腐令嬢、乙女化する


 私もすぐにイリオス達を追って、北部警備部隊が本日限定の簡易待機所として設置したタープテントに向かった。しかし、テント内にいたのはイアキンス先生ただ一人だった。



「……それで、皆で行ったんですか?」


「我が校の生徒の一人といっても、イリオスくんは王族ですからね。もしものことがあれば、大事になりますし」



 唖然とする私に、イアキンス先生が申し訳なさそうに答える。聞けばイリオスが『トイレに行けば治るかも……』と言い出したため、警備部隊総出で王子殿下が心置きなく排出できそうな場所を探しに行ったんだって。


 大人数に囲まれながら野糞か。フリとはいえ、これは恥ずかしいなー。


 けれどその恥ずかしさを堪え、イリオスは私とイアキンス先生を二人きりにしたのだ。



 計画では、イアキンス先生をここに連れて来るまでだった。なのに、まさかマンツーマンで話さねばならなくなるとは……ちょっと待って、心の準備できてない。正直、戸惑っちゃって何話していいかわかんない。



 だってイアキンス先生、近くで見るとやっぱりイケメンなんだもん!



 造形だけでいうなら、イリオスの方が顔は良い。しかし、柔らかく撫で付けたマホガニー色の髪から香る男性整髪料の香りといい、寝不足なのか青みを帯びた瞼の下に鈍く輝く瞳といい、凛々しく引き結んだ口周りに残る髭の剃り残し跡といい、全体的に漂う男臭さがエロい。まさに大人の男の色気といった感じ。


 この年代の男性と二人きりになるなんてこれまでほぼなかったから、何かもうやばい。ドキドキする。

 前世でも、家族を除けば二十代男性と単体で接する機会はほとんどなかったもんなぁ。学校の担任も部活の顧問も、枯れ果てたオジジばっかだったし。



 折り畳み椅子に座ったものの、気恥ずかしくて制服のスカートの膝ばかりを見つめていると――爽やかな風のように優しい声音が耳を撫でた。



「せっかくだから、ここから出て辺りを見学をしませんか? イリオスくんが心配で堪らないのはわかりますが、そんなに思い詰めてはいけない。少し気分転換しましょう。クラティラスくんまで倒れてしまっては、イリオスくんだって悲しみますよ?」



 私が婚約者を心配するあまり、塞ぎ込んでいると勘違いなされたらしい。


 そんなことは少しもちっとも全くないから、どうでもいい。


 それよりイアキンスマイル、やばーー! 引き締まったイケメンに嫌味のない余裕と細やかな気遣いとほんの少しの渋さを混ぜた、大人の魅力の極上ミックスジュースやーーーー!!



 こうしてイアキンス先生プロデュースによる『ドキドキ★二人だけの北の森見学会』が開催されることになった。



「ひゃっ!」

「おっと。大丈夫かい、クラティラスくん」



 森に入るや、大地の窪みに足を取られて蹌踉めいた私をイアキンス先生がさっと抱き留める。失礼、と一言詫びてすぐに体を離したけれど、そのさり気ない仕草に私はビビーンと痺れた。



 やばばーーい! やばいばーーい!



 ちょっとちょっと! イアキンス先生、マジでアリなんじゃねーか?

 男に優しくされたことがない乙女みたいに……いや、私がモロそれなんだけど、コロッといっちゃいそう。


 それでもこのシーンは私じゃなくて、ロイオンの方がいい絵になったよなーとは思うけど。何なら私の立場がイアキンス先生で、逞しさ炸裂してる部隊長が支える役であってくれれば尚良し! とすら想像したけど。



「クラティラスくん、ここがバリアツリーの境界線だ。これより向こうには入ってはいけないよ。そこを越えたら、俺では君を守れない。くれぐれもその点だけは守るんだ、いいね?」



 イアキンス先生、いつのまにか敬語取れてますぅ〜。でも、それも良いですぅ〜。素の先生を知ることができて、とっても美味しいですぅ〜。


 ニヤニヤしかける頬をペチペチ叩いて叱責し、私は先生の言葉に頷いた。


 バリアツリーなんて呼ばれてるけれど、見た目は本当に普通の木だ。形状は、クリスマスツリーに使われるモミの木に似ている。これが本当にモンスターを寄せ付けないバリア機能を果たしているのか、私にはさっぱりわからなかった。


 そのバリアツリーなる木々は、森の外側から内側に向けて数メートルほどに渡って植えられている。境界線となる木には、わかりやすく鉄の杭で印が打たれていた。



「どうだい、何か見えるかい?」



 隣から、耳元にイアキンス先生が囁く。ひっえー、近い近い近いって!



「ええと、特には……ん? あ、あれは何ですか?」



 ふと視界の奥に動くものを捉え、私はそれを指差した。


 跳ねるボール、のように見えるんだけど、あれもモンスターなのかな?



「うーん、何だろう……すまないね。俺もあまり、モンスターには詳しくなくて」



 針葉樹が落とす薄陰の中、イアキンス先生は困ったように微笑んでみせた。



 えーよえーよ、後でリゲルに聞くし!


 それより、そんな可愛い表情も持ってるんだね? 今夜のデザートは、あなたに決まりよ! たらふく描いて差し上げますわ!!



 当初の目的を忘れ、ロイオン受けバージョンと部隊長攻めバージョンの二種でシチュエーションを膨らませていたら――甲高い笑い声が、私を現実に引き戻した。



「今のは……?」

「人の……子どもの声?」



 私の問いかけに対し、イアキンス先生も疑問符で返してくる。


 もしやリゲルのように、ここで暮らす者が他にもいるってこと?



「おーい、誰かいるのかー!?」



 イアキンス先生が大きな声で呼びかける。反応はすぐにあった。



「あっ、見付かっちゃったみたいだよ! どうしよう、ディディ!」


「また勝手に入ったって、兵隊さんに怒られちゃう! 逃げよう、ジェミィ!」



 聞こえてきたのは、そっくりな二つの声と遠ざかっていく軽い足音。



 その前に――私の目は、風が吹いて木漏れ日が落ちた隙間に、ボールを抱えてこちらを振り返った、瓜二つの女の子の姿をしっかりと映していた。



「勝手に入ったって、言っていたな……あの子達、まさか!」



 イアキンス先生が声を荒らげる。恐らく、そのまさかだ。



 あの女の子達は、何度もここに侵入して遊んでいたのだ。そして、怒られるのを恐れて逃げた。


 その奥が、警備隊すら立ち入ることができないほどの危険な場所だとも知らずに!

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