腐令嬢、尋ねる
その日、家に帰った私は、お兄様の部屋のドアをノック――しようとしたものの諦め、すごすごと退散した。
べ、別に? 怖気付いたんじゃないし? お母様やお父様、それに心優しい使用人達と同じで、聞いたところで身内贔屓の意見だと思われそうだから参考にならないと考えただけだし?
となると、残りは二人。
「あ、あの、サヴラ」
「あら、クラティラスさん。あたくしに何か用?」
翌日の休み時間、隣の六組を訪れた私は緑の髪が美しいゴブリン……否、兄の婚約者に思い切って尋ねてみることにした。
――――のだが。
「ええと、キ、キキキ…………教科書貸してくれない? 数学あるのに忘れちゃって」
「はあ? イヤよ。あなたにこないだ国語の教科書貸したら、ページにお菓子の屑がたくさん詰まってたんですもの。あれを取り除くの、大変だったんですからね! エイダさんとビーデスさんがとても苦労してましたわ」
人任せにしたくせにやたら偉そうに怒りながら、サヴラは翡翠色の瞳を私から反らした。
悪いのは、授業中にお腹空いてリゲルからもらった駄菓子をこっそり一気食いした私なので、ここは文句言えない。
「そ、そっかー、そうだよねー。あはは、じゃーいーやっ!」
適当に笑って誤魔化し、私は六組を出た。
ち、違うよ? これは怖気付いたんじゃなくて、その何だ……仮にも兄の婚約者でいらっしゃる方に、キスについての感想を聞くなんてはしたないと思っただけですから! そう、令嬢の嗜みってやつよ!
残機はラスワン。
しかし、これが一番期待できないんだよなぁ。キスしたかどうかも怪しいし、性質上やってない可能性の方が高いし。
できたら、奴にだけは聞きたくない。
率直な感想を述べてくれそうではあるけれど、経験していてほしくないんだよ……だって、想像するだけでキモすぎる!
「クラティラスさんの方から呼び出すなんて、珍しいですなー。えらく深刻な顔をしていますが……もしや、ついに好きな人ができたんですか? そう、そうですか…………いえ、落ち込んでません。大丈夫です。あ、なるほど、わかりました。恋をしているのにあまり嬉しそうじゃないのは、中の人の恋愛偏差値がマイナスに振り切っているせいで、相手の方に嫌われたからですな? お任せください、この僕が王子パワーを駆使して挽回してみせますぞ!」
テスト期間に入ったため、今週から部活はお休み。
放課後、クロノ様が迎えに来るというリゲルと教室で別れ、用があるからとステファニを先に帰した私は、イリオスを例の音楽室に呼び出した。
しかし、期待に目を輝かせたり落ち込んだり奮起したりと一人で忙しい彼を前に、早くも後悔している。
気持ち悪い、気持ち悪すぎる。
こんな男とキスしたいと思う奴なんている? でも実際、こんなのが好きだって奴がいたんだよなぁ……。
「あ、あの……好きな人ができたわけでも嫌われたわけでもないんだけど」
「違う? じゃあ、勉強のことで行き詰まってるとかですか? アステリア学園はレベルが高いですからねぇ……今日のテストも、中一ながらなかなかの難問揃いでしたなー」
テストのことを言うのはやめてほしい……。問題文すら理解不能だったから間違いなくヤベー点数になるし、となれば春休みは洗濯バサミ勉強法に費やすことになるし、そんな暗い未来を考えたくなくてBL妄想で逃避してたんだから。
イリオスが今日のテストの問題用紙をバッグから引っ張り出し、解説しようとし始めたので、私は慌ててそれを止めた。結果はわかっていても、せめて答案が返却されるまでは勘で書いたところが当たっていると信じたいの!
「やめろ、バカ! そういうのいいから! キスの味を聞こうとしただけなんだってば!」
「…………は?」
イリオスが眉を寄せて問い返す。
「だ、だって
BL小説に必要と告げたら、教えてくれないかも……と考えてぼかしたのがまずかったらしい。美しく切れ上がる紅の瞳が、『何このキモい物体』とでも言いたげに険しさを増していく。
仕方ないので、私は諦めてリゲルとのレモン味メロン味論争について打ち明けた。
「うわー……アホで幼稚で気持ち悪いって、救いようのない
ドン引きついでにさっと身も引き、イリオスは青ざめた顔ごと私から距離を取った。
「何をう!? 可愛い可愛いリゲルに、悪役令嬢みたいな意地悪なんざしたことねーわ! ケンカもするけど超仲良し
「その可愛い可愛いリゲルたんを、腐れBL道に堕としたことが一番の問題なんでしょーが! どんな悪辣な悪役令嬢だって、ヒロインの精神を汚染するなんて恐ろしい真似しませんよ!? ラ腐ラ腐するならその様子を是非とも見学させてくださいよ、クソウル
「どさくさ紛れに気持ち悪いこと抜かしてんじゃねーよ! 見学も何も、教室で私がリゲルとステファニと三人でキャッキャウ
いつものように不毛な言い争いで互いのHPをさんざん削り合い疲れ果てると、我々はやっと本題に戻った。
「…………
…………ですよねー。
イリオス、もとい江宮の言葉を聞いた私は、美鈴の身がオタイガーに汚されていなかったと安心すると同時に、キス味を知ることができなかったガックリ感が入り混じり、曖昧な笑みを漏らした。
付き合っていたといっても、本当に形だけだったようだ。
「それにしても、オタイガーなんかのどこが良かったんだろ? ねえ、美鈴は何か言ってなかった? スパダリ好きから一周回ってキモメンに目覚めたとか、汚いものを横に置いとくと世界が輝いて見えるんだとか」
もう時効だとオタイガー本人も言ってたので、私はこうなったらとことん聞いてやろうと、美鈴の元彼の生まれ変わりに詰め寄った。
イリオスは眉を寄せてあからさまに嫌そうな表情をしたけれど、暴露したのは自分ゆえに拒絶できないと思ったらしい。渋々といった感じで答えてくれた。
「ミステリアスなところに惹かれたとは言ってましたけど……普通に活動する姿を見てるだけで喜んでましたよ。それこそ一緒に食事なんてしようもんなら『ご飯食べるんだ、好き嫌いあるんだ、炭酸飲料飲むんだ』ってずっと嬉しそうに笑ってました」
「うーん、変な動物を育成する感覚だったのかなぁ? ホシバナモグラとか、ダイオウグソクムシとか、ブロブフィッシュとか」
とはいえ、やっぱり納得いかない。
美鈴の家には豆柴が三匹いて、彼女はそれを溺愛していた。あんな可愛いワンコを差し置いて、こんなキモい生き物に入れあげるなんてことある?
それに、断られても無理矢理押し切ったくらいだ。そうまでして付き合ったからには、あのオタイガーと、キス……しても良いとすら思った、ってことだよね?
何なら、その先も……?
「キ、キスしてないってことは、その……セッ……も、ない、よね……?」
恐る恐る、私は真偽を問うた。
こちらを見る紅の双眸が、歪んで顰められる。前世から現世に至るまで、散々キモいキモいと貶されてきた私だったけれど――その目はこれまで見た中で最も暗く、最も深い嫌悪感に満ち満ちていた。
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