第208話 作戦開始

 青山霊園。

 日本で初めての公営墓地であり、二六・三ヘクタールと広大な面積を有している。

 敷地内には国内外問わず著名人の墓が点在しており、公園型霊園開発を理由として桜や銀杏、松など巨樹の伐採も進められていたが、景観保全を理由に二年前に伐採が禁止られた。


『新主派』のアジトがある異位相空間の『扉』は、その青山霊園管理所裏だ。

 白の木板に金の装飾が施された扉で、上部の真ん中には『新主派』のモチーフが彫られている。

 扉の前にいる日向達はイアンが用意し樹が魔法付与してくれた魔装、大人組は自前の魔装、アリスは『クストス』の軍服を身に纏っている。


「入る前にこれを渡しとくね」


 アリスが全員に配ったのは、半球体のアメジストが埋め込まれたピンバッジだ。

 シンプルなデザインがしているそれに、香音は合点がいったような顔をする。


「もしかして霧彦の?」

「そう。これがあれば彼が全員の五感共有してくれて、各自が制圧する場所を指示してくれるよ。事前に入手した『新主派』のアジト内部の地図があるから心配しないで」


 七色家メンバーが納得したままバッジをつけているのを見て、日向達もそれを受け取る。


「紫原さんってあまり会ったことないけど、精神魔法が得意なの?」

「ああ。あいつの精神魔法による五感共有は衛星より的確だ。ただ、地図がなけりゃあんま効果がないのが難点だな」


 悠護の説明を聞きながら、日向も襟の端にバッジをつける。

 つけた瞬間、頭の中でノイズと砂嵐が走り、不快感で顔をしかめた。


「……っ、何今の……?」

「霧彦の五感共有との接続が完了した合図だ。大丈夫か?」

「乗り物酔いと頭痛が混じった感じがした……」


 五感共有に慣れていない面々が日向の言葉に的確だと言わんばかりに頷く。

 苦笑を浮かべたアリスが即席鍵インスタントキーを使って、『扉』を開ける。開かれると同時に溢れ出る白い光に包まれながら、魔装に付与されている光学迷彩魔法をかけながら日向達は慎重に扉をくぐる。

 眩しい光にやられて瞼を閉じながら入ると、そこはまさに異界だった。


 外は分厚い雲で覆われた曇りだったのに、異界では清々しい青空。

 目の前に四本の尖塔が特徴的な大理石造りの大聖堂があり、その前の広場には白いローブを着た信者達が談笑している。籐でできたランチボックスには菜食主義らしく野菜と大豆ミートが挟まれたバケットサンドとフルーツが入っているが、ほとんどの者が若干げんなりした表情をした。


「あのうんざりした顔を見ると、生粋の信者じゃねぇな」

「だろうねー。我が身可愛さのために入信した連中でしょどうせ」

「ええ。まだ信者となって浅い者は野菜を中心にした食事しかできませんが、上に昇ると肉も魚も食べれるようになります。もちろんお酒も煙草も嗜めるわ」


 小声で暮葉が呟くと、香音は吐き捨てるように答えた。

 ティレーネが横で補足説明しているのを聞くと、日向達が使ったとは別の扉から信者が数人現れる。彼らの背後には困惑と怯えが入り混じった表情を浮かべる男女が数人連れられていた。

 目立った暴行の跡がある者やない者と差異はあるが、一目で『新主派』に入信せざるを得なくなった者達だと察した。


「あの人達が、入信する人達でしょうか……」

「そうだ。あいつらはこの後地下に行き、俗世の穢れを落とすために、聖水の風呂に一日五回浸かり、食事やトイレ、就寝以外は聖書の音読をする。これを一週間も続けた後は、まだ体に残っている穢れのを行う」

「……ちなみに聞くけどよ、そのってどんなのだ?」

方法は男女で違う。男なら全身鞭打ちと膣内洗浄、女は……まぁ、簡単に言うと凌辱だな。さすがに子供は免除されるけどな」


 ジークの説明に誰もが苦い顔をした。

 彼らのが聖職者とは思えない所業だとは知っていたが、言葉にすると嫌悪感が襲ってくる。

 大聖堂の鐘楼から荘厳な鐘の音が鳴り、信者達は大聖堂の中へと入っていく。

 ぞろぞろと白い集団が入っていくのを見ていると、脳内で小さな反響音がした。


『――みなさん、聞こえますか?』


 穏やかな声色だ。日向達には聞いたことのない声だが、相手はすぐに分かった。


『七色家以外の方は初めまして、私は今回の作戦のバックアップを任された紫原霧彦です。この魔法はそちらの音声は聞こえますが、残念ながら応答はできません。私が一方的に指示を出す形になりますが、あらかじめご了承ください』


 霧彦からの説明を受けて、七色家メンバーだけでなく他の全員も静かに頷く。

 精神魔法による五感共有はテレパシーのように頭の中の内容を伝えるということはできない。術者は五感共有してもらっている相手にテレパシーを送ることはできるが、相手から術者にテレパシーを送ることはできない。

