腐令嬢、登校す


 高級ホテルみたいにゴージャスで広い玄関を出ると、不意に視線を感じて、私は振り向いた。


 青空に映える白い屋敷の外壁に浮かぶ、対照的な漆黒が目を射る。それは二階の自室から顔を出した、自分と揃いの黒髪とアイスブルーの瞳を持つ者の姿だった。


 ヴァリティタ・レヴァンタ、二つ年上の我が兄である。


 少年らしさが抜け始め、鋭く研ぎ澄まされてきた麗しきハンサムフェイスが見えたのはほんの一瞬で――お兄様はすぐに引っ込んでしまった。


 普段は全力でシカトするくせに、あれで一応妹のことを心配しているんだろうか? よくわからん奴だ。



「ネフェロも見たでしょ? お兄様は大丈夫そうよ。だから元気を出して。私も気にしていないわ」



 アズィムに叱られてからずっとしょげっ放しのネフェロの肩を叩いて鼓舞すると、私はアプローチに寄せられた黒い高級車に乗った。


 向かう先は、王国ナンバーワンのエリート校、アステリア学園中等部。エスカレーター式で高等部まで安心のサポートが保証されていた聖アリス女学院から中学受験に挑み、見事に難関を突破した私は、本日からそこに通うのだ。




 クラティラス・レヴァンタ――――日本で言うところの早生まれのため、先月十二歳になったばかり。


 このアステリア王国では爵位レベル最高の一爵家令嬢だが、しかし残念ながら、ポジションは『悪役令嬢』。



 そう、ここは私が前世でプレイしたクソ・オブ・クソ乙女ゲー『アステリア学園物語〜星花せいかの恋魔法譚〜』の世界なのだ。



 男同士の恋愛大好き!

 何なら同人誌も出しちゃうよ!

 攻め様尊い、受けちゃん萌えす! ……と明るく楽しく腐女子ライフを送っていた大神おおかみ那央なおは、十九年という若さで事故死した。なのにあれほど憧れたBLワールドではなく、何故か嫌々クリアしたこのクソワールドに転生したのである。


 ちなみにこの悪役令嬢のクラティラス、全ルートで死亡エンド確定。高等部を卒業した一月後に自死する、という結末になっている。


 そのきっかけと思われるのが、アステリア王国第三王子のイリオス・オルフィディ・アステリアとの婚約。何とか回避しようと頑張ったものの、結果はこの通り。特注の婚約指輪をいただく間柄でございますよ。


 そのイリオスも、実は現代日本からの転生者。しかも私と同じ場所、同じ時に一緒に死んだ宿敵のクソ野郎というね。



 ねえ、私が何したっていうの?


 あんまりじゃないか……どうせなら私がイリオス殿下になってBL王国を築きたかった。好みのメンズを侍らせて、腕グイからの壁ドン、デコツンからの顎クイ、見つめ合う目と目、触れ合う手と手、感じ合う唇と唇、そして✕✕✕✕…………といった具合に、あれこれ美味しい絡みをさせて萌え散らかして一生を過ごしたかった。



 だが、死亡確定の未来を嘆いている間にも時は過ぎる。それならせめて笑顔で死ねるよう、今を精一杯楽しむんだ!



 皆にもBLの素晴らしさを伝え、萌えトークやら萌え妄想やらに花を咲かせ、あわよくば萌えの燃料をちょうだいし、一生分の萌えを堪能し尽くしてね!!




 私が初等部まで通っていた聖アリス女学院は、生徒がご令嬢ばかりだったため、お貴族のお高級お住宅地『第一居住区』に建っていた。しかしアステリア学園は、『第一居住区』と庶民達の暮らす『第二居住区』との間――商業施設が集う『総合商都区画』のど真ん中にある。


 設立当初から、試験さえ合格すればホームレスだろうがカモンバッチコイという実力主義で押し通しているそうなので、誰もが通いやすい立地を考慮した結果、この場所にしたのかもしれない。


 おかげで今までは車で十五分ほどだったからのんびりできたのに、これからは早起きして一時間も早く出発せねばならなくなった。距離が離れたってのもあるけど、朝の超通勤ラッシュにモロ被っちゃうからね。


 それも、普通のラッシュじゃないんだよ? 車の他に馬車やら牛車やらも走ってるからさ、奴らの気分次第で大渋滞が起こるの。なのに不思議と事故にはならないんだよね。


 まあ、ゆっるーいゲームだったから、そこらへんもゆっるーいんだろうな。コンセプトは『乙女にこどももおとなも関係ない! 誰でもキュンキュンできる乙女ゲーム♡』、中世ヨーロッパ風の舞台に現代日本要素をぶっ込んでミックスした新感覚スムージーだよ! はい、たーんとお召し上がれ的なカオスワールドだもん。


 にしても、馬車と牛車は要らなかったんじゃねーか? 背景にもそんなに使われてなかったぞ? 馬車がちゃんと出てきたのは、ヒロインがラストの結婚式に乗る時くらいだったよね? 牛車なんか、ほぼ出番なかったよね? 開発者の趣味か? ここで暮らす奴のことも考えてくれっての!


 渋滞に巻き込まれ、一ミリも動かなくなった車の中で、私は深々と溜息を吐いた。伝言ゲーム方式で聞いた話によると、遥か前方でお便秘が原因で動けなくなったという牛、モーモーちゃんの救助活動が行われているそうな。


 便秘は辛いよな……頑張れ踏ん張れ、モーモーちゃん。



「クラティラス様、ここからは歩いて向かいましょう。空いている道を調べて選んだつもりでしたが、やはりこの時間帯はどうしても混雑を避けられません。明日以降は余裕を持って早めに出るか、これからもこの辺りで降りて歩くか、どちらかを選んでいただくしか」


「だったら歩く方を選ぶわ。眠気覚ましにも丁度いいもの」



 ネフェロが提示した選択肢からあっさり片方を選ぶと、私は車を降りた。これ以上、早起きなんかしたくありません。



 二人の護衛と計四人で歩道を歩けば、同じアステリア学園の制服を着た者もちらほらと見受けられる。それを見ると、俄然ワクワクしてきた。やっぱり新たな始まりって、心躍るよね。


 ネフェロと護衛二人は、大丈夫ですかお疲れではないですか辛いなら抱えますよなどと隣からグチグチ物申してきたが、たった十五分歩くだけで疲れたもクソもあるか。こちとら軍隊ばりに鬼厳しい部活動と妥協なき同人誌制作のために連日徹夜の地獄の修羅場を経験し、身も心も鍛え抜かれた猛者だぞ?


 そんな中学高校時代より若いんだから、余裕のヨーデルヨロレイヒーだっつーの。


 ゲームのクラティラス・レヴァンタはどうだったか知らないが、記憶が覚醒してからは活発に動き回っていたのもあり、三人の不安をよそに私は令嬢らしからぬ速度で歩き、ほとんど疲れることなく学校に到着した。



 この校門の前に立つのは、合格発表以来。


 ゲームの舞台となった高等部はちょうど真裏になるそうで、校舎も違うせいで今立っている中等部の正門とは若干様相が異なる。


 けれど、煉瓦造りの門に掲げられた『アステリア学園』という厳かな文字はゲームで目にしたものと同じだ。


 その銘板を前にすると、ゾクゾクと足元から湧き立つような感覚に襲われた。

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