腐令嬢、なりきる


 一爵令嬢様達は優雅な足取りで歩み寄ると、怯えて竦むリゲルを眺め回してから溜息をつき合った。



「あらあら、庶民だけあって貧相な体をしているわね」


「いやぁね、それじゃあこの方法はあまり効果がないかしら?」



 そんなやり取りをして二人が胸元から取り出したのは、小型のカメラ。しかし、それが何なのかわからなかった者も多かったに違いない。何たって二人が手にしているカメラは、まだ発売されて間もない超最新モデルだもん。それでなくとも、この世界ではカメラは希少品なのだ。


 私だって、一週間ほど前にお父様が『こんなちっこいので写真が撮れるんだぞぉぉん! すんごいだろぉぉん!?』と自慢気に披露してくれなかったら、気付くことができなかった。


 リゲルも、二人が何を見せびらかしているのか理解できないようでぽかんとしている。しかし、私と二人でポージングまでうるさく要求するお父様の撮影会に付き合わされたステファニには、やはりすぐにわかったみたいだ。



「わざわざカメラまでご用意なさっていたのですか。それで、何を撮影なさるおつもりです?」



 えーそれ何ー? エヘヘー実はねー? ウッソー、カメラなのー! すっごーい! 的なアゲアゲの流れに持って行きたかったようだが、それをあっさりと断たれ、二人はやや憮然とした表情になった。が、すぐに口角を嫌らしく釣り上げる。



「ふふ、酔狂だと笑われそうですけれど、そこの小汚い雌犬を撮ってあげようかと思いまして」


「ええ。野良の雌犬らしく、裸に剝いてね。だって、わたくし達のような貴族のお家で飼われているわけでもないのに服を着ているなんて、おかしいでしょう?」



 ゾッとした。



 あいつら、何の罪もない女の子にとんでもないことをしようとしている。それが彼女に、どれだけ大きな心の傷を与えるのかも考えずに。そして何より、それがどれほど悪いことなのか、わかってすらいない。


 けれど私の背筋を粟立てるのは、恐怖ではなかった。これまで感じたこともないほどの怒りだ。



 許せない、許せない許せない許せない許せない!!



「さあ、ステファニさん。その鋏で邪魔な服を切っておあげなさい」


「リゲルさん、でしたかしら? これで帰りは犬らしく裸で犬小屋に戻れるわね!」



 一番槍を任されていたステファニだったが、これにはさすがに演技も忘れて絶句してしまったようだ。その隙に、リゲルはさっといじめっ子達の輪から抜け出た。



「来ないで」



 彼女が向かったのは、打ち合わせ通り、私のいる扉の方――ではなかった。


 あろうことか落下防止の鉄柵を飛び越えたリゲルは、その僅かなスペースからキッと他の者共を睨むと、毅然と宣言した。



「そんな辱めを受けるくらいなら、潔く死にます」



 全員が息を飲み、静まり返る。



 風の奏でる、物寂しい音に支配された空気を破ったのは、怖いもの知らずを通り越して向こう見ずな一爵令嬢コンビだった。



「は、何をバカなことを……できもしないくせに!」


「いいから早くそいつを捕まえて、こちらに連れてくるのよ!」



 彼女の命令で我に返った者達が、動こうとする。



「近付くなと言っているでしょう!」



 けれどリゲルは、決死の迫力でそれを制した。



「できないと思っているのですか? あたしにはできますよ、やってみせます。どうせあたしには、生きている意味なんてないんです。いつ死ぬか、どうやって死ぬか、そればかりを考えていました。いいえ、あなた達にいじめられたせいではありません」



 そこで彼女が見せた薄い笑みは、私と交わし合ったものと同じ、悲しげで切なげで――――底冷えのする、狂喜を秘めていた。



「むしろ、決断させてくださって感謝しております。あたしはここにいてはいけない、あの人の幸せの邪魔になるから。それでもあたしは、ここにいたかった。あの人の側にいられることが、『わたし』にとって、たった一つの幸せだったから」



 ああ、と私の喉から小さく声が漏れた。



「けれどもう、おしまいにせねばなりません。前世で悲しき運命により引き裂かれ、やっと出会えたあの人、『ラクラスティ』……いいえ、クラティラスさんの幸せのために」



 リゲルの大きな金の瞳から涙が零れて煌めく。それから彼女は、これまでとはうってかわって晴れやかな笑顔を浮かべてみせた。



「ああ、やっと言えます。あたし、リゲル・トゥリアンは、クラティラス・レヴァンタを心から愛していました。『ゲリル』だった前世も、今も、これからもずっと、愛しています。クラティラスさんを、永遠に愛しております」




 ゆらり、と風に攫われるように、リゲルの体が傾く。




「…………っ、リゲルーーーー!!」




 扉を開け、私は叫んだ。


 叫びながら女生徒達を跳ね飛ばし蹴り散らし、ゆっくりと背後に倒れていくリゲルに向かって走った。短い距離だったけれど、私には無限に届かぬかと思えるほど遠く感じた。



「リゲル!!」



 伸ばした手が、細い腕を捉える。


 捕まえた、捕まえられた。今度という今度こそ、この手は離さない!



