第294話 狂恋の乙女からの贖罪

 誰もが目を疑った。

 重傷だったはずのジークが起き上がったことは、この中で卓越した生魔法の使い手である心菜がいたから不思議に思わない。

 だが、その次に出た魔法が原因だ。


 無魔法。

 九系統魔法として分類されているが、実質アリナもとい日向専用の魔法。

 それをジークが使ったという事実は、悠護だけでなく陽も怜哉も、そしてカロンすらも驚愕で目を見開く。


「何故……何故、貴様が無魔法それを使える!? それは、彼女のものだぞ!?」

「そうだな。無魔法は日向が『蒼球記憶装置アカシックレコード』で得た力。それを私が使える理由は……ただ、ひとつ」


 カツン、カツンと靴音が鳴る。

 その音と呼応するように、ジークの魔力が膨れ上がっていく。

 そして、前髪から覗くタンザナイト色の双眸の中に、銀の光が星屑の如く煌めいた。


「私の魔法の力が、〝神〟ヤハウェによって直接授けられたモノ。ならば、今の私が『蒼球記憶装置アカシックレコード』への接続権限を持っていてもおかしくはない」

「なっ……!?」


 ジークの魔法の力が、〝神〟によって授けられたモノ? 

 いつもならば冗談だと笑い飛ばしたいが、今のジークの様子を見るに本当であると伝わってくる。

 それ以前に、前世でジークだけが魔法を使えた理由を考えると辻妻が合う。


「嘘だ……ありえない! そんなこと、あってたまるか!!」

「事実だ。お前がどう言おうとも、結果が変わることはない」


 カロンが否定を繰り返すも、ジークは淡々と事実だけを告げる。

 その姿がまるで、聞き分けのない子供と根気強く言い聞かせる親のように見えた。

 未だ状況が読み込めない中、ジークは顎に手を当てながら言った。


「それにしても……さっきの悠護の言葉は、実に的を得ていたな」

「えっ?」

「アリナを女ではなく、女神として愛していた……か。なるほど、ならばお前の異常な執着も納得がいく」 

「な、にを、言って……」


 悠護では飽き足らず、ジークまでカロンさえ気づかなかった真実を察した。

 やめろ。それ以上口を開くな――そう言いたくても、喉が張り付いたように言葉が出ない。


?」

「―――――――――――――――――――――――あ」


 ジークの告げる真実に、ようやく気付く。

 そうだ。カロン・アルマンディンは、人間という種そのものを嫌う者。

 色と酒に狂った愚かなちちと、口を閉じることしかできない哀れな王妃ははを見て、自分は何を思った?


 ――人間は醜い。人間は汚い。人間は悍ましい。人間は愚かな生き物だ。

 

