第212話 語られる真実

「ぐっぉらぁああ!!」


 押しかかる踵落としを交差した両腕で防ぎ、身体強化魔法をかけたその腕で押し上げる。態勢を崩したのを見逃さずボディーブローを決めるも、筋肉の壁はぶ厚い。この拳にも強化魔法をかけていなければ、折れるとまでは行かないがヒビが入っていただろう。

 相手もすぐに持ち直し、今度は拳を突き出してくる。すぐさま交わした直後に拳が地面に突き刺さり、赤煉瓦が粉々に砕かれていく。


 砕かれた赤煉瓦の地面から引き抜いた拳は肉が見えるほど皮が剥けており、そこから決して少なくない血が流れていく。だが、血はその手だけに流れているだけでない。

 強化魔導士の肩やこめかみ、太腿が血で染まっている。筋肉強化魔法の酷使によって血管が皮膚を突き破って破裂しているのだ。

 しかも徐々にその効果が消えかけているのか、樹がダメージを与えた箇所は青紫色に変色した痣が浮かび上がっており、左腕の関節はすでに脱臼して使い物にならない。


 戦うことすら難しくなっているのに、それでも強化魔導士は戦うことをやめない。

 強化実験を受けて人格さえ失った彼らに残されているのは、〝主〟によって設定させられた『邪魔者を殺す』という任務プログラム

 遂行するまで食べることも、飲むことも、眠ることも彼らには許されない。まるで呪いだ。


(だが、消耗戦に持ち越したくても俺の体力はもう限界に近い。一か八か殺るしかない……!)


 樹の中で人を殺す覚悟はまだできていない。

 それでも、これ以上敵であるはずの彼を早く楽にさせたかった。

 強化魔導士が負った木の枝を一本拾う。素早く相手の懐に潜り込み、魔法で急速に成長させたところで心臓を一突き。それが樹の考えた殺し方だ。


(チャンスは一回。失敗すれば消耗戦は確実だ!)


 茂みに隠れ、チャンスを伺う。息を殺して、機を狙う。

 煉瓦の欠片が散らばる地面を敵が歩く。安物のブーツの爪先がこんっと欠片を蹴る。

 それが合図。息を吸い込み、茂みから飛び出した直後。


 ――目の前の強化魔導士の血が、樹の顔に降り注いだ。


「…………え……?」


 呆然とする樹の前で、強化魔導士の体はぐらりと傾き、そのまま倒れる。

 倒れた彼の背後には《白鷹》を振り下ろした怜哉とその後ろに心菜が沈痛な表情を浮かべている。ゆっくりと強化魔導士の方を見ると、彼の背中が斜めに斬られている。肉が裂け、そこから僅かだが骨が覗いている。