 これは相手側のテレパシーがジャミングのような作用を引き起こし、術者の神経を傷つける可能性が高いからだ。


『ここから西に一五〇メートルに緊急避難用のハッチがあります。芝生と同化しているので、見つかりにくいですのでお気をつけて』


 霧彦の指示に従い、所定の位置に行くと暮葉が芝生を数ヶ所軽く叩く。

 最後に叩いた場所の芝生が分厚い金属板と共に持ち上がり、地下特有の冷たい空気が頬を撫でる。


「作戦はこうだ。聖天学園有志チームと【紅天使】が新生四大魔導士と接触し、七色家チームは準幹部級の人間から即席鍵インスタントキーを奪い、地下に囚われている者達を保護。その後は紫原霧彦の指示に従えばいい」

「本当にそれで上手く行くのですか? それ以前にそちら側が新生四大魔導士の相手にするなど荷が重いのでは?」

「安心しぃ。ワイらはそこまで弱ないで」


 陽の一言に紗香は押し黙る。

 彼女の言い分は分かるが、四大魔導士はどうしても日向達の手で片付けなければならない。

 作戦を伝え終え、ジークは地下へ続く階段を一歩踏み出した。


「――では、行くぞ」



 ジークの合図と共に、日向達は二手に分かれた。

 聖天学園有志メンバーとティレーネは光学迷彩魔法をかけたまま、大聖堂内を慎重に歩く。礼拝堂はバラ窓が美しいステンドグラスが壁に一定間隔で並び、長いベンチには信者達が座り祈りを捧げている。


 分厚い聖書を開き、ブツブツと祝詞を呟く様は神聖さより不気味さの方が上だ。

 祭壇には四人の白いローブが立っており、裾に金のラインや胸元周りに白い羽飾りが施されているのを見るに、あそこにいる四人が新生四大魔導士で間違いないだろう。

 信者の祝詞を聴きながら音を立てず礼拝堂を出て、物置部屋に入って魔法を解いた。


「あの様子を見ると、教信者が八割もいるな」

「ああいう輩ほど面倒や。最悪の場合、死すらも恐れん決死隊になる」

「烏合の衆はともかく、信者に紛れて強化魔導士もいた。そいつらは準幹部連中だろう」


 全員フードを被っていたせいで顔は分からなかったが、ジークの見立てでは準幹部の信者四人が強化魔導士だ。

 魔導士の強化実験は魔導士生命を害する危険性があるため二〇三条約でも禁止されているが、国防力を上げたい先進国や軍事国家は秘密裏に進めていることが多い。


 強化実験を施された魔導士は一系統魔法しか扱えなくなるが、成功すればどの系統魔法も上手く使えるようになる。しかし寿命が大幅に減り、長くても数年しか生きられない。

 あの強化魔導士は人格すら破壊されているため、寿命は残り三年ほどしかないはず。

 アリスから強化魔導士だという情報をもらわなかったら、万全な対策はできなかっただろう。


「だけど、あたし達は負け戦をするために来たわけじゃないよ」


 日向の方を見ると、彼女は《スペラレ》を剣に戻している。よく見ると他の全員も戦闘準備万全で、さすがのジークも絶句する。

 ここ二年弱の間に現代魔法士にはあるまじき修羅場慣れさせてしまったことに若干の罪悪感を抱きながら、ジークは気を取り直すように咳払いする。


「……お前達のやる気は理解できた。なら、私がその道を切り開いてみせよう」


 こういった汚れ仕事は、ここ数百年ですっかり得意になってしまった。

 犯罪行為は数えきれないほど染めたし、自分が流した血は池どころか海になるくらいだ。

 それでも、愛すべき主人を守るためならば、この身をいくらでも利用しても構わない。


(さて……ここはやはり、正面から素直に出向くとするか)


 幾分かやる気を見せたジークは、光学迷彩魔法を解いた状態で礼拝堂へ足を踏み出した。



☆★☆★☆



 地下に連れて行かれた者達の救助班。

 メンバーは悠護と怜哉以外の七色家メンバーで、暮葉はライフル型魔導具疾風の代わりに自動拳銃型魔導具を二挺持っている。

《疾風》は後衛での狙撃や援護射撃が得意だか、今回は前衛として出る。念のため《颯》を用意しておいて正解だったと思った。


 地下には上部が鉄格子になっている扉がずらりと並んでいて、中を覗くと中心の寝台で生気のない目をした全裸の女が死んだようにうつ伏せていたり、背中の皮が剥けて血を流す男がいた。