 ちちと一緒に享楽に興じる側室も、その背後で王宮の贅と権力を貪る重鎮達も薄汚い獣に見えて、こんな奴らと仲間である事実を認めたくなかった。

 だからこそ、カロンは高潔を求めた。誰にも穢されない、自分を愛してくれる存在を欲した。

 あまりにも一方的で歪んだ願いを叶えてくれると思った存在が、アリナだった。


 たったそれだけで、カロンは本来送るはずだった華々しく輝かしい人生を捨てた。

 彼女を手に入れるために、あんなに毛嫌いしていた同衾を使ってフィリエを篭絡し、実弟サンデスを切り捨て、そして国を巻き込む抗争を生み出した。

 全ては、愛する女神アリナを手に入れるために。


「哀れだな。そこまで歪んだことに気付かないまま、今日まで生きてきたのか」

「…………」

「だが、安心しろ。今ここでお前のその因縁ごと断ち切ってやる」


 ジークが《デスペラド》を構える。

 六芒星にカットしたタンザナイトが輝く、漆黒の剣。

 日向の持つ《スペラレ》と対で作ったクロウの最高傑作。


 その剣を見て、カロンも同じように腰に帯刀していた剣を抜く。

 日向は純銀、ジークが漆黒ならば、カロンの剣は黄金だ。

 その剣は悠護も見覚えがある。王室御用達の鍛冶師と細工職人によって作り上げられた品で、カロンはあの剣を気に入っていた。


 日向とジークの剣が実用一本の簡素なものならば、カロンの剣は大小様々なガーネットがいくつもついた華麗な装飾が施されたもの。

 どの時代でも装飾華美の剣は著しく耐久力が劣っているが、魔法による強化によってその弱点もカバーできる。

 それをカロンも理解しているのか、同じように剣を構えた。


 互いに剣先を向けて睨み合う。

 二人の視線が険しくなると同時に床を蹴り、その刃を振るう。

 金属特有の重々しくも澄んだ音が響くも、間合いを取りながらも刃をぶつけ合う。


「ふん、さすがは元国王。剣術の腕は確かなものだな」

「下賤な奴隷風情が……〝神〟から直接力を授かったらなんだ? 貴様は何もできないだろう!」

「いいや、そうではない」


 タンザナイト色の魔力が、ジークの背後で煌めく。

 魔力が楔として形作り、そのままカロンに向けて飛来する。カロンはすぐさま『不屈の盾インヴィクトム』を展開する。

 強固な盾によって塞がれた楔は四方へ弾け飛んだが、その内の一つが『神話創造装置ミュトロギア』に突き刺さる。


「! しまっ……!」


 すぐさま楔を抜こうと駆けだすも、その前に『神話創造装置ミュトロギア』を取り囲むように鉄の壁が現れる。

 バチバチと真紅色の閃光が走るのを見て、カロンは閃光が走った方を振り向いた。

 床に伏していた悠護が、うつ伏せのまま右手に手のひらをつけている状態で、そこから魔力が纏っているのが見える。


 その彼の首には、強引に引きちぎったと思われる鎖がかけてある。

 カロンは知らないが、引きちぎられた鎖の正体は去年の夏、イギリスにいた時に日向に贈った十字架のネックレスの片割れ。

 本来なら《ノクティス》を使いたいところだが、カロンのせいで手の届かないところにある。


 物理干渉魔法はあらゆる物質に干渉できるメリットがあるも、対象となる物質が自身の手元もしくは半径一メートル以内になければ干渉できないデメリットもある。

 運悪く《ノクティス》は一メートル以上先にあるため、手持ちで残っているのはこのペンダントだけだった。


 本当なら、日向とおそろいであるこのペンダントを壊したくなかった。

 それでも、彼女自身を取り戻せるのならば、その考えなんて吹き飛んでしまう。

 愛する少女を救うためなら、悠護は仲間を切り捨てる以外の選択肢ができる。


「行かせるかよ……!」

「クロウ……! 貴様ぁ……!!」


 不敵に笑う悠護を見て、カロンがギリッと歯を食いしばる。

 それを横目に、ジークは『神話創造装置ミュトロギア』に突き刺さった楔に向けて詠唱する。


「――『装置接続コンネクティオン』」


 詠唱した直後、ジークの魔力が込められた楔が『神話創造装置ミュトロギア』の中へ入って行く。

 その魔力が、今も眠る日向の中へと入っていく。自身の魔力が他者に流れる感覚を味わいながら、ジークは鉄の壁越しに叫ぶ。


「日向! いい加減に起きろっ!」



☆★☆★☆



「あたしのことを、憎んでいるってどういう……?」

『そのままの意味よ。私は、あなたから大切な人を奪われた。だらこそ、私にはあなたを憎む権利があるの』


 桃瀬希美と名乗った少女は、困惑する日向を鼻で笑うように教える。

 だが、

 なのに、一方的に憎しみを向けてくる彼女に、無意識に苛立ちを覚える。


「悪いけど、あたしはあなたを知らない。何も知らない憎しみを向けられても困るの」

『……何も知らない、ですって?』


 その言葉に、希美は眦を吊り上げた。

 日向の言ったことはなんてことのない、『こんな失礼な人からさっさと離れよう』と思っただけの言葉。

 だが、たったそれだけで希美の怒りの琴線に触れた。


 踵を返して去ろうとする日向の肩を掴み、自分の方へ向かせる。

 直後、右手を大きく振り上げてそのまま平手を喰らわす。

 パチンッ! と乾いた音と一緒に襲う頬の痛みに、日向は驚愕と困惑を入り混じらせた顔を浮かべる。


「な……っ!?」

『あなたは……あなたは! 本当に豊崎日向なの!? 私からゆうちゃんを奪っただけでなく、私を死なせたことに未練がましく罪悪感を持っていたあの女なの!? そこまで落ちぶれたなんて失望したわ!』

「え? え……?」

『あなたはそこまで腑抜けた女じゃない! 私を殺してまで手に入れた幸せを、こんなくだらないことで全部捨てるんじゃないわよ! ここまで愚かな女だと思わなかったわ!! 誰でも愛想良くする偽善者のあなたはどこにいったの!?』

