第79話 秘密の特訓と鍋
真っ暗な視界。自分が今どこにいるのか分からない。視覚を制限されているせいで、聴覚が鋭くなっていく。
誰もいない訓練場のフィールド。その中心にいる樹は、目を布で覆っている状態で立っている。
何故そうしているのかと問われれば、特訓の一言に尽きる。
樹がしている特訓は、視界を封じられたまま襲い掛かる魔力弾を、一度も体に当てられないまま回避もしくは破壊するというものだ。
この特訓は視界が封じられていなくてもほどほど難しいものだが、視界が封じられるとその難易度はグンと上がる。
樹が小さく息を吐いた直後、前方から魔力の気配を二つ察知する。
その魔力が弾丸として樹に襲い掛かり、樹はそれを右に回避するが、魔力弾は意志があるように動きを右に旋回する。
再び遅いかかる魔力弾を今度は左に避けると、魔力弾は旋回しないまま壁にぶつかり砕け散る。
樹が休む暇もないまま、次の気配を背後から察知。
次の魔力弾の数は四つ。すぐさま振り返り、魔力弾と対峙する。
(二回目の時は武器を使用。そして、襲い掛かる魔力弾を破壊する)
ここ一ヶ月近くで何度も繰り返している内容はほとんど覚えている。
樹は目隠しする前に嵌めていた手袋型魔導具を嵌め直す。
両手の手袋を嵌め直した直後、魔力弾は樹に向かって襲い掛かる。
魔力弾一つ一つは異なる動きをし、上下左右から攻撃をしかける。
樹は集中を切らさないように、かつ素早い動きで破壊することを心がけながら詠唱を唱える。
「『
両手の手袋型魔導具に魔力に反応し、全身が魔法で包まれる感覚を味わいながら拳を構える。
最初に樹の間合いに飛び込んできたのは右からくる一の魔力弾。間合いに入った直後、すぐさま一の魔力弾に向かって拳を振り下ろす。
硬化された拳による打撃によって、一の魔力弾は重力に従い地面に叩きつけられる。
次に来たのは左からくる二の魔力弾。この魔力弾は真正面から飛んでくるかと思うと右へ方向転換し、樹の足元を狙う。
だが樹はすぐに左足を上げると、そのまま二の魔力弾に踵落としを喰らわせた。
そのまま息をつく暇を与えず、下からくる三の魔力弾が動き出す。
三の魔力弾はそのまま下から上へと上昇すると、複雑な動きをしながら空中を高速移動する。
たとえ目が見えていてもよほどの動体視力がなければ捉えられない動きをする三の魔力弾。
それすらも樹は自身の頭上の右斜めに来た直後に掴み取り、そのまま握り潰した。
そして最後は上からくる四の魔力弾。これは他の魔力弾と比べて中々の曲者だ。
(最後の魔力弾は空間干渉魔法を使って移動する。だが空間から空間を移動する魔力弾が外に出てくるにはタイムラグがある)
そのタイムラグを上手く突けば、四の魔力弾の攻撃をクリアすることができるのだ。
ヴン、と音と共に空間干渉魔法の魔法陣が四方に展開される。頭上から来た魔力弾は樹の方へは行かずそのまま魔法陣へと向かう。
全方位から感じる魔法陣の気配を一つずつ注意深く警戒し、魔力弾が来るのを待つ。
たった数秒なのに数分も時間が経った感覚に襲われていると、四の魔力弾は樹の後頭部に近い魔法陣から出てくる。
すぐさま上半身を右に逸らすと、ヒュンッと左頬の横を四の魔力弾が通り過ぎた。
樹が息を吐いた瞬間、今度は右上三八度の角度から四の魔力弾が飛んでくる。
次は左下四八度、右横九四度、左上二七度と角度を変え、速度を上げながら襲い掛かる四の魔力弾。
ヒュンヒュンと風切り音を出しながら速度を上げる魔力弾。最初は余裕持って避けられていたが、次第に追いつくのがやっとになっていく。
四の魔力弾が樹の髪の毛を掠った時は、髪が体の一部として認定されなくてよかったと心の底から思った。
(あっぶな! スピードがかなり速くなってきたな。つーかこれ、時速何キロだしてんだよ。魔導士の反射神経じゃなきゃ絶対追いつけねぇぞ)
