第99話 〝恋〟と〝愛〟

 〝恋〟というのは、魔導士にとっては毒にもなり、薬にもなる。

 誰かを愛し、生涯を寄り添いたい気持ちは非魔導士でも同じ。

 だが、彼らにとって『〝恋〟』は己の在り方を狂わしてしまう代物モノだ。


 〝恋〟のためならば、如何様な悪事にも手を染めよう。

 〝恋〟のためならば、己を犠牲にしても守り通す。

 〝恋〟のためならば、たとえこの身が滅んでも掴み取る。


 〝恋〟のために身を滅ぼした魔導士は数知れず。

 だが、〝愛〟のために身を滅ぼした魔導士はいない。


 〝恋〟は自分本位で、〝愛〟は相手本位。

 〝恋〟は一時的で、〝愛〟は永遠。

 〝恋〟はときめきで、〝愛〟は信頼。

 〝恋〟は心配で、〝愛〟は安心。


 つまり、〝恋〟は〝愛〟に変わるための過程に過ぎない。

 その過程に辿り着いた先の〝愛〟を、魔導士だけでなく非魔導士も辿り着けていない。

 皆等しく、〝恋〟で満足し立ち止まってしまう。


 誰かが『〝恋〟は人を強くする』と言っていたが、私は胸を張ってこう言おう。

 本当に人を強くするのは、〝愛〟だと――。


                       (古びた一冊の手記より抜粋)



☆★☆★☆



 冷気が吹き荒れる。鉄も、自動車も、コンクリートも全て分厚い氷に包まれる。

 ビキビキと音を鳴らして足を凍らせてくる氷に、日向は《アウローラ》を向けた。


「『0ゼルム』!」


 引き金を引き、発射された琥珀色の魔力弾が氷に直撃する。

 無魔法の効果によって氷は全て溶けて消えるも、吹き続ける冷気のせいで再び氷に覆われる。

 心なしか冷気の勢いが強くなり、薄らと髪に霜が出来はじめた。


「ふふっ、最高ね。この《ブリュンヒルデ》があれば、私は永遠に無敵だわ」

「っ……」


 希美の気分が高まる度に、冷気が機嫌よく勢いを強くする。

 氷の範囲は橋の上だけでなく、橋を支える支柱にまで影響を及ぼしていく。

 これ以上、《ブリュンヒルデ》の名前を持つ氷槍を持たせてはいけない。


「『向上メリウス』を付与! 『風の刃ヴェントゥス・フェッルム』!」


 日向が放つ初級自然魔法は、《アウローラ》に強化魔法を付与したことによって中級魔法と同じ威力になる。

 冷気と混じって放たれた風刃ふうじんは、三日月の形を保ちながら高速で希美へ向かっていく。


 だが希美は、顔色一つ変えないどころか笑みを深くすると《ブリュンヒルデ》を振るった。

 まるでバトンのようにくるくると回すと、刃部分や杖部分に当たった風刃は呆気なく消える。


「『氷の流星イケ・メテオルム』」


 詠唱と共に、日向の頭上に先が鋭く尖った氷塊が百万を超えて出現する。

 上級自然魔法の一つだが、通常ならば出現する氷塊の数は術者の魔力に比例する。例の《ブリュンヒルデ》に付与されている魔法の効果なのか、その威力は本来の希美の魔力の倍にまで増幅されている。


