腐令嬢、応じる
お兄様は左足を骨折し、暫く自宅療養となった。
私の方は幸いにも、掠り傷一つなし。けれど後で何らかの影響が出るかもしれないとのことで、今週いっぱいは学校を休んで様子を見るよう言い渡された。いくら何でもちょいとオーバーすぎやしませんかと物申すことなどできない。私は今、この国の第三王子の婚約者。細心の注意を払われねばならない身なのだ。
テントの倒壊については、うっかり足を滑らせた私が支柱にぶつかったせいだということにしておいた。サヴラに突き飛ばされたなんて事実が知れたら、ますます彼女の肩身が狭くなる。そのサヴラも、あれから高熱を出してずっと学校を休んでいると聞いた。
「来週からは出てこられるのよね? でもどうか、無理はなさらないで。本調子に戻るまで、ゆっくり休んでくださいね? 私、毎日お見舞いに来ますから!」
クッキーを食べながら、アンドリアがヌ
ネフェロが運んできたせいで勘違いしているようだが、残念ながらそれはネフェロのお手製ではない。暇を持て余した私が、キッチンメイドに教わりながら作ったものだ。
にしても、萌えの力ってすごいな……砂糖と塩を間違えたし、固すぎてアズィムの歯が欠けたくらいなんだけど、平気でバリボリ食ってやがるよ。お隣のファルセは、一口で諦めたというのにね。
ネフェロも持ってきた時に『気を遣って全部食べなくても大丈夫ですからね? 食品の形をしておりますが食品の域を逸脱しておりますので』と告げてトンカチと口直しの水まで置いていったのに、聞こえてなかったのかな?
クッキーを完食し、ネフェロ成分……のつもりでクラティラス成分を存分に補給したところで、アンドリアはファルセに引っ立てられるようにして一緒に帰っていった。これから二人でまたテニスバトルするんだって。
それがさー、聞いてよ!
アンドリアがあからさまに萌え萌えオーラ出すもんだから、ファルセってばネフェロに嫉妬したみたいでさー。自己紹介の時も、らしくもなくムスッとしてたの。超可愛くなぁい? 当のアンドリアは全然気付いてないようだったから、ちょっと可哀想だけど。
アンドリアだけでなく、ミアにドラス、デルフィンにイェラノ、リコにアエトにリフィノン、またクラスが違うデスリベまでもが私の様子を見に訪れてくれた。
ステファニも帰ったら一日の授業や部活動について詳細に語ってくれたし、『顔はヤベーからボディにします』と言って洗濯バサミを利き手とは反対の指先に取り付けての勉強会も開かれた。
これがもう、痛いの何の! ボディでも末端は勘弁だよ……爪剥がれたかと思ったし!
とまあ、様々な人物がお見舞いにやって来たのだが、一度も顔を出してない奴がいる。イリオスとリゲルだ。
何かと忙しく行動にも制限があるイリオスはともかく、親友のリゲルが顔を出さないのはおかしい。頻繁に来ることはないけれども、家には何度か訪問しているし、両親も執事のアズィムもその度に大歓迎しているのだから、今更しおらしく一爵家のお屋敷に足を踏み入れるなんて畏れ多いから……という理由で見舞いを控えたとは考えにくい。
それについて、一つだけ私には思い当たる節があった。というか、それで間違いないと思う。
ステファニ曰く、普段と様子は変わらないけれども、放課後になる度にイリオスと二人で例の音楽室に出向いているというし。
うん…………きっと、聞いちゃったんだろうね。イリオスがうっかり、私の前世の名前を呼んだのを。
リゲルにだけは、前世の話をした。だから彼女は
にもかかわらず、私はいまだにイリオスが江宮だとは打ち明けていなかった。妙な気恥ずかしさがあって、カミングアウトするタイミングをずるずると逃していたせいで。
怒ってる、よなぁ……。こんな大切なことを黙っていたんだもん。
イリオスがうまくフォローしてくれてるといいけど、あいつのことだから期待薄だ。私のいない間に、大神那央の悪口をたらふく吹き込んでる可能性の方が高い。
はぁ……来週学校に出て、リゲルが口聞いてくれなかったらどうしよう? 『クラティラスさんなんて大嫌い、二度と話しかけないで、あっち行けシッシッ』なんて言われたら私、泣きすぎて脱水死しちゃうかも。
リゲルからの友やめ宣言以外にも、私には怯えていることがあった。サヴラの件だ。
彼女は、大きな勘違いをしている。デスリベの時もそうだったが、聞く耳持たずといった感じで『あるはずのないこと』を正しいと信じている。
だって、普通にありえないよ…………お兄様が私を想っている、なんて!
