腐令嬢、訪問を受ける


 夏休みに入ると、私はステファニ式洗濯バサミ勉強法で毎日シバかれた。


 毎度こうなるとわかってるんだから、コツコツ勉強しときゃいいのに……と思うでしょ? だが、それができないのが私なのだ!


 本日も懲りずにうっかり居眠りしてしまい、顔面に取り付けられた洗濯バサミを一気に引かれて大絶叫をかましたところで、我らの元に執事のアズィムが現れた。



「クラティラス様、お客様がいらっしゃいました」



 私への用向きで、彼が声をかけに来るのは珍しい。私とお兄様に関することは、ほとんどネフェロに任せているはずなので。



「ええと、どなたかしら?」



 まだお昼過ぎだというのに、既に五回の洗濯バサミパチーンを食らって痛む頬を撫でつつ、私は涙目で尋ねた。

 アズィムがわざわざ呼びに来るのだから、イリオスかクロノか、はたまたお父様が不在なのを見計らって貴族のおっさんが『第三王子殿下の婚約者』に媚びを売りに訪れたのか――とにかくクソ面倒な相手だろうと思ったのだけれども。



「そ、それが……」



 片眼鏡ごと両手で顔を覆うと、アズィムはフリフリと体をくねらせるという齢六十とは思えぬほど乙女な仕草を見せながら小さく漏らした。



「か、神が……御降臨なされたのです……!」



 その言葉で来客が誰なのか察した私は、慌てて勉強していたテラスから玄関へと走った。



「あ、クラティラスさん、こんにちは。突然お邪魔してすみません」



 麦わら帽子に白いワンピースという、可愛いにプラスして清楚さと純粋さのパラが高くなくては許されない服装をさらりと軽くキメた美少女――リゲルは、ヒマワリのように眩しい笑顔で私を迎えた。


 しかし、思わぬサプライズに喜びのあまりニヤァと上がりかけた私の口角は、即座に急停止した。



「あ、あの……お忙しいところに押しかけてしまって、本当にごめんなさい。ええと、あのボク……」



 リゲルの背後からそっと顔を出したのは、何とロイオン。恥ずかしくなったのか、一爵家のお宅訪問に今更怖気づいたのか、また首を引っ込めて隠れようとした彼をリゲルが引っ張り出して隣に並ばせた。


 ちょっとちょっと、何でロイオンがリゲルと一緒に私の家に来たの?


 こ、これはもしかして……。



「クラティラスさんに、お話ししたいことがあるんです。少しだけお時間いただけませんか?」



 俯いて何も言えなくなったロイオンに代わり、脱いだ麦わら帽子を胸元で握り締めながらリゲルが言う。その表情は、とても真剣だった。


 お話って、まさかまさかまさか!?



「わ、わかったわ。それじゃ、テラスにお茶をお願い」



 なるべく平静を装って答え、私はステファニと勉強していたテラスに二人を連れて行こうとした――――のだが。



「あ、待ってください。その前に」



 そう言ってリゲルは、斜め掛けしていた籐製のショルダーバッグから小型のノートを取り出した。



「アズィムさん」


「はっ、はひっ!?」



 神と崇めるリゲルに名を呼ばれ、私の背後に佇んでいたアズィムが裏返った声を上げる。そんな彼に駆け寄ると、リゲルはノートを差し出した。



「いつもお手紙をありがとうごさいます。アズィムさんの一言一言が嬉しくて、とても励みになっているんです。よろしかったら、これを受け取ってくださいませんか? アズィムさんの推しのお二人をメインに、いろんなシチュで書き下ろした短編集なんです。ほとんどパロ物なので、地雷もあるかもしれませんが……」


「ひぇっ……な、何と、私のために!? あああ、ありがとうございますーー! 一生の宝にします!!」



 鬼の執事と名高いアズィムが涙の洪水で片眼鏡を吹っ飛ばし、床にひれ伏して感謝の意を示す姿を見て、ネフェロはもちろん、他の使用人達も蒼白して凍りついていた。


 皆には後で、リゲルの詩に惚れ込んで大ファンになったのだと誤魔化しておいたよ。


 おかげで『普段は人間らしい感情を見せないアズィム様にも、詩に感激なさるような優しいお心があるのですね』なんてネフェロはほっこりしていたけれど、中身がこの国の第一王子と第二王子による禁断の兄弟BLだと知ったらショック死しかねねーな。人間らしいも何も、こっそり私の部屋に来て腐萌えトークに花咲かせる腐男子だし。ついでに愛妻家が行き過ぎるあまり、仕事で家に帰れない時は奥様に見立てたウサギのぬいぐるみ相手に延々と愛を語り続けるっていうキモ……いや、微笑ましい一面もあるんだけどね。


 アズィムのことはさておき、だ。


 二人を連れてテラスに戻ると、ステファニは洗濯バサミのバネを調整して、より挟む力を強固にするという鬼畜な作業に勤しんでいた。なるほど、初期に比べて痛みの破壊力が段違いに高くなったのが不思議だったけど、こいつってば私に隠れてこんなふうにこっそりと努力をしてたのか。いらんことしよって、こんちくしょうめ!


 すぐにアズィムがご機嫌な顔でお茶を運んでくる。今にもスキップしそうなほど浮かれた彼の背中を見送ってから、リゲルは隣に座ったロイオンを肘でつついて促した。


 もうね、早くもまるで親に結婚の挨拶に来た二人って感じなんですけど!



「じ、実は……ですね。その、ボク」



 汗でずり落ちる眼鏡を指先で何度も直しながら、ロイオンはやっとのことで声を発した。




「あの、ボク…………っ、す、好きなんです!」




 どストレートにきよったーー!!



 予想していたとはいえ、言葉を失って固まった私は、バンという大きな音に驚いて椅子から飛び上がった。ステファニが、両手でテーブルを叩いたのだ。



「そんなこと、この私が許しません。ロイオンさん、あなたにはルタンシア五爵家の子息としての自覚がないのですか? 身の程を弁えなさい」


「で、でも……ボク……」



 夏の暑さも吹き飛ばすほど冷ややかな声を受け、ロイオンがまた俯く。しかしそんな彼を守るように、リゲルが椅子から立ち上がった。



「恋をするのに、身分など関係ありません! ステファニさん、あなたは推しの二人が住む世界の違いに苦しんでいても同じ台詞が言えますか? 身分以上に生死という大きな隔たりのあるセメオス✕ウケミヤ、セメミヤ✕ウケオスについて情熱的に語っていたステファニさんは、偽りだったんですか?」


「そ、それは……」



 ステファニの表情が、仄かに揺れる。


 ベースは無表情だけれど、BLを知ってから彼女はゆっくりと、微細ではあるものの確実に感情を表に見せられるようになった。素晴らしい成長である……って、今はステファニの進化に喜んでるどころじゃないんだったわ。



「くっ……わかりました。ロイオンさん、それではお気持ちだけ聞かせていただきます」



 ステファニは諦めたように溜息と共に言葉を吐き、それからもう一度、琥珀の瞳でロイオンを睨めた。



「しかし、クラティラス様はイリオス殿下のご婚約者であることはお忘れなく。ですから、あなたの気持ちには応えることはできません。あなたがクラティラス様を想っていることが殿下に知られると大変でしょうから、私も秘密にしておきます」



 ステファニってば娘はやらんと男を突っ撥ねる父親みたいだなぁ、と蚊帳の外で見守っていた私は、そこで彼女が盛大な勘違いをしていることに気付いた。

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