 パチンッ、と希美が指を鳴らす。

 その音と共に氷の塊が日向の頭上へと降り注がれる。


「『守護プラエシディウム』!!」


 詠唱を唱え終えると日向の頭上に琥珀色のドームが生まれ、轟音と共に押し寄せる氷塊。

 中級防御魔法だが、《アウローラ》の強化魔法付与のおかげで上級魔法にも匹敵する力を見せる。


「ぐぅぅぅ……っ!?」


 それでも増幅された氷塊は土石流と同じ勢いで降り注ぐせいで、腕に伝わる衝撃まで殺せない。

 震える腕をなんとか持ちこたえさせながら耐えると、轟音が静まるとようやく氷塊の攻撃が止んだ。


 魔法を解くとそのまま両膝を地面につけたくなったが、荒い息を吐きながら寸でのところで耐えた。

 だが、希美はそんな日向を気にせず地面を蹴って駆け出すと、そのまま《ブリュンヒルデ》を横に振るい、杖部分が日向の左脇腹に直撃する。

 ロクに防御魔法を張ってないまま受けた攻撃は、そのまま脇腹まで食い込み、衝撃で真横にあるハンガーロープに激突した。


「がっ、はぁ……!?」


 ロープの弾みで体が通路に投げ戻されるが、受け身も取れないまま地面に転がる。手にしていた《アウローラ》も反対側に落ちた。

 げほっげほっと咳き込む日向だったが、跳躍し《ブリュンヒルデ》の穂先を左胸に向けて刺突しようとする希美の姿を捉え、痛む体に鞭打ちながら転がって回避。


 ガキィンッ! と氷の穂先とコンクリートにぶつかる高い音が響く。

 すぐに立ち上がって地面に落ちた《アウローラ》を手にし銃口を向けると、希美はことんと首を傾げる。


「もう……往生際が悪いんだから。早く私に殺された方が楽になれるわよ?」

「……そう言われて、自分から死にに行く真似する人っている?」

「いないわね。変なことを言ってごめんなさい」


 日向の質問に、希美はくすくす笑いながら謝る。

 希美の右手にある《ブリュンヒルデ》は、全身が濃い青になっていたが杖の先からどんどん黒く染まっていた。

 希美の瞳もあの綺麗な桃色がなくなり、黒がぐちゃぐちゃに混じっている。槍と瞳の色を見て、日向の中で焦燥感が一気に押し寄せる。


(マズい。あれ以上槍の力を引き出したら、桃瀬さんの体が持たない。一か八か、無魔法で《ブリュンヒルデ》を壊せば……!)


 今はそれしか手がない日向は、すぐさま《アウローラ》に魔力を込める。

 つかず離れずの距離を保ちながら銃口を向けていると、希美はふと空を見上げた。


 空は相変わらず分厚い灰色の雲で覆われ、先ほど見たより大粒の雪が降り注いでいる。


「私ね、昔から雪は嫌いだった」

「……?」


 突然語り出した希美に日向は訝しげに目を向けるが、希美は気にせず話を続ける。


「寒いし冷たいし、触れるとすぐに溶けてしまう。なんでこんなのがあるんだろうって、天気に文句つけたこともあったわ」


 懐かしく目を細める彼女は、今は己の命を狙う狂った刺客ではなかった。

 思い出話を語るただの少女だった。


「でもね、ある雪の日にね、ゆうちゃんが雪ウサギを作ってくれたの。それがあまりにも可愛いくて、冷蔵庫で溶けないよう保存しようと思ったんだけど、親に怒られて結局その雪ウサギは溶けちゃった。跡形もなく、ね……」


 それは日向さえ知らない思い出。

 悠護から昔話を聞くことはあったが、希美との話はなるべく話さなかった。訊こうと思っても、彼が言いにくそうな顔を浮かべるから何も訊けないままでいた。

 それ以上に、日向自身が希美との思い出話を語る悠護の顔を見たくないという気持ちが強かった。


「それで私、泣いちゃってね。そしたらゆうちゃん、なんて言ったと思う? 『雪が降った日には必ず作ってあげる。だからもう泣かないで』って。そう言われた時、私すっごく嬉しかったわ。おかげで惚れ直した私はゆうちゃん以外の男には興味がなくなっちゃって。……そこから先は、あなたも知っての通りよ」


