腐令嬢、ひっくり返る
学校に到着すると、護衛は任務完了のため車に帰還。アステリア学園はセキュリティ面もバッチリで、お貴族のか弱いご令嬢様も安心して過ごせる環境となっているのだ。
早めに保護者席を確保せねばならないというネフェロとも別れ、私は暫しその場に佇んで校門前の景色に浸った。
私、本当にアステリア学園にいるんだ。
本当に『アステリア学園物語〜
そんなことを今更ながらに実感すると、不思議な気持ちになる。
感動、というよりどこか空恐ろしいような、何ともいえない思いで立ち尽くしていたら、甲高い悲鳴が耳を打った。
何事かと校門を潜り、他の生徒達の視線を追ってみれば、奥の校庭の片隅に三人の女子――そして、足元に蹲る女の子が目に映る。
その三人の女子の一人に、私は見覚えがあった。
なのでチラ見だけして過ぎていく生徒達の波を乗り越え、足を止めて遠巻きに見守る野次馬の輪から抜け出て、そちらに近付いてみることにした。
「本当についていませんわね。入学早々、小汚い庶民なんかと接触するなんて。こんなものとぶつかったせいで、新しい制服が汚れてしまいましたわ。ああ、どうしましょう?」
「ちょっと、サヴラ様が困っていらっしゃるじゃないの! 何とか言ったらどうなの? この学校にいるということは、卑しいなりに言語くらいは理解できるのでしょう?」
一度しか会ったことはないけれど、その声も名前も私の記憶と合致していた。
「ほら、サヴラ様に謝りなさいよ。頭を地面に擦り付けて許しを乞うの。どうせいつも物乞いをしているのでしょう? だったら、慣れているわよね?」
お取り巻きらしい二人の女子が、地べたに蹲る女の子に詰め寄る。
私はそっと気配を殺して、主犯のくせにしおらしく憂いの表情を浮かべていた緑髪の女――サヴラ・パスハリア一爵令嬢の背後に立った。
「朝から人間いじめですかぁぁぁ? さすがゴブリン貴族令嬢、ゴブラ様は粗暴でいらっしゃいますわねぇぇぇ?」
「ひっ!? あ、あなた、クラティラス・レヴァンタ!?」
ゴブラ、もといサヴラが振り向き、見た目だけは嫋やかでなよやかで守ってあげたい系の美しい顔を強張らせる。
「あら、呼び捨てを許可した覚えはなくてよ? こちらはゴブリン相手にも様を付けて差し上げているのに……酷いですわ、ゴブラ様」
長い黒髪をかき上げ、私は挑発の姿勢を取った。
「だ、誰がゴブラよ! 兄の婚約者の名前すら覚えられないあなたの方が失礼じゃないの!」
「違いました? ごめんなさい、サヴリン様でしたっけ?」
お取り巻きの二人は、黙り込んでしまっている。サヴラが下手に、私の名前をフルネームで呼んでしまったせいだ。
庶民相手にはイキり倒すくせに、レヴァンタ一爵令嬢にケンカを売る勇気はないらしい。
でもクラティラス、こういう金魚のフンみたいな奴、嫌い。こいつらの顔、覚えた。こいつらも、サヴラ共々、きっちり性根叩き直す。
クラティラス、弱い者いじめ、許さない!
「制服が汚れたと大騒ぎしていたようですけれど、あのパスハリア家の者ともあろう御方が、新たに購入するどころかクリーニングするお金もないのかしら? そんなにお困りなのでしたら、私がお小遣いで買って差し上げましょうか?」
嫌味ついでに朝練習したオホホ高笑いまでサービスしてみせると、サヴラはぐっと桃色のくちびるを噛み締め、低く呟いた。
「覚えてなさいよ……」
翡翠色の瞳に憎悪をたっぷりと湛えて睨む彼女の表情は、風に頼りなく揺れる一輪花の如き美しさを凌駕するほど恐ろしく、私も軽くたじろいだ。
これが彼女の本性らしい。
「ええ、忘れませんわ。パスハリア一爵令嬢様」
笑顔で迎え撃った私から目を反らし、サヴラは光の加減で様々に色を変える神秘的なオリーブの髪を翻して去っていった。
ただのお嬢様かと思って侮ってたけど、あいつ、ガキのくせして相当歪んでるな……軽くビビったわ。
ほっとして胸を撫で下ろしたのも束の間、今度は蹲っていた女の子に飛びかかられ、私はひっくり返った。
「クラティラスさんーー! 助かりましたぁ、本当にありがとうございますーー!!」
春風のように甘く柔らかな声で泣きついてきたのは、サヴラとはまた違った角度から庇護欲をそそる美少女。
しかしブラウンベージュのボブヘアも、涙で潤む大きな金の瞳も、ふっくらとした薄紅色のくちびるも、私には嫌というほど見覚えがあった。
ありふれた庶民という設定にも関わらず、誰より可愛らしく目を引く存在。
この世界の正ヒロインにして、後に強大な魔力でアステリア王国を救う稀代の聖女。
特盛のモテ要素で武装された、総愛され逆ハー兵器。
そして、高等部の本編では悪役令嬢クラティラス・レヴァンタがいじめ抜く……はずが、今は一番の仲良し
「リ、リゲルーーーー!?」
目ん玉飛び出て世界一周するかってくらい驚く私に、彼女――リゲル・トゥリアンは悪戯がバレた子どもみたいにあどけなく舌を出して笑った。
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