第211話 憤怒と殺し

 陽とギルベルトは双子と対峙していた。

 まるで合わせ鏡のようにスティレットを振るう様は、見事な連携としか言いようがない。

 アイアンブルー色の瞳が四つこちらに向けられたかと思うと、一斉に左胸に向けて刺突を繰り出す。二人は魔装に付与されている硬化魔法を発動させ、双子の鋭い一撃を封じる。


 素早い動きといい、無駄かつ迷いのない攻撃は暗殺者アサシンと言った方が当てはまる動き方だ。

 真正面から戦ってくる相手より、よほど性質が悪い。今までの戦闘経験を考えると、奇襲・不意打ちが得意なリンジーの方がまだマシだと言える。

 ステップを踏みながら距離を取った双子は、互いに顔を見合わせる。


「すごいね」

「すごいな」

「どっちと戦いたい?」

「私、金髪の彼がいい」

「じゃあ、僕ポニテの人ね」


 交互に会話すると、双子の女はギルベルト、双子の男は陽に襲いかかる。

 女のスティレットを鱗で覆われた腕で受け流し、雷を纏った左拳を腹部に入れようとするも、すぐに躱して距離を取る。

 陽と双子の男は別の方へ行ってしまい、二手に分かれてしまった。


「貴様、名はなんと言う?」

「それ、聞いてどうするの?」

「生憎、こちらは相手の名を知らないままでは気になって仕方ないのだ」


 双子の女に言ったのは本当だ。

 前世で敵として自国の民を殺した時、相手の名が分からず殺したことで遺族に詫びることもできなかった。今世で力が制御できなかった頃、自分が傷つけてしまった者の名前は全て覚え、同じ過ちを繰り返さないようにした。


 この双子の名を知りたいと思ったのは、そういう経緯があるからだ。

 双子の女はことりと首を傾げたが、すぐに答えた。


「私の名前はフロスだよ。弟はパピリオ」

「そうか、良い名だな」


 フロス――『花』の名を持った少女が、ご丁寧に片割れの名も教えてくれる。

 しかし、この名は本名ではないだろう。

 どの宗教でも洗礼を受けた者が洗礼名を賜ることがあるが、『新主派』の場合は洗礼名を与えると同時に本名を奪われる。洗礼名は俗世と完全に切り離したという証であり、立派な信者として選ばれたという意味合いを持っている。


 できれば本名を教えてもらいたかったが、すでにその記憶すら彼女にはないだろう。

 一方的に与えられた第二の名でも、ギルベルトの脳にその名が刻まれた。


「もういい? ――じゃあ、殺すね」

「!!」


 フロスが視界から消えた。直後、至近距離まで迫り、スティレットを振りぬく。

 竜化した腕で斬撃を防ぎ、黒曜石のように艶やかで鋭い爪を振るう。爪はフロスのスティレットに当たり、ガキンッ!! と甲高い音を立てた。

 本来、ギルベルトの爪は万物を切り裂く。強化魔法で切断を強化させた魔導具よりも威力が強く、あんな細く長い刃などすぐに折れる。


(あの短剣の強度は強化魔法によるもののはずだ。だが……なんだ? この手ごたえは)


 僅かに痺れを残した爪の感覚に、ギルベルトが不審に眉をひそめる。

 フロムのスティレットは十字架を象っており、柄の先が薔薇の飾りが施されている。

 細長い刃が白銀に煌めく。その時、ギルベルトは見た。


 ――


「っ!! 貴様、まさか『ドラゴン』の概念干渉魔法使いの鱗を材料に使ったなッッッ!?」


 スティレットの秘密に気づいたギルベルトが怒声を上げる。

 彼を中心とした周辺に地割れが起き、雷が地面から上へ昇る。

 周辺の魔力が強いほど肌を刺激し、ギルベルトの憤怒に染まった顔を見ても、フロムは沈黙を貫くばかり。その様子すらギルベルトの怒りを膨れ上がらせる。


 ギルベルトのような『伝説級』の魔導士は、変質させた部分をとして扱われることがある。

 ハーピーならば羽を使った風魔法が付与された扇、人魚なら鱗を使った水中呼吸魔法が付与されたイヤリング。ドラコンも例外ではなく、爪や鱗は魔導具の材料として最適されている。