 ふっと顔つきを変えると、希美は桃色と黒がぐちゃぐちゃに交じった瞳を向ける。

 その瞳を見て、ただでさえ寒さで震えていた日向の体をさらに震わせた。


「私は、ゆうちゃんとの恋を成就するためならなんだってする。たとえゆうちゃんが私を見なくても、私はずっとゆうちゃんが大好き。それくらい、ゆうちゃんが好きなの」


 にっこりと歪んだ笑みを浮かべる。憎悪も嫉妬も恋情も混じった笑みを。


「だから、ね? もう邪魔をしないで」


 直後、希美が《ブリュンヒルデ》の穂先を地面に突き刺した。

 絶対零度をも下回る冷気を浴び続けてコンクリート内部まで凍った地面は、魔法で強化された腕力と《ブリュンヒルデ》の威力でヒビが入る。

 逃げようにも、日向の足は足首まで凍っており、ビクともしない。


 逃げるタイミングを失った日向は、クッキーみたいに呆気なく砕かれた地面と共に海へと落ちて行く。

 レインボーブリッジの橋桁から海面の距離は五二メートル。普通に落ちたら、たとえ体が丈夫な魔導士でもただでは済まない高さ。


 その高さから海に落ちて行った日向を、希美は歓喜が混じった顔で見届けた。



☆★☆★☆



 高所からの転落に続いた着水によって、激しく全身を打つ。海水が喉を焼き、体が力に入らない。

 咄嗟に防御魔法をかけたが、それでも衝撃を殺すほどの威力は出なかった。

 足も腕も上手く動かせず、日向の体は重力に従って沈んていく。


(あ、たし……ここ、で、死ぬの……?)


 死。今日を生きる者ならば、いつ訪れてもおかしくない概念であり恐怖するモノ。

 まだ一六年しか生きていないはずの日向にとって、まだ先であると信じていたもの。だけど、こうして体が沈みながら冷たくなっていく感覚を味わいながら、思い知る。


(……ああ、そっか……忘れ、てた……、死は……いつだって、いきなりやって、くるものだった……)


 両親が死んだ日は、よく覚えている。

 仕事で日本各地を飛び回る父が帰ってきて、母がご馳走を作ってくれると買い物に出かけていた。

 母お手製のコーン入りハンバーグは日向も陽も大好物で、「帰ってきたらたくさん作ってあげるわね」と出かける時に言ってくれたのをよく覚えている。


 いつもの商店街でなく車で一〇分の場所にあるスーパーで買い物に行ったのに、何時間経っても全然帰って来なかった。

 睡魔と戦いながら待っていると、家の固定電話が不吉を呼ぶ鐘のように鳴り、受話器を取って何回か言葉を交わした陽が、目を見開いたまま電話の前で座り込み、手にした受話器を落とした姿を今でも忘れられない。


 死がいつもそばにいることを、すっかり忘れていた。

 両親が死んで悲しくて泣いた日もあったけど、それ以上に楽しかった日もたくさんあった。

 いつ死んでも悔いがない日々が日向の中にあるのは確かだ。

 でも――。


(あたしが、死んだ、ら……悠護が、一人にな、る……)


 一見クールに見えるけど常識人で、子供っぽいところもあって、誰よりも孤独を嫌う寂しがり屋。

 自分が死んだら、彼は一人になってしまう。今の悠護には日向も大事にしている友人達がいるけど、そこに日向がいなければ彼は永遠に心が孤独で埋め尽くされる。


(それ、だけは……絶対に、ダメ……ッ!!)


 やっと孤独から抜け出せたのに。やっと温かい世界に戻って来たのに。

 自分の死で彼が再び冷たい世界に逆戻りしてしまうのは嫌だ。

 ――。


(…………………………?)


 ふと、思考の波の途中に疑問という石を投げ込まれた感覚がした。

 一人になって置いて行かれる気持ち。確かに知っている。

 


 確かに置いて行かれた気持ちになってけど、日向のそばには陽がいた。

 聖天学園に入学する時に離れ離れになったが、それでも一人じゃないと思えた。なのに――何故、一人になって置いて行かれる気持ちを、自分は知っている?


(なん、で……?)


 なんで? 何故? どうして?

