第186話 望む未来

 あの後、IMF本部で事件の収拾の手伝いをしていた陽が、ジークと長時間話し合った結果、日向の望み通り元『レベリス』と同盟を組むことになった。

 日本支部でも『レベリス』についてなんの情報もなく、唯一の目印である紅いローブも処分しているため、彼らが『レベリス』だったという情報はほぼなくなった。


 しかしルキア――ヘレン・グレイスは去年の学園祭で魔導犯罪課に顔を見られているが、本人は「顔を見せなければ平気」とあっさり言い放った。

 色々と不安要素はあるが、陽はどこからのツテで入手した書類を使い、二学期からジークはA組副担任、ノエルは学園内病院の院長推薦で入った研修医として聖天学園に入ることになった。


 イアンとヘレンはそういった柵を嫌い、学園の駅前に近いマンションで二人暮らしすることを提案した。

 そもそもヘレンはもしものためにデイトレードで個人資産を所有しており、イアンも本名名義で東京魔導具開発センターの職員として就職していたことが判明。経歴も一から洗ってみるも、IMFはイアンが『レベリス』であるという証拠は掴めていないと裏が取れ、二人の望みは見事許可された。


 そして、アイリスとはいうと予定通りターラント伯爵家の養女となり、そこで淑女教育を受けている内に、以前のような夢見がちな性格は嘘のように鳴りを潜めた。

 ヴィルヘルムが結婚を申し込んだ婚約者候補として度々宮殿に足を運ぶようになり、時折見かける二人はまだぎこちなさがあるものの微笑ましい関係を築いていて安堵した。

 各々の処遇が粗方決まり、後は無地帰国する準備をするだけだったが、


「「「――復興記念式典?」」」


 八月二〇日、珍しく食堂で全員が朝食を摂れるようになった直後、ギルベルトが腕を組みながら「そうだ!」とドヤ顔を見せる。

 復興記念式典と聞いて思い浮かべるのは、やはり『落陽の血戦』だろう。

 あの頃はまだ誰もが魔法を使える状況ではなく、国の復興は抗争後三年弱もかかったと習っている。ちょうど今日が国の復興作業が終わったと同時にローゼンが正式に国王として戴冠された日でもある。


「『落陽の血戦』に続き、この国では『叛逆の礼拝』も起こってしまった。ちょうどIMF本部の復興作業も今日終えると報告を受け、今夜の復興記念式典は例年より大規模なものになる」

「そもそもさ、復興記念式典って名ばかりのパーティーなんでしょ? それ僕達も出ないといけないの?」

「ああ。表向きは公表してはいないが、お前達が『叛逆の礼拝』の鎮静化に協力した事実は変わらない。父上もぜひ出席してくれと頼まれている」


 明らかに面倒臭そうな顔で言う怜哉だったが、ギルベルトの説明を受けて参加しないと言えなくなってしまい、ため息を吐きながらパンを頬張り始めた。

 元『レベリス』の面々も同じ席で食事をしており、やはりというべきかジークは複雑な表情を浮かべていた。


「私達が原因になった抗争の復興記念式典に参加するとは……正直、複雑な気分だな」

「そう言うな。心機一転という意味で参加してくれ」


 ジークの言葉にギルベルトは苦笑を浮かべるも、紅茶を一気に飲むと立ち上がる。


「式典後はパーティーがある。帰国前日くらい、せめて楽しんでくれ」



 朝食後、式典の準備に追われ、日向達は『継承の儀』でも着た白い礼服姿で出席した。

 式典が行われたのは、ロンドン郊外にある、ロンドン全体を見渡せるほどの高台となっている丘だ。

『グランド・スクエア』と名付けられたその場には、万を超える民衆と数十人の賓客が集まり、『落陽の血戦』及び『叛逆の礼拝』の復興を祝う式典が開催された。

 記念鐘楼の鐘が荘厳に鳴り響くと、すぐそばの支柱にイギリスの国旗と王旗が掲揚される。開会式の祝砲が打ち鳴らされると、拍手の後に、国王とロンドン市長、そして国際魔導士連盟本部長のスピーチが始まる。


 鐘楼の前には細長い塔のような慰霊碑が置かれ、上部には十字架、中部にはこれまで抗争で亡くなった者達の名が刻まれている。その多くが『落陽の血戦』でこの世を去った者ばかりで、『叛逆の礼拝』で新しく慰霊碑に刻まれた名は一〇を少し超えた。それでも、あの事件で亡くなった者がいるのだと、遺族と思われる者達の悲痛な鳴き声を聴いて胸が痛くなる。

