第282話 対峙

「ああくそ、まだ頭が痛ぇな……」


 空間転移のせいで上手く着地ができなかった悠護は、転移直後頭から床に激突した。

 いくら魔導士の体が頑丈にできているからと言って、痛覚がなくなったわけではない。あまりの激痛にしばらく床の上で悶えていたが、いつまでもそうすることはできず、ある程度痛みが引いたら城内を走り回ることにした。


 若干後頭部が盛り上がっているのを感じながら、悠護は《ノクティス》を双剣モードに変え、絨毯を蹴るように長い回廊を走る。

 前世で飽きるほど見た回廊を走るのは、実に胸糞悪い気分だ。

 まるで、今世でも自分は彼女と幸せになれないのだと言われているみたいで。


「……んなもん知るかよ」


 前世クロウでのことは、すでに過去のことだと割り切っている。

 過去と同じ過ちを繰り返すことに怯えるくらいなら、今を全力で抗い、先の見えないけれど確実にある幸せな未来を掴み取るほうが有意義だ。


(――むしろ、過去に囚われてるのはアンタの方だろ)


 あの日からずっと、手に入らないと分かっていながらもアリナに執着し、数えきれないほどの転生を繰り返し、そして今世で研がれ続けた牙を向けてきた。

 口では過去を切り捨てたと言いながら、本心では誰よりも過去に縛られている。

 悠護だって割り切ってはいるが、捨てることはできない。あの過去があるからこそ、今の自分がいるのだから。


「結局、俺達は同じ穴の狢かよ」


 思わず失笑した直後、横の細い回廊から鋭い刃が現れる。

 一瞬息を呑むも、持ち前の運動神経で回避。直後、刃が高価な花瓶が飾られた置き台ごと破壊された。衝撃で半楕円形の窓ガラスもひび割れ、雨のように破片が降り注ぐ。

 土煙の向こうでゆらりと影が動き、晴れると同時にその姿を現す。


「リンジー」


 予想通りというべきか、襲撃者はリンジーだった。

 見た目は一切変わっていない。違うのは半ズボンやシャツの裾から覗く手足が、老人のように皮と骨だけなっていて、皺くちゃになっていた。

 顔はまだ幼い少年の面影を残すも、銀色の双眸は虚ろで光を失っている。それでもわずかな精神力によって意識を保っているらしい彼は、悠護の姿を見てにぃっと口元を裂けながら笑う。


「……つけた、みつけた! みつけた! みつけたっ!!」

「!?」

「ぼくのえもの! ぼくのえさ! ぼくの、ぼくのさいこーのてき!!」


 舌足らずな、小さな子供が言葉を覚え始めたような口調で、リンジーは唾を吐き散らしながら狂い笑う。

 それでも相変わらず槍鎌の刃先が向けられているのを見て、悠護は気づく。


(おいおい嘘だろ……こいつ、ここまでぶっ壊れておいて、まだ俺を殺すことを諦めてなかったのか!?)


 かつて、悠護クロウはリンジーに情けをかけた。

 彼がまだ幼い少年であったことと、まだやり直せるチャンスがあると本気で信じていたからだ。だが自分の予想に反し、リンジーは情けをかけられたことを侮辱と捉え、転生した後も悠護を執拗に狙っていた。


