第241話 逆恨み

 七色家主催のパーティーは、祝い事やめでたい報告がある時だけ行われる。

 日本の魔導士界を支える彼らの催しというのは、他の魔導士家系にとってはとても重大なもの。分家だけでなくIMF関係者など大勢の客に招待状が用意され、特別な用事でもない限り欠席をする者はいない。

 今回、主催となる七色家は黒宮家。かの家を象徴する色である黒を身に付けている者は、当家の人間とその婚約者以外誰もいなかった。


「相変わらず綺麗なドレスですね……」

「そう? 喜んでもらえたならよかったわ」


 更衣室ブライズルームでドレスに着替えた日向は、鏡に映る違う自分の姿を見ていた。

 フレアスリーブの黒いドレス。胸回りには黒宮家の人間の目の色と同じ真紅のフリルがあしらわれ、両腕には二の腕半ばまで隠す同色の手袋。

 首にはレースのチョーカーの他に黒瑪瑙のネックレスがかけられ、少女というより大人の女性を意識したコーディネートだ。


「黒宮家では次期当主の子と伴侶となる子をお披露目する時には、必ず黒の瑪瑙のアクセサリーをつけるのが習わしなの。もちろん他の七色家にも同じ習わしがあるわ」

「白石家だったら、白の瑪瑙……って感じにですか?」

「そうよ。瑪瑙には人と人の絆を強めて人間関係を良好にしてくれる効果があるとも言われているの。これから先の人生で良き縁に恵まれ、幸せになれますようにという意味がこめられているらしいわ」


 朱美の口から伝えている習わしを聞いて、このネックレスが急にずっしりと重く感じた。

 今までの次期当主だった者や黒宮家に伴侶として入った者は、周囲の期待や不安を背負いながら共に人生を歩んでいたのだろうか。

 もしそうだとしたら、今日のパーティーで無様な姿を見せるわけにはいかない。そんな緊張が伝わったのか、朱美は日向の鼻先をちょんっとつついた。


「ほら、そんなにカチカチだと余計に変よ。大丈夫、こういうパーティーの時はみんな浮かれてるから怖いことは起きないわ」

「あ、あはは……そうですよね」


 そうだ。黒宮家主催のパーティーとなると、警備は厳重だ。

 どの家だろうと魔導具と凶器は全て警備の魔導士に預けられ、少しでも不審な行動をした者は容赦なく捕縛される。

 小さな嫌がらせはあるだろうが、命を奪うまでの騒ぎは起きないだろう。


「さっ、そろそろ行きましょう。みんな待ってるわ」

「はい」


 朱美に促され更衣室ブライズルームを出ると、廊下には朱美を除く黒宮家一同が揃っていた。

 鈴花は黒と真紅を基調としたフリルがたっぷりついた可愛らしいドレスで、髪は結っていない代わりに真紅のリボンカチューシャをしていた。

 徹一は白いシャツと黒のフォーマルスーツ、首には真紅のネクタイでベストは黒と地味な装いだが、年相応に威厳のある出で立ちと貫禄のおかげでむしろ迫力がある。


 そして悠護は父と似た装いだが、シャツは黒で襟には金色に輝くチェーンブローチがつけられている。

 そのチェーンに先には日向と同じ黒瑪瑙がついており、彼も習わしを知っているせいなのかどこか緊張していた。


「お待たせしてごめんなさい」

「いや、大丈夫だ。……行くぞ」


 朱美の謝罪を徹一はさほど気にせず言うと、すっと腕を差し出す。それを見て朱美が自然に腕を組み、もう片方の手で鈴花と手を繋ぐ。

 そのまま慣れたように先を行く三人を見て、悠護も倣って腕を差し出した。


「俺達も行こう」

「うん」


 悠護の言葉に頷いた日向は、朱美と同じように腕を組む。

 そういえばこんな風に歩いたことは前世でもないな、と新鮮に思いながら廊下を歩き始める。

 今回借りたホテルの大披露宴の会場に入ると、煌びやかなシャンデリアが周囲を照らし、立ちながら食べられるようビュッフェ形式になっている。


 日向達が入るとそれまでグラス片手に談笑していた者達は静まり返り、そのままお辞儀をする。

 誰もが恭しく、畏敬の念を持って頭を下げるのを見ていると、ふと見覚えのある二人を見つけた。

 ブラウンの長袖ドレスを着た鈴木と、桃色の少女向けのドレスを着た山本。その二人の隣には、一〇歳以上は離れているだろう男性がいた。


(あの男の人たちって、もしかして二人の婚約者……?)


