第213話 『慈悲の御手』

 膨大な魔力で空間が震える。

 地震よりも強く激しいそれは、聖堂の壁や柱にひびを入れるだけでなく、地下にいる被害者達すら混乱に陥れる。

 中でも一番の反応を見せたのは、ソムリエだ。


「これは……!」

「なんだ? この魔力……なんか色々とおかしい……」


 普通の魔力では感じない違和感に悠護が首を傾げた時、ソムリエがエストックを大きく振り下ろしながら悠護を襲う。

 しかし、妙に焦燥感を滲ませた顔をしたソムリエに、悠護の脳に霧彦の念話が飛んできた。


『悠護くん! 大変です、新生四大魔導士の少女……ストゥディウムと名乗った彼女が魔力を暴走させています! 理由は不明ですが、彼女が『新主派』の妄執によって生まれた亡霊の集合体らしく……』

「亡霊の集合体……?」

「っ!!」


 思わず漏れた呟きに、ソムリエが反応し再びエストックを振り下ろす。

 息を吐く間もない連撃を、悠護は双剣モードの《ノクティス》を上手く左右別々で動かしながら受け流す。

 異常な性質をした魔力、亡霊の集合体、そしてソムリエの表情……それを見て、悠護の中で点と点が線で繋がった感覚がした。


「…………お前、まさか……知っていたのか?」

「……っ!」

「最初から、ストゥディウムって女が亡霊であることを、お前は知ってたのか!?」

「黙れえええええええッ!!」


 ソムリエが絶叫を上げて、強化魔法と膂力を合わせた攻撃をしかける。

 何度も何度も打ち込んでくる彼の攻撃を、受け流すもすぐに弾き飛ばす。悠護と距離を離されても、すぐに距離を詰めて襲いかかる。

 悠護は防御魔法を展開し、突進してくるソムリエの動きを強制的に止めさせる。だが、憤怒を露わにするソムリエが、力任せでエストックを振り下ろすと魔力障壁が一刀両断させる。


(おいおいおい、魔力障壁ってのは魔力の塊を壁にした鉄壁に等しい防御魔法だぞ!? それを真っ二つとかマジか!?)


 正直なところ、悠護もやろうと思えばできなくもない。

 ただ魔力障壁を破壊する正攻法としては、相手の魔力が尽き欠けそうな隙を狙って破壊するというものだ。

 魔力にまだ余裕がある状態での魔力障壁の破壊は、正直荒業に近い。


 しかし、その荒業を目の前の青年はやってのけてしまった。

 それは彼の魔力量や経験の多さではなく、ただ純粋に彼の中にある想いが悠護の魔力障壁を破壊できるくらいに力を向上させたのだ。

 感情のコントロールによって魔法の力を強めることができる魔導士の特徴。それが最大限に活用されていたのだ。


「……お前、とんでもない女に惚れちまったんだな」

「…………」

「もしその話が本当なら、そいつはっていう矛盾を抱えている。だが……それでも今まで誰も真実を告げなかったのは、惚れた女のためなんだろ?」

「…………ああ、そうだ」


 悠護の問いかける口調に、ソムリエの態度が急変する。

 さっきまでの憤怒は残っているものの、そこには大事な女すら救えない男の葛藤を滲ませていた。


「ああ、そうだよ! ストゥディウムが亡霊のことくらい、俺は出会った頃から知ってた! 『新主派』の古狸共が〝主〟を生み出すために一斉心中して、その時で出た怨念や妄執を魔法で形作り、自我が生まれた瞬間を、俺はこの目で全部見た!!