神話創造装置ミュトロギア』の副作用で、リンジーの中には普通の子供として生きていた頃の記憶も、その間に培った知識も性格もほとんど失われている。

 だけど、それでもリンジーの中には一つだけ残っていた。


 悠護を殺す。

 あまりにも歪んだ、それでいて純粋な欲が。


「……そうか。そうだよな、今のお前にはしかないもんな」


 記憶を、人格を、知識を奪われて。

 それでもなお、彼の心の中には自分を殺したい思いだけが残っていた。

 今のリンジーには、どうして悠護を殺したいのか分からない。それでも、魂の底から求めているその欲を、彼は本能で無視することができなかった。


 ならば。

 今ここで、数百年も引き延ばし続けたケジメをつけなければならない。


「――リンジー、お前の望み通り殺し合いしようぜ」


《ノクティス》を構える悠護を見て、リンジーは嬉しそうに《インフェリス》を回す。

 互いに魔力を可視化させ、しばし睨み合いながらも同時に床を蹴る。

 直後、回廊に金属音が響き渡り、二つの魔力がぶつかり合った。



 かつての宮殿の回廊を模したそこは、ギルベルトにとっては懐古の情は一切なかった。

 ローゼンも『落陽の血戦』の時に同じように宮殿の内装を変えたこともあるが、カロンの趣味に合わせたモノを全て消し去りたいという思いがあった。

 あの血みどろの抗争の首謀者であるカロンの名は、本人が上手く情報隠蔽していたせいでこれまでの有史に悪人として名を残すことはなかった。


 その代わりサンデスが好き勝手に盛られた悪名が広まったが、それすらもカロンにとっては計画の内だったのだろう。

 当時の宮殿において、サンデスはカロンとローゼンが様々な事情で王位を継がなかった場合の補欠スペアだった。

 勉学も、剣術も、馬術も、テーブルマナーも全てが平々凡々だったサンデスは、ローゼンが生まれた頃には既に父王から見限られていたらしい。


 それはあらゆる分野において普通過ぎたからだけでなく、サンデス自身にも問題があった。

 王としての責務を持てない臆病さ、自分より秀でた者に媚びへつらう姿、そして王族であることを鼻にかけながらも、己の責務を他人に押し付ける傲慢さ。

 いくら性に奔放で家族を顧みなかった父王もそれには気づいていたのか、ローゼンが頭角を現したと同時にサンデスの王位継承権を第二位から第三位に降格させた。


 王位継承権はただの順番ではない、周囲に誰が王に相応しくなるのかを知らしめるための公式の表明。

 これにより兄だけでなく弟にも劣ると公表されたサンデスは、やがて社交界に顔を出すこともやめた。

 理由は全て体調不良だが、それが何回も続けばただの仮病であることは誰もが気づき、しまいにはサンデスに期待すらしなくなった。


 誰からにも見捨てられ、利用され、大罪人として名を遺すことになった次男。

 今も昔もサンデスのことを訊けば、みんな口をそろえてこう言うだろう。

 王にもなれない、誰からも顧みられない、最悪な裏切り者だと。


(…………だが、オレは違った)


 サンデスのことは前世ローゼンの頃から好きか嫌いかと問われれば、正直なところ微妙だ。

 自分より優れたことに嫉妬し、何度も死を望まれていたことは知っていた。だけどそれよりもっと前……まだ本当に幼い頃はそれなりに可愛がってくれていた。

 距離を取るようになってからも、ぶつぶつ文句を言いながらも中庭の木の上にいた巣の中の雛鳥に餌を与えていたのを見て、彼が性根の優しい人間であるのは間違いない。


 ――だからこそ、ギルベルトのやることは一つだけだ。


「えー……やっぱりお前が来るの? やだなあ……」


 ダンスホールに現れたギルベルトを見て、サンデスが本気で顔をしかめる。

 それでも戦う意思はあるのか、自分に向ける槍型魔導具の穂先はそのままだ。

 鈍く輝く鋼を見つめながら、ギルベルトは右腕を竜化させた。


「ああ。もう終わりにしよう、サンデス」



☆★☆★☆



「…………おかしいやろ。なんで西洋風の城の中に和風庭園があんねん」


 空間転移で城内のどこかに飛ばされた陽は、目の前の光景を見て呆然とした。

 白砂利が敷き詰められた地面に不揃いの飛び石の道。松やイロハモミジが植えられ、水仙と菖蒲が可憐に咲いている。

 石橋の下には透明度の高い川が流れ、どこからか鹿威しの音が響く。


 壁や天井は魔導具によってリアルに近い風景を見せており、完全に趣味で作られているみたいだが、それでも現世では純日本人である陽の目から見てもかなりの完成度の高さだ。

 そして、この庭園をわざわざ一から造ろうとする人間など、一人しか思い浮かばない。


(こんなんことするヤツは、フィリエしかおらへんわ。あいつが一番日本に憧れとったからな)