 疑問が泡のように溢れ出る。答えを見つけようにも、思考の波が堰き止められる。

 全身は冷たいのに頭はズキズキと痛みながら熱を持ってくる。


 目がぐるぐると回る感覚。その感覚もすぐに晴れたかと思うと、目の前が先ほどの真っ暗な海ではなくどこかの風景が広がる。

 そこは、どこかの平地だった。剣や槍、弓や盾など多くの武器の残骸が散らばり、血を流し息絶える鎧を身につけた死体が転がっていた。

 何かが刺繍された旗は無残な燃え跡しかなく、草がほとんどないのに小さく炎と共に黒煙が上がる。


 死と血の臭いが充満するその中で、一人の少女が座り込んでいた。

 土と血で汚れた白を基調とした騎士服を身に包み、頭に嵌めている銀冠は黒煙でくすんでしまっている。白皙の頬からは大粒の涙を流しており、何か叫んでいた。

 目を凝らすと、少女の前には仰向けで横たわる少年がいた。


 黒い上着を肩にかけただけの騎士服に似た衣装を着た少年は、全身血だらけでぴくりとも動かない。その一目で、この少年がすでに事切れていることを察した。

 少年の顔は少女の体が遮蔽物となって見えないが、それでも涙を流しながら声なき叫びをあげる少女を見て、少女がこの少年をどれだけ愛していたか痛いほど伝わってくる。

 どこかの物語のようなシーンにノイズが走ったかのようにブレると、鮮明になった光景に目を見開いた。


(あれは……ウソ、なんで……!?)


 先ほど見ていた光景は消え失せ。泣き叫んでいた少女が悠護の姿に、この世を去った少年が日向の姿に変わっていた。

 何も言わず動かない自分を、悠護が涙を流し泣き叫ぶ。先ほどまでとは違い、目の前で自分の死に姿とパートナーの悲痛な姿を見て、半ば死に足を入れていた日向の意識が一気に現実に戻る。


『あの光景は、かつて私が体験した記憶。そして、今見た光景はあなたの未来』


 ふっと、耳元で悲しくなってしまうほど優しい声で囁かれる。

 目を瞬かせると、目の前にはあの光景と同じ格好をした少女が立っていた。顔はどこか見覚えがあるが、それが誰なのか思い出せない。

 驚愕で固まる日向を見つめながら、少女は言葉を続ける。


『このままあなたが死ねば、あなたの大切な人は私と同じ悲しみを味わってしまう。あなたはそれでいいの?』

(よくない……! そんなの、絶対にダメッ!!)


 少女の質問に日向は心の中で答える。

 それだけは絶対にダメだ。彼が悲しむ顔は見たくない。泣き顔なんてもってのほかだ。


『……それは、どうして?』

(どう、して……?)

『どうして、あなたは彼を悲しませたくないの? 彼はあなたにとって、何?』


 その質問に、日向の言葉を失った。

 日向にとって、悠護はどういう存在か。以前なら『信頼も信用もできる大事なパートナー』だと胸を張って答えられた。

 でも今は、その答えができない。いいや、出来なくなった。


(悠護は……あたしにとって、彼は……何……?)


 悲しませたくない。泣かせたくない。笑って欲しい。幸せになって欲しい。

 その気持ちに嘘はない。でも、それ以上に――


(あたしが、悠護を、幸せにしたい)


 それは、パートナーとしてではなく、一人の女の子として抱く想い。

 認識した瞬間、日向の頭の中で分厚いガラスが割れた音がした。


 甲高い音を立てて砕け散ったガラス片には、悠護の姿が映っていた。

 真剣に授業に取り組む顔、実技の授業で失敗する親友の姿を見て爆笑する顔、金髪の王子の余裕な笑みを見て歯軋りしながら怒りを浮かべる顔、美味しそうに作ったお弁当を食べる顔、夕暮れの図書室でうたた寝をする顔。

 そして。


『――日向』


 自分の名前を愛おしそうに呼んで、微笑む顔。

 その顔の瞳に映る自分は、幸せそうに笑顔を見せていた。

 差し出された手を取るその姿を見て、ようやく気づいた。日向が悠護に抱いていた、この気持ちの名を。


(――そうか、あたしは、悠護のことを愛してるんだ)


 豊崎日向という少女は、悠護に深い愛情を抱いている。

 希美のような独善的な恋ではなく、相手を思いやりそばに寄り添う愛を。

 生まれてこの方、初恋なんてしたことなかった。恋愛経験の無さは仕方ないけど、この鈍感ぶりは自分でさえどうかと思う。


 自身の想いを自覚した直後、先ほどまで冷たかった体が嘘のように温かくなる。

 死に一歩近づこうとしたはずの少女が生を取り戻した顔を見ると、目の前のもう一人の少女は嬉しそうに微笑んだ。

 すると少女は日向の右手を両手で掴むと、そのまま自身の前へと持っていく。


『その愛はあなたの力を強くする。でも、今のままではダメ。だから、今だけこの力を貸します』


 少女が自身の前へ持って行った右手の上で両手を包み込ませると、鋼色の光が生まれる。

 光は徐々に形を成していき、一振りの剣に姿を変える。鍔の中心にある六芒星を模した飾りには、形に合わせて削られた琥珀が埋め込まれているそれは、初めて無魔法を自分の意思で操れた時に見たものと同じものだ。


