腐令嬢、恋を語る


「クラティラス様は、恋ってしたことありますか?」



 グレーコートの彼の待ち合わせ相手はやっぱり女性で、ひっそり落胆の溜息を落としたところにリゲルが突然尋ねてきた。



「あ、あるわよ。それはもう、たっくさん」



 嘘は言ってないもんね。二次元限定だけど。



「そっかぁ……やっぱり素敵なものなんですか? あたし、いまだに誰かに恋したことないんですよね。だから好きとか愛してるとか、そういうの全然わからなくて」



 リゲルが吐息をつく。彼女のくちびるから溢れた白い靄は、冷えた空気に溶けて消えていった。



「男の人がずっと苦手だったから、恋をするどころじゃなかったんです。だから人から聞いても、恋物語を読んでも、どこか現実感が湧かなくて。こんなだから、クラティラス様にせっかくお付き合いいただいてるのに『恋愛妄想』がうまくいかないんだと思います」



 私はすっかり冷たくなった自分の手で同じように冷え切ったリゲルの手を握り、空を見上げた。


 冬の訪れを間近に控えた、重い灰色の空。世界は違うのにこの空の様相は同じなんて、本当に不思議だ。



「私の初恋ってね、物語の登場人物だったの。つまり、現実には存在しない人を好きになったんだよね」


「え……」



 初恋の彼、アニメ『キュンプリうぉーりあ』の壇上だんじょう神之臣かむのしん様の凛々しき御姿を曇天の空に思い描きながら、私はリゲルに語った。



「寝ても覚めても、頭の中がその人のことでいっぱいだった。けど、結ばれたいなんて思わなかったの。架空の存在相手じゃ無理だよねって、諦めてたからじゃないよ? 私じゃなくて、その人には同じ物語に登場する人とくっついてほしかったんだ。それが私にとっての最高の幸せで、私の恋の形だったから」



 隣でリゲルは、ドン引いてるかしれない。でも、どうしても彼女に話したかった。



「恋って、いろんな形があるんじゃないかな? それこそ人の数だけ、ううん、好きって気持ちの数だけたっくさん。例えばリゲルがいつも使ってるペンとノートに心があったら、って想像してみてよ」



 今日もリゲルは詩広場を開催していたので、彼女の傍らには木箱がある。


 詩広場では椅子に、行き帰りでは収納ケースに変化するそれの中には、彼女の詩の対価に支払われた僅かな賃金と共に、愛用の文房具が収納されているはずだ。


 リゲルは木箱を覗き込んでから、再び私に金の瞳を向けた。



「いつも仲良しだけど、たまにペン君のインクの出が悪いのは、ノート君と喧嘩してるせいなんだ。ノート君は文字通り身を削って働いて、その内お別れの日がやって来る。でもペン君は、涙を流せないの。ノート君が最後まで頑張った証であるリゲルの詩を、滲ませて台無しにしたくないから…………なんて、そんな風に見えたことない?」


「あ……ある、かも」



 リゲルは空いた手で木箱からペンとノートを取り、自分の膝の上に置いた。



「ペンはすごく長持ちなんだけど、ノートは皆に渡すから減りが早くて。新しいノートに替えると、ちょっとペンの調子が鈍るんです。そんな時、前のノートが恋しいのかな? なんて考えたことがありました」


「そう思うのは、リゲルがこのペン君とノート君のことが好きだからだよ」



 私はそう言って、笑った。



「ほらね、リゲルにもちゃんと『好き』って気持ちがあるじゃん。それで十分だよ。恋だ愛だなんて、言葉にすりゃ同じでも皆想いは違うんだからさ、自分の『好き』を大切にしていこ!」



 リゲルは私をじっと見つめてから同じように笑顔になり、そして大きく頷いた。



「……はいっ! あたしもたくさんの『好き』を見付けていきますっ!」



 良かった良かった、やる気になってくれたぞい。もうやめるって言われたら、泣いちゃうとこだったよ。



 ホッと胸を撫で下ろしていると、リゲルが不意にぼそりと漏らした。



「それにしてもクラティラス様、たまに……というか、最近は特にすごく砕けた口調でお話してくれますよね? おかげで一爵令嬢様だってことを忘れそうになっちゃって、無礼な物言いをしてないか心配です……」



 うお、やべ。そんなに砕けてた? いやうん、砕けてたな。



「そ、それは親しみを込めて、ね! 無礼やら失礼やら気にせず本音で語り合お? だって私達、友達になるんだから!」


「実はあたし……内緒にしてたけど、砕けたクラティラス様の方が好きなんです。あ、これもあたしの『好き』ですね。エヘヘ、またとびきりの『好き』を見付けちゃった」



 リゲルが屈託なく笑う。あまりに可愛くて、お花が咲き乱れる背景の幻覚まで見えた。



 んほぉぉぉ!

 何すか、このモンスター級のプリティーキュートさは!!



 クソ……悔しいけど、やっぱり百合もいいよなぁ。こんなこと言ったら、絶対あいつにバカにされるだろうけど。


 あいつ、友情以上恋人未満のピュアッピュアな微百合推しだったもんなぁ。



 待てよ。もしかしたら、この子……本当にあいつなのかも?


 で、私が誰なのか気付いてて、己の可愛さを武器に百合沼に引きずり込もうとしてるんじゃねーだろうな?



 フン、だとしてもその手には乗らないぜ!



「さ、そろそろ再開するわよ。次はあの少し疲れた表情で飲み物を飲んでいるオジサマにしましょう」


「えー、まだやるんですかあ?」



 プリティーキュートモンスターが、不服の声を上げる。可愛い顔を武器にして、私の気概を削ごうたって無駄だ。



 だって、決めたんだもん。前世でできなかったことを叶えるって。


 友達になりたいと思った子とちゃんと友達になって、じわじわとBL沼に引きずり込むってな!

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