いやむしろ、魔導士の身体能力が通常の倍になっているからこそ、こんな滅茶苦茶な特訓ができるのだろう。
だが視界を塞がれた状態の魔力察知能力は上がってきている気配はある。
(次の攻撃で仕留める)
回避というより激しいダンスを踊るような感覚で躱し続けながら、その時を待つ。
足がステップを踏む。リズムをとるために無意識に鼻歌が漏れる。
自身の呼吸、鼓動さえもリズムとして利用する。体中の毛穴から汗が流れ、動きに合わせて肌から弾かれ、地面にシミを作っていく。
そして、樹の鼻息が止まる。それと同時に全身の動きも止まる。その時間、たった三秒。
直後、樹はその場で回転し右足を上へ上げる。次の四の魔力弾が魔法陣から出てくる。その通過線はちょうど樹の回し蹴りの範囲内。
「おらぁ!!」
樹が叫ぶと同時に体を回転し、右足を振り回す。四の魔力弾は樹の蹴りに直撃し、そのまま天井に向かって蹴飛ばされる。
天井の照明と証明の間の鉄骨に魔力弾が当たり砕け散る。破壊された四の魔力弾が光り輝く粉雪のように頭上に降り注ぐ。
魔力弾の破壊がされると、四方を囲んでいた魔法陣も消えていく。
樹の荒い息しか聞こえない中、パンッパンッパンッと拍手が鳴り響く。
「――上出来や。よお頑張ったな、真村」
この特訓に付き合っていたかつ魔力弾と魔法陣を操っていた張本人である陽の賞賛に、樹は目の周りに巻いていた目隠しを外すと、いつもの太陽な笑顔を浮かべながら陽に向かってピースを向けた。
「っかぁ~~~! スポーツドリンクがここまでウマいと思ったのは初めてだぜ!」
「おーおーええ飲みっぷりやな」
陽から受け取ったスポーツドリンクを一気に飲み干した樹に、陽はケタケタと笑う。
未だ流れる汗をタオルで拭っていると、陽は特訓で使った魔力弾を出すとお手玉みたいに片手で遊びだす。
「にっしても、いきなり特訓を頼まれた時は驚いたわ~。ま、ワイも断る理由がなかったら別にええけどな」
「ははっ……あん時はすんませんでした」
九月の事件から三日経った夜、突然教職員寮にある陽の部屋に樹が訪れたかと思ったら、「俺を鍛えて下さいッ!!」と言ってその場で土下座してきたのだ。
これにはさすがの陽も目を丸くしたが、普段の樹とかけ離れた気迫を感じ、即断で了承した。
そして、陽は今の樹にぴったりな特訓を彼に課したのだ。
最初は魔力弾を上手く躱せず、魔力弾がみぞおちに入ったり、避けても後ろから派手にすっころぶなど散々だったが、一ヶ月近くでクリアした彼の努力には舌を巻いた。
「でも先生、なんで俺にあの特訓をさせたんですか? 言われた通りにやってけどそれが分かんねぇんですよ」
「んー、せやな。真村の疑問はもっともや」
そう言って陽は出現させた魔法陣に手を突っ込ませると、そこから小型ホワイトボードとまあカーを取り出す。
あの魔法陣が空間干渉魔法で収納機能をつけさせた特注魔法陣だと思うが、何故ホワイトボードとかが入ってるのだろうか? それだけは謎だ。
「本来、魔力っちゅーんは普段は見えへんけど、魔導士が魔法を行使する際に可視化する。けどごく稀に、見えてないはずの魔力が見えてしまう魔導士がおるんや。医学的にはこれを『魔力過敏症』と呼ばれておる」
魔力過敏症の症状は個人差があるが、ひどい人の場合は特殊な遮断眼鏡を常時かけなければならないのだ。
「つーことは、俺もその『魔力過敏症』なんですか?」
「いいや、樹のはまったくの別物っちゅーか……その『魔力過敏症』の大元みたいなものを持っとるんや」
「大元……?」
陽の言葉に樹の顔つきが変わる。
真剣な面立ちを見つめながら、陽はホワイトボードに『魔力過敏症』と書くとその隣に右矢印を描き始める。
「今じゃほとんどの魔導士は知らんと思うけど、昔は『