 血も地面に池ができるほど流していて、呼吸も弱くか細い。軽い痙攣をおこしている彼はもうすぐ死ぬのだと嫌でも伝わってくる。


「……なんで……殺した……? 俺が……俺が、殺すつもり、で……」

「そう。……でも、が必要はないよ。それは僕の仕事だから」


 君ら。それが自分と心菜のことを指していることくらい、樹はそこまで鈍くない。

 やがて痙攣が止む。息を吐く音が聞こえなくなる。

 名前も知らない強化魔導士は、ようやく任務プログラムから解放され、死というやり方で救済された。


 本来なら正しくないやり方。だけど、これしか救う方法がなかったのも事実だ。

 顔に付着した血を魔装の袖で拭う。血が染み込んだ魔装に魔力を送ると、鉄臭さと濡れた感触が消えていく。魔装に付与した洗浄魔法の効果だ。

 魔装は綺麗になったが、傷はまだ癒えていない。治癒魔法をかけようとした時、樹の左手を心菜が取る。そのままペリドット色の魔力が可視化され、痛む箇所が和らいでいく。


「…………俺、ダメだな……」

「樹くん……」

「怜哉先輩が殺した時、俺ほっとしてたんだ……『自分で殺さなくて済んだ』って思っちまった。……そんなこと、思っちゃいけねぇのにさ……」


 そうだ。あの時の自分は手を血で汚さずに済んでほっとしていた。

 殺す覚悟をしていたはずなのに、結局できずに他人任せ。

 しかもそのことに安堵しているのだから、自分の覚悟がどれだけ薄っぺらかったのかと痛感させられる。


 あまりにも情けなくて、ぎゅっとズボンを握りしめる樹。

 それを見た心菜が彼を抱き寄せて、優しく頭を撫でる。顔に柔らかい膨らみが当たるも、心菜は気にせず抱きしめる。


「……それは私も同じだよ。結局、白石先輩の力を借りたようなものだから……」

「心菜……」

「樹くん」


 優しく自分の名前を呼ぶ心菜。

 だけど、その声が少しだけ震えていた。


「…………誰も、殺したくないよぉ……」

「っ……ああ、そうだな……っ」


 心菜の声に樹は同意し、抱きしめ返す。

 彼女の気持ちは痛いほど理解できる。樹だって人を殺したくない。だけど、周囲はすでに殺す覚悟をしている。

 置いて行かれると分かっていても、その一歩を踏み出せない。


(ほんと、ダメだなぁ俺……)


 親友たちを雁字搦めな運命から解放させたいと思っても、自分達には何もできない。

 己の無力さを歯痒く感じながら、二人はその場で涙を流し抱きしめ合った。

 それしか、今の二人にはできなかった。



 地下では、相変わらず強化魔導士と戦っていた。

 アリスは前方、紗香と暮葉が後方の強化魔導士を相手しており、香音が防御魔法を張って被害者達を守っている布陣だ。

 香音が防御魔法を得意としているのと、魔装に増幅魔法を付与していることもあり、いつもより高度な魔法を使えることができた。


 しかし、相手はかなり頑丈で手練れであるせいで仕留めるにはまだ時間がかかる。

 被害者達も目の前で行われている殺し合いから必死に目を逸らしており、ぶつぶつと呟いている人もいるが、全員この戦いが早く終わることを望んでいる。

 どうすればいいかと頭の中で必死に考えを巡らせていると、脳内で霧彦の声が響いた。


『香音。少しの間だけでいいので、あなたのご自慢の魔導具で被害者の混乱を鎮めてください』

「ったく、無茶ぶりばっかして……!」


 そもそもこの防御魔法すら展開ギリギリの状態だ。

 少しでも気が緩むと守りが薄くなり、最悪被害者が人質に取られてしまう。見ているくせに無茶ぶりをかけてくる霧彦に怒りが湧くが、今はそう言っていられない。

 ベルト部分に通してあるウエストポーチから、卵型の置物を取り出す。色とりどりの模造石が散りばめられているそれは、香音の魔力を通すことで光を放つ。


「何これ……」

「……綺麗」


 淡い色合いの光が被害者達を包み込み、幻想的な風景を見せる幻覚魔法が付与された魔導具。本来の使用用途は暗いところでは眠れない子供やロマンチックな雰囲気を出すために作り出されたものだが、目の前で血生臭い戦いをして錯乱仕掛けたこの場でもその効果があるようだ。

 しかし、現状は変わらない。『クストス』の軍人であるアリスでさえ手こずらせる相手を、短時間しか持たず、定期的な魔力供給が必要な魔導具ではまた同じことの繰り返しになる。


(その前になんとか済ませなさいよね……!)


 口には出さず心の中で必死に願う香音。

 その願いが通じたのか、アリスの魔導具が剣から馬上槍にかえる。

 馬上槍型魔導具《プラガ》。一撃を想定した魔導具であり、アリスのお気に入りの一つだ。


 この《プラガ》は普通の魔導具と違い、ある魔法が付与されている。

 恐らく、この世界でもある意強力な魔法だ。


「そんじゃ、そろそろ終わらせるよー!」


 アリスが陽気な声を出すと共に、《プラガ》を突き出しながら突進する。

 しかし強化魔導士は魔法だけでなく身体能力も向上しているため、あまりにも真っ直ぐすぎる攻撃を難なくかわす。

 槍先が強化魔導士の服を掠った瞬間、


「!?」

「――ごめんね」


 強化魔導士の背中が地面に倒れたのを見計らい、天井に向けて跳躍したアリスが《プラガ》を突き出す。

 鋭い白銀の槍先は、容赦なく強化魔導士の胴体を貫いた。


 いつもの天真爛漫な雰囲気が鳴りを潜め、恐ろしいほど無表情で《プラガ》を引き抜く。

 一撃で仕留められた強化魔導士の死体は胸に大きな空洞ができていて、大量の血が流れていく。《プラガ》被害者の目に入らないよう魔法で死体を浮かせ、適当の部屋に投げ入れる。

