腐令嬢、胸痛む
「きっと一生懸命作ったのよ。ああ、でも毒見はきちんとさせた方がいいわね。クラティラス様、悪く思わないでちょうだい。あなたを疑っているわけではないけれど、食材を確認した者が信頼できる人物かはわからないでしょう? それに、学校側で用意された調味料の類にも不安がありますから」
「いいえ、悪く思うなんてとんでもない。カミノス様の仰る通りだと思いますわ」
カミノス様の提案に快諾しながら、私の胸は小さく痛んだ。私の初手料理一番乗りが毒見係になるなんて、とガッカリしたからじゃない。
アステリア王国は、控えめに言って国風がゆるい。ここ数十年は王族同士の争いもなく、貴族達が小競り合いすることは多少あっても殺傷沙汰になるほどの事件など滅多に起こらない。だからこの国での毒見役の存在は、ほぼ飾りのようなものだ。
けれど、カミノス様が生まれ育ったヴォリダ帝国は違う。王族貴族を問わず、権謀術数が横行して暗殺すらも日常茶飯事だと聞く。特にカミノス様は皇帝陛下のお気に入りだ。恐らく慎重に慎重を重ね、常に周囲を警戒せねばならない世界にずっといたんだろう。先の彼女の発言から、そんな背景を今更ながらに感じ取ってしまった。
私と同じ年なのに、これまでカミノス様は一体どれほど過酷な環境で過ごしてきたのか。
常に強気で我を通して周囲を牽制するのは、そうあらねば生き残れなかったから――なのかもしれない。そんな彼女にとって、イリオスが唯一の拠り所だった――のかもしれない。その恋を打ち破ったことが、急に申し訳なくなった。
なのに、この男ときたら。
「クラティラスさんクラティラスさん? 毒見させて良いですかな良いですかな? もう待ちきれませんぞ、早く開けてくだされ開けてくだされ?」
高速で私の周りを回転しながら、イリオスが急かす。嫌々目で追えば、奴の笑顔の残影が分身の術よろしく視界に満ち満ちる。これはとても気持ち悪い。
ねえカミノス様、こんな奴のどこが良かったの? 本性はこんなにキモいんだよ? とっとと見限っちゃいなよ……。
「わ、わかったわ。はい、どうぞ!」
クローシュを取り払い、私は料理を披露した。
パラソルに取り付けられた照明がとても明るいおかげで、黒をベースに青緑、紫に橙に黄色と華やかな色彩が鮮やかに目を射る。続いて、磯らしい芳醇な生臭さとオリジナルでブレンドしたビネガーとフルーツによる刺激的で爽やかな香りが鼻孔を突き抜けた。
「で、殿下、どうか無理なさらないでください……! お体とお命を優先してください……!」
「イリオス殿下。ハンマーは要りますか? ハンマーがあれば、大抵のものは砕けます。ですからきっと、もし絶望を抱くことがあっても、ハンマーが道を切り拓いてくれるはずです。よろしければ、お使いください」
イシメリアは砂浜に膝を付いて泣きながら乞い、ステファニは二つのハンマーをイリオスに差し出す。カミノス様はハンカチで口を押さえて、青褪めた顔で後退った。
何よ、そこまでひどい? 私は食べたくないけど、そんなに引くほど悪くないじゃないの。どれだけ頼まれても、私は絶対に食べたくないけど。
で、肝心の本人はというと。
「こ、これは期待できそうですね……! お菓子も破壊力が高かったですが、料理となるとさらに限界を超えてきた感がありますな。オーカ……いえ、クラティラスさんは、本当にいつもこちらの予測を斜め下に突き抜けて、地面を掘ってまた宇宙から戻ってくるような最高のエンターテイナーです!」
イリオスは身を震わせ、笑顔すぎるほどの笑顔で私を褒め称えてくれた。
うっかり人前で前世の名前を呼びかけるなんて、嬉しくて嬉しくて本当に舞い上がっちゃってるみたいだ。やれやれ、こんなに喜んでもらえたなら頑張った甲斐があったよ。
「そうだ、せっかくですからクラティラスさんにも紹介しますね。オリオ、こちらへ」
イリオスマイルのイリオスに声をかけられて護衛達の中から進み出てきたのは、王国軍の制服に身を包んだゴリラみたいな男だった。
「王国軍アステリア第一騎士団元団長のオリオ・アカンソ、僕の護衛隊隊長と毒見係を兼任してくれてます。いやー、彼とは味覚が合ってねー、オリオもクラティラスさんのお菓子を絶賛しているんですよ!」
「オリオと申します。以後お見知りおきを」
ゴリオ……ではなくオリオという名のオスゴリラ……ではなく人物は、私に敬礼してから地を這うような低い声で言葉少なに挨拶した。このように寡黙なところもイリオスのお気に入りポインツなんだろう。
「オリオ、すごくないですか? クラティラスさん初の手料理ですよ、初でファーストな手料理! 早く毒見してください、早く早く早く!」
イリオスに急き立てられ、オリオは懐から銀のスプーンを取り出した。彼のマイスプーンはカレースプーンと同じくらいのサイズのようだけれど、腕から手までごっついせいでティースプーンみたいに見える。
そのスプーンが、私の持つ皿に伸びてきた。暗黒のイシダイと暗緑色のソースを絡め、ついでに全イソギンチャクをちょこっとずつ削り、スプーンの中にうまく料理を一つにまとめたものが、大きな口へと運ばれていく。
ドキドキしながら、私はオリオの言葉を待った。
「ぐぎぇっ!」
飛び出てきたのは、鋭い悲鳴。そして巨躯が揺れ、砂浜へと倒れていく。
「毒よ! 毒だわ! クラティラス様のお料理に毒が入っていたのよ!」
高らかな叫びに、私は思わず振り向いた。すると、声の主であるカミノス様と目が合う。
彼女は口元を押さえていたハンカチを少しずらし、弓形に上がった艶やかなくちびるを見せつけた。笑ったのだ。
まさかこの人、私を陥れようと……!
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