腐令嬢、堕とす


 返却された江宮えみや絵を眺めてしおしおと萎えていると、私はもう一つ彼女に伝えねばならないことがあるのを思い出した。



「そうそう、ステファニがこの絵を見付けてさ。江宮のことが気に入ったみたいで、かなりしつこく食い付いてきたんだよね」


「あー、片足突っ込んでるって、そういう……」



 リゲルが納得の吐息を漏らす。私は頷き、絵の江宮の額にデコピンを食らわせて続けた。



「元々イリオス様狂だったんだけど、こいつのせいで江宮✕イリオス✕江宮のリバに開眼したっぽい。まー、ステファニに目覚めの機会を与えてくれた点だけは、江宮に感謝してもいいかな」


「ほー、いきなりリバですか。なかなかの強者ですねぇ」


「で、江宮のことをいろいろ聞かれたんだけど、もう死んだって伝えてあるの。間違ってはいないし。だからリゲル」


「はい、前世のお話は、私とクラティラスさんだけの秘密……ですよね?」



 私の言わんとすることをすぐに理解してくれたようで、リゲルは人差し指を桜色のくちびるに添えて片目でウィンクするというキラキラ美少女ポーズで応じた。


 あーもう、いちいち可愛いな、こいつ!


 堪らず抱きつき、モフモフならぬリゲリゲと頭を撫でくり回していたら――不意に、イチャつく私達に差し込んでいた陽光が翳った。



「…………クラティラス様、私もご一緒させていただいて構いませんか」



 見上げると、綺麗にまとめ上げた赤い髪が縁取る卵型の輪郭の中、琥珀色の大きな瞳とツンと澄ました鼻、そしてふっくらとしたくちびるを宿した人形のような美少女――――ステファニが立っていた。



「ファッ!?」

「ひゃあ!」



 びっくりして、私はリゲルごと飛び上がった。



 何でステファニがここにいるの!?

 今日は朝から、お母様と服やら部屋の家具やらを買いに出かけていたはずじゃ……。



「早めに済んだので、こちらに参りました」



 心を読むなし!

 つーか場所も教えてないのにどうやって来たんだ!?



「ネフェロ様から行き先を伺って、走ってきました」



 だから心を読むなっつーの!

 って家からここまで走ってきたの!? 少なくとも二十キロ以上はあるんだけど!?



「幼い頃から鍛えておりますので、この程度の距離を走るくらいどうということはありません」



 ステファニ、心読みすぎーー! 私、心読まれすぎーー!


 ならば、これも読んでみろ! お前、男の趣味悪すぎなんじゃーー!!



 読心術ではなく私の様子から言いたいことを読み取っていただけだったようで、ステファニは最後の心の声には突っ込んでくれなかった。



 代わりにリゲルへと向き直り、お母様が選んだと思われる淡いピンクのワンピースの裾を摘んで小さな頭を下げる。



「はじめまして、ステファニ・リリオンと申します。先日までアステリア王国第三王子イリオス殿下の側近を務めておりましたが、縁あってレヴァンタ一爵閣下の元に引き取られ、現在はクラティラス様の護衛をしております。以後、お見知りおきを」


「は? 護衛!? 聞いてないよ!?」


「あ、はじめまして。あたしはリゲル・トゥリアン、見ての通りしがない庶民です。なのでそんなに畏まらず、気軽にリゲルって呼んでください」



 初耳ですよと訴える私をスルーし、ステファニは無表情のまま、リゲルの柔らかな笑顔を見つめていた。


 お、見惚れたか? わかるわー、沼で腐り果てても世界のヒロインだもんね。



「あなた……」

「はい?」



 リゲルが小首を傾げる。


 この可愛さ、やばない?

 どうしよう、ステファニが百合に転向したら。クソ、リゲルが可愛すぎるせいだ! 可愛いは正義、だが時として悪にもなる諸刃の剣とも化すのじゃーー!!



「……いえ、何でもありません。失礼しました。これからもよろしくお願いいたします」


「こちらこそ。そうだ、ステファニさんも良かったら読んでくれませんか? あたし、初めて小説を書いたんです」



 ハラハラと見守る私の前で、リゲルは屈託のない笑顔でノートを差し出した。恐る恐るといった具合に手を伸ばし、ステファニがそれを受け取る。



 そして、数分後――――彼女は私と同じく、号泣する羽目となった。



「ううっ……はからずも、エミヤ様とイリオス殿下を重ねてしまいました。エミヤ様はイリオス殿下をこんなにも深く愛し、そしてイリオス殿下もエミヤ様をこんなにも強く想っていたのですね……! 苦しく狂おしく、儚くそして美しい愛に涙が止まりません……!!」



 愛も何も、実物は仲良く一体化してるんだけどね。

 ステファニから見たら、今のイリオス様は理想そのものなんだろうなぁ……BL的な意味でも。


 推しカプに難はあれど、取り敢えずリゲルの圧倒的ヒロインパワーによる百合堕ちは免れたようだ。


 更にお近付きの印にと、リゲルから悲恋をテーマにした詩をプレゼントされると、ステファニの涙はハンカチでも間に合わないくらいの大洪水となった。普段はあまり接触してこない護衛も、慌てて通行人を装ってタオルを手渡してきたほどだ。



 涙腺の崩壊を堰き止めてやっと泣き止んだステファニは、素晴らしき萌えを授けてくださったリゲルに多大なる感謝の思いを告げ、次作も楽しみにしていると言って、自ら握手を求めた。



 彼女の手を握ったリゲルが、こちらを見てニヤリと笑う。私も同じように笑い返した。



 ようこそ、我らの世界へ――――ステファニ・リリオン、あなたの仲間入りを歓迎するわ。



 BL沼に堕ちた新たなメンバーを祝うアイコンタクトは、こうして本人に気付かれぬよう密やかに行われた。

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