 もちろんドラコンを『概念』にする魔導士はあまりおらず、入手もかなり難しい。

 ギルベルトが確認しているだけでも、同じ概念魔法使いは世界中の一〇人しかいない。だが、去年の一〇月にその一人が無残な死体となって発見されたと報告があった。

 死体は四肢を斬り落とされ、髪も毛根一本も残さないように抜かれたと書かれてあった。ルーマニアで暮らす八〇歳越えの女魔導士で、白銀の鱗と純白の翼をした美しい雪竜せきりゅうだったことも。


 ギルベルトの憤怒の顔を見ても、フロムは顔色一つ変えない。

 だけど彼の視線の先にあるスティレットに気づき、嬉しそうに語る。


「これが気になるの? ルーマニアで綺麗なドラゴンを見つけたから、狩って手に入れたのよ。パピリオとお揃いでね、とっても気に入ってるの」

「そのドラゴンは……最期に何と言った?」


 押し殺した声で問いかけると、フロムはきょとんと目を瞬かせるも答える。


「えっと……なんだっけ? 『ドラコンを『概念』に選んだ魔導士は、仲間の報復に容赦ない』だっけ? それがどうした――」


 瞬間、金雷が轟いた。

 耳障りと思えるほどの爆音を鳴らし、地面を抉る。雷の輝きは目を奪われるほど美しいが、それよりも余波を受けただけで全身が痺れてくる。

 右手から落ちようとするスティレットを、フロムは唇を噛むことで一瞬だけ麻痺を和らげ、握り直した。


 そこで、彼女は見た。

 魔装を破り、背中から翼を生やした怒れる雷の竜を。


「――フロム。同胞を殺した罪、【定命の魔導士】ローゼン・アルマンディンの生まれ変わりであるこのオレ、ギルベルト・フォン・アルマンディンの手によって、貴様の命で贖ってもらうぞ」



(どうしよう、どうしよう! こんなに強いなんて知らないよ!?)


 パピリオは動揺していた。

 自身の片割れであるフロムと一緒に『新主派』に入ってから、自分達に勝てる魔導士はそうそういなかった。

 どの相手も等しく弱く、浅知恵ばかり働く。その上小心者でちょっとでも不利になると無様に命乞いをした。


 だけど、今回の相手は違った。

 どれほど攻めても一切怯むことはなく、容赦なくこちらを追い詰める。

 今までと次元が違いすぎる相手との戦いというのは、こんなに恐ろしいものなのかと痛感させられる。


「――もう終いか?」


 銀色に輝く槍を煌めかせ、近寄る赤紫色の双眸をした異教徒。

 背後に赤紫色の魔法陣を一〇以上も浮かばせており、それが異教徒の悍ましさを際立たせている。


「ひぃ!? く、来るなぁ……!?」


 生まれてから久しく忘れていた恐怖が芽を吹き出す。

 これほどに恐怖を抱いたのは、ここに来たばかりの頃以来だ。慣れない環境に振り回され、殺人に手を染め、耐え難い訓練を乗り越えていくうちに、自分達の中で恐怖というものは枯れ果ててしまった。


『新主派』で過ごす日々は、穏やかとはほど遠い生活だった。

 任務では何度も死ぬ思いをしたし、訓練や勉強の時も一つでも間違えれば問答無用で鞭に打たれた。それでも新生四大魔導士として選ばれたのは、フロムの存在とこの実力があってこそだ。