 胸糞悪い光景を見せられた面々は、扉を壊して部屋の者たちを起こして女にはシーツを体に巻き、男には背中の傷を魔法で治す。


「みなさん、私達は国際魔導士連盟日本支部から派遣された魔導士です。上で別動隊が『新主派』を鎮圧しますので、その間私達がみなさんを守ることを誓います」


 七色家も『クストス』も世間から公表されていない組織のため、IMFの名前を使えば好都合だ。

 アリスの言葉に被害者達は徐々に生気を取り戻し、「助かった」と嬉しそうに声を上げる者やすすり泣く者など反応は様々だった。


「アリス。あなたの情報通り、この地下の出入り口は一つだったわ」

「それと地図だと地下五階になってたけど、もう一つ階があったよ。多分だけど……『扉』があるかもしれない」

『その可能性は高いでしょうね。香音の視界情報で私も確認しましたし、『扉』の階は厳重に施錠されていました。鍵さえ開ければ被害者達を解放できます』


 紗香と香音、それと霧彦の情報を聞きながら、アリスは思案する。

 こういう空間には一部の人間しか使用許可が降りない常時開門されている『扉』がある。しかし新入生がその『扉』を使えないよう、番人が用意されている。

 恐らく、『新主派』でも同じ方法を取っているだろう。


「――アリスッ!!」


 その時、暮葉が叫んだ。

 アリスの視界で大きな人影が動いたのを見て、亜空間から一振りの剣を取り出した。

 ガキィンッ! と金属音が響き、被害者達が悲鳴を上げる。蝋燭の灯りしかなくて分からなかったが、相手は黒ずくめの男だ。サバイバルナイフが蝋燭の火で妖しく煌めくが、腕に力を入れて思いっきり薙ぐ。

 狭い空間にも関わらず空中で一回転して着地する男に、アリスは眉を顰める。


「こいつら……強化魔導士だよ! しかもかなり無茶な改造が施された!」

「クッソ、厄介だな……!」


 アリスの専用魔導具である剣を、普通のサバイバルナイフで防ぐことすらありえない。

 恐らく強化魔法に特化した強化魔導士だろう。しかし、男の目はひどく濁っており、吹き飛ばした際に腕が掠って血が流れているというのに、痛覚を感じていない。

 五感すらまともに機能していない状態で素早い動きができるなど、もはや人間業を超えている。あの男の寿命は、恐らく三年も持たないだろう。


(ああ……ほんと、イヤだなぁ……。人の命をなんだと思ってるんだろう……)


『クストス』は自衛隊と同じで日本を守るための特殊魔導士部隊。国を守る者としての務めもあるが、IMFですら解決ができない汚れ仕事を担うこともあった。

 その汚れ仕事には、他国に情報を売ろうとする裏切り者や国が害悪と認めた者達の排除――抹殺や暗殺も入っている。


 アリスが初めて手を血に染めたのは、家の務めになれるために一三歳に母の依頼として受けた暗殺任務だ。

 対象ターゲットはIMFが管理している魔導士の戸籍の一部を盗み、それを裏組織に売ろうとしていた。強化魔導士ということもあり、マルム症候群持ちのアリスは苦戦した。


 しかし、対象ターゲットの寿命は風前の灯火同然だった。

 後に知ったが、対象ターゲットはすでに限界まで強化実験を施され、アリスと対峙した時は一日もなかった。

 それでも対象ターゲットは与えられた仕事をこなそうとした。心の中で、全身で、自分は生きていたのだと咆哮を上げ続けた。


 結局、アリスが共倒れ覚悟で一撃を決めて、対象ターゲットの暗殺は完遂した。

 直後耐え切れず嘔吐し、血で汚れた手で吐瀉物を出す口を押さえ、胃酸の酸っぱい味を口の中で味わっていた時。


 ――殺してくれて、ありがとう。


 死んだはずの対象ターゲットの声が聞こえた

 あの時、アリスが聞いた言葉は幻聴だったかもしれないし、辛うじて対象ターゲットが生きていたかもしれない。

 真相は今も闇の中に消えたが、それでもアリスは初めて殺した、たった一〇文字の英単語と数字の識別番号しか知らない男を忘れることはなかった。


 時と経験を重ね、最初のような醜態を晒すことはなくなったが、それでもアリスは強化実験で人生を歪められ、命を落とした者達のことを忘れないようにした。

 比較的軽い段階で打ち切られた魔導士には罪を償い、その後は平穏に暮らせるよう後回ししたし、手遅れの魔導士には苦しまないうちにこの手で殺した。

 たとえ自己満足だろうと、アリスは行き場も生きる理由を失った彼らを、自分なりの形で救いたかった。


(でも、この人はもうダメだ)


 目の前にいる強化魔導士は、すでに元の人格すら忘れてしまっている。

 ただ命令に従うだけのロボットとさして変わらない、人の形をした何か。

 ならば、赤城家次期当主として、そして『クストス』の軍人として、アリスができるのは――死による『新主派』の解放だ。


「――七色家・赤城家次期当主及び国家防衛陸海空独立魔導師団『クストス』陸軍第一部隊隊長、赤城アリス中尉。ここにいる我が国の民を守るため、ボクは君を殺そう」


 魔導具を構え、アリスは目の前で隙を伺う強化魔導士と対峙する。

 強化魔導士の背後から次々と増援が来るも、隣で魔導具を構える友人達の気配を感じながら、一斉に地面を蹴った。

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