腐令嬢、詰り倒す


「庶民如きが何様のつもり!? 『私の殿下』に気安く触ろうとしないで、汚らわしい!」



 これは、ゲームのクラティラスの台詞だ。


 高等部一年生の体育祭イベントだったか。クラティラスの命令で、取り巻きの女子達がリゲルが通りかかるのを待ち伏せして玉入れ用のカゴを倒す。ところがその時点で最も好感度の高い攻略対象がリゲルを庇って飛び出し、身代わりとなるのだ。


 そこから介抱イベントへという流れに突入するのだが、イリオス様の場合のみ、他の攻略対象者達とは異なってこの介抱イベントは起こらない。悪役令嬢クラティラスが現れて、リゲルを追い払ってしまうからだ。こんなことになったのはお前のせいだと、ヒロインを詰りまくって。


 リゲルのせいでも何でもなく、自分が命じたせいだというのに、反省するどころか堂々と責任転嫁してみせるなんて、あのシーンでは私もクラティラスという奴は本当に根性の悪い女だと思った。


 だけど今、私はその根性の悪い悪役令嬢にならなくてはいけない。


 迷うな、揺れるな、躊躇うな。トカナをヒロインだと思って、罵り倒せ。なりきれ、私――悪役令嬢クラティラス・レヴァンタに!



「よくもまあ庶民の生活臭が染みついた臭くて小汚い肌を、恥ずかしげもなく披露する気になれたわね。とっとと服を着てくださる? 目が腐ってしまいますわ」



 クラティラスの定番だった腕を組むポーズで、辛辣な言葉を投げ付けると、トカナはキッとこちらを見上げた。


 が、すぐに力無く項垂れる。

 元いた場所に戻り、のろのろと制服を着始める彼女に、私は口撃を続けた。



「王子に関係を迫るとは、自分の頭の悪さを知らないって本当に恐ろしいわね。子を授かることさえできれば、自分も王家の仲間入りができるとでも考えていたのかしら? 王家の高貴なる血を何だと思っているの。元は貴族といっても所詮五爵家、庶民と大して変わらないくせに厚かましいにもほどがあるわ」



 制服を着終えたトカナが、こちらに向かってくる。私も彼女の方へと足を進めた。そして真正面に立ち、彼女に顔を寄せる。


「『イリオス殿下』が優しいから勘違いしたの? 王子たる者、誰にでも平等に接するのは当たり前じゃない。そんなこともわからずに、自分にもチャンスがあるかもしれないと思ったのね……お可哀想な頭だこと。庶民は庶民らしく、庶民同士で乳繰り合えばいいのよ」



 頬に、重い衝撃が走った。トカナに平手打ちを返されたのだ。



「あんたなんて……あんたなんて、人として最低よ!」



 眼鏡から溢れそうなほど涙を零し、トカナはそう叫んで放送室を飛び出して行った。



 打たれた左頬を押さえながら、私は必死に歯を食いしばって涙を堪えた。


 これでいい。トカナを傷付けるのは、イリオスであってはならない。トカナを傷付けるのは、私じゃなくちゃならない――――好きな人に拒絶されるほど、辛いことはないだろうから。


 トカナの想いを守るためには、私が悪者になるしかなかった。イリオス本人に手ひどく突き放されれば、トカナはきっと深い傷を負う。トカナにとってイリオスは、ずっと憧れてきた王子様。たとえ夢に夢を描いただけの幻想じみた恋だったのだとしても、その想いだけは壊したくなかった。


 イリオスの汚点は、こんなにも性格の悪い女を婚約者に選んだことだけ。彼に幻滅する以上に私を憎んでくれれば、トカナの憧れまでは砕かずに済む。だから、これで良かったんだ。これしか、なかったんだ。


 何度も自分に言い聞かせ、やっとこみ上げる嗚咽の衝動が落ち着くと、私は空気のように沈黙していたイリオスに目を向けた。


 どうせ悪役令嬢フルスロットルなクラティラス嬢に萌えすぎたあまり、鼻の穴を膨らませてハスハスしてる――――んだと思っていたのだけれど。



「イリオス……? ど、どうしたの?」



 端正な顔面からは血の気が引き、イリオスは文字通り真っ青になっていた。さらに、全身が小刻みに震えている。


 道理でトカナが素直に私の言うことを聞いて引いたわけだ。イリオスのこの表情を見れば、願いの成就など不可能。それどころか、はしたない真似をする女だとドン引きされたと思ったに違いないから。



「イリオス? もう大丈夫よ? トカナはこれで懲りただろうし、『接触』を求められることは二度とないと思うわ?」



 私が最も恐れていたのは、これだった。


 イリオス――の中の人である江宮えみやは、人に接触されることを極度に嫌う。もちろん、トカナは彼のこの厄介な性質を知らない。なので激情に流されて、彼に抱き着きでもしていたら大変なことになっていたはずだ。私はそれを何としてでも阻止したかった。イリオス自身も、この接触嫌悪症については他人に知られたくないようだから。


 その点に関しては、イリオスが私の登場まで何とか持ち堪えてくれたらしく、ヘイト役の交代は間に合ったようだけれど――まだ触れられてもいないのに、この様子は明らかに尋常じゃない。


 元々具合が悪かったのか、それとも……。


 ふらりとイリオスの身が揺れる。反射的に、私は支えの手を伸べた。



「触るな!」



 しかしその手が届く前にイリオスは身を捩って避け、鋭く拒絶の声を上げた。



「…………人に触れられるのが嫌いだと打ち明けた時に、あなたは僕に危険が迫ってようが死にかけてようが捨て置くと言ってましたよね。だからあなたは大丈夫だと信じていたのに……何で手なんか出すんですか」



 床に膝をつき、こちらを睨むイリオスの目には、嫌悪を超える憎悪が満ち満ちていた。


 けれど彼の表情は、怯えのような恐れのような、ひどく痛々しい感情に揺れていて――。



「ご、ごめん、申し訳ないことした。その……私、先に行くね? 今は一人で休んだ方が良さそうだし」


「そうしてください」



 謝罪すらも冷ややかに受け流し、イリオスは私から目を逸らした。もうお前の顔なんか見たくないとでも言うように。



 トカナのために、イリオスのために、そう思って行動した。けれど私の行為は二人のためになった? ただの自己満足だったんじゃないのか?


 今になって、悔やみそうになる。わざわざ悪役にならなくても、知らないふりして放置しておけば明日も二人と仲良くしていられたのにって、自分を責めたくなる。


 偽りだったとしても、金輪際トカナに笑顔を向けられることはない。だけどそれ以上に、イリオスの冷淡な態度がとてもショックだった。



 トカナと違って、長い付き合いの自分なら少しくらい触れても大丈夫――――心のどこかで、私はそう思っていたのかもしれない。そんな醜い驕りをイリオスは……ううん、江宮は見透かしたのかもしれない。

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