腐令嬢、幻滅す


 新学期が始まり、ついに私は初等部最高学年である六年生に進級した。


 同時に、ステファニも同じクラスに転入。


 ボルドーカラーのワンピースタイプという聖アリス女学院の制服は、彼女の紅の髪と琥珀色の瞳に素晴らしく似合う。私なんて髪も目も寒色系だから、どうにもちぐはぐに見えちゃうんだよね。


 でもステファニの可愛さが際立つなら、このクラティラス・レヴァンタ、喜んで引き立て役になりますわ!


 いざ学校に行ってみれば、お人形さんのように可愛くて綺麗で美しいステファニはすぐに注目の的となった。しかし例の如く近寄り難いオーラを放っているため、皆羨望と憧憬の眼差しを注ぐばかりで、なかなか面と向かって話しかける者はいない。



 でも、大丈夫。


 始業式の後すぐに『萌えBL愛好会(仮)』のメンバーにステファニを紹介したから。



 それぞれが自己紹介がてら、推しカプやら好きシチュやら萌える系統などを語って聞かせると、ステファニも推しへの愛について熱弁を振るった。無表情かつ機械音声のような口調ではあったけれど、彼女の凄まじい熱量は皆にしっかりと伝わったようだ。この熱い萌魂に燃える新メンバーを、全員が笑顔で受け入れてくれた。


 ただ……アンドリアだけは『ヴァリティタ様とネフェロ様の香りがするぅぅぅ』と訳のわからないことをほざいては、ステファニに鼻をくっつけてあちこち匂いを嗅いでいた。


 けれどステファニは突っ撥ねるどころか、『こちらがネフェロ様に埃を払っていただいた場所、こちらがヴァリティタ様に虫の死骸を施された箇所です』などと言って肩やら袖やらを指し示してなすがままにされたから、そんなに嫌じゃなかったんだろう。



 こうして、ステファニにはまた新たな仲間が増えた。



 ゲームの悲しい末路を回避できるかは、まだわからない。しかし、彼女は確かにゲームとは異なる道を歩き始めた。その先に待つ未来が、幸せであってほしい。江宮と同じく、私もそう思う。



 って、人のことを心配してる場合じゃないのはわかってるんだけどね。でも自分より先にステファニが幸せになってくれれば、私だって希望が持てるじゃん?



 たとえその希望が一瞬のまやかしでも、自分の死は回避できなかったとしても、誰かが不幸になる姿を見て心痛めたままその時を待つよりはずっといい。


 ステファニの幸せは、イリオス様と江宮えみやの幸せ。そして、私の幸せでもあるのだ。




 私に前世の記憶が戻ってから、早くも一年が経とうとしていた。


 やっと完成した学院長の肖像画は我ながら素晴らしい出来で、それを見た者達から評判が広がり、あちこちから自分も描いてほしいというオファーが寄せられるようになった。




 ――このクソ野郎も、その一人である。




「お久しぶりですー死ね。お元気にしていらっしゃいましたかー死ね。お変わりなくて何よりですわー死ね」



 語尾の単語だけ小さく素早く発音しながら、私は久々に再会した婚約者――イリオス第三王子殿下に笑顔で挨拶した。



大神おおかみさぁん、ここであんまり迂闊な言葉は口にしない方がいいんじゃないですかぁ? 取っ捕まって罰せられても知りませんよぉ?」


「だったら、その呼び方改めたらぁ? 誰かに聞こえるような場所で愛する婚約者の名前を間違うなんて、他に女でもいるんじゃないかと疑われますよぉ?」



 王宮内に用意された広いアトリエで私達が最初に行ったのは、ポージングの決定でも構図の思案でもスケッチでもなく、嫌味の応酬と睨み合いだった。


 まだ身長はそれほどお伸びあそばせていらっしゃらないので、目線はほぼ同じ。無駄にデカかったオタイガーと違って、ガン付けしやすくて助かる。


 イリオス様の公式プロフィールは忘れたけれど、ゲームの集合絵では他の攻略対象と比べても背が高かった記憶がある。少なくとも、これから私より背が高くなることは確実だ。


 ならば見下される前に、今の内たらふく睨んでおこうと眼力に全エネルギーを注ぎ込む私とは逆に、イリオス様の方は時間の無駄だと悟ったようで、さっさと目を逸らし空を仰いだ。