その言葉に樹ははっと息を呑んだ。武器に付与した魔法や機能を一目で見破るという行為は、樹が授業や新作の魔導具を見に来た時にしていた。
昔から魔導具や魔力については目利きが良すぎると思っていが、それがその『精霊眼』という代物の力だったことに純粋に驚いた。
「『魔力過敏症』はその『精霊眼』を持っとる可能性が高い証なんや。まあそのほとんどが『精霊眼』に目覚めへんし、真村みたいに生まれつきっちゅーんは珍しいけどな」
陽の手にあるホワイトボードには、『魔力過敏症 → 精霊眼の下位互換』と『精霊眼 → 魔力過敏症の上位互換』と分かりやすく書かれている。
「『魔力過敏症』もそうやけど、『精霊眼』の持ち主はたとえ目を瞑っていても魔力の気配を瞼裏で感じれる。つまり……?」
「つまり……奇襲をしかけられた時でも、素早く魔力の気配を感じれば、先手を取ることができる?」
「正解や」
よく出来ましたと言わんばかりの笑顔で拍手を送る陽。
まるで初めて一〇〇点満点を取れた子供みたいな褒め方に、思春期男子高校生の樹は反応に困り微妙な顔になる。
「もちろん本来魔導具技師希望の真村には必要ないモンや。……でも、それじゃアカンやからワイに特訓を頼んだやろ?」
「……はい」
「ワイも本当なら真村だけやなくてこの学園にいるみんなに、楽しい学生生活を送って欲しい。それでもあいつらは恐らく、近いうちに何かをし始めるやろ。……その時、ワイが近くにいるか分からへん」
陽はかつて王星祭での優勝歴や【五星】の知名度によって、聖天学園の防衛システムとして組み込まれている。
生徒ではなく学園の防衛を優先されている彼にとって、たとえ望んで教師になったとしても、自分通りに動けないことを歯痒く思っているのだろう。
だからこそ、直接守ることはできないが、こうして自分に守る術を教え込んでいるのだ。
陽という頼れる魔導士がいなくても、己の力で道を切り開くために。
「こんなんゆうんは教師失格やと思うけど……ワイがいなくても、大事なモンを守ってくれへんか?」
「当たり前ですよ。俺は、そのために特訓したんですから」
ニカッと笑いながら返事をする樹に、陽は泣きそうな顔で「おおきにな」と呟いた。
☆★☆★☆
「寒っ。やっぱシャワー浴びても外に出ると冷えるな」
更衣室のシャワールームで全身の汗を洗い流した樹は、訓練場を出て寮へと向かっていた。
一〇月に入ってから気温が急激に低くなり、ちゃんとドライヤーで髪を乾かしても、やはり秋特有の寒さは体の体温を奪っていく。
(一〇月でこの寒さだと、冬とかは考えたくねぇな……。特に悠護は寒いの苦手だしよ)
今朝、朝食当番で早く起きた樹がベッドにいる悠護が、ミノムシみたいに布団に丸まってるのを見た時は思わずビクッと体を震わせるほど驚いた。
夏生まれの人は寒さが苦手で、冬生まれの人は暑さが苦手という話を聞いたことがあるが、あながち間違いではないと今なら思える。
(もうこの時間だともうメシ食い終わってるよな……)
ここ最近、特訓のせいで出来立ての夕飯を食べることが少なくなった。
そもそも夕飯当番もここしばらく悠護が連続でやってもらっている状態で、代わりに朝食当番を樹が連続でやっている。そろそろ元に戻したいと思うが、本音を言えばまだ続けたい。
どうするべきか悩んでいると、スマホが震える。
ブレザーのポケットからスマホを取り出すと、『帰りにギルの部屋に来い』と悠護からのメッセージが届いていた。
何故ギルの部屋? と思いながらも樹は学生寮のエントランスに入り、エレベーターに乗り込む。
学生寮の一九階には六つの一人部屋があり、学園から許可を与えられた者しか入居できない。
その一人部屋を同学年の中では唯一貰っているギルベルトの部屋は、『1901』とエレベーター近くの角部屋だ。
