腐令嬢、引き込む


 私は手早く王家の紋章入りの婚約指輪を取り外し、それを掌に乗せてサヴラに向けて突き出した。



「はいよ」



 なのに彼女も両側にいた二人も、軽く後退りしただけで手を伸ばそうとしない。


 それどころか、



「あ、あなた、頭がおかしいんじゃないの? もしかして、その指輪の重要性を理解していないのかしら? だとしたら、バカを通り越しているわ!」


「サヴラ様の仰る通りです! これだけは、何があっても手放してはならないものですよ!?」


「クラティラス様、こんなことをしてイリオス様がどう思われるかとお考えにならないのですか!」



 このように、何故か三人から喚き倒される始末。これには私もカチーンときた。



「寄越せっつったから渡しただけじゃん! なのに、何で怒られなきゃなんないの!? 理不尽にも程がある!」


「理不尽はあなたの方でしょ!? イリオス様にいただいた婚約指輪をあっさり手渡すなんてどうかしてるわ! あなたにはプライドというものがないの!?」



 私の抗議に、サヴラも負けじと怒鳴り返してくる。


 出たよ、お貴族お得意のプライドなる魔法のお言葉。


 何かあればプライドプライドプライドプライド。本当バッカみたい。



「プライドがそんなに大切? 目に見えないプライドとやらのために折れて諦めるのが正しいと、あなたはそう言いたいわけ?」



 私は静かにサヴラへと問うた。



「ええ、そうよ。あなただって仮にも一爵家令嬢、家柄に見合った行動を取るのが当然でしょう。そんなこともわからないほど、おバカさんだとは思いませんでしたわ」



 サヴラがフンと鼻を鳴らして嘲りの目を向ける。


 由緒正しきレヴァンタ一爵の令嬢としての誇りを忘れずに――お父様もそう言っていた。


 けれども。



「おバカで結構。でも私からすれば、プライドなんかに縛られて欲しいものを諦める方がバカバカしいわ」



 そう告げて、私はサヴラに詰め寄った。



「令嬢としてのプライドが、今この場で何の役に立つというの? 邪魔にしかならないのではなくて?」



 サヴラは何か言い返そうと口を開きかけ、けれどすぐにぐっと唇を噛み締めて黙った。



「欲しいものを手に入れられるなら、私はできる限りのことをするわ。不要と判断したものは、容赦なく切り捨てる。お前らが後生大事にしてるプライドとやらも含めてな! これが私のやり方だ! よーく覚えとけ、ゴブラ一味!!」



 切り捨てると判断した指輪を、私は無理矢理サヴラの手に握らせた。




 そうして暫くの間、無言で睨み合って――――結果、目を逸らしたのは、サヴラの方だった。




「…………指輪はお返ししますわ。あなたが自ら渡したと言っても、イリオス様は納得なさらないでしょう。これを手にしていては、王子殿下の婚約者を脅迫したと勘違いされて、あたくしの身が危険になるかもしれないもの」


「じゃあ何を……」


「貸しにしておいてあげますわ」



 私の言葉を遮り、サヴラはフッと不敵に微笑んだ。



「実を言うとあたくし、部活動なんかにはまるで興味がありませんでしたの。無駄に時間を取られるばかりで、煩わしいとすら思っていたわ。ですから在籍するだけで良いのなら、あたくしにとっても好都合。あたくしもあなたの言ったように、願いを叶えるために不要なプライドとやらを捨てて、嫌いな女の提案に乗って精々利用させていただくわ」



 突き返された指輪を再び嵌め直しながら、髪飾りを寄越せと言われなくて良かった……と、ひっそり安堵の息を吐いたのはここだけの秘密。


 指輪に関しては嫌々贈りくさったイリオスも文句は言わないだろうけど、この髪飾りは両親が愛を込めてプレゼントしてくれたクラティラスのトレードマークだ。もし失くしたなんて言ったら、『大切な髪飾りを落とすような髪なんか要らないわね? あなたもプルトナと同じようにさっぱりするといいわ!』って鋏を持ったお母様に追い回されかねない。