「はいはい、僕が悪かったです。何を話しても大丈夫ですよ、ここには誰も入るなと命じてありますから。防音についても、問題ないようです。僕が自らチェックしました。大神さん、声が大きいですからねぇ」



 まあ、それは何ともありかたいことで。



 私が何故こいつの肖像画など描かねばならなくなったのかというと、何と国王陛下による計らいなのである。


 十一歳の女の子が描いたとは思えぬほどワンダフルな出来となった肖像画の噂は広がりに広がり、ついには国王陛下のお耳にまで届いたらしい。

 そこで陛下は『婚約者なんだからお前も描いてもらいなYO! 結婚前の良い記念になるYO!』と息子に告げ、こうして場を設けてくださったいう次第である。



 部屋の真ん中に置かれていた白い豪奢な椅子に座ろうとするイリオス様を見て、私は思い出した。



「あ、ちょっと待って。私、江宮えみやに会ったらやりたいことがあったんだ」


「やりたいこと? 何……」



 イリオスが言葉を発し終わる前に、私のパンプスを履いた右足は彼の男ならではの急所――ダブルゴールデンボールを、思い切り蹴り上げていた。


 イリオス様がガクンと床に膝を付く。そして打撃を受けた部分を両手で押さえるという情けない格好で、細く声を漏らした。



「何で……」


「それがさー、理由は忘れちゃったんだよね。でも蹴らなきゃならないってのは覚えてたから、実行させていただいたんだわー」


「なるほどぉぉぉ……あんた、本っ当に最っ低ですなぁぁぁ……!」


「いつまでも遊んでないで、早く始めよーよ。イリオス様はお忙しいんでしょ?」



 もう一つあった簡素な椅子をイリオス用ゴージャスチェアの前に移動させると、私はとっとと腰掛けて持参したスケッチブックを開いた。


 画材も王宮から支給するという申し出があったのだが、それはお断りした。やっぱり使い慣れたものが一番だからね。



「別に固まってなくていいよ。イリオス様なら最近よく描くから、適当に構図取る程度で大丈夫」


「僕を? 何でまた?」


「ステファニに頼まれて。イリオス様を描いてあげると喜ぶの」


「はあ、そうでありますか……」



 まさか、江宮との絡み絵だなんて夢にも思ってないだろう。


 イリオス様は気のない返事を寄越すと、退屈そうな表情で肘掛けに頬杖をついた。あ、このポーズいいな。肖像画には不向きだけど、憂いの美少年感が妙にエロい。ステファニに描いたろ。



「…………ステファニはどうですか」



 心を読まれたのかと思い、私は軽くたじろいだ。



「手紙に書いた通り、元気にしてるよ。私の友達とも打ち解けたし、リゲルにも懐いてるし。家じゃお兄様と嫌がらせ対決してはネフェロに怒られてんのに、懲りずにバカやってるねー。あれはあれで仲良しなんじゃないかな?」


「ふうん、楽しそうでいいですねぇ……こっちはろくでもないことばかりだというのに」



 イリオス様が物憂げに溜息を吐く。おっ、その表情も美味しいぞ。いっただきぃ!



「何かあったの?」



 ステファニのためにしっかり描き留めておこうと手を動かしながら、私は一応尋ねてみた。



「またクロノ殿下が帰国されなかったんですよ。気持ちはわかりますけどねぇ……皺寄せが来るこっちの身にもなってほしいもんです」


「またぁ? やっぱアレか、女か? それとも、男だったりする!? だったらどんな人か教えて教えて教えテルミー! 誰にも言わないから!」



 嬉々として目を輝かせる私に、イリオス様は汚物でも見るかのような眼差しを向けた。



「ウルの思考は、相変わらず気持ち悪いですな〜。あの人なら女は星の数、中には男もいるかもしれませんねぇ。どれもこれも体だけ、その場限りの関係みたいですが、あまりにも節操がなさすぎて揉み消すのに苦労しているようですぞ」


「マジ? クロノ様ってヤリチソなの? うっわ、聞くんじゃなかったぁ……」


「どちらかというとパリピですねぇ。王子といっても向こうでは割と自由がききますから、窮屈この上ない王宮に戻りたくなくなったんでしょうな〜。元々、奔放な気質の方でしたし」



 あーあ、唯一手つかずの最後の砦だった第二王子はヤリチソのパリピかぁ。これを知ったら、密かに期待を抱いてたアンドリアがガッカリするだろうなぁ。

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