閑話 世界の裏側で

 少女は目を開ける。ぼやける輪郭が鮮明になるまで、何度も瞼を閉じ開きしながら。

 やっと鮮明になったと思うと、自分がいる場所を見て呆然とする。


 少女が立っていた場所は、幾千の星が眩しいくらいに瞬き、不思議な白い花が咲く花畑。

 神秘的で幻想的な場所だが、少女は何故か寂しさを感じた。

 まるで世界から切り離れたようなところにいて、少女は素足のまま花畑を歩く。


 小川のせせらぎを聞き、草を踏む感触を味わい、花の優しく甘い香りが漂う。

 まるで不浄を全て除いた楽園を、少女は一人で歩く。


(……怖い)


 ここは一体どこだろうか? 自分は一体何者なのだろうか?

 記憶が欠如している少女の顔に不安と恐怖が浮かび上がる。

 ついには足を止めて、両目から零れる涙を堪え始めたその時。


「――見つけた」


 ふと、背後から声をかけられる。

 振り向くと、そこにいたのは自分と同じ服を着た青年。

 チャコールグレー色の髪とミントグリーン色の双眸をしていて、どこか見覚えがあるのに思い出せない。


「あなたは、誰? 私を知ってるの……?」

「!」


 少女の言葉に青年が一瞬傷ついた表情を浮かべるも、すぐに優しい笑みを浮べてそっと手を差し伸べる。


「俺の名前はソムリエ。俺は君のことを知っているよ」

「本当?」

「ああ、もちろんだ。君の名前は、ストゥディウム。俺の……俺だけの希望ストゥディウムだ」

「ストゥ、ディウム……それが私の、名前……?」


 少女――ストゥディウムは自然と自分の口に馴染んだその名に、途轍もない懐かしさを感じた。

 でもそれが一体なんなのか分からず、首を傾げる。


 一方で、ソムリエは目の前にいる最愛の少女を愛おしそうに見つめていた。

 紅色の髪にラズベリーレッド色の双眸。姿も身長もあの時のまま。だけど自分と過ごした記憶はほぼ失っていて、少しだけ寂寥感を味わうも笑顔を浮かべる。


「さぁ、行こう」

「どこへ?」

「どこへでも。お前がしたいこと、見たいもの、触りたいもの……なんでもいい。好きなことをしよう。俺達はもう、自由なんだから」


『新主派』という鳥籠から解放され、死んでようやく自由を謳歌する。

 何も覚えていなくても、それでもストゥディウムと一緒ならば、ソムリエはどこでも構わなかった。


 やがて、少女が何を思ったのかゆっくりとソムリエの手を取る。

 柔らかい感触に涙が出そうになるも、なんとか堪えながら今度こそ離さないようにしっかりと握りしめる。

 やがて互いの手を繋いだ少女と青年は、美しい星の海を仰ぎ見ながら歩き出した。



 世界の裏側――〝神〟が隠れ住む聖域であると同時に、転生を約束された者達が今世では手に入らなかった一生分の幸せを享受するために訪れる、最後の楽園。

 長い時を経て転生することが約束された二人は、その時がくるまでずっと互いの手を離さなかった。


 ――これは、誰も知らない秘密の物語。

   世界の裏側で起きた、二人の少女と青年が幸せを分かち合うだけのお話。

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