 慣れた手つきだ。香音が知らないだけで、アリスはこういった仕事を何度もやってきたのだろうか。そう考えたら一瞬だけ防御魔法が揺らいだ。その隙を狙い、強化魔導士が魔力障壁を殴った。


「つぅうっ!?」


 我に返り魔力を入れ直すと、魔力障壁が強度を取り戻す。

 メイス型専用魔導具《レギナ》を持つ手を握り直しながら、周囲を見渡す。紗香が相手を幻覚魔法で惑わしており、暮葉が《颯》で魔力弾を連射する。

 アリスが相手していた強化魔導士がパワーに特化しているならば、二人が相手している強化魔導士はスピードに特化している。

 狭い空間なのに素早く動き、回避行為を繰り返す様はかなりの手練れだ。これ以上戦い続けると、先に二人の魔力が切れてしまう。


(一瞬でいい、あいつの動きを鈍らせれば……!)


 静かに息を潜めながら、香音はすっと右腕を前に突き出す。

 右手の中指が動き回る強化魔導士の左太腿に狙いを定めた瞬間、ぐっと手を握りしめる。

 瞬間、香音の魔装の袖の名から黄色い魔力の矢が射出した。


「ぎゃあっ!?」

「これは!?」

「はっ、上出来だ!」


 強化魔導士が短い悲鳴を上げ、紗香が目を見開いたが、暮葉は嗤いながら《颯》の引き金を引く。

 銃口から射出した魔力弾は、強化魔導士の眉間を一直線に撃ち抜いた。

 強化魔導士は血と脳漿を飛ばしながら、仰向けで倒れる。白目を向き、口から血が混じった唾を垂らしていたが、暮葉は顔色を変えないように注意しながら、その死体を引きずって部屋に放る。


「よくやったな、香音」

「……ふん。これくらいできるよ」


 暮葉からの珍しい労いに、香音はそっぽを向きながら魔力障壁を消す。するとアリスが香音の右手首を取ると、そのまま袖を下へ引き下ろした。

 香音の手首から下半分は、黒い筒状のものが付いた五本の黒革のベルトがつけられていた。


「これ、袖箭ちゅうせんっていう暗器じゃない?」

「正確には、それをモデルにした魔導具よ。魔力操作が高ければ、連射性もスピードも優れた魔力矢を撃つことができるの。……今の私じゃ一発ずつしかできないけど」

「けど、さっきはスゲー役に立ったぞ。ありがとな、香音」

「……そうね。お手柄よ」


 わしゃわしゃと頭を撫でる暮葉と紗香の素直な褒め言葉に、さすがの香音も気恥ずかしなり魔装のフードをすっぽりと被った。

 フード下から見える香音の頬が薔薇色に染まっていることに気づきながらも、アリスは笑いながらパンパンッと手を叩く。

 その拍子に魔導具で美しい光景を見ていた被害者達が我に返る。


「あ、あれ……?」

「さっきの奴らはどこに行ったんだ?」


 きょろきょろと辺りを見渡す被害者達を見て、アリスは満面の笑みを浮かべながら言った。


「大丈夫! ボクたちが倒したからもう安心してほしい!」

「ほ、本当か!?」

「や、やっと家に帰れるんだ……!」


 アリスの言葉に感極まって滂沱の涙を流したり、喜びを分かち合うように抱きしめ合う被害者達。

 地上から感じる魔力のぶつかり合いを察しながらも、アリスは笑みを絶やさず先頭に立つ。


「さあ、少し長いけど目的地まで歩けば元の世界に戻れるよ! 頑張っていこう!」



☆★☆★☆



 純白と真鍮製の枠を嵌めた窓、それから柔らかい色合いの扉が並ぶ廊下。

 日向は走りながら、背後から追いかけてくる少女の気配に内心首を捻らせる。


(おかしい……見た目も魔力も普通の魔導士と変わらない。だけど……何なの、この不自然なほどの。まるで、彼女を素体にを植え付けられたような……)


