第209話 秘密

「――ずいぶんと弱々しい〝主〟だな。そんなものを崇拝する連中もなんとも愚かなものだ」


 祝詞が響く厳かな礼拝堂にずかずかと入ってきたのは、純白の髪をした男。

『新主派』の証である白いローブを纏っておらず、明らかに侵入者だと言わんばかりの出で立ちだ。

 すぐさま信者の一人が身を翻してナイフを片手に襲い掛かるも、男は指を鳴らしただけで信者の体を頭上へと吹き飛ばす。空中へ吹き飛ばされた信者は、悲鳴を上げながら男の背後に落下した。ぐしゃっと嫌な音が響く。


「安心しろ。辛うじて息はある。ま、そのまま放っておいたら死ぬかもしれないが」


 骨が砕かれ、痛みに悶える信者の姿に周囲が息を呑むも、フード下から紅色の髪をのぞかせた少女が手を前に掲げる。

 直後、男が吹き飛ばした信者は紅蓮の炎に包まれた。

 突然の出来事に信者は声絶え絶えに何故と叫ぶも、炭化するまで焦げた肉が地面に落ち、チョークの様な骨が露わになる。異臭を撒き散らしながら絶命した信者だったモノの残骸を一瞥し、男は顔に嘲りを浮かべた。


「失敗したら用済みか。〝主〟とは思えないほどの無慈悲さだ」

「使えない信者は『新主派』にいらない。それだけよ」


 少女の言葉に男――ジークがハッと鼻を鳴らす。


「確かに、使えない人間は不要だ。……しかし、?」


 ピクリ、と少女の顔が微かに震えた。

 相手の琴線に触れたと知ると、ジークは訥々と語る。


「彼女らは愚者と呼べるほど純粋だった。魔法を佳きものとして世界に広め、毎日のように語らい、そして明るく輝かしい未来を作ろうと努力していた。それなのに……貴様らはなんだ? 己の存在を認めぬ者を無理に従わせ、無用となった者を始末する――それが新生四大魔導士の名を賜った者がする所業なのか? 貴様らなど神聖な〝主〟などではない、ただの薄汚い悪党だ」


 瞬間、ベンチから信者達が一斉に立ち上がり、魔力を可視化させる。

 何十種類もの魔力の輝きが礼拝堂に満ち、その全てがジークにめがけて魔法を放つ。

 轟音と爆発と共にジークの姿が埋もれていく。衝撃破によって礼拝堂の天井が激しい軋み音を上げ、シャンデリアは弾かれるように上下左右に揺れる。


 濃い煙の向こうにいた不届き者は、遠慮も加減もない攻撃で見る影もないほど潰されたのだと信者達は思った。

 しかし、ジークは立っていた。

 薄ら笑いを浮かべ、傷一つないジークに周囲に動揺と恐怖が走る。


 信者の数人が懐から短剣を取り出し、鞘を引き抜く。

 革製の鞘が固い音を立てて放り投げだされると共に、むき出しになった鋭い刃をこちらに向けて突進する。

 だが、ジークは慌てず無表情のまま、くるりとその場で一回転した。


 僅かに浮いた足がトンッと軽い音を立てて元の場所に戻った時、彼の手に黒い剣が握られていたことに気づく。

 瞬間、ジークに襲い掛かった信者達が血飛沫を上げた。ある者は首を刎ねられ、ある者は顔を砕かれ、ある者は四肢を斬り飛ばされ、ある者は心臓を貫かれた。

 噎せ返る煙の中に血臭が混じり、無残な屍が白大理石の床に倒れる。血の水溜りをできるのを見て、信者達の顔が絶望と恐怖に染まる。


 ジークは頬や服に血が飛び散っているにも関わらず、自分に向けてくる視線に向けてくすりと微笑んだ。

 人形のように整った男の血塗れの微笑は、美しさと恐怖を兼ね備えていた。

 しかし、この時は恐怖しか感じられなかった。


「う、うわああああああっ!? 化け物だぁ!」

「助けてくれぇ!」

「もうこんな所にいたくない! 家に帰らせてもらうっ!!」


 恐怖に駆られて礼拝堂を出ていく信者達は、聖書を踏みつけながら外へと出ていく。

 この類の異位相空間には、ちゃんと行き来できる『扉』があるが、悪用されないように厳重に管理されている。ただ外に出ただけで逃げられるわけではないが、さっきの光景を見たら冷静な判断などできないだろう。