 ……正直、出会ったばかりの頃は気味悪くて仕方なかった。連中の妄執そのもので生まれたんだから。でも……何も知らない赤ん坊みたいに『新主派ここ』の仕事をこなして、本当なら逃げ出したいくせにやり遂げるあいつの姿を見ていたら……たとえ肉の殻を被った亡霊だろうと、俺はあいつを好きになっていった……。

 だから、だからこそ! この真実を明かすことはできなかった! たとえあいつ自身が出自についてどれだけ疑問を抱こうと、適当な嘘で誤魔化して、あいつがこの生を謳歌できるように願っていた!! それのどこが悪いんだ? それが罪だというなら……俺は……あいつはどうやって幸せになればいいんだよッッッ!!!」


 ソムリエの想いの丈は、悠護の想像を超えるほど一途で真摯なものだった。

 愛する女の真実を知ってなお、彼女がどれほど恐ろしく不安定な存在なのか理解しているも関わらず、その想いを貫き必死に隠してきた彼の生き様は、正直見習いたいくらいだと思った。


 だが、パンドラの箱はすでに開いてしまった。

 箱から出てくるのは大きな災厄の中に、果たして希望があるのだろうか?

 それは悠護にだって分からない。それはあの魔力の渦中にいる恋人に託すことしかできない。


「……お前の気持ちはよく分かった。だけど、このまま魔力を暴走させ続ければ、この空間だけでなく現実世界にまで被害が及ぶ。そうなったら……あいつはIMF総力を持って消される」

「そんなこと……させない。俺が、絶対に……!」

「無理だ。IMFにいる正規魔導士がいくらいやがると思ってる? 日本支部だけでも三〇〇人は優に超えてる。最悪の場合、『クストス』も出てくる可能性だってある。どれだけ強がろうが、殺さず捕まえるってことはできねーんだよ」

「黙れ! 俺が絶対に救うんだ! そうしないと……俺はなんのためにあいつを守ってきたんだよ!?」


 ソムリエの想いは、悠護にも理解できた。

 たとえ亡霊だろうと、ソムリエはストゥディウムを愛してしまった。

『新主派』の妄執によって生み出され、『新主派』のためだけに身を粉にして尽くすことを決められた少女の姿を持った化け物を、彼はずっと守ろうと誓った。

 それがどんなに愚かな行為だろうと、一生愛の言葉を告げられなかろうと、それでもそばにいたいと願ってしまった。


 悠護だって痛いほどその気持ちが分かる。

 もし日向が人間じゃない存在だとしても、彼女を愛する気持ちは変わらないし、消されるようなことがあれば守りたい。

 だけど……ストゥディウムは、この世界にいてはいけない存在だ。


「………………ごめんな」

「~~~~~~~~っっっ!!」


 寂寥感に苛まれた表情を浮かべる悠護に、ソムリエは声にならない声を上げる。

 どれだけ足掻こうが、抗おうが、ストゥディウムは消される運命にある。

 それでも……それでも、ソムリエだけは認めない。諦めない。


「……救う。絶対に、あいつを死なせない」


 こんなことは無駄だと、心の中にいる自分が言う。

 諦めた方が楽だと、あんな化け物を気にかける理由はないと言い続けても、ソムリエは耳を塞ぎ拒絶する。

 どれだけ無意味な行動だとしても、それでもソムリエは彼女を捨てるという選択肢はない。


「絶対に……助ける。俺が、あいつを、救うんだっ!!」


 再び襲いかかる哀れな青年に、悠護は再び《ノクティス》を構えた。



 悠護とソムリエ――二人の男の戦いを、霧彦は何も言わず見ていた。

 彼らの会話は全て聞いており、その慟哭も想いも傍観者として目の当たりにしていた。バックアップを理由にした盗み聞きは、霧彦の胸の中を複雑な感情で支配していく。


(それにしても……亡霊の集合体ですか。似たような存在が確認されている例はあります)


 精霊。妖精。妖怪。幽霊。亡霊。怨霊。

 幻想生物を含む超自然的な存在は、長い歴史において何度か確認はされている。

 こういった類の存在は魔導士の魔力と残留思念が合わさって生まれ、時には自我を持って人に襲いかかるモノもいる。


 この類のものは生魔法に分類されている浄化魔法で消し去ることができるが、ストゥディウムのような事例は極めて稀だ。

 そもそも彼らは、生まれた時から永遠に肉体を持つことはできない。

 元が魔力と残留思念によって生み出されたのだから、どれほど肉の体を欲しても残留思念と魂の拒絶反応によって憑依することは難しい。もちろん一定の条件下での憑依ならば可能だが、基本憑依が成功する確率は低い。


