腐令嬢、熱引く


 そういえばアンドリアはどうしたんだろうと思って辺りを確認すると、近くのソファーにぐったり身を横たえていた。私がうまいところで止める前に手を離したせいで、お兄様が面白楽しく回しすぎてしまったらしい。



「あ、あの、クラティラスさん……今夜はその、お美しいですな。いえ、いつも可愛らしいんですよ? しかし何というのか、ええと……普段に増して、一段と美し」

「イリオス殿下」



 デビュタント仕様のクラティラスにハゲ萌えたのであろう、高速で地団駄を踏みながらたどたどしく褒め言葉を口にしようとしたイリオスだったが、お兄様が進み出てそれを遮った。



「……ヴァリティタ様」



 二人が対面するのは一年ぶり――お兄様による私への暴言及びイリオスによるお兄様への暴行事件以来である。


 当然、イリオスはたちまち表情を固くし、警戒心を剥き出しにした。



「イリオス殿下、その節は大変失礼いたしました。心よりお詫びを申し上げます」



 しかしお兄様は誠意を込めて謝り、頭を下げた。そして顔を上げるや、私と揃いのアイスブルーの瞳を輝かせてイリオスに詰め寄った。



「私は心を入れ替えました。独占欲で視界が塞がれていたあの頃の私はもうおりません。ここにいるのは、新しく生まれ変わった私――我が妹を愛する者を受け入れ、また我が妹の愛する者を共に愛そうと誓った、新たなヴァリティタ・レヴァンタでございます。イリオス殿下は我が妹、クラティラスのことを心から愛しているのですよね? ああ、それは奇遇だ。私もクラティラスを心から愛しているのです。ところでイリオス殿下、私とクラティラス、とても顔がよく似ていると思いませんか? 思われますよね? でしたら私も」


「おおっとー、クラティラスさん! そろそろ扉前に移動しましょうかー! 我々は先頭の入場ですからねー、早く準備しておくに越したことはありませんよねー!」


「あっらー、そうよね、イリオス! 私達が遅れてしまっては、皆様にご迷惑をおかけしてしまいますものねー! ではお兄様、アンドリアのことお願いしまーす!」



 この上なく適当に誤魔化し、この上なく乱雑に腕を組むと、私とイリオスは脱兎の如き勢いでお兄様から逃亡した。




「あ、焦りましたぞ……ヴァリティタ様が、あんなに積極的にグイグイ来るとは」


「私だって、まさかこんなところでお兄様が逆プロポーズかまそうとするなんて思わなかったよ……」



 こそこそ声で言い合い、私達は互いに胸を撫で下ろした。こういう場では、私的なことはあまり大きな声では話せない。第三王子であるイリオスに、どうしても注目が集まってしまうからだ。おかげでまだ時間が早いにも関わらず、イリオスが扉の前に移動すると、皆もわらわらと整列し始めた。



「あの……さっき、うまく言えなかったんですけど」



 真っ直ぐに前を見たまま、イリオスはぼそぼそと口籠りながらそっと囁いた。



「今日のクラティラスさん、過去最高に美しいです、ね。美しすぎて、まともに顔を見て踊れないかも、です。なので、ファーストダンスを失敗してしまったら、すみません……」



 美麗という単語だけで表現するには及ばぬほど整った横顔は、言葉通り緊張で強張り、おまけにほんのり赤みを帯びていた。


 私はそれを呆けたように眺めていたけれど、思い出したように顔面に熱が集中して慌てて俯いた。


 いやいやいや、落ち着こうか、私。こ、これは江宮えみやにとって最推しのクラティラス嬢に向けられた言葉だからね? 外見だけ褒められて萌え散らかされるなんて、過去に何回もあったじゃん? 江宮だって限定スチルにもなかった推しの艶姿を見られたから、戸惑ってるだけよ?


 そんなことわかってるのに、でも……こんなに素直に照れられたら、私まで恥ずかしくなっちゃうじゃないかーー!



「だ、大丈夫……私もうまく、踊れる自信ないから」



 何とか無難な返事をすると、顔を見られないよう下を向いた私と入れ替わりにイリオスがこちらを向く気配がした。


 視線を感じると、さらに顔が熱くなる。イリオスの腕に回した手まで、燃えるように熱い。


 いつのまにか、自分を追い抜いた身長。体を預けても安心感のある、大きな身体。滅多に触れることがなかったせいで、実感できなかったイリオスの成長を今更ながらにこの身で味わうと、ますます全身が熱くなって止まらなくなった。


 ちょっと待って、これどうすればいいの? この状態で踊るとか無理だって!


 こ、こんな時は……そ、そうだ! BL妄想だ!!



『クラティオスさん、今日の君は過去最高に美しいですなー。見惚れるでありますぞー!』


『フン、当然だ。イリオスは……まあ普段より多少見栄えは良くなっているな。精々私の引き立て役となるがいい』



 自分の男体化クラティオス✕イリオスは地雷カプだが、この際仕方ない。


 脳天気おバカ受けのイリオスが超絶俺様攻めクラティオスに一方的に言い寄るだけで、友達関係から全く進展しないギャグBLってことにすれば何とかいけなくもないだろう。



『御意ー! このイリオスめ、最推しのクラティオスさんに選んでいただいたからには精一杯お役目を果たしますですぞー!』



 うんうん、地位はイリオスの方が上なのに立場は逆っておいしいよね。


 しかしここへ、二人の前に立ち塞がる影が!



『お待ちなさい! あなた方、この私の存在をお忘れ?』

『な……貴様は!』



 イリオスとクラティラスが驚き、目を瞠った相手は――。



『このヴァリティコ・レヴァンタを差し置いて、二人でダンスしようなんて許さないわ! イリオス様と婚約しているのは私なのよ! 弟の分際で姉の婚約者を寝取ろうなんて百年早いわ、おとなしく引っ込んでなさい!』



 二人を邪魔するべく、お兄様の女体化、ヴァリティコ・レヴァンタなる当て馬女がオホホ笑いで登場したところで、私の妄想はしおしおと萎えた。


 何だよ、ヴァリティコって。外見も境遇もモロ私じゃん……。BL界の当て馬女は大体が断罪されるか、腐女子落ちして二人を応援するかの二択だし、どっちに転んでもやっぱりただの私じゃん……。くっそしょーもな……。



「クラティラスさん、どうしました? 何やらズドンと落ち込んでいるようですけど、緊張のしすぎで具合でも悪くなりました? それともトイレですか? でもクラティラスさんは排泄なんてしないですよね? だってクラティラス嬢はエンジェルですし」



 イリオスが耳元に問いかける。もうおかしな熱はすっかり引いていたけれど、さらに奴のアホさでドン引きした。いっそ寒いくらいだ。


 こいつ、アイドルはウン○コしないと信じてる系のトンデモバカを拗らせてるの? 学校でも普通にトイレ行ってただろーが、ボケ!



「うるせーな、何でもねーよ。ステップ失敗したらしばくからな」



 舌打ちと共に、私は吐き捨てるように答えた。



「ええ!? さっきは自分も自信がないと……」


「お前が失敗したら罰としてしばく。私が失敗したらお詫びにしばく。以上だ」



 ご無体なーご無体なーと愚痴るイリオスの声に、大広間から流れる優雅な音楽が重なる


 いよいよ、デビュタント・ボールの開幕だ。

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