腐令嬢、褒める
イリオスの誕生パーティーやら婚約披露パーティーやらで、この大広間には何度か足を踏み入れたことはある。けれど今回は、そのどちらとも違った空気に会場全体は包まれていた。
絢爛でありながら荘厳で、なのに重苦しさや堅苦しさのない明るい華やかさ。これはきっと、入場するデビュタント達を心から祝う親達の想いが反映されているからなのだろう。
全員が会場に入ったところで、弦楽器の音が止む。続いて奏でられたのは、アステリア王国伝統のファーストダンスの曲目であるワルツの調べ。
そこで私はやっとイリオスと向かい合い、手を取り合ってダンスを始めた。
練習に練習を重ねた振り付けは体に染み込んでいる。全く緊張しなかったのもあって、苦しいばかりだったレッスンと違い、心から楽しんで踊ることができた。
他の令嬢達も、私と同じ気持ちだったんじゃないかな。直前までグロッキーだったアンドリアも、機械のように規則的にステップを踏んでいるだけだと揶揄されることが多いドラスも、情感を大切にするあまり音楽から遅れがちなミアも、運動全般が不得意なせいでダンスも苦手だというデルフィンも、とんでもない上がり症のイェラノも、皆揃って笑顔で舞っていたから。
イリオスとのダンスは、いつもとても心地良い。前世からずっと気は合わないのに、ダンスだけはいつも何故か二人で一個になったように息が合った。でも今回、やっと周囲を見るだけの余裕ができたせいで、その理由がわかった。イリオスは私の動きを先読みして、合わせてくれているんだ。
「ねえ、イリオス」
踊りながら、私はそっとイリオスに呼びかけた。
「何ですか?」
イリオスが不思議そうに私を見る。
「燕尾服、かっこいいね。見違えた。私も実はちょっとドキドキしてたんだ」
笑顔で私は彼に告げた。こんなふうに素直に気持ちを伝えられたのも、温かな愛に満ちた会場の雰囲気のおかげだろう。
「そ、そういうことはダンスが終わってから言ってくれます? は、恥ずかしくなって、また顔を見られなくなるじゃないですか」
慌ててイリオスが目を逸らす。それがおかしくて、私はますますからかいたくなった。
「何だよぅ、照れてんのー? 別にいいけど、足は踏まないでよ? 失敗したらしばくって、約束してるもんね?」
「そっちこそ無駄口なんか叩いてて大丈夫ですかぁ? しばく云々はさておき、デビュタント・ボールで王子の足を踏むなんて実態を犯したら、いつまでも語り継がれますぞー?」
照れタイムはほんの僅かで、イリオスは不遜な笑みを浮かべて言い返してきた。
うわ、それは確かに怖い。足踏みレディなんてあだ名を付けられて、どこに行っても何なら死んだ後も、貴族の間で鉄板の笑い話にされそうだ。
そこからは口を噤み、私はイリオスと共にダンスに集中した。
長いようで短いようで、短いようで長いように感じられた記念すべきファーストダンスは、想像していた以上に楽しく満ち足りた時間となった。永遠に続けばいいと思うくらいに。
ファーストダンスが終わると、最上階の貴賓席から我々を眺めていたスタフィス王妃陛下が宣言を下し、その瞬間私達デビュタントは正式にレディと認められた。
それから後は誰かと踊るも良し、お喋りするも良しのフリータイムとなる。
私は約束通り、セカンドダンスをお兄様と踊った。こちらの呼吸に合わせてくれるイリオスと違い、お兄様のダンスは優しく導いてくれるという感じで安心して任せられる。
三番目に踊ったお父様はお兄様以上に力強くリードしてくれるので、思いもよらない動きに翻弄されたり、いつの間にか全く知らないステップを踏まされていたりと新しい世界を見せてくれた。ダンスにもそれぞれ性格が反映されるようだ。
その後は以前から予約依頼されていた貴族のオッサンやらお兄様のお友達の令息やら様々な人達と踊った。けれども、いくらお相手しても我も我もと申し込みが殺到してキリがない。仕方なく私は十人を数えたところでレディらしくよよよと蹌踉めいてみせて、一旦休憩させていただくことにした。
体力はまだまだ有り余ってるけど、これ以上ダンスのお相手が増えると、誰が誰だかわからなくなりそうだったからさ……。次回の機会に備えて出会った人々の名前をしっかり覚えておくのも、一人前のレディとしてのマナー。しかし己の限界を知り、キャパオーバーする前に休むのは、マナーより大切なことなんだとお父様に教わったのである!
皆様に丁寧にお詫びを伝え、通りすがりにテーブルに置かれていた美味しそうなパンを素早く取って大広間を抜け出すと、私はラウンジに向かった。
イベント開始前と違い、人はほとんどいない。それをいいことに、私は隅の方のソファーに座り、パンをくわえてこっそりドレスの内側に仕込んでおいたメモ帳を取り出した。そしてメモ帳に引っ掛けておいたペンを走らせ、ダンスをした相手や挨拶した人の名前と特徴を書き込んでいく。簡単にイラストも添えておけば、間違いなく忘れないだろう。
それにしても、小さい頃にカブトムシけしかけて泣かせたお兄様の友達、全然変わってなかったなぁ。しかも一応は一爵家令息なのに、ものすごくダンス下手だったし。あれじゃ嫁なんて来なさそー……およ、名前何だっけ? ま、いいや。後でお兄様に聞こう。
「お待ちなさい、逃げるのですか?」
「先程の発言を撤回してください!」
「あなた達もしつこいわね、本当のことを言っただけじゃない!」
カブトム
メモ帳を閉じてパンをムシャりながら、ソファーの影からそっと様子を窺ってみると、本日レディ認定された者の証である白いドレスが五つ、何やら揉めている。
その中に、見覚えのある顔が二つあった。
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