 だが、ストゥディウムは肉体を持って生まれた。

 亡霊の集合体である彼女が生まれた瞬間から肉体を持つなど、本来ならばありえない。

 そもそも、どんな方法を使えば肉体を持つことが可能なのか、それすらも判明できていないのだ。


(正直、調べた気持ちはありますが……さすがに無理ですね)


 今のストゥディウムは我を忘れ、荒れ狂う魔力を操りながら日向に猛攻撃をしかけている。

 日向も無魔法で魔力の猛威を受け流し、なるべく近距離にならないよう注意していた。あそこまで膨大な魔力を近距離で浴びてしまったら、その余波で軽くない傷を負う羽目になる。


(戦い方しては正しい。しかし、ストゥディウムの魔力は未だ上昇している。このままでは魔力が暴走し、空間そのものを破壊しかねない)


 そうなってしまった場合、異位相空間にいる者全ての命が失われる。

 最悪の事態を防ぐためにも、霧彦は新生四大魔導士と戦っている日向達を除いた全員に念話を送る。


『みなさん、新生四大魔導士の一人が魔力を暴走させたまま戦闘している影響か、空間自体に軋みが生じています。あなた達の最優先事項は被害者達を連れて現実に戻ること。時間の猶予もあまりありません。できるだけ早く!』


 こういう時は本当に不便だ。

 自分の五感は全てを見通しているのに、実際は現場とは無関係で安全な場所にいて指示を出すだけ。

 長い付き合いである彼らが奮闘しながらも傷つく姿を、遠目で見ているのはかなり辛い。

 今の自分にできるのは、指示を出して彼らの無事を祈るだけ。


 元々、この作戦は七色家次期当主達に任されている仕事。

 すでに当主となった自分が前に出ることは難しいからこそ、アリスもそこは配慮しバックアップを頼んだ。

 頭では分かっている。分かってはいるが、それでも――。


(どうか、彼らが全員戻ってきますように)


