腐令嬢、演じる


 北の森、別名『北境界の魔森』。


 アステリア王国北部から隣国ヴォリダ帝国の南部に渡る広大な森林地帯で、樹木を始め、生息する植物の殆どが魔力を有するという。


 過去の戦乱の影響で、アステリア王国では今も魔法に対する偏見が根強く残っている。そのため、こちら側からはほとんど手付かずの状態らしい。

 森の向こう、ヴォリダ帝国ではアステリア王国と違って魔力を持つ者も普通に暮らし、また魔法の研究も進んでいると聞く。まだ試作段階ではあるものの、最近では魔力を封じ込めた小さな塊『魔石』を開発し、それを使用した防雨具『バリアンブレラ』を発表して世界を驚かせた。いずれは新たな動力源として確立し、有意義な活用を模索していくつもりなんだそうな。


 しかし、そんなヴォリダ帝国でも、この森の研究は思うように進まず、ずっと持て余しているらしい。


 何故なら、中に入れば入るほど危険度が増し、人くらいなら余裕で捕食するような植物やら、ヴォリダの探索部隊を壊滅させたほど強力なモンスターやらがうようよいるそうなので。


 王国軍の中でもこの森周辺の安全を見守ることを任された特別部隊、北部警備部隊長から説明を受けても、私にはまだ実感が沸かなかった。


 ドラゴンの巣まであるとか言ってたけど、本当かなあ? 普通の森にしか見えないのに。


 数年前まで軍の学校にいたステファニ曰く、四つの国境に置かれた警備部隊の中でも北部は特に生え抜きの隊員が選抜され、通常の訓練に加えてモンスター等の大型生物の駆除撃退の特殊訓練まで受けた、王国軍きっての精鋭揃いだという。バリアツリーのおかげで、人に危害を加える危険なモンスターが飛び出てくることは稀だそうだけれども。


 北部の次に警備部隊の層が厚いのが、ケノファニ共和国との国境がある西部。

 こちらは、ケノファニの大地の大部分を占める巨大な山脈に様々なモンスターが生息しているらしいが、アステリア側にはその裾野が届くか届かないかといったくらいなので、どちらかというと密入国者の取締案件が多いんだとか。


 次いで、南部海上警備部隊。

 海にもいろんなモンスターがいるみたいけど、アステリア王国と接する南の海は海温が高いせいか、のんびり遊んでるような小型モンスターばかりなんだって。対して、ヴォリダの北の海にはすんごくヤベーのだらけなんだと。アステリアに初めて来たヴォリダの人が、南の海で海水浴する人々の姿を見るとビックリするってのは有名な話だ。


 プラニティ公国側の東部警備部隊は……まあ閑職扱いと言われれば、どんなものか想像できるよね。国境にある両国の検問所じゃ、アステリア軍とプラニティ軍が一緒になって歌ったり踊ったりして遊んでるらしいからね。



 北部警備部隊長に続き、先生達による注意事項の確認を聞く傍ら、ステファニからそのような蘊蓄を賜りながら反対隣を見ると、リゲルの嬉しそうな横顔が目に映った。


 短髪に髭というワイルドな容貌に加え、鍛え抜かれたマッチョボディがイケてる部隊長に萌えているのではない。その証拠に彼女の視線は、彼の後ろに広がる森に注がれている――生まれ育った、故郷に。


 星のように輝く金色の瞳には、生い茂る木々の奥の奥に懐かしい景色が見えているのかもしれない。目が良すぎて学校の視力検査じゃ計測不可能、動体視力も凄まじくて飛んでる虫を指先で捕まえられるくらいだもんな。



 生徒達の安全のためとはいえ、気が遠くなるほど長い長い注意喚起が終わると、やっと見学が開始した。



「クラティラスさん、行きましょっ! あっちに面白いモンスターがいましたよっ!」



 リゲルが満面の笑みで私の方を向いた、その時だった。



「うーうー、お腹が痛いですー。助けてくださーい、苦しいでーす」



 打ち合わせた通り、背後にいたイリオスが腹を押さえて蹲る。


 おいおい……棒台詞もいいとこだよ。学芸会の園児だって、もっとマシな演技するぞ。



「だ、大丈夫ー、イリオスー。わー大変! イリオスが死んじゃうー!」



 私も心配するフリをして、イリオスに寄り添った。


 自分も負けないくらいのクソ演技だってことはわかってるよ。でも、抑揚皆無のイリオスよりはマシだと思うの!



 すると、既に女子達に群がられていたイアキンス先生が慌てて飛んできた。



「何があったんですか、クラティラスくん? イ、イリオスくん、し、しっかりなさってください」



 アステリア学園では貴族だろうと庶民だろうと平等に接するのがルールなので、教師は生徒のことを名前で呼ぶこととなっている。けれど王族相手にはやはり緊張するようで、イアキンス先生は軽く狼狽えていた。


 他の教師ではなく、イアキンス先生が率先してやって来たのは他でもない――彼は医師免許を所持しているため、本日も生徒達に何かあった時には救護に当たる役目を担っているのだ。



「お腹が痛いそうですー。イリオスは胃腸が弱いんですー。長時間バスに乗るなんて初めてだったからかなー?」


「そ、そうなんですね。イリオス殿下……じゃなくてイリオスくんはお腹が弱い、と。ええと、とにかく移動しましょう」


「イリオスー、立てるー?」


「はいー、一人で歩けますー」



 立ち上がったイリオスがイアキンス先生の誘導に従って移動すると、私は不安げにそれを見守るリゲルとステファニにそっと告げた。



「心配だから、私も暫くイリオスに付き添うわ。二人は先に見学に行って」


「し、しかし……」



 ステファニが珍しく声を震わせ、普段ほとんど動くことのない表情を揺らがせる。無理もない、彼女にとってイリオスは特別な存在なのだ。



「あなたがここで授業を放棄したら、誰がイリオスに今日の成果を伝えるの? あなたほど頭の良くない私では、至らないのはわかっているでしょう? どうか彼の分も、たくさんのものを見聞きして知識を吸収してきて。お願い」


「そうですよ、ステファニさん。イリオス様のためにも、ぐずってちゃダメです」



 私に続き、リゲルもステファニの腕を引いて訴えた。



「あたしもクラティラスさんとご一緒できないのは寂しいけど、お互い大切な人のためにできることをしましょ? あたしがご案内します。皆には内緒だけど、実は昔この森に住んでたことがあるので」


「えっ……こ、この森に?」



 リゲルの言葉を聞いたステファニは、これまた珍しく琥珀色の目を大きく瞠った。


 そりゃ驚くよね、ほぼ未開の地って扱いなんだもん。



「そ、そういうことでしたら、今日はリゲルさんにいろいろと教わります。クラティラス様、殿下のことをよろしくお願いいたしますね」



 今日もギブソンタックで綺麗にまとめた頭を下げると、ステファニはリゲルと共に慌ただしく去って行った。

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