第189話 日常の裏側

 その情報は、学園中を驚愕と悲しみの渦へと落とした。


「大変大変大変よー! 豊崎先生が【毒水の舞姫】と正式に婚約したんですって!」

「「「ええええええええええええええええええええええっ!?」」」


 新聞社発行の記事の見出しには、『【五星】豊崎陽ついに婚約! お相手は【毒水の舞姫】高城愛莉亜!!』とデカデカと書かれている。わざわざカラーにした報道写真には陽と愛莉亜が掲載されていて、その写真の中心にはハートマークがでかでかと後付けされている。

 今まで知らなかった生徒達は阿鼻叫喚を上げるも、日向を含める関係者は「やっとか」と呆れながら肩を竦めている。


「そもそも陽兄、恋人いるってことすら情報出してなかったんだね」

「意外とプライベートには慎重だったかもな。ま、なんせ王星祭レクスに元五連覇王と現三連覇女王……いやもう四連覇か。とにかく魔導士だけじゃなくて一般人にも人気のある二人の熱愛ニュースはしばらく鎮火しなさそうだな」


 今年の王星祭レクスで四連覇を成し遂げた愛莉亜の名は、たちまち世界に広がっている。

 陽の名も引退してから三年は経つも人気は衰えず、むしろ多方面から復帰を望まれているほど。

 そんな二人の熱愛は、魔導士界でも現代社会でもビッグニュースになるのは当然だ。


 数日前にプロポーズした話は訊いた時、日向は陽の脇腹を思いっきり殴った。

 もちろんわざとではなく、今世で好きになった女性を長く待たせた罰と、ようやく決心をした兄への激励を照れ隠しでやった。

 陽にもそれが伝わっていたのか、意外と強めにやったにも関わらず「ありがとさん」と囁いたのは、やはり兄として妹の行動が全部お見通しだったからだ。


 正式に結婚式を挙げるはまだ先だが、それでも今まで日向優先だった兄が一歩を踏み出したことは素直に嬉しかった。

 だが陽に恋人がいたことを知らなかったクラスメイト達は嘆き、HRが始まるまでずっとぎゃーぎゃーと騒いでいる。


「おー、こらこら。そろそろHRやでー、静かにしぃや」


 あまりにも騒がしすぎてチャイムが鳴ったことに気づかず、教室に入ってきた陽とジークを見てピタリと止むと、急いで席に戻る。

 だが誰かが回収忘れた新聞記事を拾った陽が、納得の表情を浮かべた。


「あー、これか。もう記事に出てたんか」

「……豊崎先生、ご婚約おめでとうございます」


 クラスメイトの人がお祝いの言葉を囁くと、それを皮切りに拍手が沸き起こる。ジークも隣で拍手しており、陽は少し照れくさそうに笑う。


「ありがとさん。ずっと前から考えとったけど、中々切り出せんくて……いやぁなんとかなってよかったわ」

「でも豊崎先生が【毒水の舞姫】とそんなに親しい仲だったんで知りませんでした」

「ああ、まあな。元々、愛莉亜は学生時代のワイのパートナーやったからな。恋仲なるんは自然やろ」


 陽から語る愛莉亜との関係に、疑問に思っていたクラスメイト達は納得の表情を浮かべた。

二人一組ツーマンセルの特訓』という名目で作られたパートナー制度だが、裏では魔導士同士の結婚と魔導士増加を目的としていることは誰もが知っている事実だ。

 最初は本当に『二人一組ツーマンセルの特訓』が目的でパートナーの相手も同性同士だったが、魔導士の確保に躍起になり始めた頃に異性同士に変更し魔導士同士の結婚と増加をもう一つの目的とした。


 その影響なのか知らないが、パートナー同士に結婚率は七〇パーセントと高確率になり、残り三〇パーセントは相性の悪さや片方のパートナーには家が決めた婚約者がいるという等の理由で卒業後解消されている。

