腐令嬢、伝達す
「は? 精霊に会った?」
怪訝そうに尋ね返すと、イリオスは銀の髪の隙間から覗く紅の瞳を細めた。
長い足を組んで肘掛けに頬杖をつくスタイルは、ゲームでもよく見たイリオス様定番のポーズだ。けれど本家のイリオス様は上体を仰け反らせるせいでものすごく偉そうに見えるのに対し、こちらのイリオスはやや猫背気味でものすごくかったるそうに見えるという違いがある。
ちなみに、どっちにしてもイラッとすることには変わりない。
旧音楽室にイリオスを呼び出した私は、寝不足の頭のまま、昨晩遭遇した訳のわからないモノについて手短に伝えた。
「精霊といっても自称だけどね。ウザキモいオネエだったよ」
「えぇ……ちょっとそれ、本当に精霊なんですか? 早くも期待外れなんですけど」
イリオスが盛大に表情を曇らせる。ヒロインが気に入らない選択肢を選んでも、ここまであからさまにガッカリした顔はしなかったよね。
私だってガッカリしてるよ……精霊っていったら、何かこう、キラキラしててファンタジックでビューティフルなイメージじゃん。なのにまさか、あんなだとは……ねえ?
「それでさ、今夜、何とかして王宮を抜けて出られないかな? できたら深夜、ウチの両親が眠った後で。その自称精霊さんが、イリオスにも会っていろいろとお話したいんだって」
「僕も、ですか?」
自称精霊――プルトナからの提案をそのまま告げると、イリオスは軽く目を瞠って問い返してきた。
昨夜の大絶叫の後――プルトナは早口のオネエ言葉で『自分は精霊なのよ!』と私にまくし立て、夜にまた説明するからイリオスも誘えと訴えた。
何でイリオスまで? と不思議に思ったけれど、すぐに寝室へ飛び込んできた家人達に怖い夢を見ただけだから問題ないと説得するのに忙しかったし、その間にプルトナはお母様の元へと強制的に連れて行かれたしで、問い質す暇がなかった。
ほとんど寝付けずに迎えた朝、私は恒例の如くお母様にむんぎゅりされているプルトナと再会した。あまりにもいつもと変わらない光景だったから、昨夜の出来事は本当に悪い夢だったんじゃないかと思ったよ。
けれど家を出ようとした私に、プルトナはお母様の腕の中から飛んできて抱き着き、そっと囁いたのだ――『夜に会いましょ』と、ついでにウインク付きで。
いやー、でもその後でお母様にめっちゃキレられてたよね。
『プルトナはこの頃、私に冷たい! クラティラスを贔屓してる! 熱心に愛を注いでくれる美熟女より、自分に無関心な若い娘の方がいいというのか、この薄情猫! これでも年齢の割には頑張ってる方なんだぞ! 今日から貴様も、私のアンチエイジングメニューに付き合わせてやる! 共に経験して、私がどれほど努力しているかを思い知るがいい!』
プルトナを引っ掴んで怒鳴り倒すお母様、怖かったなぁ。
確かお母様が今ハマってるアンチエイジングメニューって、軍の筋力増強トレーニングと死ぬほど痛いツボマッサージを同時にやるんだったよね……プルトナ、生きてるといいな。
てかお母様、自分で自分のこと美熟女って言うのはやめた方がいいよ。年の割に頑張ってるのはわかるけど、娘に聞かせる言葉じゃないと思うの。いたたまれないような恥ずかしいような痛々しいような、何ともいえない気持ちになったし。
「クラティラスさん、あの……」
イリオスの声で、私はプルトナへの哀悼と母への哀願のために、目を閉じ手を組んで取っていた祈りのポーズを中断した。
「あ、ごめん。やっぱり無理だよね? 王子が深夜に脱走なんてバレたら大変だし、ステファニも第三王子の側近として目を光らせてるだろうから『魔法』を使ってってのも難しそうだし」
「そうではなくて……
少しの間を置いて、イリオスは恐る恐るといった感じで形良いくちびるを開いた。
「続編のラノベでも、『精霊』は名前だけの存在で姿は現さなかったんです。僕が読んだ最新刊までの話なんで、続きで登場したのかもしれませんけど……ゲームでは、クラティラスとイリオスが『二人で同時に』精霊と接触するなんてことはなかったと思うんですよ。ラノベにはそんな記述は全くなかったし、それにあの二人が秘密を共有していたとは考えにくいというか」
確かに、と私はゲームの二人を思い返して頷いた。
ゲームはリゲル視点で進むため、ヒロインの知らない間に水面下でイリオスとクラティラスがどういった関係を築いていたかはわからない。
でもあの二人が、隠してたけど実は仲良しでしたーなんて言われても無理がある。だってイリオスは婚約者であるクラティラスを毛嫌いし、クラティラスはヒロインを蹴落とそうとしてまでイリオスに固執していた。あの二人が裏で申し合わせていたにしても、互いに向ける態度はあまりにも極端だ。それにクラティラスは『イリオスに婚約破棄されて死ぬ』ことになるんだから。
そこで、私の胸に一つ疑問が湧いた。
イリオスの中の人、
「ねえ、江宮……他はいいから、これだけは教えて。ラノベの『私達二人』は、クラティラスが『静の聖女』だと知っていたの?」
本当は、ラノベの主人公だというお兄様とリゲルについても聞きたかった。だけど今重要なのは、イリオスとクラティラスだ。この二人が事実を知る時期が異なるなら、私達とプルトナとの接触は『ゲームでは起こらなかった』ことになる。
イリオスは大きく吐息をつき、静かに言葉を発した。
「イリオスは、クラティラス嬢と出会った瞬間に彼女が聖女だ悟ったようです。恐らく、生まれ持った魔力のせいでしょう。クラティラス嬢の方は……わかりません。ラノベでは、もう亡くなっていますから」
イリオスの答えを聞き、私は決意した。
こいつがどれだけ泣いて嫌だと暴れようと、何としても今晩開催されるプルトナの説明会に同席させてやると。
ゲームと違った行動を取れば、未来を変えられるかもしれない――そう言ったのは他でもない、江宮なんだからね!
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