「ジーク! やりすぎだよ!」


 新生四大魔導士と四名の強化魔導士以外いなくなった礼拝堂に、日向達が光学迷彩魔法をかけないまま入ってきた。

 陽と怜哉は目の前の惨状に呆れた顔を浮かべており、悠護達は屍を見て一瞬だけ顔を歪めるも目の前にいる敵を見据えている。

 日向は一瞬だけ屍に憐憫の視線を向けるも、すぐにこちらに向かって咎めるように見つめてきた。


 屍を見ただけで顔を恐怖に染めず、間抜けな悲鳴を上げない様は彼らの成長を示しているが、それでも普通の人間としての感性が離れつつあるという証だ。

 そうさせたのは自分ジークなのに、さっき抱いた罪悪感が大きくなる。

 しかし、今は感傷に浸っているわけにもいかず、自分達の目の前で対峙する敵を見据えている。


 その時だ。

 新生四大魔導士達は、一斉にフードを取って顔を晒した。



 白いフードが外れ、顔が露わになる。

 かつてのジークのように認識阻害魔法をかけていたのか、さっきまで感じていた違和感が消えた。

 初めて目にする新生四大魔導士の顔を、全員の視線がいく。


 まず先に目がいったのは、パンプキン色の髪をした双子の男女だ。アイアンブルー色の瞳も顔つきもそっくりで、一卵性双生児かもしれない。しかし髪の長さがうなじまでの方が男、肩にかかっている方が女だと分かる。

 次に注目したのはチャコールグレー色の髪をした青年だ。ミントグリーン色の瞳をしていて、普通にどこにでもいる好青年のような容貌だ。

 そして最後、この新生四大魔導士のリーダーとおぼしき少女だ。紅色の髪は背中まだあり、瞳はラズベリーレッド色。年は日向達とそう変わらないくらい。


(これが、新生四大魔導士の素顔か……)


 一体どんな顔をしているのかと思ったが、案外普通だ。

 でも見た目と中身がイコールじゃないことくらい、日向は前世を含めて知っている。

 こんな美しい容姿をしていても、彼らがしてきた悪事を覚えている。


 異教徒として捕縛された者達が、どのような辱めを受けているのかを。

 人質を取り、自殺を強要させただけでなく無関係の人々を巻き込んだことを。

 彼らの言葉一つで、どれだけの人々が苦しんだことを。


「我が『新主派』の神聖な場所に土足で踏み入れるなんて……これだから異教徒は野蛮人ね」

「本当にありえない」

「ああ。ありえない」

「…………」


 少女が口を開くと、双子は同意する。

 青年は気まずい顔をしたまま無言を貫いており、その様子に少女は苛立たしそうに見る。


「神聖な場所な……本当に神聖なら、何故あんな真似をした?」

「あんな、とは?」

「お前らが異教徒って呼んでる連中のことだ! 自分の思い通りにならないからって、攫って、辱めて、弱みを握って従わせて……宗教の一派にしちゃ清廉とはほど遠い所業だよな?」


 樹が嘲りながら挑発するも、少女は平然としながら小首を傾げる。


「……所業? 何を勘違いしているの? あれは洗礼よ。俗世で体の中まで穢れた者達を綺麗にするためのもの。汚いものがあったら綺麗にするのは、人として当然よね?」

「っ……そんなの間違ってます! あなた達はただ、『新主派』の名を使って好き勝手やってるだけ! こんなのが洗礼だなんて認めない!」

「『新主派』の〝主〟は私達よ。他はどうなのか知らないけど、ここでは〝主〟の思う洗礼は間違っていない。絶対に」


 僅かに苛立ちを含ませた強い口調で少女が断言する。

 ラズベリーレッド色の双眸が侮蔑の色を宿し、己の正しい行いを批判した樹と心菜を見下す。

 そうなる前に日向が一歩前に出る。


「今度は何? あなたも私のやり方は間違ってるって言いたいの?」

「……それは分からない。何が正しくて、何が間違っているのかは人によって違うし、正義も悪も立場や状況によっては逆転する。あたしはそれを知っているよ」


 一方的に批判するのではなく、静かに語る日向に少女の顔つきが変わる。

 正しさも間違いも人によって違うし、正義も悪も時と場合によっては悲劇を起こすこともあれば、喜劇になることもある。

 たった一度の選択肢で、未来を左右されることも、ここにいる誰もが知っている。


 だが、それでも。

 日向にとって、『新主派』――新生四大魔導士のやっていることは、正しいと思えない。

 彼らが善であると言えない。


「でも……あなた達がこれまでしてきたことは、多くの人の心を傷つけ、血と涙を流し、嘆き苦しませた。それが正しい善と言うのなら――あたしは、間違った悪を選ぶ。その先に誰もが笑いあい、幸せに満ちているのなら。あたしは、悪になっても構わない」