インターホンを押すと、バタバタと玄関に向かって走る音が聞こえてくる。ガチャッと玄関のドアを開けたのは、ここの部屋の主のギルではなく――。
「あ、樹」
「日向? なんでここに……」
「みんな待ってるよ、ほら上がって」
「は? 待ってるって……ちょ、引っ張んなって!」
私服姿の日向が出て来たことに驚く暇もなく、彼女に手を引かれ問答無用で部屋に上げられる。
玄関の
日向がリビングに続くドアを開けると、そこには食卓用テーブルに座る悠護達の姿があった。
テーブルには火が点いたガスコンロが置かれ、その上には煙を吹く土鍋がどーんと鎮座していた。
ガスコンロの隣には追加の食材を持ったザルや取り皿、ポン酢とゴマダレが入った容器も揃っている。
「おお、やっときたか。早く座れ、そろそろ鍋が煮終えるぞ」
「鍋?」
「今日はギルくんの提案で、みんなで鍋にしようって。ちょうど寒くなってきたからいいかなって」
心菜の言葉に全員が揃っている理由を納得していると、悠護が「もう煮えたぞー」と言いながら土鍋の蓋を持ち上げる。
土鍋の中には白菜、ニンジン、水菜、長ネギ、シイタケ、エノキ、豆腐、豚肉、鶏肉がこれでもかっていわんばかりに大量に入っており、コトコトと音を立てて煮込まれている。
出汁の匂いがしないことから鍋は水炊きだと分かるが、それでも鍋の中身を見ると一気に食欲が湧いてくる。
心菜に案内された椅子に座ると、悠護達がトングやお玉を使って取り皿に具材を入れて行く。
樹も遅れて具材を取り皿に入れようとするが、目の前でひと悶着が起きる。
「ん? おい悠護、肉が少ないぞ。もっと入れろ」
「ふざけんな、肉だけじゃなくて鍋の具材は全部みんなの共有財産だろ。具材は均等にわけるのが鍋のルールだ」
「あれ? 心菜、お肉少ないよ。ギルに遠慮なんかしないでもっと食べなよ」
「うーん……でも私、お肉よりお豆腐食べたいな」
肉をせがむギルベルトと鍋奉行化してる悠護がケンカしている横で、日向が心菜の取り皿に肉を入れようとするが、それを心菜が死守するという攻防戦が繰り広げられている。
目の前のみんなはいつも通りで、樹がしてきたことを誰も聞きに来ない。
……いや、これはむしろ聞かないでいてくれているのだろう。
(――まったく、ほんとコイツらは……人が良すぎだな……)
本当はみんな知りたいはずだ、自分が今まで一人で何をしていたのか。
そのことに一切触れないというのは、一見他人に興味がないと思われるだろうが、彼らの場合そうではない。
いつか、ちゃんと樹の口から離してくれると信じているからだ。
今はまだ、樹は自分がしてきた特訓についてはまだ言えない。
これから学園祭の準備があるし、コツを完全なものにするまではしばらく続けるつもりだ。
校内以外で一緒にいる時間は今まで以上に減るだろう。ならば、一緒にいる貴重な今を楽しんだ方が一番いい。
そう思い至った直後、樹は予備のトングで鍋の中に煮えていた肉を取ると、そのまま自分の取り皿によそった。
「よっし、肉ゲットーッ!」
「あ、樹! 貴様、横取りとは恥を知れ!」
「つーかその肉まだ半生だ! 戻せ!」
「バカッ、肉は半生のほうがウマいんだよーっ!」
樹の肉泥棒行為にギャーギャー騒ぐ二人の横で、日向と心菜は笑い合いながら「お肉もっと用意しよっか」「そうだね」と言いながら、キッチンの方へ向かう。
当たり前の光景。当たり前の会話。樹の日常が目の前で繰り広げられる。
ポン酢とゴマダレのどっちを使うのか、〆はごはんかうどんのどちらににするか、そんなくだらない会話すら楽しくて仕方がない。
五人で囲む鍋は、賑やかを通り越して騒がしかったが、樹が今まで食べてきた鍋よりずっと美味しく感じられた。
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