腐令嬢、やらかす


「どれ、どのくらいできましたかな?」



 暇すぎて座っているのに飽きたらしく、イリオス様が椅子から降りてスケッチブックを覗き込んできた。



「むぅ、やはり上手いですな〜……悔しいですが、絵に関してだけは腕前を認めざるを得ませんねぇ」


「フフフ、高校じゃ美術部部長だったからね」



 他の絵も見たいと言うので私はスケブを手渡し、ドヤ顔で笑った。


 中学時代はハンドボールに青春を費やした私だったけれど、高校ではハンド部からの熱心な勧誘をお断りし、念願だった美術部に入ったのだ。


 にしても、ハンドボール部でも美術部でも部長を務めたって、何気にすごくない?


 スポーツでも芸術でもマルチに才能を発揮したキラキラ女子、それが大神おおかみ那央なおなのよ! ……代わりに勉強はからっきしだったけど。



 勉強の部分については抜きにして、私がせっかくアゲアゲ自分烈伝を語ってやったというのに、イリオス様は興味なさそうに相槌を打つだけだった。いつものことだが、誠にムカつく。



「へー、チョースゴイデスネー。だったら絵だけじゃなくて、ハンドボールもこっちでやってみればいいんじゃないですかー?」


「それがさー、この世界、ハンドないんだよ。バスケはあるけど、バスケ嫌いだし」


「ハンドは好きなのにバスケは嫌いって、何故です? 何となく記憶してる程度ですけど、似たような競技だったような?」



 手渡したスケッチブックに目を落としたまま、イリオス様は疑問の言葉を投げてきた。



「似てるのに違うからイライラするんだよ。すぐトラベリング取られるし、パッシブないの忘れてうっかりファールしまくるし、あとあのゴールが苦手。ゴールキーパーいないとこに突っ込むって、変な感じする。バスケと比べたらサッカーの方がいいなぁ」



 人それぞれだと思うけど、バスケを知る前からハンドをやっていた私にとって、両競技の違いはどうにも慣れられないものだったのだ。

 特にトラベリングがねー……ハンドじゃボール取って床に付いた足がカウントされず0歩になるんだけど、バスケはそれも一歩として数えるから、何度もバイオレーションでプレイ止められてストレス溜まりまくるんだわ。



「ハンドボールのルールはよく知りませんけど、そういうもんなんですかねぇ…………ん、え? は!?」



 スケブを眺めていたイリオス様が、固まる。




「大神さぁぁぁん…………これぇぇぇ、何なんですかぁぁぁ?」




 おどろおどろしさが湧き立つ声音と表情で、彼が私に向けたのは――――江宮えみやがイリオス様と至近距離で見つめ合い、キスまであと一歩といった状況のお耽美調BL絵だった。



 あっちゃー……家を出る時に慌ててたせいで、ステァニ用のスケブ持ってきちゃったのか。



 慌てず騒がず、私はさっと取り返したスケブでイリオス様の頭を思い切り叩いた。



「夢でも見たんでしょう。どう、目が覚めた?」


「あ、はい…………って、ちょっと待」



 すかさずもう一発殴る。



「イリオス様は、相当お疲れのようね。これ以上はお体に障りそうですから、もう失礼しますわ。ごきげんよう」



 ちゃちゃっとスケブや画材をまとめて帰り支度をすると、私はイリオス様に背を向けて扉の方にダッシュした。いや、しようとして、足払いで転がされた。



「そんなことで誤魔化されるわけないでしょぉぉがぁぁぁぁ……。どういうことか、しっかりきっちりばっちり説明してもらいますよぉぉぉぉ……?」



 恐る恐る振り向けば、イリオス様の殺意漲る紅い瞳と至近距離で目が合う。


 ひいい、ヤバイヤバイヤバイ! こいつ、ガチでキレてる!!



「ご、ごめんね? これはその、出来心というか……」


「出来心ぉぉぉぉ? ブスブスとあれほど小馬鹿にしていたオタイガーの絵を描く出来心とやらがどんなものなのか、とても興味がありますねぇぇぇぇ……。どうか一から詳細に至るまで、この僕に教えてくださいよぉぉぉぉ……?」



 ああ、ダメだ。完全にバレてる。


 そりゃそうだよ……前世じゃ萌えとは真逆に突き抜けた萎え物件ナンバーワンの江宮なんか一度も描いたことないもん!



「じ……実は、江宮の絵をリゲルに頼まれて…………あの、前世のこと、彼女に話しちゃって」


「はああああああ!?」



 うわー、怖い怖い怖い怖い! 射殺しそうな目付きで口元に微笑みを浮かべるのはやめて!


 こ、これが暗黒バージョンのイリオス様か……美形が静かに怒る表情って、破壊力高えな!!



 ステファニは、こんなおっそろしいイリオス様にも萌えるんだろうか?

 いや、あの子なら間違いなく萌えるな。何たってステファニにとって、イリオス殿下は萌神様であらせられますから。



「ステファニが、どうしたってぇぇぇぇ……?」



 ぎゃあ! 現実逃避するあまり、口に出てた!!




 …………もうこうなったら、全てを打ち明けるしかない。




 私は軽く深呼吸してから、にっこりと微笑んでみせた。



「驚かせてごめんなさいね。リゲルに依頼された江宮の絵を、ステファニに見付かってしまったの。そうしたら彼女、何て言ったと思う? 『この方をもっと知りたい』と詰め寄ってきて、ついには名前まで吐かされてしまったのよ! どうやらステファニは、絵の江宮に恋をしたみたい。ああ、だからといってイリオス様を忘れたわけではないから安心して。彼女にとって、二人の絡みこそが至高……そう、彼女は夢女子から腐女子に覚醒進化したの! 江宮とイリオス様の素晴らしい魅力のおかげよ! あなた達は二人で一つ、それを彼女は感じ取ったのかもしれないわ……嗚呼、愛の力は本当に偉大ね! とても尊いわ!!」



 クラティラスらしくオホホ高笑いまで追加するとさすがに毒気を抜かれたようで、イリオス様はがっくり項垂れた。



 や……やった、難を逃れたぞ! やはり最推し美少女パワーは強い!


 すごいぞえらいぞイカすぞ、悪役令嬢クラティラス・レヴァンターー!!



 が、作戦の成功に酔い痴れたのも束の間、イリオス様はスケブを奪い、その背表紙を思いっ切り私の頭に叩き付けてきた。



「こんの……アホウルーーーー!!」


「いてえーー! おま、背表紙はねーだろ……あだあーー! せめて表紙側で……うぎゃあーー! ちょマジやめ……ごあああーーーー!!」



 怒りのイリオス様による鉄槌は一発じゃ済まず、みじん切りする包丁レベルの勢いで何度も何度もスケブを振り下ろしてきた。人の頭を千切りキャベツにする気か!



 イリオス様が仰っていた通り、この部屋の防音性は確かなようで、私がどれだけ絶叫しようと誰もやって来ることはなかった。

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