 七色家の決まりである『パートナーになった相手が第一婚約者候補にする』というのも、そういった事情が絡んでいたからこそ生まれた。


 ともかく、陽が愛莉亜と恋仲であったという事実は、パートナーだったの一言で解決した。

 騒ぎが鎮静化したあたりで、今日も学園はいつも通りの日常が始まった。



「新しい魔法を作るというのは、本当ならそこまで難しいことではない」


 魔法実技の授業で、始まって早々ジークが開口一番に言った。


「もちろん魔力操作や精度は大事だが……そもそも、何故現代の魔法は【魔導士黎明期】より増えたのか知っているか?」

「単純に使える魔法を増やそうと思ったからじゃないですか?」


 クラスメイトの一人が答えると、ジークは「半分正解だ」と言いながら頷く。


「もちろん当時の魔法の数が今より一〇分の一以下だったが、四大魔導士が残した資料を参考に新たな魔法を生み出そうと一時期は魔法作成のためだけに研究グループを作ったほどだ」


 魔法の数は【魔導士黎明期】から【魔導士革命期】までさほど重要視されなかったが、【魔導士大戦期】になると世界各国で新しい魔法の開発に力を入れ始め、実用化まで漕ぎつけた魔法は新魔法として正式に認められ、IMFが管理している魔法百科事典『魔導書庫インデックス』に登録される。

 もちろん『魔導書庫インデックス』に登録されている魔法が、全て新魔法ばかりではなく、現代魔法のほとんどが既存魔法の亜種で、新魔法の開発は困難になり始めている。


「現代では新魔法の開発は難しいと言われているが、私から言わせてみればそう考える連中がノータリンなだけだ。単純に発想力が欠如している……嘆かわしいことだ」


 教師としてはあるまじき暴言を吐くジークに、クラス全員が戸惑うも平然とした顔で話を続ける。


「もちろん新魔法を開発できる人間はいるかもしれないが、そんなのはごく少数だ。……そこでだ。本日の授業は新魔法の開発……は、さすがに難しい。そうだな……複合魔法の特訓にしよう。新魔法よりは簡単だろ?」


 先生、それ簡単じゃないです!