 頭の中で必死に考えるも、背後で走る少女が跳躍する。

 エストックがギラリと光り、《スペラレ》で防ぐ。何度も刃を振り下ろしてくるも全て受け流し、強化魔法で己の膂力を向上させる。

《スペラレ》を腕ごと持ち上げ、弾き飛ばす。少女は受け身も取らないままゴロゴロと転がっていき、痛みに悶えながらも立ち上がる。


 日向がもう一度走り出すと、再び追いかけ始める少女のラズベリーレッド色の双眸は、今も血走らせながら日向を睨みつける。

 対面した時の優雅さも清楚さも殴り捨てた様子は、まるで仇敵を見つけて死ぬまで追いかける亡霊のようだ。


(そうだ……そうだ、亡霊だ。今の彼女は亡霊そのものだ)


『新主派』が長い時を経て積み重ねてきた妄執、願い、欲望。

 それら全てが亡霊のようにこの少女に取り憑いている。

 ……いいや、違う。これはむしろ――。


「…………そうか。そういうことなんだね」


 そう呟きながら、日向は走る。

 長い廊下を抜け、階段をかけ走り、ようやく辿り着いたのは屋上だ。

 自分の背丈より高い位置には鐘楼があり、近くには分厚い鉄扉がある。ここから入り、階段を上り、鐘を鳴らす。

 ようやく足を止めた自分に、少女は幽鬼の如く虚ろな顔に愉悦な笑みを浮かべさせる。


「やっと、やっと追いつけた……ふふふ、もう逃げられないわよ」

「逃げたつもりはないよ。ここで決着をつけようと思っていたから」


 日向が言ったことは本当だ。

 アリスから送られた地図でこの場所を見つけてから、戦うならば最小限被害が出ず敷地内の中で遠い位置にあるここで終わらせようと思っていた。


「そういえば名前を聞き忘れたんだけど……教えてくれない?」

「……ストゥディウム」


 ストゥディウム――『希望』の名を与えられた少女の言葉に、日向は静かにその名を胸に刻む。


「そう、いい名ね」

「当たり前よ。これは私の洗礼名、新生四大魔導士と選ばれたからこそ相応しいの」


 誇らしげに語るストゥディウムに、日向は目を細める。

 それは彼女の眩しさからではない。言葉にすることができない憐憫によってだ。


「そう……なら、あなたは?」

「………………? 何を言って―――」

「なら、言い方を変えるね」


 首を傾げ、きょとんとするストゥディウムに、日向は静かに告げる。


?」


 その一言に、ストゥディウムの目が大きく見開かれた。


「何を、言って…………」

「正直に言うと、あなたの魔力はありえないほどおかしい。色んな魔力が混じり合っていて、しかも性質さえ違う魔力も入っている。本当なら、こんな魔力をしている魔導士は存在しない」


 戦っている時も、追いかけられている時も、ずっとずっと感じていた違和感。

 だけどその違和感は、本人でさえ知らない……いや、自覚すらしていないモノ。


「最初、あたしの勘違いだと思っていた」

「やめて」

「でも、追いかけられて、何度も攻撃を受け流して」

「やめてやめて」

「あなたを見て、ようやくその正体が分かった」

「やめてやめてやめて!!」


 ストゥディウムが叫ぶ。拒絶を篭めた言葉を吐く。

 だけど――日向は無情にも、残酷にも告げた。


「――ストゥディウム、あなたは魔導士じゃない。いいえ、それどころか人間じゃない」


 目の前にいる紅色の少女は――この魔導士は――。


「あなたは、『新主派』が蓄え続けた妄執が物質化し、自我を持った存在――肉の殻を被った、亡霊の集合体だよ」


 日向の口から紡がれる真実。

 それを耳にし、脳の電気信号によって受信され、脳の中で意味が咀嚼されていく。


「あ――ああ――あああ―――」


 だけど、受け入れられない。受け止めきれない。

 自分が亡霊? 生きていない? 人間でも魔導士でもない?


 なら、なら――――私は一体誰なの――――?


 脳がオーバーヒートを起こす。目の前の少女が語る真実を拒絶する。

 認めない。認めてなるものか。認めてしまったら……全てが瓦解し、奈落へ落ちてしまう。

 ストゥディウム――いいや、『妄執』の亡霊が慟哭を上げる。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 その慟哭は、真実を否定する少女の悲痛な叫びのようだった。

 ラズベリーレッド色の魔力が、これまで蓄積され続けていた魔力が混ざり合い、奇跡的に手に入った色の輝きが膨張する。


 直後、血の如く真っ赤に染まった魔力が一筋の柱となって、空間全体を震わせた。

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