けれどお兄様は、テントの事故では私を率先して助けた。サヴラはベッドに横たわっていたから姿が見えなくて、たまたま目に映った妹を救うのに必死だっただけ……だとは思う。
しかしこのことで、サヴラの誤解をさらに深めてしまったのではないか? もしかしたら、婚約を解消すると言い出すかも……?
二人が婚約を解消するであろう未来は、私も予測していた。
だって『アステリア学園物語〜
こんな理由で婚約解消を申し出られたところで、お兄様だってきっと納得しない。
お兄様も、彼女を想っているはずだもん。好きな子に理不尽な理由で振られるなんて、お兄様が可哀想すぎる。サヴラも同じくお兄様が好きなんだから、早まった行動を取られる前に何としても食い止めねばならない。
リゲルとサヴラ、二人のことを考えて悶々とするばかりの現実から逃げようと、私はBL絵に逃避した。
おかげでディアス様とクロノのカラーイラストが三枚、イリオスと江宮のドタバタコメディ短編漫画が一本、ついでに単体ネフェロが泣き笑いするパラパラ漫画まで仕上がっちゃったよ。良きかな良きかな……って全然良くねーわ。何の解決にもなっとらんやないかーい!
かといって、どうにもできないことを悩んでいても仕方ない。だったら、時間を有効活用すべきである。ということで私は開き直って、BL絵の生産に励んだ。
今描いているのは、クールなエリート紳士の攻めがバブみ溢れるマッチョ受けに翻弄され、戸惑いつつも溺愛系にシフトしていくという、リゲルが好きそうなカプの漫画。リゲル好みのキャラからストーリーまでしっかり構想を練った、渾身の一作である。こいつらが少しでもリゲルの機嫌を取ってくれれば……と願って扉絵の塗りに勤しんでいると、ドアをノックされた。
時刻は午前十時前。
学校は休んでいるけれど、ぐうたらしてはいけませんと毎朝ネフェロに叩き起こされる上、異常はないかと毎日医師がやって来てチェックする。
けれど診察は、いつも午後だ。慌ててマッチョ受け漫画を鍵付きの抽斗に仕舞い、擬態用の風景画ばかりのスケブをセットしてから、私はどうぞと声をかけた。
部屋に入ってきたのは、やはりネフェロだった。いつものように、昼寝してないか確認に来たのだろうと思っていたら。
「…………クラティラス様、ヴァリティタ様がお呼びです。二人だけで、話がしたいと」
今朝、私を起こした時に浴びせた怒声と違い、ひどく固い声音で彼はそう告げた。
ネフェロだって、口にはしないものの私とお兄様の仲についてはちゃんと知っている。けれど、お兄様が私を一方的に突き放しているせいだとまでは知らないのかもしれない。ひどく緊張した面持ちから察するに、私が嫌だと断るのを恐れているのだろう。
なので青ざめた瞼をやや伏せて立ち尽くす彼に、私はできるだけ柔らかに微笑みかけた。
「ええ、すぐに行くわ。私もお兄様の具合がずっと気になっていたの。ずっと心配していたから、お部屋に行って様子を見られれば少しは安心できるわ」
するとネフェロは安堵したように小さく吐息を零し、この部屋に来て初めての笑みを返した。
今も変わらず、彼はクラティラスよりヴァリティタ派らしい。
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