腐令嬢、幸せを説く
「……私、元は孤児なのです」
その夜、リゲルに与えられた衝撃と感銘の余韻で眠れないと言って私の部屋にやってきたステファニは、訥々と己の出自について語り始めた。
「幼くして行き倒れていたところを王国軍に保護され、そのまま軍の管轄に置かれました。物心ついた時から一人で生きていたので年齢すら定かではなく、名も軍で付けていただいたのです。野垂れ死ぬしかなかった自分に『ステファニ・リリオン』という新たな命を与えてくださった王国軍には、どれだけ感謝しても足りません」
それからすぐ、彼女は士官学校にて才覚を発揮した。そして生まれ持っての並外れた身体能力と血の滲むような努力で、あっという間に主席の座に躍り出たという。
まだ七歳――これも身体の発育状態から軍が定めたもので正確にはわからない――で彼女は既に、大人顔負けの戦闘能力を有していたそうだ。
卒業したあかつきには、必ずや自分を救ってくれた王国軍に貢献しよう。
そう思っていたステファニに、ある日突然任命されたのは、まさかの『第三王子殿下の側近』だった。
「自分がそんな大役を賜るなどと考えてもおらず、その時はただただ驚くばかりでした。しかし私に求められたのは、護衛の役割ではなかった。当然です、多少は能力が高いといえ私はまだ子ども。そのような責任重大なる役目を、任せるはずがない。私が選ばれたのは、『殿下と年の近い女子』だから。それだけの理由でした」
ここで間を置き、ステファニは静かに溜息を吐いた。
「あの時、私は軍にも捨てられたのです。顔も知らぬ親と同様に」
妹の死から塞ぎ込むようになった王子に、ステファニは『美しい少女』として充てがわれた。
他の娘ならば、ゆくゆくは愛妾の座も夢ではないと喜んだかもしれない。しかし彼女にとってそれは、これまでの鍛錬の成果も王国軍への恩返しのためにと切磋琢磨し続けてきた日々も、全て否定されたも同然の残酷な任務だった。
私は相槌を打つこともせず、黙って彼女の話を聞いていた。今の自分にできるのはそれだけだと思ったので。
「けれども…………イリオス殿下を一目見るや、暗く澱んでいた私の心に衝撃が走ったのです。これまでの世界がひび割れ、音を立てて崩れ、何もかもが霧散していく、それほどの心地を覚えました」
ここでやっとステファニの口調が仄かに和らいだ。
「殿下の美しさに圧倒されたのではありません。あの御方は、何も見ておられなかった。誰も受け入れようとなさらなかった。何物も必要としておられなかった。そうして一人で、完璧な世界を築いておられたのです」
それは、私が密かに
例えるなら、球体。あらゆるものの介入を許さず、内包した己の存在のみで収束する。
多分、江宮にとっての私は、うっかり空気孔から侵入してしまった異物みたいな存在だったんじゃないかな。おまけに中で暴れ回るものだから、奴はそれを取り除こうと必死だったんだと思う。
私達の関係は、蚊帳の中に入り込んで血を吸おうとする蚊とそれを追い回す人間……って私が蚊かよ。牛よりランクダウンしてねーか?
まー江宮視点から見た私なんて、そんなもんだろう。
「孤高という言葉を具現化したような殿下のお側にいると、親や軍に捨てられたと嘆いていたことまでも愚かしく思えました。殿下はまさに、私の理想だったのです。それから三年、イリオス殿下に萌え萌えキュンキュンする日々をジョイジョイとエンジョイしていた私に、またツラみがエグい出来事が起こりました」
うん、いきなり表現が変わったな?