 事の発端は魔法の研究の息抜きだったか、それとも単純にアリナの知的好奇心によるものだったか。

 理由は忘れてしまったが、日本についての書物を読むのが一時期流行していた。

 当時、日本がまだ鎖国したこともあり輸入品が一切なく、知ったかぶりの貴族達が書いたデタラメな本が社交界で流れていた。


 アリナも試しにその一冊を買ったが、内容がどうも荒唐無稽で数ページ読んだだけで「あ、これ内容全部嘘だ」と分かるほどの粗品だった。

 だけどたまに、行商人が一体どのルートで入手したのか、日本の反物や刀が稀にパーティーの余興として売りに出ていた時もあった。


 もちろん知的好奇心旺盛なアリナがそれを買わないわけがなく、それを土産としてみんなに見せた。

 誰もがドレスとは違う和の美に夢中になっている横で、中でもとりわけ虜になったのはフィリエだった。


 将来貴族の愛人となって裕福な暮らしをしたいと口にしていた彼女は、己の美貌を磨くために貯めていた金を出してまでその反物を欲しがり、アリナはそんな彼女に驚きながらも無償で譲った。

 その時のフィリエの顔はとても嬉しそうで、いつも澄まし顔だった彼女があんな顔もできるのかと驚いた記憶がある。


 思えば、彼女が日本の伝統工芸や風景に興味を示したのはその時で、あの反物を毎日飽きもせず眺めていた。

 そして今。

 その時の反物は、彼女を着飾る着物へと姿を変えた。


「あら……やっぱりこうなったわねぇ」


 朱塗りの柱や黒瓦屋根の東屋の中に敷かれた座敷の上で、優雅に寝そべるフィリエ。

 手には煙管を持ち、ふぅーと真っ赤な口紅が塗られた唇から白煙が吐き出される。豊満な胸を見せつけるように着た黒地の着物には金糸で金木犀を、青糸で牡丹が刺繍されており、細い腰を占める帯は浅黄色。

 彼女の金髪を際立たせるの装いは、悔しいがとても似合っていた。


「……それ、着物に誂えたんか」

「ええ。今日という日に相応しいと思って」


 相応しい。まさしくそうだろう。

 今日という日が、彼女の死ぬ日になるかもしれないのだから。


「もう逃がさへん。ここでお前を殺す、フィリエ」

「やってごらんなさい。その前に私があなたを惨たらしく殺して差し上げますわ」


 萌黄色の魔力と、赤紫色の魔力が衝突した。



「ふむ……なるほど。幽閉か。確かに時間稼ぎにはぴったりだ」


 ジークは、ある部屋に来ていた。

 その部屋はかつてジークが自室として使われていた部屋で、家具は全部処分されたせいでがらんとしている。

 しかもご丁寧に何重にも魔法がかけられており、簡単に出れないことは明白だ。


(だが、こんなもの私にとっては造作もないことだ)


 タンザナイト色の魔力を可視化させ、右手の人差し指に魔力を集中させる。

 そのまま宙に向けてぽつり、ぽつりと魔力が雫となって落ちる。魔力の雫はジークの指先を追うように線を描いていき、やがて星座と見まがうような模様が生まれる。


 ジークには樹のように精霊眼を持っていない。

 しかし彼は、アリナが死んでから数百年も何もしなかったわけではない。

 日を追うことに魔法技術が発展していき、ジークも時代に遅れないよう最先端の魔法技術を独自に解釈し学んだ。


 余るほどの時間の中で、ジークはあることに気付いた。

 それは、魔導具や魔法には必ずどこかに『綻び』があることだ。

 どんなに精密に計算されていても、魔法が人の手によって使う以上、ほんのわずかに穴がある。


 魔法を極めていく中でその『綻び』を見つけるのがなんとなく分かったジークは、この方法を編み出した。

 他者の魔法に自分の魔力を一滴ずつ注ぎ込み、そこから一気に魔力を放出させる。

 そうすると、『綻び』は一気に魔法が瓦解する。


 パキパキパキッ!! と崩れていく魔法。

 魔力の残滓が雨となって降り注ぎ、そのまま床に落ちることなく消える。

 まるで美しいステンドグラスを壊したような気持ちになり、複雑な気分になっていく。


(さて……カロンを探すのはいいが、どうやらこの城は私がいた時より派手に改造されているようだ。今は『供儀の御柱』のせいで魔力感知が鈍くなっている。探すだけでもかなり骨が折れる)


 だが、何もしないままかつての面影のない元自室に長々といるわけには行かない。

 慎重に扉を開け、回廊に誰の気配がないことを確認する。

 そのまま足音を出さないよう、部屋を出て行くジーク。


 その様子を、窓の外の木に停まっていた鳥が、じっと静かに見つめていた。

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