腐令嬢、チュッとする


 イシメリアが目で関わるなと物申してくる。けれど私はそれをスルーして、ロビーで侍女と護衛達に当たり散らしているカミノス様に近付いた。



「ごきげんよう、カミノス様。朝からお元気ですわね。既に強い陽射しにやられて、午前の遠泳授業はお休みさせていただこうと考えているか弱い私とは大違い。羨ましい限りですわ」



 嫌味ついでに、よよよ、と軽くよろめいてみせる。ちとオーバーだったかもしれないが、このくらいやった方が伝わりやすい。



「あら、クラティラス様。ごきげんよう……どころではないみたいですわね! まあ、顔だけでなく顔色もとてもお悪いわ。早くお家へお帰りになってはいかが? あなたみたいにふしだらな女と同じ建物にいたら、わたくしにまで淫乱の気質が伝染ってしまうかもしれませんもの。あなたときたら、誰彼構わずベッドに誘うような淑女の風上にも置けない淫らな女てすものね。ああ、怖い怖い」



 カミノス様も私に合わせ、大袈裟に身をフリフリ震わせて嫌味返しをしてきた。


 ふーん、思ったより空気読める子じゃん。血の気が多いタイプみたいし、いきなりグーパンでくるんじゃないかと身構えてたけど、ライムとフローとリリックを駆使したアンサー嫌味もそこそこできるらしいわね。



「まあ、カミノス様こそここに寝泊まりするのが嫌だと先程大きな声で仰っていたではありませんか。でしたら私を理由に、そちらがお帰りになればよろしいのでは? それに私と同じ建物にいると淫乱が伝染るというのなら、もう学校にも来られませんわよね?」


「あなた、わたくしをここから追い出すばかりでなく、学校にも来るなというの!? 誰に向かって口を利いているのよ!?」



 こちらもアンサー嫌味を返すや、カミノス様はあっさりとおブチ切れなさった。おーおー、煽り耐性低いなー。



「何を怒っていらっしゃるのか、私には理解しかねますわ。カミノス様がご自分で仰ったんじゃないですか。私と同じ建物にいると、淫乱が伝染ってしまうから嫌だって。その理論だと、イリオスは私の淫乱にとっくに感染していることになりますわね。彼とは仲良くなさっていたようですが、イリオスにももう近付かない方がよろしいかと」


「あなたに指図されるいわれはないわ! よくもわたくしのイリオスを汚してくれたわね……イリオスがあなたのような女と結婚するなんて、絶対に認めないから!!」



 ついにカミノス様は、私の制服の胸元を引っ掴んできた。

 背後から、イシメリアが息を飲む気配がする。しかしカミノス様の側にいた侍女は、蒼白した面持ちではあったけれど静かに事の次第を見守っていた。きっとカミノス様のこういった暴動には慣れているんだろう。


 が、その冷静そうな侍女さんが大きく目を見開いた。私の至近距離にいたカミノス様も同じくだ。



「なっ……ななな、何、な、あなたっ、何して……!」



 大きく飛び退いたカミノス様が、紅の瞳を瞠ったまま言葉にならない声を漏らす。



「顔を近付けてきたから、キスのおねだりかな〜と思って? ほら私、淫乱らしいから?」



 頬を押さえて褐色の肌でもわかるくらい顔面を赤くしているカミノス様に、私はからから笑いながら答えた。


 ほっぺにチュッと一発くれてやっただけで、この反応……あらまあ、可愛いところもあるじゃないの。



「淫乱どころか変態よ! こんな変態と同じ建物で寝るなんて、とんでもないわ! やはり宿舎を変えてもらわなくては!」


「ふーん、こんな変態を一人で放置しておいてよろしいのかしら? カミノス様がいらっしゃらないなら、イリオスを部屋に連れ込み放題ね。夜空を眺めながら、星の数だけチュッチュしよ〜っと!」


「そんなこと、わたくしが許さないわ! いいわ……ここに留まって、あなたがおかしな真似をしないか一晩監視してやる!!」



 ……てなわけでカミノス様は掌大回転よろしく前言を撤回し、私を見張るという名目で同じ宿に泊まることを了承してくださった。


 プンスコしながら部屋へと向かう彼女の背後でこっそりと、侍女さんと護衛さん達に小さな声でお礼を言われたよ。皆様、ごね倒してロビーから動かないカミノス様に、大層手を焼いてたんでしょうね……お疲れ様です。


 でもカミノス様って意外と単純だと思うんだよね。コツさえ掴めば、案外扱いやすい子なんじゃないかな?


 カミノス様をお見送りしてから、私もイシメリアを伴い、今晩宿泊する部屋に入った。

 荷物を置いたら、水着に着替えて砂浜に集合せねばならない――――んだけれども。



「ねえ……イシメリアの目から見て、この水着はどうなの? 正直に答えてくれる?」


「えっ? ええっと、さすがはダクティリ様の審美眼、と言いますか……他の誰とも被らないでしょうし、目立つことが目的なのであれば十二分に威力は発揮できるかと」



 差し障りのないように苦し紛れな返答をして、イシメリアが目を逸らす。


 私がイシメリアに披露しているのは、お母様セレクトの水着だ。


 お母様が買ってきた水着は、例のミス着じゃなかった。五分袖のミニワンピースのような形で、肌を覆う面積は普通の水着よりも広い。しかし別の意味で紐々しさはある。肩から腰からスカート部分に至るまで、アホほどフリンジが付いているせいだ。

 しかも生地にはぎっしりとカラフルなスパンコールがあしらわれて、ギラギラのテカテカ。室内でもこれだけ眩しいんだから、初夏の陽射しに満ちた砂浜では目がやられる犠牲者も現れるかもしれない。


 お母様曰く『砂浜に降り立った海のお姫様をイメージして選んだ』そうだけど、確かにスパンコールにウロコみがある。ビラビラのフリンジは、ヒレってとこかな。



「そ、そうですわ! クラティラス様は、ご気分が悪いのでしたわね? 先程カミノス様にも仰っておりましたものね? 無理なさらず、午前の遠泳はお休みしましょう。はい、決定!」



 言葉にするよりわかりやすく『その格好で人前に出るのはやめてくれ』と書いてある顔でそう言うと、イシメリアは素早く私に長袖のサマードレスを着せて、水着を覆い隠してしまった。


 ええ……この水着、そんなにヤバい?


 実は昨日、こっそり一人で試着してみたんだ。その時は、これはこれで悪くないんじゃないかと思ったんだよね……お母様に付いていったイシメリアも、これを購入するのを止めなかったようだし、大絶賛してくれるものだと思っていたのに。止めなかったんじゃなくて、止められなかったか、それともお母様が選んだ他の水着がもっとヤバかっただけだったのなぁ?


 私、ミス着を回避できた喜びで判断力が鈍ってたの? それともお母様のオショレセンスに毒されてきているの? ……どうか前者であってもらいたい。

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