私が変な言葉教えたせい……いや、イリオス様のせいだ。そういうことにしとこう。
一旦言葉を切り、ステファニはちらりと私を見ると軽く瞼を伏せた。
「イリオス殿下に、王宮を離れてここに住むよう命じられた時は……正直、絶望しました。殿下にとって私などいてもいなくても良い存在、そのことは重々承知していたつもりです。それでも私は、殿下のお側にいたかった。なのにまた、捨てられてしまったのです」
「それは違うよ」
ここに来て、私は初めて口を挟んだ。
「イリオス様は、ステファニを捨てたんじゃない。周りに無理矢理押し付けられた空間で窒息しかかっていたステファニ・リリオンを、助けたかったんだよ。一個の人間として、楽しいことや好きなことを見付けてほしかったんだよ。幸せになってほしいって、そう言ってたもん」
「で、殿下が、そのようなことを……?」
ステファニが目を見開いて、震え声で問い返す。私は頷き、話を聞いている間に描き上げた絵を彼女に差し出した。
「楽しいこと好きなこと萌えること、ここでたくさん探して。私もお手伝いする。そんであいつの望み通り、幸せになってよ。イリオス様の願いを叶えられるのは、あなただけなんだから。ステファニの幸せが、イリオス様の幸せでもあるんだよ?」
リゲルの書いた短編小説と詩からイメージした絵――今にも泣き出しそうなほど切ない表情で抱き合う江宮とイリオス様の姿を、ステファニがそっと手に取る。
そしてそれを慈しむように胸に抱くと、彼女は静かに嗚咽を漏らした。
「ありがとう……本当にありがとうございます、クラティラス様」
「苦しゅうない、苦しゅうない。好みのシチュエーションあれば遠慮なく言って。期待に応えられるよう、頑張るから!」
ぐっと親指を突き出してみせた私に、ステファニは涙に濡れた頬を柔らかく綻ばせた。
オウフ、ステファニたんの泣き濡れスマイル、堪らんでゲスな〜!
「私の幸せが、殿下の幸せ……ならば必ずや、イリオス殿下の願いに応えてみせます。殿下が私を気にかけてくださっていた、それを知ることができただけでもとても嬉しいです。けれど、私をクラティラス様の元に送られたのは、他にも理由があるのだと思います」
「というと?」
次はどんなシチュでいくかな、エロはまだ早いよな、などと明後日のことを考えながら私はステファニに尋ねた。
「殿下はきっと、いいえ間違いなく、クラティラス様の素晴らしいお人柄を私にも知ってほしかったのでしょう。もしかしたら私が心の中で、殿下の愛する人を疎んでいたのを察せられたのかもしれませんね。このような世間知らずの小娘の何が良いのか、この家にいればきっと隙をついて亡き者にできる機会があるはず、とすら考えておりましたから」
わあ、さらりと怖いこと言われちゃったよー。
クソ江宮め、ただでさえデッドロードまっしぐらだってのに、更にこんなとんでもないキラーマシン送り込みやがって!
誕生日プレゼントは新たな死亡フラグでしたー、サプラーイズってか?
今度会ったら、鳩尾なんて生ぬるいところじゃなくてダブルゴールデンボールに渾身の一撃ぶち込んでやんよ!!
「クラティラス様、そんな顔なさらないでください。今は自分の愚かさを心から反省しております。でなければ、こんな恐ろしいことを考えていたなどと打ち明けません。本当に、申し訳ございませんでした」
ギリギリと奥歯を噛んで怨嗟の言葉を堪えていた私に向けて謝罪の言葉を述べると、ステファニはすっくと立ち上がり、己の左胸に右手の拳を当てた。王国軍式の敬礼だ。
「私、ステファニ・リリオンは、クラティラス・レヴァンタ様より萌えなる尊き魂を賜り、生まれ変わりました! これからはこの新たに授かりし命を全て賭け、あなたをお守りいたします! あなたを愛するイリオス殿下のため、そしてあなたを尊敬する自身のため、己が信念と忠義を尽くして参ります!」
夜中にも関わらず、軍隊式ビッグボイスでステファニは私に宣言した。
ああ、護衛ってそういうことぉ……。
大声を聞きつけて飛んできたネフェロに引きずり出されるまで……いや、引きずられている間もずっと、ステファニは燃える決意を湛えた琥珀色の目で私を熱く見つめ続けていた。
あれは間違いなく、こうと決めたら動かないタイプだな。こうなればもう、諦めるしかない。
はいはい、わかりましたよ。大人しく守られときます。文句はイリオス様にぶつけることにしよう、そうしよう……。
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