「愚かで、偽善者だって……?」


 希美の口から吐き出される暴言の数々。

 聞き捨てならないそれに、日向は感情的になり希美に掴みかかる。


「――っ!!」

『!』

! ! !!」

『あなた……まさか、もう思い出しているの……?』


 日向の悲痛混じりの叫びに、希美は目を見開きながら固まる。

 茫然とする希美を前に、日向は掴みかかった手を離し、そのまま両腕で自分自身を抱きしめた。


「………………そうだよ。さっきので、もう全部思い出した。ここが『神話創造装置ミュトロギア』の中――カロンが生み出した夢の世界だってことに」


神話創造装置ミュトロギア』は、『蒼球記憶装置アカシックレコード』の劣化品。

 しかし、その威力は本物と遜色なく、『神話創造装置ミュトロギア』に永遠に取り込めるように、これまでの記憶を封じ日向にとって都合のいい世界を生み出すことは簡単だ。

 カロンの手の平の上で創られた世界は、日向にとって理想と呼べる世界だった。


『……なら、尚更分からないわね。どうして、今ここを出て行くのを拒むの? 今までのあなたなら、すぐにこの世界に出ようと躍起になるはずよ』


 希美の指摘は的確だ。

 自分が死んだ後の日向を知らないが、たとえ精神的に成長しても根本は変わっていないはずだ。

 希美の問いに、日向は苦笑を浮かべる。


「………………カロンが見せた世界は、あたしが望んだ世界だったの。誰も傷つかない、誰も苦しまない、楽しいことと素敵なものが溢れた世界」


 子供っぽい世界だと理解している。

 だけど、日向の心の片隅で描いた世界があそこにはあった。


「最初、本当に記憶を封じられていたから受け入れていた。……でも、今はさ、その世界を受け入れた時点であたしはみんなを裏切ったんだよ……! あの世界にいたいって、もう現実になんか帰りたくないって! 一ミリでも思った時点であたしに元の世界に帰る資格なんてない!!」


 もしここに何も知らない第三者がいれば、『そんなこと』だと鼻で笑うだろう。

 だが、日向は悠護達と共に冷酷な理不尽が潜む現実を守るために戦ってきた。あの夢の世界を受け入れてしまった時点で、日向にとって裏切り判定になる。

 琥珀の少女が言いたいことを理解した希美は、はあーっとため息を吐いた。

 

『あなたね……そんなことで、ゆうちゃんがあなたを諦めると思うの?』

「!」

『ゆうちゃんはね、孤独であろうとする反面誰かと一緒にいたがった寂しがり屋なの。その原因を作った私が言うのは癪でしょうけど…………ゆうちゃんは、あなたを絶対に手放さない。むかつくけど、それだけは確かよ』

「桃瀬さん……」

『それに……あなたがどう思っていても、お仲間は取り戻す気満々よ?』

「えっ?」


 呆れ顔の希美が日向の背後を指さす。

 思わず振り返ると、タンザナイト色の光が暗闇を照らしていた。

 その光の正体に気付く前に、空間全体に聞き慣れた声が響く。


『日向! いい加減に起きろっ!』


 前世の時のように、二度寝しようとした自分アリナを起こす声。

 その声の主を知っている。


「ジーク……!」

『あの声の先が、帰り道よ。本当なら私を殺したあの魔女に復讐したいけど……誠に遺憾ながら私はあなたの罪悪感から生まれた『桃瀬希美』。現実には行けない』


 そう言って希美――いや、『桃瀬希美』の姿をした罪悪感は、トンッと日向の背中を押す。

 軽く、それこそブランコを漕ぐ子供の背中を押すような力加減で、日向の一歩を踏み出させる。


『――だから、さっさとここから出て行きなさい! そして、『罪悪感わたし』が消えるほどの幸せを手に入れなさい! その願いがっ……『桃瀬希美』があなたに贈る贖罪よ!』

「っ……!!」


 贖罪。

 それはきっと、あの日に本物の『桃瀬希美』が課せられるはずだったもの。

 それが今、長い時間を経て届けられた。


「ありがとう! でもあたし、『罪悪感あなた』のことは忘れるけど、『桃瀬希美あの人』のことは永遠に忘れない! 絶対に忘れないから!!」

『……! 本っ当に……あなたなんか大嫌いよ……!!』


桃瀬希美ざいあくかん』は忘れるも、『桃瀬希美オリジナル』は忘れない。

 なんて傲慢。なんて偽善。なんて自己満足。

 だけど――ああ、何故だろう。


 ――『桃瀬希美オリジナル』を忘れないことが、こんなにも嬉しいだなんて。


 矛盾しているけれど、それでも『桃瀬希美ざいあくかん』は本当なら流れない涙を流す。

 日向が記憶を取り戻したこととジークによる外部干渉で、夢の世界は崩壊を迎える。

 黒から白へ切り替わっていく中、『桃瀬希美ざいあくかん』は涙を流したまま音も無く消えていく。


 その最後を見届けないまま、日向は悪魔の創った夢の世界を出るために走る。

 タンザナイト色の光は、日向が近付くと淡く光る扉に変わる。

 そのデザインが、かつてアリナとジーク、そしてティレーネの三人だけで住んでいた屋敷の玄関の扉に似ていた。


 真鍮製の二本のドアノブを両手で掴んで、日向は力任せに引く。

 開かれた扉から差し込むのは、あらゆる色で包まれた世界。


 日向が帰るべき現実が、目の前にあった。

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