「クラティラス、さん……」



 リゲルの体は想像以上に軽く、簡単に引き上げられた。


 後でリゲルから『密かに風魔法を使って落ちないよう操作していた』と聞かされたが、この時は本気で『愛の力だ!』と信じていた。



「リゲル……どうして、言ってくれなかったの?」



 二度と逃すまいと彼女を力一杯抱き締め、私も泣きながら訴えた。



「私だけが前世に囚われ、あなたを引きずっているんだと思っていた。私の婚約が決まった時、あなたのおめでとうの言葉にどれだけ傷付いたか。あなたの喜ぶ顔に、どれだけ苦しめられたか。あなたを、こんなに愛しているのに」



 事前に決めた台詞がすらすらと出てくる。


 これは、何度も練習して記憶していたからじゃない。今の私は、なりきりを超えて『前世で結ばれなかった恋人を想い続ける貴族の子息・ラクラスティ・タンヴァレ』そのものだった。



「クラティラスさん……あたしは、あなたのためなら命を投げ出しても構わないと思っていました。あなたと結ばれないのなら、死んでもいいと思っていました」



 そっと体を離し、リゲルが私の両頬に手を添える。


 その目を見て、わかった。

 彼女もまたリゲルではなく、私と同じで『ラクラスティを想い続けてきた庶民の男ゲリル・アトゥリン』なのだと。



「でもクラティラスさんも、あたしのことを忘れずにいてくれた。今もあたしを想ってくださっている。そうと知ったら、もう死ぬに死ねません。前の時のように先に逝って、あなたを悲しませたくはないから」



 そう――心の底から愛し合ったはずなのに、ゲリルは突然私の前から姿を消した。出会った時には既に彼の体は不治の病に冒され、余命幾ばくもない状態だったという。それを知ったのは彼が亡くなり、唯一の持ち物だったという手記が私の元に届いてからだ。



「ラクラスティ……いえ、クラティラスさん。今度こそあたしと生きて、あたしを側に置いてくれますか? 家が決めた『愛のない』婚約者ではなく、あたしを選んでくださいますか?」



 愛しい人の言葉に、私は大きく頷いた。



「ええ、もちろん。あなただけを愛し、あなただけのために生きるわ」


「だったら、この者達をどうします? あたし達の恋は、秘めなくてはならないもの。なのに、知られてしまいました」



 リゲルが胸元から取り出したるは、短刀。


 それを一番近くで見ていた一爵令嬢コンビは、悲鳴を上げ尻餅をついて倒れた。



 短刀を受け取った私は、その他大勢に向き直った。



「あなたを責め苛むことが許されるのは、私だけよ。こいつらは、その禁忌も犯したわ。だから…………一人残らず、殺す」



 実はラクラスティとゲリルには、SMプレイが共通の趣味だったという裏設定がある。ラクラスティは愛する人の苦痛の表情にそそられるドS、ゲリルは鞭打たれるのが大好きなドMだが、攻めはゲリルで受けはラクラスティとちょっと複雑な関係だったりするのだ。



 低く宣告を下すと、私は悪役令嬢クラティラス・レヴァンタとはまた異なる、歪んだ笑みを浮かべてみせた。ドSなのに攻められたいという困った性癖を持つラクラスティとして。



 ドMなゲリル✕ドSなラクラスティの前世設定はさて置き、イリオスの脚本ではここで締めとなる。


 奴が考案したのは『両片想いのヤンデレ百合カップルが暴走し、奴らの目の前で刃傷沙汰を起こして恐怖を与える』というもの。元のシナリオでは、これから身を呈して私の刃を受けたステファニが傷付きながらも彼女達を見逃すよう懇願し、私達が仕方なく譲歩して口止めを条件に刃を下ろす、というエンディングを迎える予定だった。



 しかし、リゲルが手直しした脚本はそんな生ぬるい終わり方はしない。



 何事か喚きながら、唯一の退路である屋上の扉へと何人かが突進したところで――――軽い拍手の音が降ってきた。



 音源は、給水塔の上。



 皆が見上げた先に、二つの銀が光を受けて煌めいている。



「逃げても無駄だよ。ずっと見てたからね」


「なかなか迫力のあるショーでした。やはり女子とは、恐ろしいものですね」



 給水塔からひらりと飛び降りてきた二人組を目の当たりにするや、全員が凍り付いた。



「クロノ様……?」

「それに……イリオス様!」

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