 犠牲者を悼み、追悼の鐘が何度の鳴らされる中、賓客の一人として慰霊碑に献花を置いたが日向が見覚えのある名を見て一瞬固まった。


『Arena Electrum』

『Crow Carbunculus』


 英語で記された、アリナとクロウの名だ。


(自分の前世の名前を慰霊碑で見るなんて変な気分……)


 前世の自分達も『落陽の血戦』で命を落としたことは事実なので、慰霊碑にその名が最初に刻まれてもおかしくはない。

 だがその生まれ変わりである日向から見ると、やはり前世の名が慰霊碑に刻まれているのを見ると少しだけ複雑だ。それは隣で同じように献花を置こうとした悠護も同じのようだ。


「今、何考えてた?」

「多分同じこと」


 周囲が聞いても首を傾げるだろう主語が抜けた会話を交わすも、二人は納得の表情を浮かべながら慰霊碑から離れる。

 同じように献花を置きに来たジークが悲しげに顔を歪ませると、ぶつぶつと何かを呟いて深く頭を下げていた。彼が呟いた言葉をなんとなく察し、日向と悠護はあえて見ないふりをしてその場を去る。


 ほとんどの人が献花を置き終え、厳かな雰囲気の中、粛々と進んでいく。

 だがそれも、代表の子供達が花束と共に大小さまざまなムーンストーンで飾られた細工品を送られると雰囲気は和やかになった。

 最後に次期国王として名高いギルベルトが「このような災厄が二度と訪れないよう、我々は尽力を尽くすことを誓おう」とスピーチを披露すると、民衆と賓客から万雷の喝采が鳴り響く。


 再び鐘の音が鳴り響くと同時に、式典が終了を知らせる。

 この鐘の音がかつての自分だけでなく、あの時代を生きた者達にも届いているのだと感じながら、日向は王室が用意したリムジンに乗った。



☆★☆★☆



 バッキンガム宮殿で行われるパーティーは、新たに臣下として迎えられた家々の他に、王室が招待した者達で溢れ返っている。

 豪勢な食事が並び、羽飾りや宝石で思い思いに着飾った紳士淑女を前に、日向は鬱屈なため息を漏らす。


 今世でもそうだが、日向は社交界というのは一番苦手だ。

 一挙手一投足を周囲に監視されるように見られ、作り笑顔の裏には良からぬ思考が巡り回っている。開始早々、さっそく壁の花になりながら、日向は自身の恰好を見下ろす。


 Vネックのカナリヤ色のドレスは、スカートは膝丈しかないものの真珠が星のように散りばめられるように縫われ、ウエスト部分はすっきりとしている。五分袖は膨らんでおり、同色のヒールは踵が太目かつ短い。軽く結い上げた頭部には白い花を模したベール付きのヘッドドレスが付けられ、清楚ながらも可愛らしいデザインだ。

 流石は王室御用達のファッションデザイナーの見立てであって、日向の好みになっている。


「こういうパーティーは、生まれ変わっても慣れないなぁ」


 まだ婚約者がいなかった時は、多くの男性が集まり、自分の名を覚えて欲しいと言われ、気が早い者には子供の名前を言う人もいた。

 クロウが婚約者になって数は減ったが、女々しくも諦めきれない男性が婚約破棄を前提にした求婚をしてきた時はさすがに作り笑いが引きつるところだった。


 今もチラチラとこちらを見て、「君、行ってみたら?」「いやいや、あなたに先を譲るよ」とたまによく見るナンパ男達よりも上品かつ似た会話を耳にして、さらに表情を曇らせようとした時だった。