 ただ純粋に、無事を祈り続けた。



☆★☆★☆



 日向達と離れ、単独行動を取るティレーネは聖堂の中を優雅に歩いていた。

 膨大な魔力の影響で空間全体が軋み、床や壁にひびが入っても、淑女然とした姿勢で歩く。

 靴音を鳴らし、ドレスに見立てた魔装の裾を揺らしながら、目的地を目指して歩く。


 辿り着いた場所は、ティレーネの背丈より何倍も高い扉。

 おもむろに手をドアノブに伸ばすと、バチッ! と鋭い音と共に手が弾かれ、指先が軽く痺れた。


「許可なき者を阻む防御魔法ですか……こんな玩具みたいな魔法で、破れられないと思っているのかしら?」


 萌黄色の魔力が右手に集中する。

 手首から徐々に色濃くなる魔力を纏ったままドアノブに近づけると、防御魔法がティレーネの魔力と相殺し合い、難なく触れられた。

 そのまま真鍮製のドアノブを捻って扉を開けると、そこは広くも薄暗い空間があった。

 光源は壁や中央の円卓にある燭台の蝋燭だけ。一〇を超える椅子にはスーツ姿の男女が座っており、ティレーネの登場に動揺を浮かべていた。


「ごきげんよう、『新主派』のスポンサーになった裏切り者の皆々様」

「あ、あなた……【紅天使】……!?」

「どうしてここに!?」


 やはり長く生きていると自分の顔は世界中に広まっているらしく、一目見てティレーネの正体を見破った者達の動揺がさらに増していく。

 ここにいる者達は、IMFや魔導士関連の政府機関で高いポストに就いているが、血統主義・選民主義思想の魔導士家系出身。


 彼らが絶対とする思想と類似している『新主派』に肩入れし、甘い汁を啜りながら高みの見物をしていた悪。

【紅天使】ティレーネ・アンジュ・クリスティアが手を下すべき存在。


「残念です。あなた様方の人柄はともかく、仕事はとても優秀でしたのに……」

「な、何が残念だ! 残念なのは国の方じゃないかッ!」


 ティレーネの言い方が癇に障ったのか、一人の男が唾を飛ばしながら叫ぶ。

 仕立てのいい高級スーツを着ているが、肥満体型のせいで今にも生地が千切れそうだ。顔も脂ぎっていて、見るからに贅沢三昧をしていると分かる。


「魔導士こそこの世界において最も貴く敬うべき存在! 下賤で下等なただの人間如きの理由で振り回され、排斥されていい存在ではないッ!」

「それについては同意しますが、だからといって人間を魔導士の奴隷として扱われることもどうかと思いますが?」


 一部の血統主義・選民主義の魔導士家系では、雇った非魔導士に対し手酷い扱いを受けさせている。

 中には辱められ、愛人として身を置かざるを得なくなった者もいるが、大半は精神的負荷によって耐え切れずそのまま自殺した。

 自分達の欲を満たすためだけに未来ある者達を苦しめ、死まで追い込んでいてそれでも平然と生きている。


 彼らは、全世界の魔導士の顔に泥を塗る穀潰し。

 慈悲も同情も必要なく、本来なら死ぬことすら許されない。


「どんな事情があるにせよ、あなた様方は魔導士界の面汚し。わたくしが直々に手を下しに参りました」

「な……なん、だと……!?」

「あら、どうしてそんなお顔をするのですか? わたくしの手によってあの世へ行けるのですから、むしろ光栄に思わないと」


 くすり、と美しく酷薄な笑みを浮かべる。

 ティレーネの笑みを見て、恐怖で青ざめた者達が情けない悲鳴を上げながら扉に向かって走る。

 だが扉はティレーネの魔法によって固く閉ざされ、押しても引いても叩いても一向に開かない。


 逃げ場を失い、泣き叫ぶ者達の声は反響しやすいこの空間では耳障りでしかない。

 すっ、とティレーネの右手が裏切り者達に向けてそのまま横へ動かす。

 瞬間、扉の前で騒ぎ立てていた者達の首が一斉に刎ねられた。頭部を失った首から血飛沫が飛び、その一部がティレーネの頬に付着した。


「ひいぃぃぃっ!?」

「え、『慈悲の御手エレイソン・マヌス』……!」


慈悲の御手エレイソン・マヌス』。

 空間干渉魔法に該当する魔法であり、ティレーネが一から生み出した魔法。

魔導書庫インデックス』に登録されてはいるが、制御が困難であることと上級魔法を超えるほどの威力と殺傷性の高さから、製作者であるティレーネにしか使用許可が許されていない。


 空間を捻じ曲げ、たった一度の動きで相手の命を奪う魔法。

 殺された瞬間でも後でも痛みがなく、刎ね飛ばされた頭部には苦痛で支配された表情はない。あるのは、目を見開いたまま呆然とした表情だけ。

 しかし、その表情すらこの場の恐怖心をさらに引きただせた。


(こ、これが……【紅天使】……!)


 天使の如き美貌を持ち、華麗な微笑を浮かべながら、少しの動きだけで相手を血の海へと沈める。

 彼女の立つ場所は、紅に染まっていることから、この二つ名を賜った。

 誰よりも美しく、血の紅が似合う天使、と。


「さて……あなた方もすぐにあの世へ逝かせましょう。ご安心くださいませ。苦痛なく、一瞬で済みますからね」


 氷のように冷たい笑みを浮かべながらも、紅い天使の美しさは血が増えるたびにより際立たせる。

 閉ざされた空間に残された者達は、目の前に迫る脅威を前になすすべもなく、ただ狂ったように笑い声を上げながら涙を流した。


 ティレーネが部屋を入ってからわずか数分後、スポンサーが集まるために用意された部屋は、首と泣き別れた頭部が転がり、壁も床も血で染まった。

 入ってきた時と同じように優雅な仕草で部屋から出てきたティレーネは、屍が転がる室内に向けて一礼し微笑む。


「――それでは皆様、ごきけんよう。あの世で己の罪を後悔しながら、何度も死んでくださいな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る