時折銃声らしきものが聞こえていることが確認できた。


(庭園じゃ義母さんが茶会を開いてたはずだ。……まさかっ!?)


 また『獅子団』のように日向を狙う魔導犯罪組織が現れたのか? 可能性としては低くない事実に悠護の体を焦燥感が襲った。


「――クソッ!!」

「おい待て黒宮!」


 踵を返した途端に駆け出す悠護の後を暮葉は舌打ちしながら追う。

 窓で状況を確認したアリスは、すぐさま真剣な顔立ちをした母に顔を向ける。


「お母さん」

「ええ、分かってるわ。アリスは庭園での騒動の鎮静! 白石くんはアリスと一緒に行って! 他のみなさんはホテル内にいる人達の避難をッ!」


 声を張り上げる琴音の指示に皆が従う中、アリスはすでに廊下に出ている怜哉の後を追う。


「怜哉くん、《白鷹》は?」

「下のフロントに預けてある。君は?」

「ボクも同じ。でもこのタイミングで襲撃なんて……もしかして日向ちゃんを狙ってる組織の仕業かな? それともボクらの首狙い?」

「どっちでもいいよ。僕はただ、敵を倒すだけだよ」


 そう言った怜哉の目から狂気に近い闘争心が宿るところをアリスは見逃さなかった。彼の戦闘狂ぶりは困ったものだが、今のこの場では心強いものだ。

 アリスはホテルから聞こえる悲鳴や爆発音を聞きながら、少しでも多くの人を救うべくロビーへ向かった。

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