アステリア学園中等部一年

入学式乱舞

腐令嬢、装備す


 窓を開けば、甘い花の香りと柔らかな陽射しが室内に入り込んでくる。

 心が浮き立つような、春の空気。けれど、朝はまだ少し肌寒い。


 真新しい制服姿の自分を今一度確かめようと、私はフロストストーンの薔薇の飾りで彩られた大きな鏡の前に立った。


 腰まで伸びた長い黒髪、キリッと上がった眦の下で清冽な光を放つアイスブルーの瞳、色素に乏しい酷薄な印象を受けるくちびる――そして、金のボタンが映える黒のジャケットと赤のグレンチェックのプリーツスカート、指定のニーハイソックス。


 ゲーム本編となる高等部はネクタイ着用だけれども、中等部はスカートとお揃いのチェックのリボンタイだ。そのため若干異なるものの、画面で見たあの制服を実際に纏うとなると、やはり奇妙な高揚感が込み上げてくる。



 その気持ちに身を任せ、私は右手の甲を左頬に寄せ左手を腰に当てて、胸を反らした。



「オーッホッホッホ! 我こそがアステリア王国、いいえ、この世界で一番の美少女、クラティラス・レヴァンタ! 皆の者、褒めよ讃えよ敬えよ! ひれ伏せ傅け跪け!」



 悪役令嬢定番のポーズで高笑いしていると、ひどくローテンションな声がそれを遮った。



「……はいはい、支度を終えたなら、早く出発しましょう。アステリア王国一を超えてこの世界一の美少女、クラティラス・レヴァンタ様ともあろう御方が、入学式に遅刻だなんて恥ずかしいですよ」



 慌てて振り返れば、疲れた表情で溜息をつく金髪の美青年――世話係のネフェロ・メネクセスの姿がある。



「ぬ、盗み聞きしてたの!? ひどい、プライバシーの侵害よ!」


「私だって、聞きたくて聞いたのではありません! あまりに遅いからお迎えに来たら、聞こえてしまったんです! 聞かれたくないことは、大声で言わない。はい、また一つ覚えましたね!」



 いつものようにオカン口調で叱ると、ネフェロは部屋の隅に用意しあった学校指定のバッグを手に持ち、私に部屋から出るよう促した。こんな恥ずかしい目に遭わせてくれた鏡の中の己を睨んでから、私はネフェロの無言の命令に従った。


 あー、やだやだ。受け顔のくせに攻めても美味しいハスペロなる美貌の前で、アステリア王国一、いや世界一の美少女とか抜かしちゃったよー! ひたすら無様ーー!!


 にしても、ネフェロはこの頃ますます美しさに磨きがかかった気がする。前は頼りなく儚い光という感じだったけれど、今は内なる輝きが溢れ零れるほどで、時折ゾクッとするような色香まで漂わせてきやがる。


 こいつ、どこまで私の妄想を掻き立てるつもりだ? もしや我がBL能力の限界を試してんのか?

 なるほど、いいだろう……その挑戦、受けて立ーーつ!


 さあ、まずは我が兄上、ヴァリティタ・レヴァンタと熱く激しく絡んでもらおうじゃないの!!


 と、勢い込んで出発した私のヴァリ✕ネフェ妄想機関車は、しかし急停止を余儀なくされた。



「クラティラス、新しい制服も素敵よ」

「クラティラス、可愛いぞ。美しいぞ。誉れ高いぞ」



 何と玄関に降りると、お父様とお母様がいらっしゃるではないか。



 外務卿のお父様は、会議のために外国に出かけていて昨夜遅くに帰国したばかり。お母様だってこのところ毎日あちこちにお呼ばれして、昨日もテニスにバーベキューにお茶会にダンスパーティーと慌ただしい一日を過ごし、夕飯を食べながら眠るという状態だった。

 我が家の飼い猫、プルやんことプルトナが焼魚を盗み食いしようと動いた気配を察知して覚醒していたけれど。プルやんのむっちりファットボディを押さえ込みながら、また寝ちゃったけど。


 この上なく疲れているはずの両親が、わざわざ私の新たな門出を一目見ようとお見送りに来てくださったのだ。嬉しくないわけがない。


 その喜びに衝き動かされるがまま、私は二人に抱き着いた。



「お父様! お母様!」



 ちょっと勢いが強すぎたのか、娘の体重より疲労感の方が重かったのか、二人は揃って蹌踉めいた。けれど、何とか愛娘のために持ち堪えてくれた。



「クラティラスったら、甘えん坊ねえ。今日から中学生になるのよ? いつまでもこんな子どもみたいなことをして」



 呆れたように嗜めつつも、お母様の口調は頭を撫でる手と同じくらい優しい。そして、ヤベーくらい湿布臭い。全身に貼ってるんだろうなぁ……無茶しやがって。



「それにしても、いつのまにか大きくなったものだ。少し前までは、私の踝くらいだったのに。私の掌でおままごと遊びをしていたのが、昨日のことのようだ」



 そう言って笑ったお父様の口からは、もわぁぁんと濃厚な栄養ドリンクの香りがした。いや、いくら生まれたての赤子でもそこまで小さかないよ。一体、私を何と勘違いしてるんだ?


