腐令嬢、念願叶える
「リゲ……!」
彼女の名を叫ぼうとした、その時。
リゲルを振り解こうと、拳を振り上げた男の頭上に――――一閃の光が走った。
「え……」
思わず立ち竦んだ私の目が捉えたのは、ゆっくりと傾き、力を失って崩れ落ちる男の姿。
チャリン、と甲高い音を立てて、彼がリゲルから奪った小銭が石畳に散らばる。
呆然としているリゲルの前に、黒いローブを羽織った人物が進み出てきた。
そいつは地面に散った小銭を一つ一つ丁寧に拾うと、そっとリゲルの手に握らせた。
「あ……ありがとう、ございます。えと……あの」
リゲルが何か言いかけたけれども、その人物はさっと立ち去ってしまった。まるで影のように。
そいつの姿が完全に見えなくなると、私はやっと我に返り、慌てて立ち尽くすリゲルの元に駆け寄った。
「リゲル……リゲル!? 大丈夫!?」
「クラティラス様……あ、はい。大丈夫です」
「大丈夫じゃないでしょーが! 鼻血出てるじゃん!」
コートのポケットに入っていたハンカチで彼女の顔を拭う私に、リゲルはどこか遠くを見るような目を向けた。
「あの……今のって、魔法、ですよね?」
「だろうね! 多分雷撃系だね! ピンポイントで落ちたから周りに被害もないし、稲妻も大したことなかったから気絶してるだけだろ! 人の心配より自分の心配しなはれや!」
「クラティラス様……魔法に、お詳しいんですか? この国にはもう、魔法を扱える者が殆ど存在しないのに」
ヤバンババンバンバン!
そういやこのゲーム、そんな設定ありましたねーー! すっかりうっかりクラ兵衛だよーーーー!!
「ももも物語と歴史書で読んだだけ! それより……」
「任せてください、ばっちり妄想してやりましたよ!」
他に痛いところはないかと尋ねようとしたというのに、リゲルは元気いっぱいにトンチンカンなことを答えた。
「あんまり腹が立ったんで、周りでただ見てるだけの腰抜けクソ野郎共も参加させて、このクソ男をひん剥いて縛り上げてもらいました。そしてそこの街灯に括り付け、お待ちかねの公開お仕置き羞恥プレイの開始ですよ! ええ、いきなり襲いかかるなんて無粋な真似はしません。じっくりと情欲に満ちた目で睨め倒しながら、ゆっくりと距離を詰めていくんです。最初は強がっていた男も、彼らの放つ獣じみた空気に本能的な恐怖と……いえ、それだけではない微かな期待感を抱いてしまうのです。そんな自分に嫌悪している内に手が伸びてきて、✕✕を✕✕されて✕✕になって、✕✕はもう✕✕で何も考えられなくなって、✕✕の✕✕に身を委ねて、ついに心まで堕ちてしまうのですよ! イヤよイヤよは、まだまだ足りないもっとください全て奪ってのサインですからね!!」
マジかよ……あんた、あのピンチの最中にそんなこと考えてたの?
「ひいいいい! ごめんなさいすみません失礼しました! 勘弁してください、もうしませーーん!!」
情けない悲鳴に顔を向けると、リゲルから金を奪おうとした男が逃げていく後ろ姿が映った。軽い気絶から目が覚めて、リゲルの妄想を聞いてしまったらしい。
リゲルはそれを冷ややかな目で見送ってから、深々と白い息を吐き出した。
「こんな感じで……脳内が激しく盛り上がってる状態だったんで、申し訳ないと思いつつ、助けてくれたあの人でも妄想してしまったんですよねぇ。同じ年くらいの男の子だったんですけど、ちょっと近寄りがたい雰囲気を醸し出してて、Sっ気がありそうなタイプだったから、ネフェロ様に調教していただきました」
「ネフェロに調教!? 何それ美味しい! もっと聞かせて!!」
私が思わずがっついたのも無理はない。ネフェロが調教する姿なんて、想像したこともなかったもん! だってあいつ、見るからに受けじゃん!?
「ネフェロ様を妄想の練習によく使わせていただいていたので、バリエーションが豊富なんです。今回は、優しい笑顔の裏側に悪魔を宿した暗黒ネフェロ様に登場いただきました」
そんな前置きから始まったリゲルの妄想だが…………控えめに言って最高だった。最高の最高、最の高。
どうしよう……私、暗黒ネフェロにハマっちゃったかも。ヴァリ✕ネフェ固定だったけど、ネフェ✕ヴァリもアリなんじゃ?
『ヴァリティタ様、どうしました? 物欲しそうな顔をして……全く、あなたはいけない子です。悪い子には、とっておきのお仕置きをしなくてはなりませんねえ?』
やだーー!
ネフェロってば、こんな一面もあったのーー!? いいぞ、もっとやれ!!
