腐令嬢、乙る


 急に黙ってしまった私に、ロイオンは慌てて扉からこちらへとにじり寄ってきた。



「クラティラスさん、心配しないで。ヴァリティタ様はご婚約されても、クラティラスさんのことが大好きなはずだよ。だってヴァリティタ様も、サヴラさんと同じようにクラティラスさんのことをずっと見ていたから」



 彼にはきっと、私のことが『兄を取られそうで不安な妹』に見えているんだろう。私は元気付けてくれたロイオンの言葉に曖昧に頷くだけにして、反論は心の中だけに留めた。


 お兄様が私を見ていた理由は、ロイオンやサヴラとは大きく異なる。



『お前の顔を見ているだけで、苛々する! 幸せを願われるなど反吐が出る! お前の口から愛してるという言葉は、死んでも聞きたくない!』



 お兄様に突き刺された本音の叫びが蘇ると、やっぱり胸が痛くなった。


 もうすぐ夏休み、お兄様は帰ってくるんだろうか? 帰ってきたとしたら、どんな顔をして会えばいいんだろうか?


 暗い顔をしたまま俯いていると、デスリベ版に戻ったロイオンが優しく肩を叩いた。



「クラティラスさん、お疲れなのじゃろう? ボクのことは気にせんでええから、横になるとよかばい」



 本当にこの口調さえなければ、リゲルに匹敵するレベルの天使なんだけどなぁ。でも彼をこんなふうに変えちゃったのは、私だもんなぁ。


 あーあ、調子こいて卍固めなんて披露するんじゃなかったよ。せめてコブラツイストくらいにしとくんだった。


 己の所業を反省しつつ、デスリベの言葉に従って横になろうとしたその時だった。



「ひょえい!?」



 私が飛び上がったのは、デスリベの奇声のせいじゃない。ガン! と扉を強く叩く音が轟いたからだ。


 扉のすぐ側にいたデスリベは、私なんかよりもビックリしたに違いない。


 しかも音は一度では済まず、ガンガンガンガン、狂ったように続く。



「ひょお! ひょおう! ひょひょっ、ひょおおおおお!!」



 その度にデスリベは、叫びながら尻で跳ね上がった。フライパンの上のポップコーンみたいだな、と半ば呆れつつ眺めていたら。



「うるせえな! 一体何なんだ!?」



 怒声と共に、荒々しく扉が開かれる。部屋に飛び込んできたのは食事を運んできたゴロクではなく、角刈りの男――イチニと呼ばれていた三バカ兄弟のトップだった。



「そそそ、そっちこそ何ですのん!? あんなに何回も扉を叩いたりして! ボ、ボクらは大人しくしとったがですよ!?」


「はあ!? こっちからは叩いてねえよ! お前らがガンガンやらかしたんだろうが!」


「ボクらは何もしてないだす! 音は外から聞こえてきたがです! 言いがかりはやめとくれやす!」



 言い返すだけでも怖いだろうに、ロイオンは私を守るように両腕を広げてガードしてくれた。


 え、何これ、ヤババイヤババイヤババイバイの三三七拍子じゃね? 周りがクソみたいな野郎ばっかだったから、すごくカッコ良く見えるんですけど!



 …………あれ? ロイオン、なかなかいいんじゃない?

 精神年齢十九歳の私からするとまだガキだけど、高等部に入れば年齢もそんなに気にならなくなるよね? 十九歳と十六歳なら許容範囲よね?


 サヴラのことは私がうまいことケアして、心に空いた隙間を何かいい感じに埋めてけば、アリ寄りのアリじゃないかな? 何だかんだハニジュエのビジュアルは気に入ってたし、初めてリアル三次元メンズに恋しちゃうかも……!



「嘘つくな! お前ら、まさか何か企んで……」


「じゃっかましいやい! こうなったらどちらが正しいか、力で勝負ぞね! デスデスデスデス! リベリべリベリべ!」



 手を合わせて人さし指を突き出すという、カンチョーポーズで素早く突きを食らわせる彼を見て、私の湧いた頭は一気に醒めた。


 ああ、そうだった……中身はハニジュエなんかより質の悪いデスリベなんでしたね。はーい、ナシでーす。脳内妄想、おつー。解散ですよ、かいさーん。


 脱力しつつ、イチニのデコピン一発で吹っ飛んだデスリベを介抱しようと立ち上がった瞬間、私はふと近くに気配を感じて辺りを見渡した。



「ん? おかしいな、何か通った気がしたが?」



 私だけでなく、イチニも何か察したらしい。しかし部屋には、私達三人以外誰もいない。



「気のせいか……」



 ここでふと、私は思い出さなくてもいいことを思い出した。


 牧場近くの廃倉庫……そうだ、どこかで聞いたことあると思ったら!



「ね、ねえ、ここってもしかして……霊がいるって噂、あったりする……?」



 途端に、イチニの顔色が変わる。


 待って、何でそんな動揺した表情になるの? 頼むから否定してくれ! 鼻で笑ってくれ!



「う、うううるせえ! んなもん、くだらねー噂だ! ごちゃごちゃ抜かしたらまた口塞ぐぞ!!」



 声こそ威勢が良かったけれど、残念ながらイチニから出てきた言葉は私の希望に添ったものではなかった。



 ああ、聞くんじゃなかった!


 クーリングオフ制度を利用できるなら、返品したい……自分の質問もイチニの反応も部室での怪談の記憶も、全部まとめてなかったことにしたい!!



 開きっぱなしにしていた扉に何度もぶつかり、ついでに閉める時には何度も手足を挟んで悲鳴を上げるというコントみたいなアホ芸を披露し終えると、イチニはやっと部屋から消えた。おまけに私達を大人しくさせるつもりなのか、電気まで消されてしまったじゃないの。


 恐らくまだ夕方にもなっていないと思うけれど、窓一つない部屋は真っ暗になった。ほんのり扉の隙間から漏れ入ってくる光だけが頼りといった状態だ。



 いやいやいや! 本当に冗談じゃないよ!?


 ここが例の廃倉庫だとしたら、オバケが出るかもしれないってことじゃん!



 やだやだやだ! 本当に無理無理無理! 私、オバケだけはマジでダメなんだよーー!!

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