 二人一緒なら怖くない。どんな敵でも倒せる。そんな自信があった。


 なのに。それなのに。

 目の前の敵は自分の攻撃を全部躱して、魔法陣から放出される魔力弾はまるで機関銃。どれだけ距離を取っても空間転移で無意味にさせる。

 まるで生きた災厄。歩く大災害。魔導士の真の恐ろしさを具現化させたような男。


 ――それが今、パピリオに向かって迫ってくる。


「あんさんらがしてきたことは、ワイらにとっても見過ごせへんものや。今感じてる恐怖も、痛みも、苦しみも、全部『新主派』の都合で与えてきたんや」

「はぁ……ひぃ……!?」

「ワイのしとることは。あんさんらが与えたモノ全てを返しとるだけ。宗教として言うなら……贖罪や」


 贖罪。贖罪だって?

 自分達がしてきたことは、『新主派』の崇高なものであり、多少の犠牲になった者はそのための礎になったに過ぎない。

 異教徒の身に余るほどの名誉を賜ったというのに、この男はそれを贖罪という言葉で否定した。


「……異教徒の分際で、偉そうな口叩くなぁあああっ!!」


 怒声を上げながら、パピリオが急速に迫る。

 パピリオとフトムは強化魔法で脚力を向上させ、特別製のスティレットで相手の喉元を引き裂く戦い方を取る。この素早さに追いつかれた者がいない以上、どんな相手でも確実に殺せる。


 しかし。

 目の前で男の姿が消えた。直後、強い衝撃が背中を襲る。


「があぁ……!?」


 声を上げ、顔だけを後ろに向かせると、そこにいたのはあの異教徒。

 彼の魔法陣の一つが強く光っていて、その魔法陣から魔力弾が発射されたのだと教えてくれる。

 ごろごろと地面に転がっていく自分を、異教徒が見下ろした。


「そういえば自己紹介がまだやったな。ワイは【記述の魔導士】ベネディクト・エレクトゥルムの生まれ変わり、【五星】豊崎陽。せめてものの慈悲や、遺言くらい聞いてあげるで?」


 陽――いや、世界最強の魔導士の一角として名を連ねる男の言葉に、パピリオは怯えを含んだ悲鳴を上げた。



☆★☆★☆



 白銀の刃が舞う。白百合の修道女の動きは強化魔導士でさえ追いつけない。

 どれだけ躱し、攻撃を放っても魔物は全て躱し、切り捨てる。

 強化魔導士は詠唱せず巨大な火球を放つ。強化実験で体を改造された魔導士の力は、通常より倍の威力を持っている。一度受ければ土地を広範囲に燃やし荒野にしてしまうその魔法も、魔物は真っ二つに斬る。


「――リリウム。お願い」


 魔物の主人が静かに命令する。

 白百合の修道女の刃が光ったかと思うと、姿が消える。

 直後、強化魔導士の右肩から左脇腹にかけての袈裟斬りが繰り出された。

 血飛沫が偽りの青空に向かって射出され、赤煉瓦の石畳を血で汚す。重々しい音と共に倒れた。


「…………」


 血の海に溺れていく強化魔導士を、心菜はそっと目を伏せて冥福を祈る。

 リリウムを使ったからと言って、自分が殺したことに変わりない。元々、人を殺す覚悟も持って戦っているのだ。

 仕方ないと一言で片づけたくはないが、それでもこの罪を友が背負っているのだ。ならば、自分達も背負う覚悟をしなければならない。


 その時、後ろで何かが薙ぎ倒される音がしたかと思うと、ザシュッと肉を刺す音がした。

 振り返ると、怜哉が顔や黒い魔装でも分かるほどの返り血を浴びており、強化魔導士の心臓を《白鷹》で突き刺していた。

 ずるりと刃を抜き、ついた血と脂を振り払う。


「あれ? 神藤さんも倒したの?」

「はい……怜哉先輩は……?」

「安心して。きちんと殺したよ」


 あっさりと殺したと告げる怜哉に、心菜は言葉を失うもすぐに理解する。

 白石家の役割は魔導士界の秩序を乱す者の排除。捕縛もあるが、それよりも殺すことが一番多い。だからこそ、彼は息をするのと同じくらい簡単に人を殺せるのだ。


「……君が何を考えてるか知らないけど」


 黙り込む心菜に、怜哉は静かに言った。


「魔導士は世界の宝であると同時に世界を害する兵器なんだ。特に裏社会に生きている人間は危険で、捕縛よりも殺害を優先させられる。それにこいつらはもう限界が近かった。生かしても三年も生きられないよ」

