腐令嬢、嘘をつく


 数々の調理器具の前で、私は固まっていた。幼稚な挑発に乗り、勢いで了承してしまったことが今更ながらに悔やまれる。しかし、できないと正直に言うのもプライドが許さない。


 自分のこういう性格を、本当に腹立たしく思う。


 食材はある。調味料も多分問題ない。けれど、どうしていいかわからない。どうしよう、何をどうすれば。



 ――料理、したことないんだ?



 あの人に煽られた言葉とまるで同じ台詞。でもこちらは優しくて心配するような響きがあったから、私は素直に頷いた。



 ――私が教えてあげる。私にもできるんだから、あなたもできるよ。



 その言葉を、信じていいんだろうか?


 私なんかより、あなたの方が優れていると思う。だから私にできなかったことを、あなたなら……。



 ――ほら、今は余計なこと考えてる暇なんかないでしょ。大丈夫、私達二人でなら何だって乗り越えられる。さあ、やるよ!



 その力強い声に衝き動かされるようにして、私は食材を相手に格闘を開始した。




「クラティラスさん、あんまり眠れなかったんですか? 今はまだいいですけど、出発したら欠伸は控えてくださいよ? 口を閉じてればバレないってもんじゃありませんぞ? 顔は変な感じで歪むし、鼻の穴ははち切れそうなほど膨らむしで、ちっとも誤魔化せてませんぞ?」



 座席の隣に座る私を見て、イリオスが呆れたように肩を竦める。まじか、絶対バレてないと思ってたのに。



「寝たには寝たんだけど……ほら、前も言ったじゃん? 高校に入ってから夢見が悪いって。昨夜は夢の中でも料理してたみたいな気がして、疲労が抜け切ってないんだよね。料理はまだ二回目だし、あんなにたくさん作るなんて初めてだったから、興奮してたのかな?」


「クラティラス様のお料理の話は止めましょう。私とてアダリス殿下の晴れ舞台を、鮮血の紅に染めたくはありません。くっ……鎮まれ、我が緑の殺意!」



 イリオスの後ろに座っていたステファニが自分の手で己の腕を押さえ始めたので、私はぐっと口を閉ざした。私とて死にとうないでござる。


 私達が車で待機すること十五分、アフェルナとアダリスきゅん、そしてディアス殿下が現れた。


 ディアス殿下にお会いするのは数年ぶりだ。相変わらず私の前世の推しだった壇上だんじょう神之臣かむのしん様に似てて、とても素敵である!

 もうね、私にとっては銀髪ロング男子ってだけで高ポイントなの。壇上神之臣はそこに加えてクール且つ一途で、私の好きを全部詰め込んだ理想型みたいな御人だったわ!



 なのにさぁ……。



「クラティラスくん、久しぶり。少し見ない間に、また美しくなったな。イリオスたん……いやイリオスと並んでいると、恨めし……いや羨ましいほどお似合いだよ」



 弟の方に視線を送ると、ディアス殿下の麗しい風貌が瞬く間に801棒へと変形した。


 実際にトランスフォームしたわけじゃない。私の目にだけこう映るので。ディアス殿下から内に秘めたるブラコンハートを感じ取ると、801棒にしか見えなくなる呪いにかかってるんだよね。

 これ、いつ解けるんだろ?

 久々に体感したけど、まじでキッツいしきんもい。でんと座るでっかい801棒が悪い意味で気になって、アフェルナとアダリスきゅんに話しかけるどころじゃないよ……ピュアなベイビーの隣に801棒なんて置いちゃいかんでしょ。ディアス棒、早く人間に戻って!


 国王陛下と王妃陛下は同乗せず、別の車で我々の後ろを付いてくるそうだ。アダリスきゅんを見た国民達の表情を、国王陛下はしっかりご確認なさりたいらしい。


 九時ちょうどになると、車は発進した。


 イリオスの婚約者とはいえ、王族側の者として国民に向けたイベントに参加するのは初めてだ。宮中の敷地を出る前に、私はアフェルナとイリオスから目線の置き方や笑顔を保持するコツを習った。

 ディアス棒も教えてくれたけど、あんなもんちっとも役に立たねーよ。血管浮き出て充血してるようにしか見えなかったし、窓からの風に靡く銀髪までもIN☆MOWに見えてきて卑猥度マシマシになるしで、直視するのも躊躇われたわ。


 車で走るのは、事前に安全確認をした大きな通りを一時間ほどだけ。お昼前までに王宮へと戻る。

 短いイベントだけれども、王太子の初の子を披露するという重要度の高いものである。


 先導の車がイベント通達の音声を流して通過するとあっという間に皆が集まってきたようで、我々の車は王宮を出るやすぐ、道の両脇を人だかりの壁に囲まれることとなった。


 誰も彼もアダリスきゅんに夢中だろうし、私の存在に気付く奴なんてそうはいないだろうと思っていたけれど、ちゃんと見てる人は見てたみたい。大音声のアダリス殿下コールの中に、時折チラッとクラティラス様コールも聞こえたから。


 まあコールの割合的には、アダリス殿下>>>ディアス殿下>>アフェルナ妃殿下≒イリオス殿下>>越えられない壁>>クラティラス様でしたけれど。後ろからやってきた国王陛下コール、王妃陛下コールにあっさりかき消される程度でしたけれど。


 だけど、私のことを見てくれてる人もいるとわかったんだから一瞬たりとも気が抜けない。もう無理よぉ! 下ろしてぇ! と震える頬肉を叱咤し、切れる切れる切れるって! 限界だよぅ! と訴えるくちびるの皮膚のギリギリを攻めて私は微笑み続けた。


 笑みの形を保つだけで必死の私と違い、アフェルナはアダリスきゅんがぐずってもさっとあやして泣き止ませるくらい余裕があるようだ。ディアス殿下も棒から元のイケメン姿に戻り、アフェルナとアダリスきゅんの抱っこを交代しては父子ショットもこまめにサービスして皆を喜ばせていた。



「次にクラティラスがこの車に乗るのは、きっと結婚式ね。あなたはもう覚えていないかもしれないけれど、私が式の後に乗ったのもこの車だったのよ。新プリンセスをお披露目する時は、上を開けてオープンカーにするの。あの熱くてあたたかくて、優しくて激しい祝福の空気を、あなたもその肌で感じるのね。その時を楽しみにしているわ」



 我が子に送られる歓声に笑顔で応える合間に、アフェルナはそっとそんなことを告げた。



「ええ、私も楽しみにしているわ」



 貼り付けた笑顔のまま答え――私は、嘘つき、と心の中で小さく毒づいた。



 萌え語りをしようって言っていたくせに。アフェルナが本当に伝えたかったのはこの言葉だったんだ。

 アステリア王国民達の熱狂を体感した私に、この眼差しがあなただけに向けられる時が来るんだよって……そんな素敵な未来が待ってるよって、教えたかったんだ。


 だけど、真の嘘つきは私。

 そんな未来はやって来ないと知っていて、束の間の婚約者の座に腰掛けて皆を笑顔で騙している。


 そして、私の隣で王子様らしい柔らかな笑みを絶えず浮かべているイリオス。彼もまた……ううん、こいつが誰より一番の大嘘つきだろう。

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