腐令嬢、救われる
「それに……ヴァリティタ様だって」
ここでサヴラは、またもやお兄様の名前を口にした。
「ちょっと、事あるごとにお兄様のことを言うけれど一体何なのよ? あなたは知らないだろうけれど、私とお兄様は……」
ずっと黙ってきたけれど、我々が不仲だと知れば少しは彼女の不安も解消するかもしれない。そう思い、私はお兄様との現状を打ち明けようとした――――のだが。
「ええ、知ってるわよ! ヴァリティタ様が、あなたをずっと想い続けていることくらい!」
しかし――――サヴラが放った衝撃の発言が、私から声も思考も奪い去った。
「あたくしといても、あなたの話ばかり! 一緒に花を見ればクラティラスに似合いそうだ、一緒に食事をすればクラティラスはこれが好物だ、おめかしをした姿を披露してもクラティラスも似たドレスを持っていた……何をしていても、彼が口にするのはあなたのことばかり! あたくしがどれだけ頑張っても、どれだけ側にいても、どれだけ想っても、見向きもしてくれないのよ!」
身を切る叫びを、私はただ呆然と聞いていた。
お兄様が私の話を? お兄様が私を?
サヴラは、心の底ではお兄様のことを……?
でも、お兄様は私と目も合わせてくれなくなったじゃない。サヴラだって、お兄様の存在を迷惑だと言っていたじゃない。
あまりにもいろんなことが押し寄せて、脳が追い付かない。あまりにも信じられないことだらけで、現実感が湧かない。
やっとのことで誤解だ、と告げようとしたところに、ふとデスリベがまだロイオンだった頃の言葉が蘇った。
『ボクはずっと、彼女を誤解してたみたいだね』
…………ロイオンはもしかして、あの時に察した?
サヴラがイリオスに執着したのは、愛しい人の心を奪う相手の婚約者に自分と同じ思いをさせたかったから、だと。そして、サヴラが本当は誰を想っているのかをも。
サヴラは、お兄様を愛している。だから私が目障りで仕方なかった、というの?
けれどいくら何でもお兄様が私を、なんてことはありえない。だって私達は、血の繋がった兄妹だ。私が婚約した時だって、お兄様はショックを受けつつブチブチ文句を垂れつつ、それを受け入れていた。自分の婚約も、だ。
百歩譲って、今も兄としての愛はあると仮定しても、サヴラが勘違いしているような想いを抱くなんてありえない。
サヴラに掴まれ激しく揺さぶられながら、私はお兄様か彼女に向けていた笑顔を思い浮かべた。あんなに優しく微笑んでいたんだ、お兄様だってサヴラを――。
「サ、サヴラ、落ち着いて! お兄様は、私ではなくあなたを……」
「聞きたくないわ! あんたなんか、いなくなればいいのよっ!」
けれど、私の弁明は叶わなかった。感情の昂り切ったサヴラによって、力任せに突き飛ばされたためだ。
「ごあっ!」
勢い良く吹っ飛び、テントの支柱に思い切り背中を叩きつけた私の喉から、オッサンみたいな悲鳴を放たれた。遅れてやってきた激痛に、声も出せず固まっていると、ぐらり、とテントの天井が傾いたのに気付いた。
今の衝撃で支柱が外れ、テントが倒壊した――と、この時の私には察する余裕もなかった。
「クラティラスッ!!」
誰かが、私の名を叫ぶ。
聞き慣れたような聞き慣れないような不思議な響きに耳を打たれ、我に返るより早く、その人は凄まじい勢いで飛び込んできて私の身に覆い被さった。
「
続いて、イリオスの呼び声が届く――と同時に、天幕ごと天井が落ちてきた。
「…………っ、クラティラス、大丈夫か?」
目の前には、私と揃いのアイスブルーの瞳。
久々に至近距離で見るお兄様の目は、細く歪められていた。その表情は、明らかに苦痛を訴えている。
「わ、私は大丈夫よ。お兄様こそ……」
恐る恐る答えて、私はテント内にもう一人いたことを思い出した。
「そうだ、サヴラ……サヴラは!?」
お兄様もはっとしたように体を起こす。が、すぐに眉を顰めて再び私の上に崩れ落ちた。
「お兄様!?」
「すまない……足に何かが乗っているようで、動けぬのだ」
慌ててお兄様の下から抜け出て確認してみると、お兄様の左足が倒れた梁と支柱に挟まれていた。
「クラティラスさん、お怪我は……」
天幕を荒々しく捲り上げてテントの中に入ってきたイリオスが、今ばかりは救世主に見えた。
「私は何ともないわ! それよりお兄様が!」
なので縋る思いで、焦り狂いながらも私は必死に訴えた。するとイリオスは静かに頷き、すぐにお兄様の足元を確認してくれた。
「下手に動かすのは危険ですね。皆様、どうかテントには触らないように! ヴァリティタ様が足を挟まれております! どなたか救助を手伝ってください!」
イリオスの力強い声に安心して、私の全身から力が抜けかけた。が、助けを必要としている者がもう一人いる。
私はお兄様をイリオスに任せ、慎重に天幕の間をすり抜けてサヴラを探した。
彼女は拍子抜けするほど簡単に見付かった。
考えてみればわかることだけど、元々近い位置にいたのだから当たり前だ。けれど私は素直にそれを喜び、テントと共に倒れた簡易ベッドから転がり落ちたらしい彼女に高速匍匐前進で躙り寄った。
「サヴラ! サヴラ、大丈夫!? 怪我はない!?」
運良く骨組みの隙間に放り出されたらしく、直撃は免れたようだ。だが、ベッドから落ちた時にどこかを打っていないとは限らない。
サヴラは薄っすらと目を開け、しかし私の質問には答えず、僅かに口角を上げて自嘲的に笑った。
「ほら、ね。あたくしの、言った通りでしょう……?」
それだけ告げると、彼女は瞼を閉じた。気を失ってしまったらしい。
もう何も見たくない、聞きたくない、知りたくないと意識を自ら塞ぐかのように。
駆け付けた職員やステファニを始めとする生徒達の有志によって、お兄様とサヴラは助け出された。保険医もテントの外にいたため、無事だった。
私も大事を取って医者に診てもらうことになり、このとんでもない事態に顔面蒼白しすぎて透明化しかけているネフェロと共に学校を後にした。
突然の事故に正直ショックを受けていたし、お兄様とサヴラのことも心配だったけれど――――しかし最も印象に残ったのは、テントから運び出されたお兄様と泣きながら縋り付くネフェロに向けられた、イリオスのどこまでも冷たく暗い光を湛えた紅の瞳だった。
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