 日向の決意は、少なくとも新生四大魔導士の顔色を変えるほどの効果はあった。

 自身の意見をしっかりと告げた告白は、そよ風にしか感じない一方的な批判より強いものだ。

 今の日向の発言は、新生四大魔導士の琴線に触れただろう。


 しかし。

 それでも、この想いを偽ることはできない。

 これまでのことを思い出しても、『新主派』は存在してしてはならないモノだ。


《スペラレ》の剣先を新生四大魔導士に向ける。

 白銀の輝きが偽りの太陽で鋭く煌めき、琥珀色の瞳がかつてのように冷徹な色を宿す。


「――覚悟しなさい、新生四大魔導士。【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルムの生まれ変わり、豊崎日向がこの手であなた達を断罪する」



☆★☆★☆



(――全く、とんでもない秘密を手に入れてしまったものだ)


 バックアップもといアジトのマッピングを任された霧彦は、五感共有されている間は度の相手の会話さえ自分の耳に入ってしまう。

 サポートとして徹し、現場での会話には厳しい機密情報保持をかけられる。つまり、

 だからこそ、日向の発言にはさすがの霧彦も頭を抱えた。


(豊崎日向が……彼女が、アリナ・エレクトゥルムの生まれ変わり……?)


 少女の口から出た言葉。

 本来ならば公にしてはならない真実。

 否応なしに耳にした霧彦は、ふと前日にかかってきた怜哉の電話を思い出す。


『アリスのことだから、多分君をバックアップとして協力させると思ったから、忠告してあげようと思って。……今回の作戦での会話、かなり問題なものになると思うから、他言無用でねよろしく』


 あの時は一体どんな内容が出てくるのかと思ったが、それ以上の爆弾を怜哉は落としていった。


(確かに、このことが露見すれば日本もタダじゃすまない。国の将来を考えるなら墓まで持って行った方がいい)


 霧彦もアリスやIMFの協力でいくつかの機密情報を得て、何度かその情報目当てで誘拐されかけたこともある。

 緑山が保有する魔法の知識・情報と同じくらいの情報を握っているため、紫原家は魔法士崩れの中で腕のいい者を五人ほど雇い、使用人兼護衛として雇っている。

 雇用特典として中級魔法の指導や衣食住も用意されているため、彼らの口の堅さは前当主である紫原八雲も太鼓判を押している。


 護衛のおかげで両親だけでなく妻子の身の安全も保障され、霧彦も五体満足で生活を送られている。

 だが、今回の秘密は今までの機密情報が可愛いものだと痛感させられた。


 今回の件で霧彦も『新主派』と『伝統派』のことについては自分なりに調べている。

『伝統派』は〝神〟と四大魔導士を今も崇拝しており、中には彼らの生まれ変わりが誕生するのではないかと期待しているという話はあったが、さすがに転生という眉唾物を素直に信じる者がいないせいもあり、『伝統派』は四大魔導士の生まれ変わりを探すなんて真似をしなかった。


 去年の夏にアイリス・ミール(今はアイリス・ターラント伯爵令嬢と呼ばれている)が【起源の魔導士】の生まれ変わりだと騒いでいたが、『叛逆の礼拝』後にIMF本部からアリナ・エレクトゥルムの末裔だが生まれ変わりではないと発表したこともあり、「生まれ変わりは存在しない」と結論付けられた。

 しかし、『新主派』は全く新しい〝主〟を用意し、新生四大魔導士と名乗らせるという、完全に『伝統派』に喧嘩を売った。


 しかも『新主派』は日本で数々の所業を犯し、それと正当であるものだと主張した。

 だからこそ、本物の四大魔導士の生まれ変わりである彼女が憤り、今回の作戦に参加することになったのは、想像だけど当たっているだろう。


(それに、せっかくのチャンスだ。これを機に無魔法の謎が解けるかもしれない)


 長年、魔導士界で最大のブラックボックスとして名を残した無魔法。

 一体どんな原理で無魔法を作りだし、その魔法を生み出したのか今も多くの研究者や歴史家が血眼で探している。

 研究者としての一面を持つ霧彦も、その謎にはとても興味が惹かれる。


(恐らく怜哉は私が無魔法についてまだ興味があると知っていた。だからこそ、あのような忠告をした。代わりに実際の無魔法をこの目にし、その謎を解明させることも)


 年は離れているとはいえ、七色家の者達とは長い付き合いだ。

 自分の思考など向こうは読んでいるだろう。

 だが、せっかくの機会だ。存分に無魔法の真髄をこの目で見させてもらおう。


 その時の霧彦の顔は、他の研究員や家族に見せる物腰柔らかな好青年の顔ではなく、貪欲に魔法の謎に食らいつく研究者としての顔をしていた。

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