「――相変わらずパーティーは嫌いか?」


 横から声をかけられ、振り返ると黒の正装を身に包んだ悠護が、両手にシャンパングラスを持ってやってきた。

 片方のグラスを受けとりながら、苦笑する。


「嫌い……だね。初対面の人も堅苦しい挨拶もお家自慢も聞きたくない」

「俺もだ。というか、さっきまで令嬢達から逃げてた」

「えっ、なんで?」

「あの三兄弟だ。あいつらと話していたせいで、俺は王室と縁がある人間と誤解された」


「樹もいたけど、そばに心菜がいたから俺だけターゲットにされた」とげんなりした表情で言う悠護に、日向はくすくす笑いながらグラスに口をつける。

 中身はノンアルコールシャンパンで、フルーティーな香りがする上に爽やかな口当たりとフレッシュな爽快感が相まって、ノンアルコールとは思えないほどの美味しさだ。


「そういえば、こういう時のファーストダンスってどんな意味があるか知ってるか?」

「え? えーと……確か、王族だとファーストダンスを踊る異性は自分の婚約者もしくは意中の相手だと周囲に知らしめる、だっけ?」


 詳しくは知らないが、確かそんな内容だったと思っていると、会場の端に控えていた楽団が優雅な曲を奏で始める。

 するとギルベルトはルナの手を、ヴィルヘルムはアイリスの手を、アレックスはベロニカの手をそれぞれ取った。三人の王子が少女達の手を取る姿を見て、半々の令嬢が泣き崩れたり、嫉妬と羨望の眼差しを向けたりと反応する。


 ギルベルトに至っては、彼が最終的に元鞘に収まったことで一部の臣下が胸を撫で下ろしていた。

 アイリスもヴィルヘルムに向けて見たことのない笑みを浮かべ、ベロニカもアレックスと一緒に笑い合っている。

 三人の王子の幸せな光景に、見ているこっちも幸せな気持ちになる。すると、悠護が近くのテーブルの上に自分の分のグラスを置くと、胸に手を当て、優雅な所作で右手を差し出す。


「俺と、一曲踊ってくれませんか?」


 かつてのクロウと同じ仕草でダンスを申し込む姿に、思わずきょとんとした顔を浮かべるもすぐに笑みを浮かべる。

 同じようにグラスをテーブルに置き、その手を取る。


「――喜んで」


 嬉しそうに手を取り合う二人を、日向を狙っていた令息達はがっくりと肩を落とす姿に、悠護が細く笑んだことは気づかなかった。

 曲に合わせてワルツを踊る輪に入り、優雅にステップを踏む。遠くで樹も心菜と踊っているが慣れないステップに悪戦苦闘し、心菜が丁寧に教えている姿が見えた。同じようにイアンとヘレンも嬉しそうに踊り、怜哉はいつもの無表情ではない珍しく優しい表情で眺めている。

 誰もがこの幸福に満ちたひと時を享受する。その事実が今だけはとても嬉しかった。


「……悠護」

「なんだ?」

「今世でも未来でもよろしくっ」


 にこっと笑いながら言った日向に、悠護はきょとんとするもすぐに笑みを浮かべる。


「――ああ、こちらこそ」



 優雅な曲が流れる会場から離れたバルコニーで、くるくるとステップを踏みながら踊る者達を眺める。

 その中にはかつて想いを寄せ、絶対的な忠誠を誓った少女とその隣を再び手に入れた少年が楽しそうに踊っている。何度も見てきたが、見ているこっちも微笑ましい気持ちになる。


 自分の身分では彼女と結ばれることなどできないことなんて、最初から分かっていた。だからこそ、盟友達の中で一番良くしてくれて仲が良かった少年に託したのだ。

 数百年前では自分の犯した罪によって二人を引き離してしまったが、今世では必ず幸せになってほしいと強く願う。


「――飲まんのか?」


 どこからともなく声をかけられ、聞こえた方に振り返ると、いつの間にか隣にいた陽が左手に持つシャンパングラスをこちらに向けていた。もう片方の手を傾かせながらシャンパンを飲む彼の姿を見つめ、ジークは無言で受け取り一口飲む。

 シャンパン特有の苦みと炭酸を舌で味わいながら、同じように飲む陽を横目で一瞥する。


 正直に言って、ベネディクトの生まれ変わりである陽と何を話せばいいのか分からない。

 自分とノエルを聖天学園に入れさせる手筈を整えてくれたのは感謝しているが、前世での行いはそれだけでチャラにできるほど穏便なものではない。

 無意識に冷や汗を流しながらうーうー唸るジークに、陽は呆れながらため息を吐く。


「…………そんなん気にせんでも、もうとっくに知っとるわ」


 やれやれと肩を竦める陽の物言いに、ジークは驚いて思わず彼の方へ視線を向ける。

 陽は苦痛と後悔を混ぜた表情を浮かべながら、シャンパングラスを一気に呷った。


「分かっとるんや、最初からお前に非がないことくらい。ただ……選んだ道を間違うただけ。理解はしとる、けど……それでも、やっぱりアリナとクロウを死なせたお前を許せへんかった……!」