『それに触れれば、今あなたの中にある『錠』は外れます。でも安心して、』は別のところにある。それさえ外れなければ、あなたは今のままでいられる』

「『錠』……? 本物って……?」


 初めて聞く単語に首を傾げるも、少女は優しく微笑むだけで何も言わない。

 だけど、今は何も訊かないままでいいと、日向の直感が告げていた。


『さあ、あなたの力を見せて。そしてどうか、あの子を救ってあげて』


 願うように告げられたその言葉を聞いてしっかり頷くと、目の前で浮かぶ剣を手に取る。

 その時、頭の中で何かが外れる音が聴こえた。あの時と同じ、七月の事件で聴いた音が。


(ああ、そっか。この音は――)


 少女の言っていた『錠』の外れる音なのだと気づいた時には、少女の姿は霧のように消えていた――。



 しばらく時間が経っても異変のない海面を見て、希美はにんまりと嬉しそうに笑みを浮かべた。

 ここで海へと突き落とした少女は死んだのだと、そう確信した彼女はその場でくるりと回る。心の底から嬉しそうに、軽くステップを踏みながら。


(やった、やった、やった! ようやく殺せた、あの女を! これでゆうちゃんは私のものよっ!!)


 ようやく愛しい人が手に入る。希美が喉から手が出るほど渇望していただけに、その歓喜は異常だった。

 鼻歌を歌いながらその場を去ろうとした直後、ドバァッッ!! と自身が破壊した場所で激しい水柱が起きた。


「っ!?」


 驚愕に目を見開くと、橋の向こうでタンッと何かが着地する音が聴こえた。

 灰色に濁った海面の向こうで動く黒い影は、その場で立ち固まる希美に向けて言った。


「――桃瀬さん」


 水柱の向こうで、先ほどまで死んだと思っていた女の声が聴こえてくる。

 これが幻聴だったらどれほどよかったかと思いたいくらいに。


「あたしは、あなたの悠護に向ける〝恋〟には負けたよ。それは認める。あたしだったら、どんなに嫌われてもその人だけ好きで居続けるなんで無理だもん」


 冷たい海から戻って来た途端に敗北宣言したことに訝しげな表情を浮かべる希美。

 だけど、次の言葉でその顔は凍りついた。


「でも――あなたの〝恋〟は、あたしの〝愛〟には勝てない」


 水柱が消える。遮るものがない視界で、まず飛び込んできたのはこの世で一番大っ嫌いな女の姿。

 その女の右手には、見慣れない鋼色の剣が握られていた。琥珀が埋め込まれた六芒星の飾りがついたそれは、一種の芸術品と見紛うほどの美しさだった。


「あたしはもう、あなたから逃げない。もうこれ以上、二度と悠護を悲しませないために――あなたの〝恋〟を、あたしの〝愛〟でぶち壊すッ!!」


 それは、日向が希美に向けた初めての宣戦布告。

 普段の希美ならば、その宣戦布告を聞いても何も感じなかっただろう。自分の〝恋〟は絶対であると自信を保ち続けていた。だけど、今の希美には怒りの沸点を最高潮にさせるほどの効果があった。


「ふ、ざけるな……ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなッ!! 私の、私の〝恋〟は絶対よ! あんたの〝愛〟は嘘でまみれた汚くて穢れたモノ! 私の〝恋〟を否定する奴は、みんなみんな――ぶっ殺してやるんだからぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」


 激情を乗せた叫びと共に、希美は《ブリュンヒルデ》を向けながら、日向のいる橋に向かって跳びながら駆け出す。

 瞬間あらゆる感情で黒く染まりつつある氷槍と、曇りなき鋼色の剣が、甲高い音と共にぶつかりあった。


 長い間狂った〝恋〟を貫き通した少女と、己の中にある〝愛〟を自覚した少女。

 互いの譲れない想いを懸けた戦いが、始まった。

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