 飼い猫のプルやん、お母様のオショレセンスでトリミングされて、今すごく可哀想なことになってるんだよね。遠目に見ると猫じゃなくて、新種の妖怪みたいなんだ。ああはなりたくないよ……。


 脳内に浮かんだ哀れなプルやんの姿を追い払い、私は三人に改めてお礼を述べた。



「ありがとー、助かる! ゴブリンって邪悪で意地悪で根性悪で超嫌なクソモンスターだと思ってたけど、サヴラのおかげでほんの僅かにちょっぴり少しだけ見る目が変わったよ! 頑張って脳内で美化すれば、可愛くなくもなくもなくもないかもしれなくもないかも!」



 一応、頭も下げたのだが――しかしサヴラは頬を引き攣らせ、他二名は懸命に吹き出すのを堪えているらしく大変面白い顔になっていた。


 精一杯褒めてさしあげたのに、感じ悪ーい。



「フ、フン、レヴァンタ家の令嬢は随分と口が悪いのね。イリオス様にも、その悪徳商人が下っ端で雇う下衆な賊崩れみたいな口調で脅して迫ったんでしょう。それで仕方なく婚約なされたに違いないわ!」



 話は済んでも気は済まなかったようで、サヴラは最後っ屁代わりに思い切りド直球の嫌味をぶちかましてきた。


 しかも、悪役令嬢の専売特許であるオホホ高笑い付きで。



 さてはこいつ、悪役令嬢の座を狙ってやがるのか? 入学初日にリゲルを虐めていたのも、それが目当てだったんだな!?


 よーし、受けて立ってやろうじゃないの!



「そうやって自分を慰めて、虚しくなりませーん? イリオスにとって、私の方が魅力的だったというだけでしょー? 認めたくないようだけど、それが事実ですから。ケケケ、悔しいのう悔しいのう」


「キーッ! 何ですってえ!? お父様に言って、あなたのお兄様との婚約を破談にするわよ!?」


「やれるもんならやってみろー、バーカバーカ。お兄様だって喜ぶかも? いくら家柄が良くても、ゴブリンの嫁なんて嫌だろうしぃ〜?」


「そのゴブリンよりもブスのくせに生意気な口叩くんじゃないわよ! これからはクラティブスって呼んであげるわ!」


「オイコラ、今のは傷付いたぞ! お父様にもブスって言われたことないのに! ブスって言う奴がブスなんじゃー!」



 一触即発、というか開戦したところで、私達は我に返った。昼休みの終わりを告げる、予鈴が聞こえてきたのだ。



「うわ、やばっ! 次、移動教室なんだった!」


「あたくしのクラスは体育よ! 急いで着替えなくては!」



 サヴラも私も飛び上がり、慌てて校内に戻った。



「クッソ、七組と八組は一階なのに! 何で五組は二階なんだよー!」


「五組なら階段を登ってすぐじゃない! あたくしなんて、その奥の六組よ!?」


 

 隣り合った状態で、一年の教室がある棟まで全速力で走り、階段を駆け上りながら、私はサヴラについてクラス以外にも知ることができた。


 私と同じで負けず嫌いなこと。そして深窓の令嬢と侮っていたが、意外にもかなり体力があるということ。


 お取り巻きの二人は、あっという間にへばってリタイアしたのに、サヴラだけは最後まで付いてきた。足には自信があったんだけど、途中で追い抜かれそうになったよ。この女、なかなかやりよる。



 やっとのことで目的地に辿り着いた私達は、今一度目を合わせた。けれど、すぐにフンと顔を背け合って、それぞれの教室に飛び込んだ。



 移動教室には、ギリで間に合った。


 サヴラの方も間に合った……かどうかは知らないが、お取り巻きの二人は間違いなくアウトだったに違いない。



 体育の先生、軍人上がりだとかで超厳しいから、罰もえげつねーんだよなぁ。あんなのに付き合ったせいで、お可哀想に。

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