 魔導士界では一〇歳も年が離れた相手との結婚は珍しくない。

 しかし、まだ一七歳でパートナーがいるにも二人に婚約者をあてがうなど、少し気が早すぎる。

 そんなことを考えながら、日向は悠護達と共に目の前の金屏風のある舞台へ立つ。舞台の上に用意されたマイクを手にすると、徹一は口を開いた。


『皆様、この度は我が黒宮家のパーティーにご参加いただい誠にありがとうございます。本日、このパーティーで私の息子である黒宮悠護と、そのパートナーである豊崎日向の結婚をご報告させていただくため、この場を設けさせていただきました』


 パーティーの内容を理解していたのか、招待客達は「おおっ」と声を上げながら拍手をする。

 鈴木と山本も険しい顔をしながらも拍手を送っており、それを見て少し複雑に感じてしまった。


『つきましては本人達の意向により、来年の三月……聖天学園卒業した後に行う予定です。まだ社会に出ていない未熟な二人ではありますが、温かい目で見守ってくださると幸いです』


 徹一がそう言った後、日向は悠護と一緒にお辞儀をする。

 拍手はさらに大きくなり、徹一はボーイからシャンパンが入ったグラスを受け取る。

 日向達も同じのようにグラスを受け取ると、徹一がグラスを掲げた。


『では、どうか楽しいひと時をお過ごしください。――乾杯!』

「「「乾杯!」」」


 その合図と共に、会場にはグラスとグラスを合わせる音が響いた。



「こんな可愛らしい子が婚約者になってくれるなんて、本当に悠護様は幸運ですな。大切にしなければいけませんぞ?」

「もちろんです」

「日向様は準魔導士の互助組織創立に関わっているのよね? 私もこの政策は賛成だわ。何か困ったことがあればいつでも相談に乗ってちょうだい。力になるわ」

「ありがとうございます」


 次々と話しかけてくる来客の対応に追われる日向と悠護だが、ここにいるほとんどが民主主義派の魔導士家系が多いということもあり、比較的温厚だ。

 中には分かりやすく愛人候補として娘を紹介する者や、互助組織について否定的な意見を述べる者もいたが、それでもなんとか笑顔でやり過ごすことはできた。


 こういうパーティーではあまり食事できないと聞いていたので、事前に軽食を摂っていてよかったと思っていると、鈴木と山本が婚約者の男性を連れて現れた。

 やはり昨日のことがあったせいなのか、二人の顔はとても複雑そうだ。それでも婚約者に合わせるように、日向と悠護に向けて頭を下げた。


「悠護様、この度はご結婚おめでとうございます」

「ありがとうございます。ですが、結婚はまだ先ですので、そこまでかしこまらないでください」

「そうでしたね。私としたことは少し気が急いてしまったようです」

「日向様も早い年から結婚など不安があるとございますが、今はお祝い申し上げます」

「お心遣い感謝致します」


 婚約者の男性二人は年相応に落ち着いており、他の来客と同じ民主主義派の魔導士家系の出なのだろう。

 横にいる二人の少女は何も言わず、婚約者の話が終わるまでじっとしていた。その間も日向を見つめる鈴木の目はとても鋭く、無言もあって圧力を感じた。


「では、私達はこれで」

「失礼致します」

「はい」

「ありがとうございました」


 ようやく話が終わって、来客達も談笑と食事に楽しむのを見計らい、二人は大きく息を吐いた。


「ふぅ……ひとまずお疲れ」

「そっちもね」


 互いに労い合っていると、悠護が通りかかったボーイから果汁一〇〇パーセントのオレンジジュースをもらい、グラスに入ったそれを受け取る。

 いいオレンジを使っているのか、甘味と酸味のバランスがよく、いくらでも飲めそうだ。


「色んな人からお言葉をもらったけど……一応、祝福してもらえてるって認識でいいのかな?」

「七色家の安泰を考えれば、な。実際のところは愛人の座狙い、もしくは結婚そのものをナシにして欲しいと願ってる奴もいるだろ」

「あー……」


 挨拶の時に愛人候補として紹介された少女達を思い出し、二人は苦い顔をする。

 むしろあそこまで堂々と「ぜひ愛人として可愛がってください」と言われたら、逆に関心してしまう。いや、決して褒めたことではないが。


「それより、あたしは鈴木さんと山本さんに婚約者がいたこと自体驚いたよ」

「……コネ目的で狙ってた家がなくなったら、他の家に取り入るのは魔導士家系じゃ常套手段だ。あの二人は、家のために捧げられた体のいい『生贄』になったんだろう」

「『生贄』……」


 なんて嫌な言い方なのだろうか。

 いくら存続が厳しいからと言って、実の子供すら差し出す親の思考は死んでも理解できない。

 ……あの二人にとって、希美の死は不幸の始まりだった。そして、その死に関わる自分を怨むのは当然の流れだと思えた。


「…………悪い、変なこと言って」

「ううん、大丈夫。こういう裏事情なんて、前世じゃ嫌ってほどあるって知ってるから」

「……そっか」


 目の前に広がる煌びやかなパーティー。

 その裏には蜘蛛の巣のように張り巡らされた陰謀や思惑が絡み合い、笑顔の裏で皆が家の存続のために権力と名声を求める。

 前世の社交界でもあった光景が、今も続いている。いつの時代でも、人間はさらなる力を求めてしまう業深い生き物だと痛感させられる。


 これから先、日向は権謀術数渦巻く世界で生きていく。

 それでも、愛しい人がいれば乗り越えられるという確信がある。

 言葉にせず心の内で決意を固める日向を、悠護はどこか悲しげな目で見つめていた。



☆★☆★☆



「ふぅ……」


 パーティーの途中でトイレに行くために席を外した悠護は、一息吐きながら廊下を歩く。

 挨拶回りを終えたパーティーは無礼講で、誰もが食事を楽しむ。日向も知り合ったばかりのマダム達に囲まれながらもデザートを食べながら談笑していた。

 とりあえず何事もなく終わって安心していると、曲がり角で誰かが話す声が聞こえてきた。


「恵美子、さっきの態度はなんだ? 仮にも悠護様の婚約者を睨みつけるなど無礼だぞ」

「申し訳ありません……」

「私は謝罪が欲しいんじゃない。どうしてあの態度を取ったのかの理由を聞きたいんだ」


 曲がり角の先には鈴木とその婚約者がおり、さっきの挨拶でのことを叱っていた。

 鈴木が日向を睨みつけた理由など人殺し呼ばわりした件だろうが、さすがにそれを正直に話すことはできない。

 黙り込む鈴木に、婚約者は深いため息を吐いた。


「……分かった、君が話したくないというのならこれ以上言わない。だが、これだけは言っておく。君が私の妻となる以上、今後はあの態度は控えろ。もし日向様に危害を加えた場合、結婚の件も鈴木家の援助も全てなくなると思え。いいな?」

「…………わかりました」


 婚約者が踵を返し会場へ戻る後ろ姿を、鈴木はずっと平身低頭で見送る。

 姿が見えなくなるのを待ってようやく頭を上げた鈴木の横顔は、憤怒で歪んでいた。まるで自分は間違っていないと言わんばかりに。

 そこでようやく自分の視線に気づいた鈴木が、勢いよく後ろを振り返った。


「黒宮……」

「先に言っておくが、俺は偶然ここを通りかかっただけだ。盗み聞きして悪かった」


 そう言って鈴木の横を通り過ぎた悠護だったが、直後ギリッと歯ぎしりの音が聞こえた。


「どうして?」

「?」

「どうしてあの女なのよ!?」


 突然の怒声に悠護は目を丸くするも、鈴木は睨みつけらながら叫ぶ。


「希美の方が非の打ち所がない美人なのに、どうしてあんな平凡なあいつを選んだのよ!? 私の目から見てもあなたと希美はお似合いだと思ってたのに! あいつさえいなければ、希美は生きていて私はあんな男のところに嫁がなくてすんだのよ! あいつが……豊崎日向が、私たちの幸せを奪ったのよっ!!」


 その叫びは、今まで口に出せず心の内に秘めていた本音だった。

 鈴木だけでなく山本も、本当なら自分の好きな相手と結婚して幸せになる未来があった。

 それを日向が奪ったと思っても仕方ない。


 だけど。

 それでも、悠護は日向のことを愛することを決めた。

 たとえ前世から培った想いだとしても、黒宮悠護が愛した女はアリナ・エレクトゥルムではなく、豊崎日向なのだから。


「……たとえ鈴木がどう思うと、俺は日向以外の女を好きになれない。たとえ希美が昔のままだったとしても……俺は、日向を選ぶだろう。俺の魂そのものが、あいつ以外の女を選びたくないんだよ」

「なんで……なんでそこまで……!?」

「それに、お前は日向を怨んでいる本当の理由は今の境遇だ。希美はその建前だろ?」


 悠護の指摘に鈴木は黙り込む。

 鈴木にとって桃瀬家が自分の自由を保障してくれる頼みの綱だった。しかし没落と共に失い、家の意向に従うしか道がなくなった。

 魔導士にとって政略結婚は避けて通らない道。同情はできるが、鈴木の逆恨みに共感することはできない。


「とにかく、希美の死は俺にも原因があるんだ。これ以上あいつを責めるような真似はするな」


 それだけ言って、悠護は会場へと戻る。

 取り残された鈴木は、立ち尽くしたまま恥辱に震えるだけだった。

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