「っ……」

「でもね。僕は君に殺しを慣れろとは言わないよ」


 怜哉の言葉に心菜が反応するよりも前に、背後でリリウムが斬ったはずの強化魔導士が起き上がる。

 声も出さず、口から血反吐を吐きながらも心菜に襲い掛かるも、その一瞬で怜哉が強化魔導士の背後に現れた。


《白鷹》が振るわれ、決して細くない強化魔導士の首を刎ねる。

 サッカーボールよりも大きい頭部が宙から地面に落ちる。頭部と泣き別れた首から血が噴き出し、それが心菜の顔に降り注ぐ。

 血生臭い雨を浴びた心菜は、もう一度倒れる強化魔導士を呆然と見下ろした。


「――殺せない君らの代わりに、僕が殺してあげる。それが僕の役目だからね」


 もう一度刃についた血と脂を振り払った怜哉は、ゆっくりと鞘に収めて歩き出す。

 心菜は自分の顔や髪についた血に触れ、真っ赤に染まった手を見る。

 温かい。この血の温度は、さっきまで生きていた人間の証。それが今、白い死神の手によって冷たくなっていく。


 そして思い知らされる。

 やはり、心菜には人を殺す覚悟などできない。それどころかこうして血を浴びることも、血を見ることも嫌いだと。

 なんて滑稽なのだろうか。散々覚悟しておいて、結局人が死ぬところを見たら怖気づいてしまっている。自分がどれほど弱いのか思い知らされる。


(でも……私は人を傷つけることはできても、殺すことができないのは事実)


 どれほど打ちのめされようと、それは絶対に変わらない。

 こうして血を浴びることも、人の肉を斬ることもできない。

 だからこそ、怜哉は言ったのだ。


 ――殺せない心菜の代わりに、自分が人を殺すと。


(ああ、本当に……優しい人ばかり……)


 どんな時でも、どんな状況に置かれても、責めることはせず優しく諭してくれる仲間。

 その存在が一体どれほど貴重なのかも痛感させられるが、それでも彼らの存在が自分を強くしてくれるのは事実だ。

 おもむろに噴水の近くまで歩き出すと、そのまま水に向かって頭を突っ込んだ。これにはリリウムを驚き、心菜の周りでオロオロとしている。


「――ぷはぁっ!!」


 思い切り息を吐いて水から顔を出した心菜は、額にへばりついた前髪を掻き上げる。

 水は心菜が被った血で若干赤く染まっているが、湧き出る水の影響で薄くなっていく。

 それを見つめながら、日向に教えてもらったドライヤー魔法で髪と濡れた魔装を乾かす。


「ごめんなさい、リリウム。もう大丈夫よ」


 オロオロする魔物の腕を軽く撫でながら、心菜は持ってきたヘアゴムで髪を結い上げる。

 ペリドット色の瞳には薄っすらと迷いがあるも、それでも心菜は自分がするべきことを見つけていた。


(私に人を殺すことはできない。ならせめて、この戦いで傷ついた人たちを癒す)


 それこそが、心菜がするべきこと。

 ここに樹がいれば「そうだな」と笑って同意してくれるだろう。なんとなく想像ができてしまい、思わず笑みを浮かべてしまう。


「行こう、リリウム」


 主人の言葉に白百合の修道女は嬉しそうに頷きながら、まだ戦っているだろう仲間の元へ走った。

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