「…………で、彼は汗で張り付いた銀の髪の隙間から、恍惚に蕩けた紅の瞳でネフェロ様に更なる攻めを乞うんです!」
と、ここで私の萌え特急列車は急停止した。
私の妄想の中で、暗黒ネフェロに言葉攻めを受けて口惜しげにくちびるを噛みつつも暗い愉悦に瞳を濡らしているのは、お兄様だ。
が、リゲルは先程出会った黒いローブの少年を相手に語っている。
彼女が口にした身体的特徴の違いで我に返った……のもあるけれど、それよりも引っかかるワードがあったのだ。
銀髪に赤眼。
そして、魔法が使えるという希少な能力を持つ、同じ年くらいの少年……?
ゲームに、該当する人物が一人いる。けれどそいつは、こんな場所にいるはずがなくて――いや、待って。そうだ、思い出した。
確か『二人』は過去に一度出会っている、という設定だった。早送りで飛ばしていたから記憶は朧気だけれど、さっきの状況は『ゲームのヒロイン』の回想シーンに酷似していたように思う。
ということは、まさか今の人は――。
「クラティラス様、どうかされました?」
「あ、ううん……ちょっと妄想の沼に沈んでただけ。ありがとう、リゲル。とっても幸せな気持ちになれたわ」
不安そうに私の顔を覗いていたリゲルが、ぐっと手を握ってきた。
「そんな、感謝するのはあたしの方ですよ。おかげで男の人が大好きになりました!」
「へ?」
思わず私は間抜けた返事を漏らした。
「正確には、男の人であれこれ妄想するのが楽しくて楽しくて、やめられなくなっちゃったんです。あーもうダメ、男の人見るだけで頭の中がいろんなシチュエーションでいっぱいになっちゃう!」
「ほ?」
間抜け返事、ワンスモア。
いやいや、待て待て。早合点は禁物だ。
これは単に男性への恐怖心や嫌悪感がなくなって、彼女本来の好奇心が激しく刺激されただけなのかもしれない。
「そ、そう。新たな世界の一つを、あなたに教えたいっていう私の願いは叶ったわけね。……その、どうかしら? 前に恋できないと言っていたけれど、これからは大丈夫そう? 男同士ばかりじゃなくて、自分の恋を重ねて……」
「は? 自分を妄想の世界に加えるなんて無理無茶無謀、無粋の極みですよ。というか、男相手に女の人をあてがうことすら不可能です」
ぽかんとする私を置き去りに、リゲルは行き交う男性達に熱のこもった眼差しを注ぎながら語った。
「男同士の恋愛妄想って、いろいろな制限がある分、夢が膨らみますよねぇ。クラティラス様に教わって間もない頃は、無理矢理言葉を捻り出して口にしていたんです。けれど、語れば語るほどにそれが輝いて、本当の世界よりも美しく尊く見えてきて。言うなれば、新世界の創造。そう、捏造ではなく創造です! 新たな世界を作る喜びに、どんどん胸が高鳴って、心が甘く痺れて、言葉も気持ちも溢れて止まらなくなっていくんです!!」
これは、もしやのもしや、そうなのか?
んーと……でもまあ一応確認はしとこか?
「男同士の恋愛妄想、好きになっちゃったってことで良い?」
人差し指を立てて尋ねると、リゲルは満面の笑みで頷いた。
「はいっ! クラティラス様のおかげで、新たな世界が拓けました! 男女の恋愛じゃ、ここまで燃え上がれませんよねぇ……もー、何で男の人を怖いなんて思ってたんだろ? こんなにめくるめく素敵な妄想をさせてくれるのに。もっと早く知りたかったなぁ。この気持ち。あ、これって恋なのかな? ということは、もっといろんな男の人を見て妄想捗らせたいと思うあたしって、男で身を持ち崩す典型的な尻軽浮気性ダメ女の完全体なんですかねっ!?」
「いや、恋じゃなくて……そ、それは萌えというのよ」
あんまり悩んでなさそうだったけど、私は一応訂正しておいた。
「萌え! なるほど、初めての感覚だからこれが恋なのかと思ってました! そっかぁ、萌えっていうのかあ……」
リゲルは萌えという言葉を噛み締めるように何度も繰り返し、ニヤニヤしながら執拗に男達を眺めている。間違いなく、ヤベー妄想している顔だ。
すげえな……この子、素質あるどころの騒ぎじゃねーわ。モンスター級の天才じゃねーか。
「えっとね……実は私も、男同士でばかり妄想してたの。だから前に恋したことあるって言ってたけど、その……自分が女だから、あんまり相手と結ばれたいとは思えなかったんだ」
「あー、そういうことだったんですかー! 今ならよーくわかります、男には男ですよねっ!」
…………よし、もう確定だな!
「リゲル、新たな世界へようこそ。『友』として、あなたを歓迎するわ!」
「はい、クラティラス様。これからもどうぞよろしくお願いします……『友』として!」
ゲーム本編であれば、彼女から男性に対する嫌悪感を取り払ったのは先程の人物、ということになるのだろう。
だが、その功労者の役割は私が取って代わった。
ヒロインはゲームとは異なる方法で男嫌いを克服し、ゲームとは異なる方向へと開眼したのだ。
リゲル・トゥリアン、ついに陥落――――そしてこれは、私の密かな夢が叶った瞬間でもあった。
新たな絆の誕生を祝し、降り始めた雪の中でリゲルと抱き合いながら――私は脳裏に浮かんだあいつの顔に告げた。
たった一言、ざまーみろ、と。
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