「……それは当然だ。それだけのことを、私はしたんだ」


 もちろんジークも、自分が歩んだ道が正しいとは思ってはいない。

 選んだ道のどれもが間違いだらけで、何度後悔したか分からない。せめてもの償いとして『レベリス』の悪名を背負い、カロンを殺すことだけに専念した。

 自分にとっても、彼にとっても大事な少女を守るために。


 ……だが、結果はこのザマだ。

 カロンに『神話創造装置ミュトロギア』を居城があった異位相空間ごと奪われ、ノエル達によって九死に一生を得て、そして再び日向に忠誠を誓った。

 これが良いことなのか悪いことなのか、今のジークでさえ分からない。


「でもま……これからはまた仲間として歩むんや。過去の遺恨はここで忘れようや」

「……お前がそうしたいなら、そうしてくれ」

「ありがとさん」


 ジークの言葉に陽が幾分か柔らかい笑みを浮かべると、「さぁて気を取り直して飲むか~」と言いながら空間干渉魔法でどこからかくすねたシャンパンの瓶を取り出す。

 きゅぽんっといい音を立ててコルクを外し、グラスに注がれる白味が強い黄金色の液体が注がれる。

 まだ中身が残ったグラスを傾けようとした時、ふとした疑問が頭の中に浮かんだ。


「そういえば、気になることがあったんだが」

「なんや?」

「なんでお前、標準語じゃなくて関西弁なんだ?」


 今まで誰も気にしなかった質問を問われ、陽の動きがピシリと固まる。

 今世で久しぶり顔を合わせた盟友の口調が正反対のものになり、途轍もなく違和感を覚えたのは後にも先にもあれだけだ。

 ジークの質問に陽ががしがしと頭を掻くも、観念したのか深いため息を吐いた。


「あー……実は、な。日向が生まれた時にはすでに前世思い出しといて……そんで、性格も口調がいつの間にか昔に戻っていたんや」

「へぇ……それで?」

「もちろん最初は両親も訝しんでな、なるべく前のようになろうとしたんやけど……やっぱ油断しとると昔のに戻っておった。んで、これはさすがにマズいと思いて色々と考えた結果……」

「口調だけを関西弁にしたのか?」

「せや……ワイが突然関西弁で喋っても、『お笑いにハマって真似した』って言えば親も不審がらなくなったし、クラスメイトからも意外と好評やった。それに……関西弁やと元の性格を上手く隠れさせるには絶好やったんや」

「なるほどな。お前の場合、外見はともかく中身が何十歳のジジイだからな……余計に前世の口調と性格に戻ると周囲から怪しまれるほど齟齬があったってわけか」


 ジーク自身もベネディクトがいくつで逝去したのか知らないが、恐らく世間でいう大往生を迎えたのだろう。

 ある日突然、自分の子供が外見年齢一〇歳なのに中身がジジイ同然になってしまえば、親だけでなく誰だって怪しむに決まっている。

 日向も悠護もギルベルトも、口調や生活スタイルは多少の齟齬はあるも、他は前世と変わらない。そう考えると陽とベネディクトの人格の落差が誰よりも激しかったはずだ。


「それを聞いて納得した。話ずらいことを聞いてすまなかったな」

「ええってええって。むしろお前がツッコんでくれたおかげで、やっと話せたから少しすっきりしたわ」


 ケタケタと笑いながらまたグラスを一気に呷る陽。

 幾分か気分が良くなった様子を見て、ジークが安堵してもう一度グラスを呷った時。


「陽兄ー! ジークー!」


 会場で、日向が大きく腕を振って、駆け寄りながら自分達を呼ぶ。

 陽も妹の呼び声に気づいて、三杯目をお代わりしようとする手を止めた。


「ここにいたんだー。会場中あっちこっち探したのに、全然見つからないんだから」

「なんや、どないしたん?」

「あ、そうそう。ギルがそろそろパーティーが終わるから集まってだって。それと、まだ食べ足りないと思うから食堂に集まって晩餐会しよって」

「そうか。わざわざ伝えに来てもらってすまない」

「いいよ、これくらい。じゃあ先に行って待ってるからね!」


 ドレスのスカートを翻しながら会場に戻る日向の姿を、二人は瞼裏にも焼き付けるように見つめる。

 一度は失った大切な存在。また失われる恐怖を味わうのは、数百年前のあの時で充分だ。

 二人の目が交差する。何か言いたいのか、両者の目がはっきりと伝えた。


「――今度こそ守るで、ジーク」

「もちろんそのつもりだ、陽」


 軽く拳同士をぶつけながら、二人はシャンデリアに輝きが強い会場へと戻る。

 これから待ち受ける障害も試練も、全て薙ぎ払って互いが望む未来を掴み取ることを胸に刻みながら。

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