精霊様との秘密夜話

腐令嬢、うなされる


 ゲーム本編開始となったその夜、おかしな夢を見た。前世の世界、現代日本の夢だ。


 それだけなら別に珍しくも何ともない。過去の出来事を夢で見ることはよくあったし、何なら自分の推しの二次元キャラがお隣さんとして登場したり、現代日本でも今いるゲーム世界でもない異世界でチート無双したり、年齢や性別や果ては種族まで別物になっていたりと、辻褄も筋道もへったくれもないハチャメチャでデタラメな夢だって見たことがある。


 けれどもその夢は、これまで見たどの夢とも違っていた。


 IFイフの世界というのか、自分が迎えることのできなかった未来とでもいうのか――夢はゴールデンウィークの事故後、病院で目を覚ますところから始まった。


 夢の中の自分は事故に遭ったものの、死ななかったらしい。しかししばらく意識不明だったらしく、私の生還を両親も愛しの双子の妹達も、あまり仲が良くなかった兄貴の拓己たくみまでも泣いて喜んでいた。


 不思議なことに、皆の姿も病室の景色もよく見えるのに音声だけは水の中にいるように遠い。


 けれども、『私』はひどく困惑しているようだった。どうしていいのかわからなくて、ひたすら混乱していた。


 そりゃそうだ。本当の『私』はその世界にいないはずなんだから。


 でもさ、余計なこと考えずに楽しんじゃいなよ。だって、こうして『私』は生きている。だから『私』も、めいっぱい好きに生きていいと思うんだ。



 そう言って『私』は『私』を鼓舞する。けれど――ふと気付く。


 あれ?

 どうして『私』は『私』に話しかけているの? それじゃ、ここにいる『私』は――。



『オオカミサン』



 名前を呼ばれて、顔を上げる。他の音はこもっているように聞き取りにくいのに、何故かその声だけはやたらクリアに耳に届いた。


 病室の入口に、誰かいる。モサモサの髪を一括りにして縛り、ハーフリムの眼鏡をかけた無精髭の男――江宮えみやだ。


 彼の顔を見た途端、『私』の胸に敵意とも嫌悪感とも苛立ちともつかない感情と共に――この上ない安心感が広がった。



 やっぱり、何かおかしい。何か変だ。何か違う。


 これは、ただの夢だ。だから現実と違っても、不思議はない。都合の悪い事実を改変して、生きたかった未来を思い描いているだけ……とは、私には思えなかった。



 だって、今抱いているこの感覚は、『私』のものじゃない。そう断言できるのは、目の前にまでやってきた『江宮』に大きな違和感を覚えているからだ。



 『江宮』は『私』に歩み寄り、そして口角を柔らかく上げて告げた。



『オオカミサン、……、…………、…………』



 もう一度名前を呼んで、『江宮』は何事かを囁いた。


 聞き取れなかったけれど、その笑顔は優しくて甘やかで、生前の江宮が一度も見せたことがない表情で――――。




「うぅ……うぇぇ……うぉぉん……うげ?」



 自分の呻き声で、私は目を覚ました。


 見ると、胸の上にデカくて白い塊が乗っかっている。

 オバケかと思ってビビった――のは最初だけで、すぐに私は脱力感に任せて大きく溜息を吐いた。こいつの襲来は、この一週間で毎晩の恒例になっていたもので。



「んもー、プルやぁん……何でお前、また私の部屋に来たんだよぉぉぉ……」



 身を起こそうとしたものの、重たすぎて無理だった。なので私は少しずつ体をずらしてベッドの端に移動し、モフモフの毛玉から逃れた。


 部屋の主を差し置いて、ベッドのど真ん中を占領して寝くたれてるのは、レヴァンタ家で飼われているプルトナなる猫だ。


 このでっぷりファットでデブいボディは、甘やかされた証。特にお母様に懐いている……というよりお母様にだけは逆らえないようで、寝る時もいつも一緒だったのに、この頃は私の部屋がお気に入りらしい。


 高等部に入ってからというもの、ひどく夢見が悪くて夜中に起きることが多くなった。原因は、こいつの重みでうなされるせいだと思われる。プルトナが一緒に寝るようになったのも、入学式の晩からだったもんなぁ。



 それにしても、と私は先程見た夢を振り返った。


 が、ほとんど思い出せない。ただ現代日本の日常生活だった……ような気がする。

 というのも、今日の夢にも江宮が登場したからだ。


 入学式の日に見た夢は起きても記憶に残っていたけれど、それ以降は目覚めると同時に内容をさっぱり忘れるようになった。けれど、江宮がいたことだけはやけにしっかり覚えている。


 うーん……ずっと前世の世界の夢を見るなんて、何だかおかしいような気がしてきたぞ? しかもいちいち江宮が出てくるってどうなのよ? どうせならイケメン達がイチャイチャする夢がいいよ。オタイガーなんか出て来なくていいよ。


 というか夢って、願望を反映するとも言うよね? これじゃまるで、私が江宮とキャッキャウフフと仲良くしたかってたみたいじゃ……。


 いやいやいや、ないからないから!

 江宮と仲良くなんて絶対にありえないから!


 ああもう、何で毎晩こんな夢見ちゃうんだ!?



「はぁぁぁ……今、何時だろ? まだ暗いってことは深夜かなぁ?」


「うみゅー……三時か四時くらいじゃなぁいぃぃぃ……?」


「あー、まだそんなもんか。だったら二度寝しよ」


「そうなさいな。アタシもゆっくり静かに寝たいからさぁ……」


「はいはい、うるさくしちゃってごめんね。じゃ、おやすみなさーい」



 そんなやり取りをして気を取り直し、私は布団を被って目を閉じた。そして今度こそBでLな夢を見るんだぁ……と素敵なカプ妄想をしようとして――しかし跳ね起きた。



「えっ!? 待って、誰!?」



 慌ててサイドテーブルに置いてある灯りを点けてみたけれど、寝室には誰もいない。


 も、もしかして………オオオオオオバケ……!?


 湧き上がる恐怖に、私は叫ぼうとした。が、開く前にくちびるを塞がれた――むっちむちの肉球で。



「ちょっと、お願いだから大きな声出さないで! せっかく抜け出してきたのに、ダクティリに連れ戻されちゃうでしょ!」



 牙を剥き出し、ぴょこぴょこヒゲを動かしながらプルトナが言う。


 何が起こっているかわからず、私は瞬きも忘れてプルトナを見つめた。少し遅れて、血の繋がりは絶対にないはずなのに、私とお兄様によく似た蒼い瞳が大きく見開かれる。


 相手も、己の失態に気付いたらしい。



「うわ、やっちゃった……にゃあ〜ん、これは夢よぉ〜? 夢だから、猫が喋っても不思議じゃないのよぉ〜? にゃあんにゃあん、さぁもう一回、ゆっくりねんねしましょうね〜?」



 プルトナが二足で立ち、もっふりと毛深い腕をクネクネしつつ太ましい腰をフリフリして踊る。これで誤魔化してるつもりか!



 今度こそ耐え切れず――――私は絶叫した。

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