 クラス全員の心が一つになった瞬間だが、空気を読んで一斉に口を噤んだ。


 複合魔法は他系統魔法の相性だけでなく、魔力操作も精度も必要とする。

 学生でなくても正規の魔導士でさえ難しいそれを、『できるよな? できないと言わせねぇぞ』的な顔で言い放つジークは正真正銘の鬼だ。

 彼の有無を言わせない空気をビシバシ当てられた日向達は、散らばりながら複合魔法の特訓を始めた。


「複合魔法かー。あれどうやればいいんだ?」

「他の魔導士でもできる人はいないしね。どうしよう……」

「んー、今じゃそう言われてるけど。そもそも複合魔法って魔力量の調整とイメージ力でどうにかなるんだよね」

「えっ、そうなのか?」

「うん。ちょっとやってみるね」


 そう言って日向が琥珀色の魔力を可視化させながら、詠唱する。


「『ルクス』、『テネブリス』」


 右手に白い光、左手に黒い闇を生み出すと、それらを合わせるように近づけさせる。

 すると闇に吸収された光が一つの個体から無数の粒に変化し、小さな星空が生み出されていく。


「すっげー! え、これどうやった!?」

「闇の方は魔力量を固定して、光の方は星屑みたいになるように小出しにしてるだけ。こうして魔力量を調整して頭の中でイメージを確立させればできるんだ」

「あー、つまり頭の中で思い浮かべる魔法をイメージさせて、あとは魔力量をどれだけ使うか計算しながら使えばいいってことか」

「そうだね。まあ、調整の方は個人の魔力値によって違うから、同じようにやっても失敗する可能性もあるけど」


 手の中の星空を消すと、聞き耳を立てていたクラスメイト達も試行錯誤しながらやり始める。

 盗み聞きしてまでやろうとするやり方は普段なら文句を言うが、これは日向があえて言いふらしたようなものだ。それにはちゃんと理由がある。


「でも意外だな。お前が先に複合魔法成功させるなんて。それも昔の影響か?」

「ああ……うん、まあね。ここだけの話、複合魔法って昔のあたしが実験の失敗の時に見つけた副産物なんだよね……」

「え? どゆこと?」


 樹と心菜の視線を受け、気まずそうに目を逸らす日向。

 口を×印にして閉ざす日向の代わりに答えたのは、苦笑いしているギルベルトだ。


「一時期ジークの奴に闘争心を抱いたアリナが、あいつにもできない魔法の習得していたが、誤って暴走させたんだ。その時に偶然、魔力量の調整とイメージ力で複合できることを発見したんだ。ま、怪我の功名というやつだ」

「だって……まさかあんな大失敗で複合魔法ができるなんて思わなかったんだもん……!!」


 両手で顔を覆いながら蹲る日向の頭を、悠護が「よしよし……」と言いながら撫でる。

 一体どんなことをして複合魔法を生み出したのかは謎だが、いくら前世といえど友達の黒歴史を根掘り葉掘り聞き出すほど鬼ではなかった。

 和気藹々と話しながら複合魔法の特訓をする日向達を横目に、ジークは自身のスマホに送られたメールを読みながら目を鋭くさせた。



☆★☆★☆



「魔導犯罪組織による密造酒の販売……か」


 東京都の山岳地帯、近隣に中高年層の者達が暮らす村が近くにある山道をジークは歩いていた。

 この仕事はIMFの魔導犯罪課でも手が回らないらしく、新人であるジークの社会勉強として陽に押し付けられた。

 あの時見せた底意地の悪い笑みを思い浮かべるとイラッとしたから、後で魔法の罠を仕掛けようと心に決めた。


 さて。経緯はどうあれジークが受けることになった仕事は、魔導犯罪組織が密造酒を製造し裏で売りさばいていることが発端だ。

 一本一〇万超えをする密造酒は、中身は普通の赤ワインだが一口飲めば麻薬と同じ強い中毒性を持っていた。近頃、この密造酒が酒屋やバーなどで卸されているとデマが流れ、中毒者は密造酒を求めるも店側が「置いていない」と答えただけで、人格が変わったかのように暴れ出す。


 これまで三〇件以上の暴力沙汰は起きており、最近では飲酒禁止の店が増え始め経営に支障をきたしている。

 魔導犯罪課が中毒者から回収した密造酒を調べたところ、魔法により麻薬と同じ効果を発生させる成分が通常の数倍上げられており、密造酒の出所も巧妙に隠されていたせいで発見できなかった。

 だがIMFの優秀な職員が衛星写真で山岳地帯に小規模な工場があるのを見つけ、そこは何十年も前に閉鎖されていたにも関わらず電気が流れていることが確認され、そこが密造酒製造所であると確信を得た。


 そして現在。

 密造酒製造所の壊滅と魔導犯罪組織の確保が、ジークに渡された仕事だ。


(聖天学園の教師は、通常業務と学園内に侵入しようとする者の捕縛だけでなく、魔導犯罪課ですら手が回らない仕事も引き受ける。そして、回ってくる仕事はいずれ生徒に影響を及ぼすもの、か……)


 密造酒は未成年扱いされているため飲めないが、魔法に関しては別だ。

 魔導士候補生であっても威力は魔導士崩れよりも上である以上、学園で保護されている生徒が犯罪行為に手を染めるのは防がなくてはならない。

 生徒にも手を伸ばす障害の排除も、世界唯一の魔法学校の教師の務めだ。


「……ここか」


 長い山道を登って辿り着いたのは、壁だけでなく屋根も錆びついている古ぼけた工場。分厚い鉄扉は閉じ切られているも、機械の駆動音が壁をミシミシと揺らしている。

 この工場には、行き場のない者達は明日を生きるために犯罪に手を染めている。かつての自分は贖罪と叛逆のために犯罪に手を出した自分と違うが、それでも仕事がある以上、放置することもできない。