 軽く気になって尋ねてみようとしたところに、長らく我が家で執事を務めるカマキリみたいな細身のジジイ、アズィムが進み出てきた。



「申し訳ございません。ヴァリティタ様はお加減があまりよろしくないようで、私の一存でクラティラス様のお見送りは控えさせていただくことにいたしました。これから入学式のクラティラス様に、風邪でも移してしまっては大変ですので」



 もう一人の家族である兄がこの場にいない理由を説明するアズィムに、私は溜息を落とした。


 なるほど、『アズィムの一存』ね。そういうことにしたのか。



「えっ、ヴァリティタ様の具合がよろしくないのですか? そんな……昨日はあれほど元気でいらしたのに。すぐに様子を見に行ってまいります!」



 私のバッグを放り投げる勢いで、ついでに私の付き添いまで放り投げる気満々で、ネフェロがアズィムに詰め寄る。


 そうなんだよなー、こいつってば私よりお兄様派なんだよなー。私にはアホほど叱るくせに、同じことしてもお兄様にはちっとも怒らないんだもん。世話係による兄妹差別だ!


 いや、実は出会ったその日に恋仲になったから……だったりだったり!? それなら許ーーす!



「余計な真似はしなくて結構。ヴァリティタ様には、この私が看病に当たる。私の記憶が正しければ、お前は暇ではないはずなのだが?」



 しかしアズィムは、ネフェロをモノクルなる片眼鏡を装備した右目の一睨みで軽くいなした。


 それから私の方を向き、ロマンスグレーの頭を深々と頭を下げた。



「クラティラス様、大変失礼いたしました。これが己の分も弁えず無責任な行動を取ろうとしたのは、全て私の教育が行き届いていなかったせいです。不快な思いをさせてしまったことを、この無礼者に代わり、心よりお詫びいたします」



 アズィムの見習いであるネフェロがお兄様を心配するあまり、私の付き添いを放棄しようとしたことを謝罪しているらしい。


 冷え冷えとした声音に、桃色に浮かれていた私の脳も急速冷却された。



「い、いえ、いいのよ。それより、お兄様をお願いしますわね」


「畏まりました」



 顔色一つ変えず、アズィムは平然と頷いてみせた。


 ネフェロは見事に騙されたけど、私にはお兄様の具合が悪いというのはアズィムが即席で仕立てた嘘だとわかっていた。これまでの行動を振り返れば、バレバレだもん。


 けれどアズィムは、私が勘付いていると知りつつ、その嘘を押し通した。私のためではなく、このところめっきり冷え込んだ兄妹仲を密かに気に病んでいるお父様とお母様のために。



 やっぱり、アズィムは苦手だなぁ……私のことも見透かされてるみたいで怖い。

 ひょっとしたら、私が『前世』を思い出したことまでもお見通しなのかも。



 薄ら寒い気持ちでアズィムから目を逸らすと、お母様の手が私の髪に触れた。続いて、きゅっと引かれるような感触が左の前頭部に走る。



「まあ、私の見立てた通りよく似合うわ」



 お母様が華やかな歓声を上げると、玄関の扉の隅に控えていた侍女がさっと手鏡を差し出してきた。前もって、打ち合わせていたらしい。


 受け取った鏡で己を映してみれば、左前髪部分に銀の髪飾りが輝いている。


 中心に施されているのは、繊細な透かし細工のパーツ――『狼』をモチーフにしたレヴァンタ家の家紋だ。



 あ、これ……そうかぁ、ここでプレゼントされて、以降『クラティラス・レヴァンタのトレードマーク』になるのかぁ。



「アステリア学園でも由緒正しきレヴァンタ一爵の令嬢としての誇りを忘れず、勉学に励んでほしいという思いで、特別に作らせたのだよ」



 お父様がフンスーとドヤ顔で鼻の穴を脹らませる。


 ちょっとー、鼻息からも栄養ドリンクの匂いするんですけどー。どんだけ飲んだくれたんだよー。栄ドリ飲んでも飲まれるなだよー。



「聖アリス女学院は校則が厳しかったけれど、アステリア学園は『勉強さえしていれば良し』というスタンスだから、かなり緩いものね。オシャレも伸び伸び楽しめるわよ?」



 オシャレに凝るあまり時代を超越し、影でオショレディと呼ばれているお母様がドヤァと胸を張る。


 今日のお洋服もすごいぞ。エメラルドグリーンに紫のゼブラ柄のドレスだぞ。ピンク地にイエローのヒョウ柄カーディガンがアクセントだぞ。もちろん全て特注品というドブ捨てマネーもいいところだぞ。



「それより……指輪はちゃんと着けているわね?」


「はい、嫌々……いえいえ、ちゃんと着けておりますわ」



 奇抜な色彩センスが目にうるさいお母様に向けて、私は左の手を掲げて薬指に嵌まる白金のリングを披露した。


 それには、王家の紋章である『虎』のモチーフが刻印されている。



「なくしてはダメよ。殿下のあなたへの愛が詰まった、想いの証なのですから」


「殿下にお会いしたら、肌見離さず着けているとしっかりアピールするのだぞ? きっと喜んでくださるはずだ」



 このご大層な婚約指輪には、愛なんざ一欠片も込められていない。何故なら、私と奴の間に愛という高尚なものは全く存在しないからだ。


 けれど私はそんなことは口にせず、いつものように一爵家令嬢に相応しい優雅な微笑みで返した。



「はい、大切にいたします。ではお父様、お母様、行ってまいりますね」

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