腐令嬢、慄く
ステファニと一緒に学校から自宅に戻ると、私は玄関口で出迎えてくれたネフェロ――ではなく、彼の背後に立つアズィムの方に駆け寄った。
「ねえアズィム、私宛の荷物が届いていないかしら? そろそろ到着しても良い頃なのだけれど」
「……いえ、本日はお手紙しか届いておりません。お手紙の中にも、クラティラス様宛のものはございませんでした」
アズィムが気難しい顔のまま答える。
「そう、わかったわ」
軽く失望しながら、私は緩く螺旋を描く階段を登って二階にある自室に戻った。
荷物というのは、二十部の製本。リゲルが初めて挑んだ十万字にも及ぶBL長編小説を、文庫サイズの本にしたのである。
私が受験勉強している間にリゲルが書き上げたその作品は、それはもう萌え滾り悶え転がるほどの素晴らしい出来だった。読ませてもらった時は尊みのあまり、涙と涎と鼻水が止まらなくなって昇天しかけたよ……思い出すだけで禁じ得ないティアーズだ。
この萌えを、独り占めするなんて勿体ない!
そう考えた私は、いろいろとお世話になったマッチョの有名作家さんとマッチョの製紙会社社長さんに相談し、本として形に残すことにした。
表紙と挿絵は、僭越ながら私が描かせていただいた。
全身から水分を放出して脱水症状に陥りかけつつも物語を隅々まで読み込み、作者であるリゲルと何度も話し合い、彼女が脳内に描く人物を出来る限り忠実に再現した――つもりだ。
この世界に、初めて誕生したBL作家の処女作。
私も携わったそれが完成したとの知らせを印刷会社から受けたのは、もう三日も前になる。
今日あたり、届くかと思ってたのになぁ。楽しみにしているステファニにも読んでもらって、一緒に盛り上がりたかったのに。
溜息をつきながら制服から普段着のドレッシーなワンピースに着替えたところで、タイミングを図ったかのように部屋の扉がノックされた。
「はいはーい、どうぞー」
いつものようにステファニが『本日のイリオス殿下の萌えポインツ』なる萌えトークをしに来たのかと思い、私は気軽に返事をした。
そして慌ててスケッチブックが入っている机に向かう。彼女が興奮気味に語る、萌えイリオスを描くためだ。ドア閉めた途端にマシンガントークがスタートするから、前もって用意しとかなきゃならないんだよね。
しかし、鍵をかけた机の抽斗を開け、BLイラスト用のスケッチブックを取り出そうとした私は――――目を見開き、凍り付いた。
スケブの位置が、変わっている。
抽斗を開けた衝撃でズレたんじゃない。
いつもは右上の角にぴったり合わせて仕舞うのに、それが左上になっている。誰かがここを開けてこのスケブに触れ、元通りに戻そうとして失敗したかのように。
ううん、違う。
これはわざと向きを変えて、『この場所に置かれたもののことを知っているぞ』と暗に訴えかけているんだ。
「失礼いたします、クラティラス様」
丁寧に声をかけて入室してきた者の姿を認めた瞬間、私はそう確信した。
現れたのは、ステファニではなく――――『届いていない』と答えたはずの段ボールを抱えたアズィム。
抽斗を閉じることも忘れて固まる私を、モノクルの奥に光るグレーの瞳で私を睨め付けながらアズィムは静かに扉を閉め、鍵をかけた。
「全く、ネフェロには困ったものです。クラティラス様は大切な時でいらっしゃるのだから、一挙手一投足にも細心の注意を払って見守るようにとしつこく念を押しておりましたのに」
ソファに向かい合わせになって座ると、アズィムはまずネフェロへの嘆きを口にした。
私達の間を隔てるテーブルには、本が詰まった段ボール箱とスケッチブックが置かれている。
アズィムは文庫本を一冊取り、私に向けて掲げてみせた。薔薇色の表紙には、作者であるリゲルと挿絵を担当した私の名が、ばっちりと記載されている。最早、言い逃れは不可能だ。
「しかし……まさかクラティラス様に『このような趣味』がおありだったとは。私も正直驚きました。ネフェロの至らぬ部分をカバーしていたつもりでしたが、全く気付くことができなかった己に恥じるばかりです」
アズィムが鍵のかかった抽斗を開け、届いた荷物の中身を勝手に改めたのだとわかっても、私には非難の言葉を浴びせるなどできなかった。
彼がそんな行為に及んだのは、第三王子殿下の婚約者である私の身を案じてのこと。何もないなら一方的に責められただろうが、後ろ暗いことをやらかしていたんだから文句なんか言えるはずがない。
「あの…………お、お父様とお母様にはもう、報告したのですか」
項垂れたまま、スカートの膝部分の生地を握り締め、私は小さく尋ねた。
「いいえ、まだ……」
「お願い、お父様とお母様にだけは黙ってて! 絶対に知られたくないの!」
そこで私は顔を上げ、アズィムに必死の表情で訴えた。俯いている間に懸命に欠伸を噛み殺して作った、涙目の演出付きで。
泣き落としが通じるかはわからないけど、やらないよりはマシだ。
「それは…………クラティラス様次第でしょうか」
ところがアズィムは、じっとりと目を細め、嫌らしく歪んだ笑みを浮かべた。
この返答は想定外だ。
ウソ……こいつ、私を
まだ十二歳の子どもを、脅迫しようとしているの!?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます