腐令嬢、失くす


「お嬢ちゃん、大丈夫け!?」

「クラティオス! 大丈夫かっ!?」



 おじさんと同時に、まだリゲルグ成り切り続けているらしいリゲルが雄々しく叫ぶ。私は何とか立ち上がり、二人に頷いてみせた。



「うん、大丈夫。ビックリしたぁ」



 地面ではなく、かき集めた牧草が積んである山に落ちたおかげで痛みもなければ怪我もなし。確かに牛関連では、運が良いのかもしれない。


 リゲルグはビクトリーランする牛が下ろしてくれなかったようで、駆けつけたおじさんに草まみれになった学校指定のジャージを払ってもらっていると、ふと視線を感じた。


 顔を向けてみれば、垣根の向こうから黒毛攻め牛くんが悲しげな目で私を見ている。



『ごめん、君に危害を加えるつもりはなかった。ただ君のために、勝ちたくて……なんて言っても、言い訳にしか、聞こえない、よな』



 という私の心のアテレコを読んだかのように、彼はタイミングバッチリでそっと目を逸らした。



 ……やだ、待って?

 俯き加減の哀愁漂う表情に、キュンとしちゃったんだけど?


 やばい、萌えた。ドキドキが止まらない。よっしゃー、今夜は初の牛BLに挑んでみっかーー!



 黒毛攻め牛――モギュくんというお名前だそうな――はおじさんに怒られてしゅんとしてたけど、私がお願いして体を洗わせてもらったり、側でスケッチさせてもらったりするとご機嫌になったようだ。本当に私のことを気に入ってくれてるみたいで、綺麗なおめめでじっと見つめては甘えて擦り寄ってくるの。ヤンチャ攻めが二人きりの時だけデレてるみたいで本当に可愛い!


 そんなわけで私はギューレム主のスパダリから、運命のつがいに出会い溺愛されることで受けに路線変更したクラティオスとして、ランチまでの時間をモギュくんとラ腐"腐"で過ごした。


 お弁当ならモギュくんの側で食べられたんだけど、お昼は牧場と隣接したレストランにて、特製のチーズやミルクを使った食事が振る舞われる。なので時間が来ると、私は泣く泣くモギュくんと別れてレストランへと向かった。



「え……クラティラスさん? ちょっと、どうしたんですか?」



 私の顔を見るや、既に着席していたイリオスが慌てた声を上げた。紅の瞳は零れ落ちそうなほど大きく見開かれ、顔面も蒼白となっている。



「どうしたって、何? 牛から落ちたんだけど、顔に怪我でもしてる? まさか牛に萌え散らかしてたから、全身牛柄になってるとか!?」



 あまりの驚かれっぷりに私も心配になって、顔に手を当ててみた……が、特に異常は見当たらない。



「顔じゃありません、頭です!」



 イリオスが指差すのは、私の左前頭部。そこで私は、はっとしてそこに触れてみた。



 ない。ここにあるべきものが、ない。

 クラティラスのトレードマークの髪飾りが…………ない! ないったらない!!



 きっと、モギュくんに振り落とされたあの時だ。落下した衝撃で外れてしまったに違いない。


 狼を象ったレヴァンタ家の家紋入りの髪飾りは、中学の入学祝いにお父様とお母様が贈ってくれたとても大切なものだ。だけど。



「そ、それなら食事が終わったら探しに行くわ。皆に迷惑をかけるわけにはいかないものね」



 ランチなど放棄して飛び出したい衝動をぐっと堪え、私は無理矢理に微笑みを浮かべ、イリオスの向かいに座った。


 ここで単独行動に走り、皆に迷惑をかけるわけにはいかない。それでなくても自分は一爵令嬢、おまけに第三王子殿下の婚約者だ。私的な理由で団体行動の和を乱せば、レヴァンタ家のみならず王家の悪評にも繋がりかねない。中一の課外授業で無茶をやらかした時、イリオスにも言われたのだ――――自らの立場を弁えろ、と。


 本気ではなかったと後で謝罪されたけれど、今になってみれば最もな意見だったと思う。私が後先考えずに行動すれば、その被害が多くの人に波及するんだもん。こういうことが理解できるくらいに成長したってわけよ。


 前世と現世では勝手が違う。前世では二十歳前に死んだけれど、こっちではもうすぐ十五歳の成人を迎えるんだからね。


 ……と言い聞かせても逸る心は押さえ切れず、私は味わう間もなく飲むようにして食事を一気に平らげると、レストランのホールを一抜けした。



「クラティラスさん!」



 外に出たところで、私の背後から声をかける者があった。


 振り向けば、柔らかなブラウンカラーのミディアムヘアをサラサラと揺らしながら、線の細い美少年が駆け寄ってくる。



「ボクも行くだすよ! 髪飾りを探しに行くのでごじゃろう? 話は聞いておった、このデスリベリオンも手伝うけえの!」



 垂れ目がちに見えるほど目尻に密集した長い睫毛の下からヘーゼルの瞳を輝かせ、ロイオン……否、自称デスリベリオンは、威勢良く私に告げた。


 もうさぁ……こいつ、一体どこに向かってんの? 言葉遣いがいちいちヤバすぎて、返事する気も失せるんだけど。


 見た目は既に、ほぼゲーム通りの美青年に完成しつつある。なのに、喋れば喋るほど無残にキャラ崩壊していくときたもんだ。ゲームではファンタスティックナルシスト・ハニジュエになる予定だったけど、そっちの方が断然マシだった気がする。何でこんなことになっちゃったかなぁ?



「えっと……でもデスリベ、ランチは? ちゃんと食べてきたの?」


「安心しい。しっかり完食してきたがや。稽古の時間を取るために、早食いになったんじゃお!」



 狂った口調とは裏腹に、デスリベはそこらの女子より麗しい顔に妖艶さ漂う笑みを浮かべて答えた。


 攻略対象だけあって、やはり面だけは誠にレベル高い。

 ハニジュエって、このお色気ムンムンなるお耽美な顔立ちのせいで、ゲームのヴィジュアルに惹かれてプレイ始めた女子を泣かせることで有名だったよな。彼の二次同人は本物からかけ離れた性格に改変されてる作品が多かったけど、エアプだけじゃなくて、実際にゲームをプレイした上で記憶を抹消して理想を描いたという人も少なくなかったっけ。


 顔が好きなら、性格も愛してやれよ! と当時の私は激しく憤ったものだ。だってハニジュエ、言語が通じないところはあってもすごくいい子だったもん。


 実物のデスリベも同じだ。私のために、誰より先に駆け付けてくれた。今頃まだのんびり飯食ってるクソ婚約者なんかとは比べ物にならないくらい、優しくて素敵な紳士だよね!



「ありがとう、デスリベ。それじゃあ親切に甘えて、お手伝いをお願いするわ」



 ということで私はデスリベの申し出をありがたく受け、髪飾りを落としたと思われる場所へと彼を案内した。

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