 しっかり施錠されている扉の前に立ったジークは、パチンッと指を鳴らす。

 指先から可視化された純白の魔力が膨大な質量を持った魔力弾として放たれ、扉を吹き飛ばす。

 大人四人で開閉できない扉が吹き飛ばされると、中で働いていた者達は一斉に言葉を失う。そのまま室内へと入るジークの姿を見て、血気盛んな者達は鉄パイプや短機関銃型魔導具を手にする。


 全方位から敵意の眼差しを向けられるも、表情を変えないジークは亜空間収納から《デスペラト》を取り出す。

 六芒星型にカットされたタンザナイトが妖しく輝かせながら、ジークは目の前の敵を見据えた。


「――悪いな。私が守る教え子達のために、お前達には捕まってもらう」



 男は、誰よりも負けない自信があった。

 魔導士家系の子として生まれ、優秀な成績を修めて聖天学園を卒業。その後はIMFの魔導犯罪課に配属され、着々とエリートコースに乗っていた。

 いずれは課長となって部下を引き連れる権力を持つのだと信じ、激務に追われながらもイージーモードな人生を歩んでいた。


 だが、その人生は単純に運によって敷かれたレールの上を走っていただけだと思い知らされた。

 最近多発する魔導犯罪の対処に追われ、やっと見つけた密造酒製造所および魔導犯罪組織の壊滅を聖天学園の教師の一人に任せるも、すぐに回収の依頼が入る。

 男を含めた回収班が山岳地帯に入り、目的地にたどり着いた直後、誰もが言葉を失った。


 工場はほぼ全壊で、床や地面に倒れている魔導犯罪者達は血だらけになりながらも生きており、意識も完全に失っていた。

 巨大なタンクが並び、大部分が破壊されているせいで大量の酒が零れている中、中央のタンクの前で零れる酒を手で掬い飲む男がいた。


 ひどく美しい男だ。

 暗闇でも分かるほど映える純白の髪と、角度で青と紫に色を変えるタンザナイト色の瞳。床に突き刺した漆黒の剣はわずかに血で汚れているも、麻薬同然の酒を飲んでいる姿と見事にマッチしている。

 まるで一枚の絵画のような光景に、誰もが呼吸を忘れた。


「……ああ、回収班か」


 男は密造酒を飲んでいるも意識がはっきりしているのか、乱れのない動きで剣を亜空間収納にしまい込む。

 一つ一つの仕草――歩く姿さえ妖艶に見えて、男であるはずなのに息を呑んでしまう。


「ここらにいる敵は全部気絶している。酒も試しに呑んだが、適切な処置があれば中毒症状が抜けるものだ。中毒者は全員、魔導医療が導入されている病院に搬送し治療を施してくれ」

「あ……ああ、了解した。ご協力感謝する」

「構わない。ただの暇つぶしだからな」


 暇つぶし。

 明らかに戦力に差があり、油断すれば魔導犯罪課の職員でさえ死ぬ可能性のある仕事を――この男は、だと言った。

 長年勤める自分でさえ死への恐怖を抱く仕事を。この男は!


 戯言だと反論しようにも、純白の髪の男は表情を変えないまま去っていく。

 呆然とその背を見つめると、捕縛の際に意識を取り戻した魔導犯罪者が「純白の……純白の悪魔が……!」と半狂乱で叫ぶ。

 眼球が飛び出すほど見開かれ、何度も叫ぶその姿に、男はやっと理解する。


 あの純白の髪の男は、自分達なんかでは束になっても敵わないのだと。

 二つ名持ちの魔導士とは引けも取らない強さを、彼は持っているのだと。

 そして――自分は己の力に慢心していた、ただの井の中の蛙だったであると。


「は……はは……」


 乾いた笑いが漏れる。

 目の前の惨状が自分と男の実力差を思い知らされながら。

 この日、初めて挫折を味わった男は茫然自失のまま暗い夜空を眺めた。

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