腐令嬢、息止まる


「…………クラティラス様、まだ起きているのですか? あまりモゾモゾしないでください。私まで眠れなくなるではありませんか」


「んあっ!? そんなにモゾってた!? いやー食べすぎちゃったせいで、ポンポンが勝手に動いたんだな! 私の胃腸、どうやら夜型みたいでさー! 夜中にお腹空いて起きることもよくあるんだよねー!」



 レヴァンタ家で夕食を兼ねた送別会をした後、私とステファニは軽く談笑してから同じベッドに入った。


 というのもステファニったら、ベッドのマットレスを昨日王宮に送っちゃったもんだからさ……あれ、数少ない彼女の私物だったんだって。服はほとんど持ってなかったのにマットレスは持参とか、本当にステファニらしいよね。



「ごめんごめん、気を取り直して寝よ寝よ!」



 真横にある人形のように端正な横顔に、私はなるべく明るい声で告げた。



「無理です。クラティラス様のアホ丸出しな大声で目が冴えてしまいました」



 ステファニが淡々とした愚痴と共に、くちびるから吐息を深々と漏らす。


 うう……ステファニと過ごす最後の日なのに、やらかしてもうた。明日は朝早くに王宮から迎えが来ると聞いてたのに、このままじゃステファニを寝不足のパワーダウン状態で送り出すことになっちゃう。



「ご、ごめんね? それじゃ、ネフェロを呼んで子守唄でも」

「私は……王宮に戻りたくありません」



 しかし私の提案は、ステファニの小さな呟きに遮られた。



「…………クラティラス様は、ご存知だったのですね?」



 絶句していると、ステファニは琥珀の瞳をこちらに向けて静かに問うた。何を、と尋ねるまでもない。イリオスの秘密のことだとわかったから、私は小さく頷いてみせた。



「イリオス殿下ご本人から打ち明けられたのですか?」



 次の質問には迷ったけれど、再び頷くことにした。ゲームの設定だから知ってた、とはさすがに言えるわけがないので。



「やはりお二人は、心から打ち解け合っているのですね。私は全く知りませんでした。いえ……イリオス殿下はわかっていて、私に悟られまいとなさっていたのかもしれません。私が、魔法なるものを心から憎悪しているから」



 ステファニの告白に、私は息を飲みすぎて呼吸が止まりそうになった。


 これこそが、ステファニ・リリオンが隠し続けてきた本心。ステファニは魔法に対して、非常に歪んだ感情を抱いているのだ。


 彼女の過去を思えば、それは仕方のないこと――――けれどそれこそ、ゲームをプレイしたから知っているなんて口が裂けても言えなかった。だってステファニは現時点で、王国軍に拾われる以前に自身に何があったかを『覚えていない』。魔法への嫌悪感だけは深く刻まれているようだけれど、それに関する記憶を『作為的に消された』ことは知らない。


 ゲームでは、ステファニは薄々勘付いていたといった台詞を吐く。もしかしたら彼女は今もう既に、己の抱く魔法に対しての思いが失われた過去に起因しているのでは、と疑っているのかもしれない。



「そ、そうね。アステリア王国では、一般的に魔法を使える存在が忌み嫌われているもの。無理もないわ」



 気付かれないように呼吸をただすと、私はやんわりと濁した。それが今の自分にできる精一杯の誤魔化し方だったので。


 ステファニは物言いたげに私を見つめたけれども、しかしすぐに長い睫毛を伏せた。



「ですから…………ショックでした。まさか敬愛する殿下がと、頭が真っ白になりました。王宮からこの家に行くよう命じられた時よりも衝撃を受け、ショッ君なるキャラクターを創造し、嫌がるエミヤ様にウザ絡みしている内にちゃっかりペットポジションに収まる妄想をしなければ、とても正気でいられなかったと思います」



 へ、へえ……ショッ君すか。思ったより余裕あったんすね。


 野暮な突っ込みは置いとくとして、ここまで聞いたからには肝心要を問い質さなくてはなるまい。



「それでステファニは…………大丈夫なの? これからイリオスの側にいなきゃならなくなったけど、その……」



 嫌じゃないの? 辛くないの? 耐えられるの?

 そう尋ねようとした私の心を読んだかのように、ステファニは大きく頷いた。



「大丈夫です。ショッ君のおかげで、エミヤ様の隣にいるのはやはりイリオス殿下でなくては、と改めて痛感しましたから。それに」



 そこで彼女はやっと目を開け、毅然とした口調で私に告げた。



「殿下は殿下です、何があろうとそれだけは変わりません。確かにショックは受けました。けれど今回の決定も、全てイリオス殿下の計らいなのです。皆が処刑を訴える中、あの方だけが私を庇ってくださった。私を処刑するくらいなら原因である自分を王家から追放しろ、とまで言ってくださった。そんな殿下を、私の忌み嫌う魔法が使えるからといってどうして疎むことができましょう?」



 一旦言葉を切ると、ステファニは口元に淡い笑みを浮かべ、さっきとはうってかわって柔らかな声音で続けた。



「むしろ、私は嬉しいのです。またお側に置いていただけること、秘密を共有させてくださること、そして殿下が常に纏っていた憂いの原因を知れたことが。おかげで遠いばかりだったイリオス殿下に、ほんの少しだけ近付けた気がして……」



 その笑顔は、この家に来て初めて見せたものとは異なっていた。


 あの時は無邪気で可愛らしい特化系だったけれど、今は違う。どこまでも女の子らしく、限りなく乙女チックで――――恋するキラキラ女子をそのまま描いたかのような、切なさとトキメキとはにかみに満ちた笑顔だった。



 そこで私は、やっと気付いた。ステファニはもうとっくにゲームのステファニじゃなくなっていたんだ、と。ゲームのステファニとは違う形で、イリオスのことを想うようになっていたんだ、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る